Aー 言葉について、少し考えてみたいのだがどうだろう。要は人の意識とコトバの関係、または、幼児時代からの言葉の習得、思考と音の関係だ。
Bー それが聴きたかった事だね、ほとんどの者がこの言葉と思考の関係について解らない。自分の解らない。先ずは解らないと言って居る事柄を挙げてみようではないか。
Aー 発声機能と音声の関係は、かなり難しい、それは内的機能としての言語機能と発声が余りに密接に結びついている為に、人はそれを認識的に分離が出来ないでゐるからだ。最終的には意識自体を発現している物とは何か?、という問題に突き当たる。生命体を構成しているデオキシリボ核酸(DNA)という物は一種の蔵であって発動体では無い。それは言語の問題と同じような類例なのだ。コトバに於いて音は一種の通信媒体としての物質であり、それを創成する発動体は現状ではいま言ったように墳利することが難しく把握されていない。現代科学は、生物の構成情報であるDNAと認識行動の基準となる脳神経系を重視しているが、だがそれは本質を知らない思い込みだ、脳神経系の現象は言語の本質と同じ、つまり物質化のアナロージーに堕してゐる。コンピューターは命令文を読み、それを一つ一つ馬鹿正直に超高速で実施するが、ではそのプログラムは誰が書いているか?ということである。人工知能も巧妙に指示を実施するが、人工知能は発動体を持たない機械に過ぎない。それは目的のプログラムを正確に始動するが、唯の巧みな機械に過ぎない。人間機械論はド・ラメトリからウィーナーまで、多くの研究者が出現したが、根本的な所にある思想は人間はというか、動植物を含めた生命は一種の機械ではないか?という発想だ。
数学と物理工学の発達から、電子計算機は現実のものとなったが、機械式計算機の淵源はかなり昔だよ。日本では例えば算盤だ、ソロバンは玉五つの手動式の計算機だ、この計算機にプログラムを乗せることが出来れば自動計算機に成る。ソロバンが明から入って来たのは1400年代で江戸時代のソロバン技術はシナを凌駕したし数学もそうだ。西洋ではpascalが徴税請負人だった父親の為に簡単な手動式の計算機をつくったとされているし、Leibnizも計算機を試作した。本格的な機械式計算機の設計はCharles・Babbageに因る解析機関の発明だが歯車が多すぎて人が回すのは重すぎて動かなかった(笑)という。機械式では限界がある、それで1940年代の半ばに電子の運動を利用する方法を思いついたのが現代の電子鬼計算機だ。これ等は当面、言葉の問題とは異なる感じがするが、実はつながっている。計算機とコトバがつながるとは余り聴かない言説だろうが、認識という物を今までの限定的な枠から外して見て見ると、計算という物とコトバとは相互補完の関係にある。いや数学とコトバと言った方が好いかも知れない。これ等の根は同じだと思う。比喩的に言えば人間の一番奥に在る悟性というものだろうな?、それを理性とかこころと言う者も居るに違いない。
Bー 成る程、その歴史的な所は承知しているが、問題は、ことばの内部構造と意識とつながった、あるいは意識以前の言葉が形成される前の、音声につながる機能だな、それがわからない。それで今の話に成っているのだが、もっと直截に言って呉れないかな。その点が僕には解らないのだ。例えば、我々の感覚情報は、極く限定的なものだ。であるからこの世界の本質をたぶん私達は知らない。だが感知できないからそれが存在しないということは出来ないだろう。そんな難しい事は、少し脇に置いて最初の疑問に戻ろうよ、兎に角、先ずは言葉に附いてすこし突っ込んだ世界を喋って見たい。
Aー それは好いとして、言語の過程は未だに未知の領域だ、「思考と言語」の関係をもっと精密に議論できることが必要だ。記憶の仕舞われ方で言えるのは、視覚は直列だが意味のある音(音節・Sentence・)は並列だという事だね。(音)と(音)を結びつけるもの、その介在する物に意味が在る。意味とは関連したものを結ぶ糸の様なものだ。そして大事なことは、意味とは形式論理的には = のことです。視覚の記憶は直ぐに取り出せる。だが、音声記憶はなかなか取り出せない。その理由は仕舞われ方が異なる為だ。
そして重要なのは(=)等号という観念が、コトバを発する上で、どう生れ、どう機能するか?、言語上のうえでそれが分からねば、コトバの本質は分からない。つまり(音)が(意味)変わるとき、この現象過程が大事です。音は表現できても、意味がついて来ないと、コトバとは成り得ない。意味とは、単語を用いたそれをつなぐ形式論理の事だ。and・or・not・=・を単語に直すと、名詞、助詞、動詞、形容詞、修飾詞、などに表現する事も出来る。論理学的に展開する事で、文章を創ることが脳内でできる。言語は形式論理学と習合論的多様体の一種である。これで数学と言語学は結びついた。思惟形態とはこのような単語の形式論理である。これから分を創り出すことが出来る。単語はいくらでも創り出すことができる。これを情報の最小形態として組み合わせる。多様体は+・-・×・÷、などを言葉に持ち込むことができる。音節が出て来る過程が重要です。なにを基に音節が出てくるか?つまり言語と思考が、どのように結び付いているか?。この順序と機構が捉えられることが必要です。