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ブラックホールと天文学

2024年09月07日 07時32分55秒 | 天文学と宇宙論

 宇宙は私たちの眼のまえに広がっている。フッと空を見上げれば、其処は宇宙そのものだ。地球に生息している我々は宇宙の一部である。天文学の永い探求の歴史の中では、ブラック・ホール、という言葉は比較的新しいネームです。インドやギリシャ時代の従来の天文学は人間の生活や生産活動を律する暦の制作のために始まったとされています。それは人間が生きる為の米や麦など、穀物などの生産活動に強く結び付いた指標となるものでした。

太陽の動きを正確に把握する為、古代ではストーン・サークルが創られ、後で天文台が建てられた。日本で言えば春夏秋冬を正確に把握し、コメの作付を主に多くの作物を植え付ける目安となった。暦を創るには天体の正確な観測が必要であり、太陽と星々の運動を把握しなければ為らない。これは口で言うが安く実行は難しです。

ガラスの屈折率に気が付いた時計屋がレンズ効果を発見し、それは天体の観測に、微生物の存在に、実に多くの決定的な影響を与えました。レンズの発見以前には、すべて観測者が自分の眼で星空を観測して居たのです。そして太陽は裸眼では見ることが出来ず困難を極めた。レンズの発見により、裸眼では観る事の出来ない、遥か遠方の星々や月の表面の観測が可能となった。インドの天文台もアステカ文明の天文台も、そして近代天文学の発祥の地点となった、ティコ・ブラーェのフュン島の天文台でも裸眼で星々の運動を調べていた。「むかしは眼の好い人が居たのだな!」、というユーモアでは語れない、本当に真剣な観測だったのです。

ティコ・ブラーェの正確な観測データは、神聖ローマ帝国の占星術師兼数学官、ヨハネス・ケプラーにより計算検討され、星の運動を三つの法則にまとめ上げた。だがケプラーは現象面で運動法則を捉えたが、星の運動の原因を知ることが出来なかった。それがハッキリするのは「引力」を原因とした力学を待たなければ為らない。更に、軌道計算をしてケプラーが驚いたのは、惑星の軌道が真円ではなく楕円だった事です。ケプラーは深く神学を信じていた為に、天体の運動は、完全性を備えた理想的な物であり、それを裏付ける真円であると信じていた。ところが軌道は楕円であり真円では無かったのです。ケプラーは、最初、自分が計算間違いをしたのだと思い込み、何度も何度も計算を試み、それが間違いではない事を認めざる得なかった。

近代的天文学の曙はこうして始まったのが、然しそれよりも2000年前のギリシャ時代に、サモス島出身の天文学者アリスタルコスは、月の大きさを比例的に算出しています。アリスタルコスは月食の時に、月を隠す弧が地球の円周であることを知って居た。月に映る弧を書き写し、その孤を延長すればそれは地球の円周に成る。もうお分かりだろう、それを比べれば地球とその衛星である月の大きさが出て来る。アリスタルコスの業績で、驚くべき事には地球から太陽までの距離まで議論しているのだ。さらにアレキサンドリア図書館長、エラトステネスは地球が球体であることを信じて、その大きさを出している。

人を雇いエジプト中部のシエネ付近からアレキサンドリアまで歩かせてその距離を求めた、それは夏至の正午シエネの深い井戸では太陽は底まで照らす、その同じ夏至の正午にアレキサンドリアでの仰ぎ角を求めた。その角度で360度を割ると商が出る。其の商をシエネからアレキサンドリアまでの距離に掛ければ、球体の一周の長さがでる。今で謂えば小学生の問題です。この様に簡単な計算から地球の円周が出る。この誤差は現在の値と比べて驚くほど小さい、2500年も前に、何でこんなに賢い人が居たのだろうと驚愕する。

彼らは幾何学の「三角法」今で謂う三角関数の熟達者だった。彼らは三角法を駆使することで驚くべき結論に達して居たのです。この人達は地動説を信じていて、太陽系の生成を空想していた事は有り得ることです。若しかすると銀河系宇宙をイメージとして持って居たかも知れません。だがこれらの業績は次に継承される事無く消え去りました。再発見したのはブルーノやコペルニクスでした。我々は宗教的狂信性に因って、どれだけ間違った宇宙像、天地像、に惑わされたか分からない。

さて、この記事の表題は「ブラックホールと天文学」です。先に述べたようにブラックホールというネーミングは比較的新しいことばです。このコトバは1070年代に、原爆開発に関連していたJohn・archbolt・ホィーラーが命名したことに成ってゐる。此れからはブラックホールをBHと訳します。BHは、当初、日本語で言うと「重力崩壊星」と云うオドロオドロしい名称でした。星々の核融合反応が終わりに近づき、核融合燃料が減る事で星を燃やし、維持する事が出来なくなり、その質量に因り潰れてしまい、急激な収縮が起きる。その潰れた質量は極端にまで収縮し、恐るべき質量となる。原子核のまわりを回る電子も周りを回ることが出来なくなり陽子の中に埋め込まれて陽子は中性子に変わってしまう星が、中性子星と呼ばれている巨大星の終りの姿です。この辺の本当のメカニズムは未だ解明されてはいない未知の領域です。

さらに、もっと大きな質量を持つ超巨大星は、もう極端にまで潰れて光も脱出できなくなるB・Hとなる。B・Hは、異常な特殊な天体だと思われ、単なる空想上の存在でしか無かったが、大気圏を越えた所に望遠鏡と言う天文装置を打ち上げ、依り遠方の精細鮮明な映像を得るに連れて、BHが空想の所産ではなく、現実の存在する現象であると認められてからは、天体物理学はその多くの部分がB・Hと関連する様に成って来た。B・Hの根源は質量が及ぼす重力の作用である為に、理論的な枠組みでは一般相対論を拠り所にせざるえなくなる。

Einstein以前は、空間と時間は別物で、それは互いに関係のないCategoryと思われていたが、1905年に出された特殊相対論は、時間と空間、そして質量は、互いに密接な関係を持ち、互いに独立的な概念ではない事になった。その成果は実に驚くべきもので、我々の宇宙観、世界観を一変させ。。特殊相対論のとても分かり易い解説のYouTubeがあるので、このブログでも取り上げたが、1915年に発表された一般相対論は、特殊相対論を下敷きにEinsteinが重力の本質を探究した成果である。

Einsteinはその中で、重力場の方程式を提出しているが、その解に関して時を経ることなく一か月の後にシュヴァルツシルトによって解かれた。これは球対称性という極めて正常な条件の下に解かれた初めての解である。残念ながらシュヴァルツシルトは、第一次大戦に参戦し其処で亡くなった。此れが最初の厳密解です、それ以来多くの有名な解が発見されました。オーストラリアの数学者ロイ・カーが発見したカーの解が有名です。しかし、私は葬り去られようとしている、裸の特異点を予言する富松彰と佐藤文隆に因るTS解になにか今の時点では理解できない大切な物が含まれている事を感じます。この厳密解が間違いでない限り、それは何かを示唆している。

B・H天文学は、まだ歴史の浅い分野です。将来どんなことが発見されるか分かりません。宇宙検閲官仮説を提唱したペンローズが間違ってゐる事は十分に考えられます。宇宙の存在はマダマダ謎なのです。それはそうです、そんなに簡単に自然現象の真の起源と歴史が解かる筈は無いからです。私の勘ですが、富松・佐藤の厳密解は、次のブラックホールの認識に大きなステップを齎すと信じます。B・Hの生成と消滅については、まだまだ未知の分野です。

B・H自体が生成を経て消滅に向かう過程が必ずある。巨大星が核燃料を燃やし尽くし、その巨大な質量を膨張力で支える事が出来なくなり、爆発的に急激に収縮しその反作用で周囲の物質を飛び散らせ、中心核にB・Hが生成されるというストーリーが現在の理論的な過程です。生成されたB・Hは強力な引力で周囲の星間物質を集め、それは星雲に成長する。やがて星雲も合体し因り巨大な星雲となり、その星雲も最終的には終わる。B・Hも消滅して消える。その過程で見えないとされた裸の特異点が出現する可能性も充分にあり得ると想像する。

「宇宙の本質を我々の意識は理解できるように作られているのだろうか?」

多くに意見が在るだろうが、私は人間の一般的な知能で理解できるようには作られて居ないと感じている。それは完成された宇宙での理解にとどまるのでは無いだろうか。ひもの理論はどこまで有効だろうか、それは単なる玩具に過ぎないのでは?。一概には言えないにしても、ひもの理論の歴史を調べて見なければ為らない。紐の理論の淵源は、衝突実験で観測される、余りの多い素粒子の数に多くの者は疑問を持った。それが謂わば始まりである。それはそうだ、素粒子という物がそんなに多い筈は無いのだ。叩き壊した破片が何十種類もあるとしたら、それは素とは言えない。素ならば叩き壊した破片は皆一様に同じでなければならない。素粒子構造の奥にある物は当面は把握できないのだから、ならば観測される物だけについて、合理的な構想を想像してみよう。そうした試みがS行列論になる。観測できぬものについてアレコレ言っても誰も信じはしないだろうから、出て来た観測量だけを用いて、素粒子相互の関係で辻褄の合う理論を構築する為に出て来た物が、ハイゼンベルクが提唱したS行列論となる。ところがこの試みは途中で放棄されることに成った。量子色力学がその解釈に力を持ち出した為だ。

ところでブラックホールは、当初、まったく特異な天体だと思われたが、段々に事情が解って来ると、それは特異なのではなく宇宙のシステムはBHを造るために存在して居るのでは無いか?という認識にまで広がった。現代の宇宙物理学はブラックホールが研究の主体となってゐる。それは観測に依って認識が広がった為である。現在では、あらゆる銀河系宇宙の中心にはブラックホールが存在して居ると想像されている。ゆえに島宇宙を構成しているのはブラックホールであると言う事に成った。研究の中心が、特異な天体と思われていたブラックホールに成った。星の生成と死はこの宇宙の中での一連の生成と終焉なのである。更に終焉は再び生成の種となる。将に宇宙は生々流転を繰り返しているのである。その中で、ブラックホールの持つ意味は、星の持つエネルギーの放出とその残骸の結果として認識されつつあり、最終的な宇宙像を我々はまだ知らない。湯川秀樹博士の箴言では「真理は常に少数派から始まる」と書かれている。

以上の様にブラックホールは特異な天体から、ごく普通の現象となった。それは星の生成と消滅に関する一連の解析が進み理解が広まった為だ。現在の主流である多数派の宇宙像は、この我々の宇宙は数百億年の昔、或る特定できない一点(極限の特異点)から、何らかの原因で膨張が始まり、現在も膨張を続けているとされる。尚且つ膨張の根拠は、宇宙背景輻射とエドウイン・ハッブルが発見した遠い天体から来る光の赤方偏移の解釈にあるだけで、遠い星雲を研究している人の中には赤方偏移が必ずしも空間の膨張と同義ではない事を語る者も居る。そして少数派の中には一様な膨張に疑いを持つ天文学者もいる。天文学は星の生成と死や太陽系の生成について大きな進歩を得たが、依然として宇宙の始まりと空間の拡大について明確な理論的基礎を持ち得てはいない。ゆえに完全な証明の上に立ってはいない。物理学は自然現象を相手にして居るだけに、数学の様な意味での公理の完全な証明という物とは区別される。それだけに天文学は新たな知見が秘められている興味深く面白い分野です。天体物理学は私たちの住むこの地表世界全般を包含します。

冬の澄み切った夜空に、東の空から登って来るオリオン座を、皆さんは見る事があると思います。オリオン座は晩秋から真冬の空を彩る星座です。とおい、とおい昔、オリオン座の輝く下で、2月~3月に掛けての入学試験の準備の為に夜遅くまで、ラジオの通信講座を聴きながら、受験勉強をした皆さんは多いと思います。ラジオでは名物講師が居られましたね、とても懐かしい。そして今現在、受験の為に遅くまで勉強をして居る若い人も多く居ると思います。オリオン座は蛍雪時代の苦しくも懐かしい時代と重なった星々です。あなたが勉強に疲れた深夜外に出て見ましょう。冬の大三角形とオリオン座は、寒気の中に、天空に輝いている筈です。若い時代は苦しい事も多いが、15歳~18歳までの青春時代は、人の一生の中で掛け替えのない,二度と繰り返す事の出来ない時代です。

目出度く志望に大学に合格した人、あるいは望む大學に落ちて仕舞った人もあるでしょう。それでも、それは一生の糧に成ると信じたい。遠い星を見上げてください。その星の光は、あなたの生まれる前に親の星を発した光です。星々は小さな人間のこころを拡大し豊かにします。我々は本当に、小さな小さな星の表面に張り付いて生きてゐるのです。嬉しい事も楽しい事も、苦しい事も辛い事も、すべては、皆な皆な星の下で生きてゐる命の時間です。人間の、星の時間は、星々の長さに比べてみれば、それは一瞬のことなのです。其の星々もいずれは自己の持つ物質の原子核反応を終え、強大な超新星となって砕け散るか赤色矮星となって星雲に吸収されることでしょう。そうするとあらゆる存在は終焉を迎えると同時に、新たな誕生の出発となる。宇宙も星も生命も、みな同じです。これら一連の物質の集積は引力の力です。この不思議な力は他の力と同様に宇宙に満ち満ちている。これを不思議と言わずして他に不思議は有るか?と思う。

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1 コメント

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鉄の道のエンジニア (ストライベック)
2024-12-24 01:26:21
最近はChatGPTや生成AI等で人工知能の普及がアルゴリズム革命の衝撃といってブームとなっていますよね。ニュートンやアインシュタイン物理学のような理論駆動型を打ち壊して、データ駆動型の世界を切り開いているという。当然ながらこのアルゴリズム人間の思考を模擬するのだがら、当然哲学にも影響を与えるし、中国の文化大革命のようなイデオロギーにも影響を及ぼす。さらにはこの人工知能にはブラックボックス問題という数学的に分解してもなぜそうなったのか分からないという問題が存在している。そんな中、単純な問題であれば分解できるとした「材料物理数学再武装」というものが以前より脚光を浴びてきた。これは非線形関数の造形方法とはどういうことかという問題を大局的にとらえ、たとえば経済学で主張されている国富論の神の見えざる手というものが2つの関数の結合を行う行為で、関数接合論と呼ばれ、それの高次的状態がニューラルネットワークをはじめとするAI研究の最前線につながっているとするものだ。この関数接合論は経営学ではKPI競合モデルとも呼ばれ、トレードオフ関係の全体最適化に関わる様々な分野へその思想が波及してきている。この新たな科学哲学の胎動は「哲学」だけあってあらゆるものの根本を揺さぶり始めている。こういうのは従来の科学技術の一神教的観点でなく日本らしさとも呼べるような多神教的発想と考えられる。
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