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文明思想家・哲学者・馬野周二の言説

2023年07月29日 13時42分35秒 | 日本の歴史的遺産と真実

 応用化学者、馬野周二氏は、大正11年生まれで、丁度我が父の世代の属する、創造的な応用化学者にして、人間が為して来た過去の様々な災厄、それが起きた謀略の動因を知る、稀有の文明論哲学者でもある。馬野周二のような本物の知性は、彼の主張を知る者に深い驚きと尊敬をい抱く以外に無い、彼は歴史の見方に大きな啓発を与えて来た。ここ500年の歴史と世界史とは、或る隠れた組織による陰謀の歴史である。その背景の構造と出来事は、ある視点を得る事で闇が一挙に照らし出されて、それが起こされてきた本当の意味が明白になる。この人は現代世界の真の動因を知る僅かなひとであり慧眼の人物だ。著作の扉の人物紹介では、馬野氏は父君が朝鮮総督府の高官であり、小学校4年まで朝鮮の中で生活史、その実情を誰よりも深く体験されている。更に馬野氏自身も朝鮮の真実について深い洞察を持っている。小学校4年が終わり、次の年には日本の松山に帰り、そこで旧制中学の中等教育を終えた。高等教育は応用化学科で大学を終えて、大学院の過程を終えたという。経歴から言えることは、彼が徹底した合理性を尊ぶ科学的工学的精神をその基礎に持つ事のようです。

彼の多くの著作は、「日本とか何か」と謂う視点、その精神に基づいて書かれたものだ。馬野氏は、創造的なその経歴を持って通産省に技官として入省し、課長として多くの革新的技術を立てた後に、1960年代の初めにニューヨークに創立されたNew York工科大学の教授として渡米した。7~8年を過ごした後に日本に帰り1970年代に文明思想家として、歴史の根源にある法則性を分析し「歴史工学」のネーミングで思想を立ち上げ、「文明の隆盛と衰亡」の法則性に関する確固とした見方を人々に教え続けて来た。彼の後期の著作では、名指しこそしないが、歴史の動因としての「魔物」を明らかに告発している。ほとんど多くの人々はこの魔物に気が付かない。魔物は世界の金融を支配し、全ての世界の新聞・テレビを支配している、にも拘らず、本体を知られない様に、実に賢く情報統制を長く続けて来た。それは今現在も続いている。

多くの著作は、極めて啓発的で時代の根源を照らし出し、日本人が置かれた立場が如何なるものであるかを明示している。10冊以上の著作を書かれているが、その中でも異質な著作である「世界破局の救済の使命ーその根因を昨探る」と題して書いた、「人類文明の秘宝『日本』」、と題する著作には驚いた。科学的「歴史工学」を追求する馬野氏が書いた、まったく分野の異なる異質な著作である。私は率直に言って驚かされ、書かれている内容に正直驚いた。日本古代史は、言語学的に小生も興味が有り、「偽書とも謂われる神代文字で書かれた古文書の価値」を判断しかねていたが、馬野氏はこれは原日本語の文字であると話す。戦後の学会の定説では、「漢字以前の日本文明には文字が無かった」、という説に妄信しているが、一万六千八百年前の縄文土器の発見から、日本文明が、世界最古の文明であることを思えば、原日本の世界を書き記す文字が無かったとは、私は到底思えない。消されたり、多くの古史古伝は焚書されたのではないかとも疑って居た。馬野氏が語り提示するのは日本の古代文字である。一音が一文字に対応する、いわば音標文字である。

この本は日本の超古代について多くの話題が提出されて居り、そのなかでも面白い説を此処で書いてみよう。それは「高い精神文明には高い山が必要である」という説である。多くの人はそんな滑稽なと思うでしょう。でも私はこのフレーズを見た時、この人の感覚を信用した。それは、私の持論でもあるからだ。高い山は我々の精神を高揚させ高貴な概念へと我々を導くと考えて居るからです。確か、ゲーテも同じような事を何処かで書いていた。山が無い平坦な国土には精神文明は育たないとしたら、それは奇妙な仮説です。でも若い頃に北アルプスや南アルプスを歩いた経験から申し上げると、高い山々は、人間のこころを高揚させると信じます。日本の超古代の人々が山々をどう感じて、其処からどのような心的影響を受けてゐたかは、証拠がないので確信を持って言えませんが、日本の古神道が山岳信仰と重なりを持つものであることは常識です。

一見奇抜にみえるこの著作は、歴史の公式な定説とは少し異なる面を持つが、その主張は無視できない強い洞察力を感じます。まだ馬野氏の真意まで推察するは出来ないが、他の仮説と絡んでその説の意味を解析してみたいと思います。アメリカで過ごした10年を含め、世界を旅して得た経験、また歴史工学の考察から、彼はここ300年の歴史が、或る魔物に因って、どう動かされた来たのかを正確に知って居る。その者たちの考え方も意図も知って居る。だがそれは直接云う事は危険である為に、比喩を用いて言及している。然しどんな比喩を用いても、分かる人にはそれが明白に分かる。

現在2023年の時点で、世界中はその魔物達の議定書に従った意図で掻き回されている。日本では、コロナ注射による死の数は、公式メディアでは一切放送されて居ませんが、数万の単位ではなく数十万の単位です。それはそうでしょう。国民の8割が注射すればそこにプラセボの疑似薬が含まれたとしても、濃度の異なったMessengerRNAの本物が6割はあったに相違ない。この遅効性の毒の効果は6~8年を経て現れる。海外でファイザー製薬が訴訟に負けて発表した副作用は1200項目に上っている。恐らくは注射をした者では自然死を迎えるという僥倖に預れる事はないだろう。生き残れる可能性は殆どゼロであろう。現在の日本政府は、特に65歳以上の年金時受給者を処分したい。これで年金を払うことなく或る魔物の組織に貢げる。また70歳以上80歳に至りては超過死亡率はうなぎ上りである。火葬場は異常な繁盛に賑っている。処分は着実に進められていると見て好い。若い人も死に、また杖を付いたり車いすの身障者をよく見かける。

30代で杖を突いたり、酷いのは車いす。これが20代30代ですよ。これから先、一体どうなって仕舞うのか。この計画された企画は少なくとも30年以上前から為されていた。悪名高いローマクラブの答申「成長の限界」が単行本として出されたのは投稿者が学生だった確か1971年だった。有限な地球環境では、人間を減らすべきだと書いて有る。何も知らない無知な学生だった私は、確かに人間が増えすぎて、此の侭では地球資源は枯渇する等と思わされた。現在これは地球温暖化と同じく全くの嘘である。

大分以前にイーロン・マスクが日本人は絶滅への危惧種である。と言った意味がわかる、彼は賢いのでコロナの裏に在る意図を知って居る。更に、今の時点で日本の何が問題かを明確に察知している。注射を勧めているのは「日本の傀儡政府」だが、どれだけの国民が気が付いてゐるか心許ない。日本人は世界でも稀な、真っすぐに伸びた民族で邪心が無い。それは日本列島の環境がもたらした民族の心性だろう。進んでは争わず、体格は島嶼化の為に背丈が小さい。小さな卵と精子が合わさり、遺伝の保存された暗号が発生を促し、卵子は系統発生を繰り返して人間の形に成り10か月後には子宮より出て来る。一個の命がこの世界に飛び出したのである。何のために生まれて来たかその本質は分からないが、それは自分が生まれて来たように自分の子供をこの世界に残す使命を負っている。誰と誰とが一緒に成るかは、この世の謂わば偶然の賜物です。日本の超古代10万年の過去には、多くのことが有ったでしょう。

人類文明の未来を予想する。馬野のこの著作は一種独特であり、一万八千年も続いた日本の縄文時代に対する再考を示唆する優れた、そして難しい著作であろう。まず以って日本の超古代に文字が無かったという言説を否定する。音標文字は確かに在った。四十八音に対応する音標文字云わばアルファベットの様なものが存在した。だが或る時、漢字の輸入から従来の文字は否定された。日本語は言葉の構造の上でも母音を主体とする音素構造の上でも世界的に見た場合の特異な言語である。以前に日本語の特殊性に関して角田忠信博士の理論を解説したことが有る。その理論的展望に立てば、「日本語は」脳の機能を特異的に変える根源的な特性を持つ。

馬野の見解と角田の理論的洞察に因れば、日本語は全ての言語の元なのである。確かに日本語は最古の言語の一つである。まだ発語発音の謎はわかっていない。言語とは声帯を震わし空気に載せて通信する機能であるが、言語の本質は音ではない。音を編集する脳の機能なのである。多くの人は言葉は音だと思って居るが、音以前にその前段階としてのコトバがある、古代人はそれを言霊といった。ではその音以前のことばは一体どこから出て来るのか。それは脳の機能というしかない。母語を覚える際に脳は極めて特異な反応を示す。日本語の特徴は母音なのである。

馬野氏の数多くの著作を読んでみると、誠に深淵な洞察力と豊かな構想力に溢れた思想家であることを知ることに成った。1960年に通産省を課長で退職し、招聘により新設のニューヨーク工科大学の教授として渡米した。専門の化学工学だけでなく、すべてに亘って洞察力と分析的知性を合わせ持つ才人である。彼はすでに1960年代の初頭にアメリカの本質を見切っていた。その危険性を日本の指導者にも忠告して居るだろうが指導者群は、その知性を持たなかった。それ故に日本がその時点から今日の転落への道を進むのは彼の眼には全くもって明らかだったに相違ない。こう云う人は100年に一人出るかで無いかの人であろう。大東亜戦争時のアメリカの影の主体が、今流行りのDSであることも大東亜戦争時の首班は気が付いてゐなかった。ブレジンスキーが書いている様に、1980年代にはUSAを支配してゐるのは猶太組織、猶太社会である事を隠す必要もないほど完璧な支配が形成されたという事であろう。彼は密教がUSAを支配してゐると書いているが、その密教はTalmudという事であろう。

2001年の9月11日に、彼らDSはアラブの石油をただで奪う為にニューヨークの貿易センタービルを爆破し、アラブのテロリストという架空の敵を創り出し、それを理由にイラクに戦争を仕掛けた。その為に犠牲に成ったのは兵隊として狩りだされた一般のアメリカ人のキリスト教徒である。DSに取って一般のアメリカ人などは同胞ではないのでただの消耗品に過ぎない。攻められた方のイラクでも多くの女子供が犠牲になった。DSにとってこれも平気である。こんな凶悪な国家USAの本質を既に50年前に見抜き警告をしている。だが平均的な人々には察知できない為に誰も知ることは無い。

この後にもコロナパンデミックを演出し、毒注を全世界に注射させる演出を行い、何と日本ではその純良さの為に85%の一般国民が進んで注射したという。この毒注射で多くの人が一か月以内に即死したヒトの数は20万人を超すだろうと云える。注射が始まってからの正確な死亡統計その例えば直近10年間の死亡平均値と比べて見れば、その数は恐るべきものであろう。日本国民は大半がテレビと政府発表を何の疑いも無く信じているらしい。それゆえ、この策謀は成功する。2023年にファイザー製薬は注射の効果を発表すると謂って居たが、それは今でも発表されていない。恐らく発表される事は今後無いだろう。元々このパンデミックは地球人口を減らす為に、30年に亘る慎重な計画の下に実施されたものだ。その計画が一般の民衆に出された、その起点は1972年にRockefellerの資金的援助の下に出されたローマクラブの会議報告「成長の限界」辺りに在るのだろう。

地球の資源の保存の為に地球人口は5億人が適切である、という答申である。この計画に起点はもっと前だろうが、一般人に解る形で出されたのはこの答申が最初であろう。なぜそんなに人口を減らしたいのか?。それは地球支配に王手を掛ける金融資本家たちが、地球の資源を食いつくすと信じている、大多数の普通の民衆を許せないかららしい。金融資本家たちは、地球の資源は全部自分達の物だとどうやら信じている事から来ている。常識を持つ人々に取って、この様ない異常な信条を持つ支配層は元より普通の常識人では有り得ない。偏執狂か狂人である。だがこの様な人々が現在の世界を牛耳っている。恐ろしいほどの狡知に長け、目的追及には些かの情けさえない。この人達は、世間一般には慈善家を名乗っている。

いま日本を含めて世界は混乱の極みに陥っている。こんな狂気がいつまで続くのだろう。国民が稼いだ利潤は外資に持ち出され掠め取られている。国民は一部を除いて30年前の年収の半分に喘いでいる。元より大企業の正社員に成れる者は限られている。あとの青年達は非正規の仕事で体を酷使し、年収のゆえに家庭を持つ事さえできていない。1990年代の初めにバブルが崩壊し、その後の政策が無策に近いものだった。元々バブル自体が仕組まれた物だったのです。プラザ合意は日本滅亡への道だった。其れ以後、氷河期という言葉が人口に膾炙し、就職は混乱を極めた。政治が無能だった結果だ。永く平和で正直な民族である日本人の理想は、すでに遠い彼方に沈んでしまって居る。だが望みは捨ててはいない。いつかは真っ当な日本が必ず実現できると思って居る。

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天文学の歴史

2023年07月27日 09時08分19秒 | 宇宙論

 天文学の歴史は、人の自己認識と宇宙認識の歴史そのものである事は言う迄もない。我々の生物種が、この世界に現れたのは、考古学では20万年前と云うのが定説だが、この定説は証明された物では無い以上、単なる仮定の話に過ぎない。現在の人間の能力は、すでにその20万年前から変化していない。生物的に脳神経の発達で人間は「火」を使う事を知り、その為に生存上の多くの利を得た。食料を加熱する事で腹をこわす事が減少したし、火を使う事で野生動物の攻撃を避けることができた。ヒトは哺乳類の一種で雑食ではあるが、草食では無い為に生の草を食べることが出来ない。海や川で魚を、森で木の実を採取し、主食としてその生存を保っていたが、時には大型の草食動物を襲い、その肉を食することも在ったに違いない。やがて植物を栽培する事を発明し、その発明が人間を大きく変えた。腹を空かせては居ても、植物栽培に因って全員が飢えて死ぬ事も無くなった。小さな家族はやがて大家族へと変化し同族の集落を作り、またより大きな集団となって行った。いわゆる同系の大氏族の形成である。話し言葉はすでにこの頃には完成されていたと思われる。遠い古代にも好奇心を逞しくする者は居た。そのような先祖は夜空を仰ぎ見て、月や金星、火星、木星、そして幾多の星々が天空に在り、刻々と位置を変えまた再び同じ位置に戻ることを不思議に思った事だろう。我われに身近な最大の対象は、お日様の太陽である。そして夜空には月が大きく出ていて、昼と夜という我々の生活リズムを律していた。月は自らは光らず、太陽の光を受けて自分達の暮らす大地の上を規則正しく廻っている。

古代人の天空に対する興味は、世界の各地にストーン・サークルと呼ばれる天体の運行を印した遺跡の存在に拠っても解るものだ。古代人は日が落ちたあと寝るまでの間に、星空の光の瞬きを興味をもって仰ぎ見たのに違いない。それが一定の順序パターンで天体が変ってゆく。そして、其れには何らかの意味が在り、星空は一年が過ぎると、また新しい一年にむかって順序が繰り返される。日本にもストーンサークルは存在する、それは縄文時代の遺跡であり、すでに一万年以前の遺跡を追うことが出来る。そして暦は栽培技術の上で欠くべからざる重要な指針であった。これが崩れると農業の収穫が減ることも在り、人々は種をまく時期に敏感であった。永い間、この天体の運行は、地上の諸事にも影響を与え、個人の人生までも決定すると信ぜられた時期が起きた。いわゆる天体の運行と、国家の運命もつながっていると信ぜられた。占星術と天文学の現象とは、切っても切れない関係を有している。この天体の運行は永い間、最大の謎の一つであり、人間の初期の文明が栄えた土地には、必ずと謂って好いほど天文に関する遺跡がある。バクダットもそうだし、インドもそうだ、エジプト、も、多くの古代遺跡を形成している、さらに中南米大陸では。マヤ、インカ、アステカ、と古代の天文台と思しき遺跡が密林に打ち捨てられて居る。此れからしても、文明と天文は殆どおなじ土壌の上に立っている人間の思考の跡である。

この天文学の歴史に大きな発展の切っ掛けと道具となったのが数学であった。中でも幾何学は、天体の運行までは把握出来なかったが、地球の大きさ、月と地球の比、さらには地球から太陽までの距離さえ計算した。幾何学は人間が眼を有する以上、どんな文明にでも存在した。子供向けの数学の歴史では、幾何学はエジプトで土地の面積を計る為に案出されたと書いて有るが、そうでは無い。面積を計る際には、その面積に三角形を曳き詰めその三角形を足し合わせる事で面積を確定する。いわゆる三角法である、中でも三平方の定理が有効である、さらに進むと余弦定理もギリシャでは案出された。この様にして平面上の幾何学であるユークリッド幾何学がうまれた。

現代の数学は、大きく区分けすると、概ね、「代数」「幾何」「解析」「確率・統計」などに分けることが出来る。 

『代数』とは、関係と関係とを、AとかB とか、ⅩとかYとかに象徴して、それらを使って関係式(方程式)を作り、それを解く事に因ってA、B、乃至、X、Y、の関係を割り出して、数値として導入する技術と言える。いろいろな函数(指数、対数、三角、実数、複素数、四元数、八元数、)を取り込むことで、様々な方程式があり、方程式論と言えるだろう。例えば、五次方程式などは冪根では解けないことが、エポックに成り、群論が出現する。代数方程式で出現した群論は今では最高の技法として素粒子物理にまで応用されている。一旦、数学的な技法が確立されれば、それはあらゆる分野、化学にも人類学にも応用が可能なのが数学の特徴なのである。数学の定理は普遍性を持つから極めて有効である。代数は平たく言えば方程式論のことで、この分野はメソポタミアが起源かも知れないが確証はない。

『幾何』とは、人間が眼をもった時点でその条件は整っている。もちろん直接の契機は面積を割り出す事から始まったらしい。洪水で流れて仕舞った土地の面積を割り出す為に色々と思案した挙句、人々は三角測量の方法を編み出した。平らな空間、面積は二次元である、縦と横の掛けられた数値、それが面積。この面積を廻って人々は角度という物を発見する。縦、横、高さ、の三つの数値と角度の関連を廻って、やがて三角法が確立される。古代の色々な地方での工夫され幾何学は、ギリシャの賢人たちに依ってユークリッド原論として著され、この幾何学は人間の文明に根本的な知的発達をもたらした。特に、アレキサンドロス大王の中近東への遠征は、世界史的な文明論的な意味を持つ。アレキサンドロスが死去したのち、彼の帝国は何人かの将軍によって分割されて、各王国となった。中でもエジプトの港湾都市アレキサンドリアには、世界の様々な知識が集められ、その中のアレキサンドリア図書館は、地中海文明の粋である。繫栄して居たアレキサンドリアは、その図書館の三十万冊とも謂われる大百科事典をも凌駕する知識の宝庫は、エジプト内の過激分子に依って焼き払われた。この人類の宝は各地方の古史をも含み、それは人類の宝と言うべきものだった。正当な知識が邪魔に成るのは特徴と言うべきか。古代の知識はこうして失われたが、一部にはユークリッド原論や数論として辛うじて残された物も有る。この図書館の文献がどんな分野に亘るものであるかも解って居ない。こうして古代ギリシャは一神教に毒されて自然科学的な考えはすべて潰された。この古代の智慧はイスラムが継承した。西欧のルネッサンスまで、ギシリャの知識の継承者はイスラムなのである。西欧はイスラムの自然科学よりもはるかに遅れていた。

「解析」とは代数と幾何から比べると新しいものである。解析の萌芽は色々あるが、私はNewtonの流率法である微分法をもって、解析の根本的な最初の土台であると考えて居る。流率法は級数の考えを深めたものだ、無限級数のエッセンスを拡大展開することで、或る瞬間の傾きを求める微分の方法論を編み出したのだろう。いまでは曲線の傾きを、挟み法でその一点の傾きを求める簡単な方法が確立され、高校二年でその初法は習う。しっかりと学習すれば、その方法論はニュートンの時代に比べれば解り易い。ニュートンが考えた最初の方法はとても難しいが、彼の発想をそこに知ることが出来る。流率法は書き方も難解だ、後にライプニッツが改良した記号が今では普通に使われている。その方が意味が明快だからだ。解析学はその後、急速に発展し、天文学はおろか数理物理学の強力な方法論となった。工学の方面では解析学が無ければ、何に一つ完成できない。人間は自然現象を解明する大切な方法論の萌芽を手に入れた。ここで解析学を解説している暇はないので、その重要さを強調して終わりにするが、解析的整数論とか解析関数論、など解析が付く分野はそれこそ多い。

 次には「確率・統計」である。これの起源は、いわゆる賭け事から始まったと数学史では説明されるのが常である。人は古代から遊び人も多い、彼等は博打をする事を常とし、人間には「濡れ手で粟」の欲張りが多い。その為に賭け事は消えることなく、競馬、パチンコ、競艇、宝くじ、と人間の射幸心を煽る遊び事が消える事がない。17世紀の賭け事はトランプ、遊びの質問から始まった。「パンセ」で有名なブレーズ・パスカルの友人に、無類の賭け事好きが居た。その友人はパスカルに、トランプ遊びの際に、絶対に損をしない方法は無いか?と質問した。その答えが確率論の初めだという、だが本当かどうかは知らない。このパスカルの方法論は組み合わせ確率の初歩だという。現代の功利的な確率論とは異なる物だが、初期の確率には違いない。この様に未だ結果が出ない現象ないし事象について、その結果の出現率を数値で求める謂わば未知の多様性を方程式の組み込むことが、やがて確率論を大いに発展させた。パスカルに始まる組み合わせ確率は、フーリェやラプラスなどの仕事を経て、20世紀の初期では、確率論に関する物には、チェビシェフやマルコフを始めとするロシアの数学者の貢献が大きい。公理的確率論がロシアのアンドレイ・コルモゴロフにより確立され、さらに数学的にも、新しい積分論がアンリ・ルベーグにより開発されて、確率論をより深い豊かな領域へと解放した。20世紀の後半では、確率論は金儲けの投資にまで広がり、其処では伊藤清の開拓した伊藤の補題がファイナンス数学を推し進めた。何れにしても確率とは面積であるから、それを拡張し三次元、四次元、空間のなかでの挙動として、対応付ければ確率論は新たな天地を得るだろう。無限次元の空間に対応させれば、この分野は思いもよらぬ展開を得るだろう。マイナスの確率や複素数の確率など、開拓領域は人間の想像力次第なのです。

 天文の歴史は、人間の宇宙世界認識だけでなく、深く人間の自己認識とも重なっている。宇宙の星々を見ていると、其処には孤独な己を知る何かがあると思ってしまう。この宇宙の現象を、何故知ることが出来るのか?について、それが最大の謎だとした有名な物理学者が居た。だが彼は余りにも自明な事を忘れている。本質を言えば人間は星々が、また宇宙が創り出した物だ。生命そのものが天の下に生れたものだ。天の法の下に生れたものが、天の法を知ることが出来るのは自明だろう。それは自己認識に他ならない。

宇宙は気の遠くなる永遠の世界だ、それは永い永い時を存在している。我々はこの瞬間に、一億光年離れた地点で超新星過程が起きたとする。だが、我々は、それを見る事は決して出来ないだろう。我々はすでに命を失ってゐるからです。だが、それを実際に見なくとも、それがどんな物かを想像で知ることが出来る。それこそ生命の為せる最も稀有の物なのだろう。我々に宇宙の現象が理解できるのは、我々自体が宇宙より生れた現象でもあるからだ。つまり何度も言うが宇宙を理解するのは自分を理解することに等しい。今まで多くの人々、いや生まれ来た全ての人々が、命の始源と命の終りを知ることを願った。だが誰一人として、その始まりの意味と終わりの意味を知ることは無かった。空海さえ、生れ、生れ、生れ、生れてその初めに暗く、死んで、死んで、死んで、死んで、死の終りに冥し、秘蔵法ヤクの中で書き記している。生き物は、その呼吸を止めれば無であるという人が居る。肉体は滅び去るが、それが全て虚無であるかは、それは何も知らない人の言動である。、では、果たして今は存在せずに、此れから生まれ来る命は一体何処に居るのだろう。我われの無の空間には命が溢れている。それは未だ発現されていないだけなのです。個人的我は消え去るだろうが、個人の魂は、大いなる魂に吸収されて、そこで保存される。宇宙にも終わりが有るか?物事は始まりがあれば、終わりがあるのが原則である。

我々は父母の愛の下に生れ育てられた、この恩はどんな物より深く豊かな物だ。父母には、またその父母が居た、その父母にも父母がいた、今自分の命は、この先祖の手の中に在る。この世に存在する人は、皆、皆、おなじです。 世界はすべて一つのもっとも素朴な理念から出来ている。宇宙の存在の全ては単純な構成から出来ている。万有引力が宇宙を創り、物質は原子から構成されると古代ギリシャの自然哲学は説いた。宇宙の始原が一点から始まったとするのならば、その膨張はいずれ停止し、やがて収縮に向かうだろう。その地点と時間が、どの位かはまだ未定である。それはサイクリック宇宙論とも謂われている。謂わば呼吸する宇宙論である。例えば自然数の列は人間んが考える限り単純で自然なものだ。この自然さが物質の構成に応用されない訳がない。元素の構成もその構成を敷衍している。それは計った物では無く、自然な物としてそうならざる得ない性質の物なのだ。

天文学は宇宙空間に望遠鏡を打ち上げる事で、より鮮明な宇宙の画像を見ることが出来る。それは鮮明な物だ、誰しも驚くほかに言葉がない。宇宙は大規模な溶鉱炉なのである。その巨大さは言葉を絶する。様々の銀河があり其の中心部の大質量を中心に渦を作っている。流体の様に扱うことが出来る。周りの物質は中心部に落ち込み盛んに発熱している様に見える。中心部の力学は今の所未知である。この現象が宇宙では特殊ではなく、いわば有り触れたものであり、多くの銀河はこのような形態を示している。中心部ブラックホールの構造と力学は今の所未知であるが、何れは解決されるだろう。そして、この様な巨大構造から目を反らすと、太陽を中心とした太陽系の様な惑星と衛星の存在が浮き上がってくる。我々の太陽系は巨大構造銀河系のごく一部であり、流体の様に中心部を目指して周辺を回っている惑星系なのである。膨張宇宙が宇宙が出来て約200億年これが何処で止まるのかは分からない。 太陽系が出来て45億年と云う。あと我々の太陽系がどれだけ続くかは知らない、今が中間点だとしてあと45億年は続くかもしれない。その時、宇宙を見つめていた我々の先祖の様に、我々は宇宙を見つめることが出来るだろうか。個人としての命はこの宇宙レベルに比べれば、殆ど瞬間である。我々は産まれる前に戻るのだ。

この宇宙の現象からすれば、我々の日常は、何か極些末な事に過ぎない様に見える。誰々の展覧会、サッカー・野球の試合、子供は明日のテストの山賭け、ご婦人たちの有名店の食事会、尾瀬へのハイキング、紅葉見物、渓流釣り、すべては宇宙とは関係なく、この地球の上でただ生きてゐる者の日常である。宇宙の原則とは無関係に、生物としての営みが繰り返されているだけの様にもみえます。大昔から多分こうだったのです。宇宙を臨み命の元を考察するのは哲学でもあるが、不思議の感覚を唯一の動機とする天文学は、やがて自然科学へと変貌する。それは人間の探求心の原初形態でしょう。一瞬でも、我々のこの地上の関心事を離れて、ふと頭上を見上げれば、其処には無窮の宇宙が広がっている事に何人の人々が気付くだろうか?、ほとんど視界に入らないに違いない。天文学の歴史は詰まる所、自分の命の初めと終わり、すでにこの世に生れて来た人には、自分の命の終りを想う事とも重なっている。我々はこの地球という太陽系第三惑星の一握りの土に帰ることに他ならない。だが、この宇宙の存在は、人間の思考に圧倒的な探求の動機を与えている。

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日本語とは何か

2023年07月08日 18時54分47秒 | 日本文明

 日本文明とは日本語と切って切り離せない。我々が日常使っているコトバであるが、日本文明、そして斯く斯くの時代と文化、さらには我々の精神の中に在る特質は、このコトバに由来するのかも知れない。その注目点を、此れから取り上げて解説を試みたい。

1、日本語は古い言葉である、その起源はこの列島に人が生まれ住み始めてからいえば10万年、旧石器時代の石器が作られ、磨製石器が作られ、土器がつくられて、その間コトバの魂は確実に継承された。ヒトは証拠が残らないというかも知れない。だが話しコトバの音素は次の世代に継承されてのこる。

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