井頭山人のgooブログ

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三角関数がなぜこれほど応用範囲がひろいのか

2024年02月28日 09時15分20秒 | 日記

 我々が中学で習った三角関数、元は三平方の定理的幾何学から発展・展開し、手足を伸ばしては平面円座標を土俵に一周360度という角度と関連付けてsin、cos、tan、を関数として作りだした。これは中学で習う教程だ、三角関数は逆三角関数共々やたらに公式が多く、こんな物を一々覚える必要などない、sin2乗Θ+cos2乗Θ=1から公式は殆ど導き出せるので、その根幹を理解してゐれば好い。高校では三角関数の微積分を習う。そこでも公式は意外に多い。微積分の公式自体が指数・対数とも絡み合って、豊富な世界を創り出している。変な曲芸的な演習問題は多いが大抵は解ける。更に三角関数は驚くべき応用域をもってゐる、熱伝導を数学的に考える為にジョセフ・フーリェは三角関数を使いフーリエ変換を考え出し、それでフーリェ解析の分野を創った。これは工学的な応用で熱に及ばず、電子・電気工学の重要な道具である。更には情報理論にまでその糸は伸びている。

ところでだいぶ昔に成るが有名な数学者で黒川信重さんが書いた現代三角関数論という本に出合った。三角関数を発展させた多重三角関数という手法を使い、驚くべき事には、これとΓ関数、ζ関数をむすびつける糸を探すという。奥が深い試みだ、数学の発展と言うのは一朝一夕には進まないが、どんなところにどんな金剛石が埋まって居るのか分からないから面白い。ζ関数が出て来た以上、素数分布の公式にも近づいたか?な。三角関数も遠い古代から問われて来た物だし、素数の分布も同じく遠い古代からの問題だ。素数の問題は原子構造などの物理学の自然現象とも関連付けられ、やはり自然は数学的な関連の原理で成り立っているのだなと直感した。自然に留まらず生物の構成力というかモノを作る指導原理は、何かの今は認識されていない所の、大切な概念に因っている。あらゆる物には、なにか対称性の構成原理が働いているらしい。

話は変わるが、我々の周りでも生物的にほんとうに不思議な現象は多くある。共通性と言うことで言えば、紅葉のタネについた羽根は、ハエの羽根とそっくりである。なぜ効までにソックリなのか?、誰も不思議に思わないのか?、モミジの種子に付いた羽根は葉の変化した物だろうが、付いてゐるのは1枚である。ハエの羽根は2枚だが、どうみても同じ形をしている。恐らく、それをつくる上での、何らかの共通性の構成上の指導原理が在るのだろう。人間は未だその指導原理を知らない。羽根の構造まで同じである。複葉機の羽根は、それを模倣している様だ。自然が創り出す羽根は、それは構造力学的な強さと飛翔の為の効率のいい形をしている、これを詳細に観察していると、我々の現代の飛行機を想い出す。空気という水の中を飛翔するにはどうすれば好いのかを考えて創っているみたいな、何かすべてを予定調和のような意図が感じられる。それはなにか空恐ろしい感じがする。大自然は、凡そ人智などモノともしない、深く偉大な物です。

さて、三平方の定理の起源はギリシャ時代よりも遥かに古く、ヒトがものを考えるように成って直ぐの出来事だろう。過去の偉大な知識の多くは、絶え間ない戦乱によって消滅した例に暇がない。各地方から集まった古代の知識は、ギリシャで編集されてそれが本となり保存されその百分の一くらいが現在まで伝わった居る。それはプトレマイオス朝のアレキサンドリアに在った大図書館が猶太人によって放火され、多くは灰燼に帰した為である。貴重な収集された資料は、その様にして失われた。三角関数がこの様に応用範囲が広く成った理由は、土俵が拡張された為である。単なる三平方の定理の範囲では、これ程の広範な拡張は望めなかったでしょう。三平方の定理を円座標を使い角度θという概念を導入し拡張したことで、正弦・余弦、を導入した。角度θのこれだけの概念の導入で三角関数は多大な応用範囲を拡張した。土俵を拡張することで数学と言う学問は昇華し変身する。

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「澤木興道自伝ー聞き語り」

2024年02月23日 17時14分53秒 | 宗教的世界の様相

 最近、私は痛快かつ痛烈な本に出合った。「禅僧ー沢木興道の自らの人生を語るー聞き語り自伝」である。これは沢木興道師が収録者に語った肉声を文字にしたものである。本人の口から出た魂の旅路であり、稀有の自伝である。ゴミ溜めに蓮花である。蓮の花も泥の中から現れる。今の世の中を見回して、果たしてこんな人物はゐるのか?。師は幼くして実の父母を失った。昔で言えば親なし子である。兄も姉も妹も幼くして空っ風の吹く寒い世間に放り出された。普通なら、愚れて世の中の屑不良になった事だろう。だが、人という物は本来生れる以前からの聖なるものを持って生まれて来るらしく、愚れようにも愚れられない性質を持って生まれて来るらしい。そして興道師の養育先が、これまた最下等、最悪の扶養先だった。後の沢木興道を産んだのは、この最悪の育成環境だった。こんな所にも蓮花は生えるのである。親とも言えぬほどの酷い養父母である。よくもまあ、こんな親の下で凄い人物が育ったものだ。いや、返ってこんな親で、酷い環境だった事が幸いしたのだろうか?。沢木師が現在の義務教育の環境を観たら、何と言われる事だろう。真の禅者は最底辺の苦労をなめ尽くして初めて生まれるものなのだろう。

興道師の聞き語りという肉声を聴きながら、私は、彼の育った当時の大阪の最下等の社会を見る思いがした。こういう底辺社会がある事はまるで知らなかった。これは最下層社会を活写している。下層社会の研究、或いは人間研究に役立つだろう。17歳の頃に読んだ岩波文庫に、横山源之助の「日本の下層社会」という本があるが、横山はこの本を左翼的な観点から書いているが、彼に記述は或る意味では嘘である。社会が人間をつくるのではない、その逆だ、人間が社会を創るのであり、なぜこんな下等な人間に成った根因は何なのだろう?、下等な者はろくな社会を創れるはずがない。次々と興道師の人生を見て行くと、彼を求道に誘ったのは、近隣に本当の高潔な人物がいた為である。如何に人間を作るのには、高潔な人物が必ず必要な事を証明している。隣に居た森田岩吉(千秋)さんも興道師を導いた方であった。「世の中に金や名誉よりも大切なものがある」ことを知ったのは、千秋さんからだったと話されている。沢木師は禅者として、夙に名を馳せて居られた人物らしいが、私は人生の中で禅に触れたことは無かった。瞑想はお手の物だが、型に嵌った座禅はしたことがない。

日本の歴史の中で禅がシナより入ったのは鎌倉期であった。栄西が臨済禅をもたらし、臨済宗を創始した。またシナに留学した道元が禅をもたらし、道元禅の曹洞宗を創始した。どちらも禅である。違いが在るとすれば、座り方遣り方の作法の違いに他ならない。禅は元々インドに起こった仏教の地下根である。仏陀が始めたものが原始仏教であるが、それ以前に瞑想の下地があった。それがヨーガである、仏典にヨーガ師土論という瞑想とその獲得した智慧の論書が在る。原始仏教以前にそのヨーガは存在した。長い年月に様々な枝を出し変化して現在の仏教がある。逆に言うと現在の日本仏教はインド由来の原始仏教から派生した物とは異なっている。それは日本独特の加工が加わり、外国産の思想の日本的変容で突然変異と言って良い。禅は鎌倉期の武士の気質を捉えたらしい。明らかに浄土宗やその枝である浄土真宗の心性とは異なっている事は素人でも解る。

十七歳の沢木禅師が、余りに酷い育成環境に悩み、そこからいつ飛び出して家出をしょうかと悩んでいた次期が活写される。養父母から離れて、一体自分の人生をどう生きるか?深刻に悩んでいたころ、一度の家出に失敗して連れ戻され、坊主に成ろうと決心して永平寺を目指して着のみ着のまま、四日間のの旅をして永平寺にたどり着く。知り合いの真宗の僧侶に永平寺に向けて家出をするのに寄った所、生米二升と金二十七銭を呉れた。この辺の記録は切実だが面白い。たどり着くまで色々なことが在った。相当に苦しい思いをされたようだ。日露戦争の話もおもしろいものだった。沢木師は実戦の本当の実体を話されている。後日、師が伊勢志摩を訪ねると当時の人が生き残って居り、戦時に特務曹長をぶん殴って気合を入れた伝説は伝わっていた。

「九死に一生の帰宅」という項目は、実に沢木禅師の、もの凄い人生を活写している。色々と駄目な親の話は聞くが、これほど駄目な養父母は中々探しても見つかるまい。戦争で負傷し、首から入った弾は舌にぬけて重傷を負った師は担架で運ばれ、もうこれは駄目だという白い紙が貼ってあるが、白い札の戦傷者は一人二人と消えて行くが、興道さんは死なずに三日生きてゐると、若しかすると蘇生するかもしれないというので、ようやく治療を始めてくれたという。そんな九死に一生の負傷で、奇跡的に助かり、途中の戦傷者の内地への旅は酷いものであった。宇品に着いた後に、ようやく病院に入れた。

少し傷が癒えて家で加治療養しようとしていた矢先、家に帰るとまるで駄目な見本の様な養父の所業が露になる。養父は興道禅師が戦死する物とばかり思い、その戦死者に降りる手当を抵当に金を借り、それで博打をして酒を飲み、スッカリ使い果たしていた。養子が生きて帰った来たと成ると戦死手当てが下りないので、目算が狂い興道禅師に向かい怒鳴り散らして居たのだ。呆れるにも程がある。こんなのは親でもないし結縁でもない。養父とは謂えこんな駄目な親を持ったのは、幸いだったのか不幸だったのか。この養父は提灯張りを生業としていたが、幼い興道氏を引き取り、提灯張りの手代に使おうとして引き取ったのだ。食事と言えば麦飯でおかずは大根のしっぽと茄子のへただと謂う。新しい茄子漬けは自分の実子に与え、古茄子を興道に食わせる。よく病気にもならずに育ったものだ。賭博場の丁番、風呂屋の下足番、提灯の張替え、およそ今の若者がやる事の無い仕事である。禅師は思春期の頃には、此の侭ではいけない、「俺の人生はこんなもんで終わって仕舞うのだろうか?」と、悩みに悩み、此れでは、この世に生れた甲斐がないと煩悶し相当苦しんだと話される。何にに成ろうかと言ってもその展望がない。

禅師は、色々悩んだ挙句に、そうだ!、坊さんに成ろうと決心する。17歳か18歳の頃のことだ。人生のこの時期は、自分の将来について真剣に生きようとする者は誰しも煩悶する物だ。むしろ煩悶しない人間が居ることは不思議な事だ。興道師は一度の家出では連れ戻され、再び家出を決心する。二回目の家出が永平寺への必死の旅である。なぜ永平寺かというと、此れだけ遠ければ連れ戻されることは無いと踏んだらしい。まだまだこの聞き書は長い、沢木興道師の、その聞き書をよむことで禅宗と禅のこころに幾らかでも触れる機会を与えてくれた話者と編者に感謝する。今日は家内が遍照寺鮎ケ瀬智舜先生のお話を婦人部で聴きに行くという、先生はいつも人間は何を柱として生きなければ為らないかをお話されるので良いお話をお聴き出来るであろう。

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ことばの起源に附いて「哲学的言語起源論」(1)

2024年02月21日 15時39分36秒 | 心理哲学

 ことばの起源は人間の思考の歴史が始まって以来、探求された題目である。その記録に探せば、ギリシャ時代はおろか、紀元前三千年の尚古日本の古記録、真秀伝にまで遡ることが出来る。人は常に言葉の機能とその起源に附いて、関心があったという根拠でもある。現生人類は何もアフリカ起源ではないだろう、それは一種の幻想にすぎない。日本の旧石器時代は現在よりも12万年前にまで遡れる。その当時、人が日本列島に居たのだからAfricaから来るはずはない。暖かい南方でAsiaで人類は誕生した。そして人類の誕生は、またことばの誕生でもある。言葉は人間だけではなく、あらゆる生命体に特有のものである。もちろん魚類には、通信が無いとは謂わないが明確な言語が有るとは言えないだろう。人間に特有なのは明確な言語を持つ事である。言語とは共通の音韻構造に因る通信手段である。そして言葉は段々に新たな単語を創り出し、精緻な構造を築き上げることでもある。言葉は共通の集団の中で自然発生し、その中で変化深化して行き、氏族のことばから民族のことばへと発展し、ひとつの言語構造へと体系的に変化し発展して出来上がったものだ。それが民族特有の言語であった。

18世紀は其れゆえ言語の探求がなされ、当時の主要な思想家の探求するテーマの一つでもあった。言語起源論に関しては何人かの思想家の著作がある。いちばん素朴な物はJJ・ルソー「言語起源論」であり、次には精緻で独創的な、J・G・ヘルダー、の「言語起源論」である。G・ヘルダーの起源論はインスピレーションに満ちており、非常に面白いものだ。いずれも人間の精神に、どの様な過程でコトバが発生したかと言う、その契機の理由を考えてゐる。コトバは文明と共に在り、その文明の特徴に決定的な影響を与えるのであるが、言葉がもたらす思考形態の言語に因る差異は、E・サピアが「言語」という著作のなかで現に語っている。明らかに言語は思考様式に影響を与えるのだ。その逆も言えるだろう。ルソーは18世紀の人間であり、ヘルダーも18世紀のドイツRenaissanceの人物である。

20世紀に入って文化人類学と同様に言語学は益々盛んに研究された分野である。多くの言語学者と言語哲学者が誕生した。私はその中で、現代にもつながる構造主義言語学を挙げたい。それはUSAのブルームフィールド達が主に成って進めた物だが、構造主義の言う結論からすれば、言語の本質は、「音が全て」であるという、彼らは考え違いをしている。1950年代から1970年代に掛けて、私が生まれた頃から二十歳代に掛けて、日本を含めた世界の思想界を席巻した「構造主義」とは、元々、文化人類学から派生して生まれた用語である。その用語の下に成った著作は、レビ・ストロースの研究で、それは南米の密林に暮らす未開のインディオの研究である。その本の中で、ストロースは南米のインディオ(ラカンドン族)の家族関係を構造的の捉え、「親族の基本構造」という論文を書いた。それが構造主義の用語の始まりである。ストロースは、家族関係の分析に構造主義という言葉を使い、「氏族の内部構造」と、「親族の基本構造」を、数学的な群論の手法を使って抽出した。だが、未開民族の家族構造が全ての民族の基礎にあるというルソーの家族観は、単なる幻想にしか過ぎない。たぶんレビ・ストロースは、夫婦関係、親子関係、兄弟関係、従妹関係、また嫁に行き新たに出来る人間関係、などを統一的に扱う一般構造を探求していた。

その構造主義は言語学にまで波及し、ブルームフィールド達の「構造主義言語学」が誕生した。ブルームフィールドの弟子であったチョムスキーは、1970年代に流行した生成文法の創始者だが、それは1953年の論文「文法の構造」に始まる。一般生成文法とは、人間の話す多くの言語の元と成る、最も基本的文法が有るはずだという発想である。この考えは一見、魅力的だが、あらゆる言語が導き出せるという究極の万能文法は存在しないし、言語は飽く迄、それ自身で存在するのではなく、自然環境の中で生きてゐる生命体の脳神経の反映なのであり、生成文法自体が最終的には「言語起源の問題」を、解決したようには見えないし、あらゆる言葉の基本形態を導出するという触れ込みは、謂わば、何でも神が解決するという一神教の教理その物だ。どうも一神教的心性は、究極の法則という発想にすぐ行って仕舞う傾向がある。そんなに簡単に真理に到達する道はない(笑)。

さて言語起源論に題目を戻そう。此処では、J・G・ヘルダーの「言語起源論」を分析してみたいが、その前に。当時、西欧では「言語起源論」は、大きなテーマの一つであった。当然のことであるが、思力に自信のある哲学者や心理学者に取っては、このテーマは、片付けるべき問題の一つであった。言語の起源を問う際に、最初に問題に成るのは「音と意味の対応」であり、オトと意味はそれを習得(母語が完成した後には)した後には、オトと意味は、余りに強く思念と結合している為に、その結合の部分の構造の差異が解らなくなる。言葉が完成するとは、その結合が完成するのと同じなのです。言語は思念と強く結合して仕舞うと、音はまるで意味の如く認識されてしまうし、自分の思念は自動的にオト化される。言語を習得するそれが、その成長のどの時期に、どの様な過程を踏んで対応が完成するか?が問われるのです。これが人間んが言語を習得する過程です。我々哺乳類は、なに・なに、語という、特定の言語なしで生れるが、言葉なしで生れる訳では無い。この違いが分かるだろうか? 真のコトバの起源は、音の背後にある思念なのだ。うまれて最初に触れるのは産みの母親である。母親は優しい目で我が子を見て、スキンシップと声を掛けてくれる。産まれ立ての赤子は、言語としてのことばは話さない。ただ笑ったり泣いたりするだけである。だが、この笑うこと泣くことも、交信の手段としては明らかに言語への助走であり、それは将来、明確な言語の始まりとして認識されるモノなのである。そこには母と子の、同体としての信頼が生まれる。コトバの意志を通じた対応はこの辺の親子の交信から始まる。

さらに言葉の起源に関してだけでは無く、「言葉と思考」の関係も、言葉の問題の、最も大きな5つの問題の内の一つです。音と意味の対応関係は思考の発展性に直接関連している。音は単なる言語上の指標であるが、それは内的言語(内語)を習得することで、音と思考の切れ目はふさがってしまう。それで音と意味は一体になって仕舞うが、本来は同じ物ではない。オトと意味の対応の解明は当面の最大の問題だろう。それは心理学と脳神経系、分子遺伝上のデータの問題ともつながっている。

1ー オトと意味の対応を解明する。

2ー 意味とは何か

3- 思考と言語の、視覚を使って思考する。音を使って思考する。

4ー 完全なる交信は存在しない。

5ー 将来人間の言語はどのように変化するか。

*言語起源の問題は謂わば古典的な問題であり、もっと大事な問題へと導いている。もっとも重要な視点は、言葉とは内的な世界の反映であって、たんなる音と捉える事は錯誤といえる。音とは、或いは音声とは、一表面に出た通信符号の一種に過ぎない。言語学の本質は、むしろ通信体の方にこそ重要さがある。

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果たして空間は本当は存在しないのか?

2024年02月07日 09時21分43秒 | 天文学と宇宙論

「空間は存在しない」という記事を見たのはもう何年前の事だろう。質量の起源に関しての事なのだろうという想像だ。空間には速度を邪魔する未知の粒子が詰まってゐて、まったくの空っぽな空間は存在しないという事で、その粒子をヒッグス粒子と呼んでいる。これもまた奇妙な存在だが、それは粒子という呼び名で果たしてその概要を表現できるのだろうか?。質量は原子毎にその構成原子の存在数で重さが決まっている。質量の起源が構成原子の動きずらさだと言っても、その動きずらさを決めているのがヒッグス粒子だという理屈である。空間(空っぽという意味での)は存在しない。それはヒッグス粒子がビッチリと詰まっていて空っぽの空間など存在しないという意味なのだろう。そうするとヒッグス粒子とは空間そのものではないのか?、ならば我々が今まで空間という概念で理解して来た物は虚構なのかも知れない。またガモフが赤方偏移の事実から想像した宇宙の一点からの膨張は、これも少し納得できない面はある。もしもこの宇宙がある一点から膨張をはじめ、それが今も尚膨張が進んでいるとしたら、宇宙の外側は存在しないものである。この宇宙は飽く迄も内的な空間であり、宇宙のホライゾン地平線は内的な宇宙には適応できても、外側は存在しないのだから、我々のこの宇宙は飽く迄も膨張膜の内側にしか無いないという事だ。ガモフの余りにも素朴な大爆発の宇宙像は単純過ぎて多くの点で疑問が湧きます。

そして生命とは小さくは素粒子によって構成される或る条件の下でその反応が継続する形式の現象であるが、最小単位の構成子から生命までの発展的展開は辿る事が難しい。精々化学現象の下に生命体を理解するのがやっとの段階であろう。遠い将来に我々の知能の飛躍的発展が出来るのならば、その答えは得ることが出来るであろう。化学的レベルでは生命形態の理解はこの百年間で相当な進歩を見た。恒常性を保つ機能と生殖を行ない次の世代を産む、それが生命の形態だ。個体は必ずその反応を止める時が来る。その持つ遠い昔からの遺伝子の情報を次世代に繋ぐ為には卵子と精子の合体が不可欠だ。あらゆる生命体はそのようにして次世代を産んできた。もしもそれが途絶えるならその生物は地上より絶滅したと言える。

生命体の現象で、最終的に突き止めたいのはこころの探求である。それは意識と呼んでも好い。化学構造から脳(心)が生まれる現象の事である。これが今の所、想像できるもっとも根源的な問いである。

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