井頭山人のgooブログ

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見えない五つめの次元に付ゐて。

2024年11月25日 17時27分16秒 | 天文学と宇宙論

 我々の存在する世界は三次元+時間の四次元で構成されているとされている。物の存在は、一応、縦・横・高さ・の三つのベクトル+時間で、空間内の変化の挙動表現が可能だ。ユークリッド幾何学の描く物のかたちは、X・Y・Z・軸で表現可能である。一応そういう事に成ってゐる。我々の眼のもたらす映像は、この三次元の中で生成されたものであるので、当然と言えば当然の事であるが、我々の眼も脳も多次元を感知する様には出来て居ない。ところが物理学の冒険的最先端では、現象の説明にもう一つの次元を要求する場合がある。それどころか世界は10次元とか11次元とか、果ては24次元でなければならないとまで主張する者まで居る。

我々の世界の物事の構成には基本的な4つの力が働いているとされているが、それはなぜ4つに力なのか?、そこに謎がある。その内の2つは我々の感知しない力である。もう2つは身近に感じる現象を司る力である。感知しない二つの力とは原子核を構成する陽子と中性子などを構成する、我々の存在次元とは異なる力である、我々を構成している次元では、重力と電磁気力しか解らない。私たちの心は電磁気力と重力で作られている。陽子は三つの構成子から成りその構成子間を結び付ける力で強い力と呼ばれている引力(此処で仮に力を引力と呼ぶ)である。強い力とは陽子を破壊してもその構成子に分離できないからで、相当、強烈な力で結び付けられている。次に原子崩壊を司る弱い力と呼ばれている引力がある。この力は重い重量の原子が電子と中性微子を放出して一段軽い原子に変異する時に関係する引力である。この二つの引力は我々の目に見えない段階での引力である。次の二つの力は電磁気力と万有引力である。

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日本科学史ー吉田光邦

2024年11月20日 21時13分23秒 | 日本の古典

 吉田光邦氏の「日本科学史」を読む、吉田さんは凄い思想家で、何冊もの秀でた本を書かれてゐてこの本も優れた著作である。初版は1957年で小生が小学校一年の時である。吉田さんの著作で一番初めに読んだものは「江戸の科学者」という著作である。何時の頃かは定かでは無い。和算の人物が紹介されてゐて大変に面白い。また此処には江戸時代の特筆すべき思想家が記述されており、森銑三先生の「オランダ正月」と共に愛読した著作である。この日本科学史が提起している問題の一つに、前書きで、吉田さんの先生でChina古代科学研究の泰斗である藪内清博士が書かれている様に、「日本文化の中から自然科学はなぜ生まれなかったか?」という問題に答えようとした物であろう。全般にアジアでは、日本を含めて数学的分析的な自然科学は生れなかった。

古代Chinaに、科学の萌芽が無かった訳ではないが、最終的には定量的な科学はうまれていない。Chinaの三大発明品とされている「羅針盤」(指南車)は、誰が最初に発明し、それが何処だかは本当の事は解らない。あとは「紙」と「火薬」である。紙は文字の有る文化でなければ当面必要とはしないが、有った方が便利には違いない。紙は集権国家には必要欠くべからざるものでしょう。紙で思われるのは、paperのその語源ともなったエジプト文明の「パピルス」です。彼らは、ナイル湖畔に群生するアシを集めてその繊維から紙を作った。植物の繊維が無い所では獣皮を使ったのでしょう。Chinaで紙が出来た時期は時代は特定できないが、記述の在る記録によれば、この紙を一般的に普及させた「蔡侖」という人物について吉田氏は別の著作、吉田光邦評論集Ⅰ(芸術の解析)で書かれている。

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フランス革命と精神現象学

2024年11月18日 07時37分34秒 | 世界の近・現代史

 フランス革命について、その名称を知ったのはいつの頃だろう。村の小学校の小さな図書室には多くに日本の偉人伝が確か並んでいた。湯川秀樹、北里柴三郎、志賀潔、野口英世、牧野富太郎、伊能忠敬、二宮尊徳、その中に外国人の偉人も並んでいてトロイアの発掘で有名な考古学、ハインリッヒ・シュリーマン、キュリー夫人、バスコダ・ガマ、ロビンソン・クルーソー、そして、その中に子供向けのフランス革命の本なども在った。小学生の頃、私の小学生時代は昆虫少年で、色々な虫を集めることが趣味でもあった。セミやカマキリ、カナブンなどの甲虫類は解るが、地面を歩く虫は名前を知らない。それで図書室にあった昆虫図鑑を見る為に授業が引けると木造の図書室に入った。校舎は現在から150年前に建てられた懐かしい木造一階の校舎で、今なら文化財に指定されて然るべきものだろう。ここでのタイトルはフランス革命および精神現象学であるから、遠い記憶を思い起こして書いてみる。

小学五年の子供にはまだフランス革命の本質は到底解らなかった。後年トックビルのフランス革命について、マチエやとか何冊かの本を読んだが、其処にはトックビルの様な批判もあったが、大方は賛辞しか書かれて居ない。この事件はアメリカ独立革命と関連して居りそれにはFreemasonの暗躍が深く関係している事をしった。そして自由平等博愛が、矛盾する聴こえの好い絵に描いた餅であり、裏で画策していた連中の血に塗られた破壊の遂行である事が段々に解り、今までの知らん重要な側面を知った。それは澤田昭夫先生のご著書も大いに関係している。この本は現在封印され多くの人々が読めない様に成っている。

精神現象学は、curl・Friedrich・Hegelの理論的著作ですが、その前に神学校の時代に構想を練った宗教書を書いている。精神現象学は非常に読み辛く、最初の頃の宗教書が明晰で明解なのに比べて、後で書かれているこの本がなぜこんなにも晦渋なのか不思議に思った。翻訳が拙いに違いないと予想したが、これはどうも相でもないらしい。熟達した独逸語の友人に聴いてみたが、「僕にも分らないがこの本は人に理解してもらう意図が無いのかもね、遠大な目標を掲げたが途中で尻切れトンボに終わっているし、大体この本は完成して居ない」。「あのね、本を書くからには他人に理解してもらう事が目標の一つでしょう」。Hegelのこの本に対する意図は何だったか?先ず、それが問題だ。精神現象学は、人間精神の進歩を段階を追って描こうとした目的があった。いわゆる人間精神の進化とでも言うべき主旨なんだと思うのだ。まあ大それた企画だな。最初、精神から始まり意識、

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「玄語」ー黒い言葉の宇宙

2024年11月13日 15時03分07秒 | 日本の古典

 「玄語」は、江戸中期の豊後の人三浦梅園の主著である。彼は其の解説本とも言われる「贅語」を書いている。ところで山人がこの本のお目に掛かった最初は、父の蔵書を探検していた高一の夏の頃で、「玄語」とは何だ?この書物には一体何が掛かれているのだろうと手に取ると、文章は漢文であり何やら円を二重に三重に描いた中に三角や四角が鏤められた図形が出て来る。幾何学の本か?、私の学力では文章の漢文自体は殆ど読めない。この本は天文学の著書なのかな?とも考えた。その時はそれで終わった。自分の力では読めないものを読もうとしても、これは骨が折れると感じた。高1だから学力に弱いところがある。数1の教科書は当時の阪大の教授であった功刀金次郎博士の監修だ。式と計算、因数分解、分数式、無理式の計算、二次方程式、高次方程式、三角関数、指数関数、対数函数、と基本的な事が多々ある。いま57年前の教科書を読み返すとレベルは非常に高い。数Ⅰは250ページくらいの教科書だが、功刀先生には、失礼な表現だが実に良く書けている。続く数ⅡB、数Ⅲも、中々良い教科書だ。これを完全に理解し応用を練習すれば高校数学は90点は取れそうだ。梅園の著作がこの数学を使って理解できるかもしれないと思った。しかしそれにしても難解だ。第一に漢文が読み下せないのだ。端から文が読めなければ、梅園の思考の過程跡と結論が推察できない。

山田慶児氏は三浦梅園の自然哲学「玄語」の中で、梅園の思索の跡を詳細に追っている。永い時間を掛けて培われた梅園のこの論文集を解明するのは、なかなか容易な事ではない。特に漢文の敷居の高さが顕著である。しかし漠然と感じるには、この異常なる思索者の道具立てが五行説であったり干支の構造であったりしているのは、どう見ても道具立てが古いと感じるし、易や五行、陰陽、などの二分説には何か的外れの感もある。易経や五行説、陰陽、干支、など、シナの文化的著作の影響を受けた当時の日本では、どう見ても道具立ては此れしか無かったのでしょう。和算と天文学が合体して居たら、梅園の自然哲学はもっと明確で分かり易いものに変って居たと思われる。

山田慶児先生の名著の序文を拝見すると、先生のある意味での嘆きが解る。一言で云うと、この日本史上も最も偉大な哲学者であろう、「三浦梅園は未来の現代科学の世界に対しては、余りにも早く、古代の天気思想に対しては、余りにも遅く、生れて来た思想家であった。」陰陽・五行の思想はもう古代の遺物に成りつつある時代に、梅園は、その道具を使って自然哲学を詳述しょうと努力した。その努力が殆ど価値を持たないとしたら。人生を枯渇した何とも恐るべき事であろう。梅園の努力は過去の遺品を道具を使い、その気の哲学で物理現象を探求し、且つ説明を為そうとしていた訳であるから。二元論はそれでも西欧にヒントを与えた、0と1の二進法である。梅園は現代の自然科学の萌芽が出始めた時代の直前で亡くなった。彼の知力をもってすれば、生涯の疑問も解き得たか。

ここで「玄語」の大筋を見る。言語は宇宙の現象を説明する為の方法を志向する。その指導原理は、天と地、上と下、陰と陽、などの二分法である。それに要素としても五行説など元素の導入である。この二分法と五行説を絡めて現象を分類する。だがこの様な二分法と五行説、更にそこに干支を加味して果たして自然現象の根源を説明することが出来るのだろうか?。不思議と謂えば不思議な理屈である。これは謂わば占いに過ぎない。近代の自然科学は数学を基礎とする。ところが此処には数学らしきものは見られない。シナの文化的伝統がこの様な分類学で自然現象を説明しょうとする方法論だ。ここには自然科学の基礎である数学の方法論を使われていないという事は思えば不思議な事である。シナ人はどうやって納得するのかは奇妙な事である。玄語はシナの伝統的な哲学である例えば朱子学からは有効な方法論は出て来ない。

三浦梅園は秀でた自然哲学者であった。彼の方法が上手く行かなかった根本の原因は古代東洋の哲学である、陰陽、五行、易、などの説で自然現象を説明しょうとした事である。梅園の時代においては、それは仕方のない事であったと私は思う。我々が少しでも自然現象を説明できるのは、我々が古代ギリシャの始まり、16~17世紀の西欧の錬金術師に始まり、分析的科学に始まる土台に立ってゐるからに過ぎない。だが、梅園の時代はそれがまだ完成されては居なかった。更には当時は鎖国の状態であり、ギリシャ時代の科学も、錬金術に始まる物質の科学を、少しも知らなかった時代であったから。

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