井頭山人のgooブログ

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三角関数がなぜこれほど応用範囲がひろいのか

2024年02月28日 09時15分20秒 | 日記

 我々が中学で習った三角関数、元は三平方の定理的幾何学から発展・展開し、手足を伸ばしては平面円座標を土俵に一周360度という角度と関連付けてsin、cos、tan、を関数として作りだした。これは中学で習う教程だ、三角関数は逆三角関数共々やたらに公式が多く、こんな物を一々覚える必要などない、sin2乗Θ+cos2乗Θ=1から公式は殆ど導き出せるので、その根幹を理解してゐれば好い。高校では三角関数の微積分を習う。そこでも公式は意外に多い。微積分の公式自体が指数・対数とも絡み合って、豊富な世界を創り出している。変な曲芸的な演習問題は多いが大抵は解ける。更に三角関数は驚くべき応用域をもってゐる、熱伝導を数学的に考える為にジョセフ・フーリェは三角関数を使いフーリエ変換を考え出し、それでフーリェ解析の分野を創った。これは工学的な応用で熱に及ばず、電子・電気工学の重要な道具である。更には情報理論にまでその糸は伸びている。

ところでだいぶ昔に成るが有名な数学者で黒川信重さんが書いた現代三角関数論という本に出合った。三角関数を発展させた多重三角関数という手法を使い、驚くべき事には、これとΓ関数、ζ関数をむすびつける糸を探すという。奥が深い試みだ、数学の発展と言うのは一朝一夕には進まないが、どんなところにどんな金剛石が埋まって居るのか分からないから面白い。ζ関数が出て来た以上、素数分布の公式にも近づいたか?な。三角関数も遠い古代から問われて来た物だし、素数の分布も同じく遠い古代からの問題だ。素数の問題は原子構造などの物理学の自然現象とも関連付けられ、やはり自然は数学的な関連の原理で成り立っているのだなと直感した。自然に留まらず生物の構成力というかモノを作る指導原理は、何かの今は認識されていない所の、大切な概念に因っている。あらゆる物には、なにか対称性の構成原理が働いているらしい。

話は変わるが、我々の周りでも生物的にほんとうに不思議な現象は多くある。共通性と言うことで言えば、紅葉のタネについた羽根は、ハエの羽根とそっくりである。なぜ効までにソックリなのか?、誰も不思議に思わないのか?、モミジの種子に付いた羽根は葉の変化した物だろうが、付いてゐるのは1枚である。ハエの羽根は2枚だが、どうみても同じ形をしている。恐らく、それをつくる上での、何らかの共通性の構成上の指導原理が在るのだろう。人間は未だその指導原理を知らない。羽根の構造まで同じである。複葉機の羽根は、それを模倣している様だ。自然が創り出す羽根は、それは構造力学的な強さと飛翔の為の効率のいい形をしている、これを詳細に観察していると、我々の現代の飛行機を想い出す。空気という水の中を飛翔するにはどうすれば好いのかを考えて創っているみたいな、何かすべてを予定調和のような意図が感じられる。それはなにか空恐ろしい感じがする。大自然は、凡そ人智などモノともしない、深く偉大な物です。

さて、三平方の定理の起源はギリシャ時代よりも遥かに古く、ヒトがものを考えるように成って直ぐの出来事だろう。過去の偉大な知識の多くは、絶え間ない戦乱によって消滅した例に暇がない。各地方から集まった古代の知識は、ギリシャで編集されてそれが本となり保存されその百分の一くらいが現在まで伝わった居る。それはプトレマイオス朝のアレキサンドリアに在った大図書館が猶太人によって放火され、多くは灰燼に帰した為である。貴重な収集された資料は、その様にして失われた。三角関数がこの様に応用範囲が広く成った理由は、土俵が拡張された為である。単なる三平方の定理の範囲では、これ程の広範な拡張は望めなかったでしょう。三平方の定理を円座標を使い角度θという概念を導入し拡張したことで、正弦・余弦、を導入した。角度θのこれだけの概念の導入で三角関数は多大な応用範囲を拡張した。土俵を拡張することで数学と言う学問は昇華し変身する。

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恩師と旧友に合う

2024年01月21日 10時23分23秒 | 日記

 久し振りに恩師にお越し願い旧友と共に食事会をした。50年以上の年月が流れている。我々3人と恩師ご夫婦で、山の中のお蕎麦の美味しい店だ。卒業写真をもって行き、アレはどうした元気で居るか?とか、君の顔は昔の面影がある、とか、頭が白くなっただけで顔は全然変化なしだ凄いね、とか、水泳大会で面白かったことが有った、とか、10キロマラソンを走った思い出とか、クラス対抗駅伝大会で、どこを走ったとか、様々な話題がでた。各自は皆とうに退職し今は年金暮らしである。恩師は83歳に成り体力が無くなったと言われるがお元気だ。我々生徒もみな其れなりに疾患をもっているし、何の病気も無いひとはいない。これからの人生はおまけなのだろう、なにか世の中に貢献できることが有ればやる。

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April Come She Will

2023年12月06日 21時16分30秒 | 日記

April Come She Will

昔の日記を開くと、そこに書いて有る古い歌を想い出しました。「四月に成れば」という、この歌はわたしが学生時代に流行りました。ポール・サイモンとアーサー・ガーファンクルと云うポピュラーソングの二人です。彼らはとてもメロディー的にも歌詞的にも素敵な歌を多く作りました。四月に成ればという歌は、謂わば春の女神の季節の訪れを歌ったものでした。四月に成れば彼女はきっと必ずやって来る…。若い時に聴いた歌は特別な物です。それは歳を経てもこころの奥に仕舞われていて、あるふっとしたときに、脳裏に浮かび遠い昔の心持を蘇らせてくれるものです。

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書評ー日本語人の脳ー角田忠信ー言叢社

2023年06月03日 10時32分18秒 | 日記

 この著作は,、聴覚の機能を通じて人間の脳の先鋭的探求者である角田忠信博士の最終著作です。角田博士は長年に亘り、「聴覚」の研究を通じて、多くの著作と論考を書かれています。それにしても凄いのは、その御研究は人間の「聴覚」と云う、基本的な感覚器に関連した物であり、其処から幾つかの驚くべき推論と理論を発表為さって来ました。現在、この研究の奥行きは未だ見えぬほど深く且つ広い物であることが窺がわれます。

聴覚は、人が社会的に人として生きる上で殆ど不可欠の能力です。若しもこの能力が欠けて仕舞ったとするならば、ヒトとヒトとは視覚を使った手話など以外に交信することが出来ません。角田氏の研究の一歩は、生まれながらの聴覚障害児の社会復帰をどう支援するか?、という課題だったそうです。親は子供が生まれる時に五体満足か?と心配します。生来「眼」と「耳」に、障害を負って来た子供は、社会生活をする上で、最大の負荷となります。眼が見えないと云う事は、人間社会で普通に生活をするには、子供の時代は衣食住万汎に亘り、両親かその他の支援して呉れる誰かに、補助をして頂く必要が在ります。それは実に大変なことです。

成人してから「視力」を失う事は、もの凄いハンディキャップですが、生れながらに眼が見えない場合はどうなのでしょう?。誤解されると困るのですが、「目」と「耳」の障害の内どちらが依り重大なのでしょうか?。勿論、どちらも最重要な機能には違いないのですが、そしてどちらも社会生活に必要な「コトバ」と「文字」の能力に関連しています。改めて言いますが、生まれ乍らに耳が聴こえないという事は母語の獲得が出来ないという事です。コトバを話す能力が、子供に在ったとしても子供は日本語としても音声を学ぶことが出来ない。これは社会生活を営む上で最大の障害です。コトバを話せないとしたら、社会生活は支障を来す。

眼の機能は外部世界を見る事ですが、それは聴覚に依る音声と、視覚に依る文字を重ね合わせて子供は耳と眼で言葉を習得します。この、二つの機能を脳の中に統合して、人間らしい世界が開けます。特に聴力の喪失は、交信手段と思考手段と表現手段という言語の機能的な能力の基礎として根本的で重大なものです。永年、この難聴児の訓練と社会復帰を目指して働いてきた氏は、種々の曲折の内に、「聴覚が」人脳にどの影響力を与えているか?という研究に進みます。工夫を凝らして聴覚の独創的な方法論である「角田法」を創り上げ、左・右の脳の本質機能を聴覚を通じて突き止めて行く。そして最終的には「日本語の特別性」に到達する。

ヒトに限らず生物の形態変化や脳神経系は、始まりから終わりまで、地球という大自然の環境の下で形成されたものである。と同時に、更に言えば太陽系という言う、広大で莫大な宇宙空間を背景として、太陽系という一つの惑星系の中で育って来た物です。その取巻く世界の重力に因る運航とリズム、その土台の重要さを知らなければ、生物や人間の脳の本質などは何にも分からないだろう。我々のすべての能力は結果的に大自然が作り上げたモノなのです。その点を見落としては、何の本質的な認識には至らないだろう。その後、角田さんは難聴の子供たちの治療と聴覚研究に進む。

ヒトが言語を獲得する過程で基本的なものは、人が生まれ所属する言語集団のコトバです。それを母語と云います。この「母語は」一個に人間の一生に決定的な影響をもたらします。世の中には、いわゆる言語の天才という人達がいるのですが、一人で10ヶ国語20ヶ国語に通じる人たちである。然し、その人たちに於いても「母語は」一つなのです。つまり、何十ヶ国語を、読み、書き、話せても、その人の思考展開の「母語は」一つなのだという事です。そして一人の人間の一生を通じて、「母語か」形成される時期は定められている。この事はとても大切なことを言っている。子供が母語を習得するこの時期は、人生で決定的に重要な時期である。子供時代に言葉を収得するということは、単に文法と音韻を収得することではない。重要な事は人間の脳の機能に、角田さんの謂われる、脳内スイッチの形成と作動に足った一度の刻印が押される時期という事です。「日本語は」母音を基本として形成された特異性が目立つ言語です。

ヒトはコトバを習得する過程で、コトバの持つ文化的な世界観・価値観を同時に収得する。日本語に形勢は未だに謎が多い。世界中のどんな言語とも日本語は似ていない、共通性が無い。明治以降、言語学者は日本語の起源を求めて、様々な試案を試みた。特に戦後は、世に名高い言語学者は様様の試案を提出しました。金田一京助、服部四郎、時枝誠記、大野晋、安田徳太郎、日本語の起源を求めて外国語を猟歩した者は多い、だが、チベット語も朝鮮語もタミル語その他も、本質的に文法・語彙とも日本語とは異なっていた。語彙には似た音がどんな言語にもある。人が口で話す以上発音できる音声には限りがあり無限ではない訳です。当然似た音声の語彙は在ります。

それが言語間の共通性に成るか?と言えば、それは乱暴なこじ付けでしかない。大野晋氏のご本に依れば、確かにタミル語の語彙には幾つもの似たものが在る。それは昔に安田徳太郎氏がチベット語(レプチャ語)と日本語の関連性に言及された時もそうでした。結論的に言えば、日本語の起源を外国の言語系から探し出すのは、諦めた方が好いとおもいます。多重言語説などもありますが、それに於いても、現在の日本語の特徴である母音構造を十分に説明するものではありません。それよりも、日本語は日本列島で旧石器時代人から話継がれているコトバだという自然な認識に従った方が正解のような気がします。

更に、日本語の系統以外にも、コトバには人間の精神に影響をもたらす現象もあります。日本語の音韻体系とともに、コトバの意味論には人間のこころの構造を思わせるまだ解明されていない莫大な領域が存在する。それは角田忠信先生が指摘される、人間の言語機能と共に人間の脳神経網には、惑星との深い共振までが記録されていて、現在の流行りの分野である、フラクタルやカオスの現象とともに、自然の周期に共振する生命体の挙動が記録されるという。

私はここで現代の自然科学の発展以前の、その母体となった「太占」「易」や「占星術」を詳しく言いたい訳では無い、ただ、力学的世界観が確立されて居なかった17世紀の天文学者たち、とりわけヨハネス・ケプラーを始めとした人々に言及したい。自然認識の歴史的経緯から推測すると、数学と天文学、工作技術は、近代科学の土台になっていて、力学的世界観は天体の観測を合理的に理解するための試論的天文学から成長してきた芽です。ケプラーが言うようには、わたしは直接的に星辰の動きが、一個の人間の運命を完全に決定するとは思わないが、しかし、完全な無関係とは謂えないだろうと感じている。ケプラーは徹底した計算屋だったので、惑星の運動を完璧に理論的に後付けしょうとしてゐた。それは彼が数学者であったから、正しいと信じている占星術をして、個人の人生の運命の枝葉末節まで決定出来るとする信念を持って計算した。彼はヒトの運命を、その生まれた時の星の位置、誕生の何時何分何秒まで拘ることに成る。

易も占星術を妄想だとする現代人には、凡そ得心の行かない信念である。生命体は、その誕生から星と星座につながり、更には莫大な宇宙とつながっているのかも知れない。生命体も宇宙の一部分に違いない事を思えば、「太占」「易」「占星術」は、新たな衣装をもって復活する可能性が在るのだろうと予想する。数学、天文学、宇宙、易、占星術、コトバ、物理学、そして「我々のこころ」と言う対象は、互いにつながっているのだと想像する。

ここで「日本語人という極めて奥の深い、難解な書物が言及している結論をまとめてみたい。

*角田先生の最大の発見は、脳が宇宙の詳細なデータを感知するセンサーである。という発見です。このことは宇宙と人間が重力ないし電磁波的信号で情報的につながっており、命と星々は一体のものである事を示している。

* これは古代の智慧である占いと関連している。古代人はヒトの一生の運命は星に刻まれていると信じていた。現代人は自分の人生は星とは無関係である、と教育制度から無批判に信じている。此処には外部世界と内部世界が密接につながっていた古代と、外部世界と内部世界は無関係であるとする現代の根本的な世界観の違いである。

* これはどちらも真実からは外れていると私は感じて仕舞う。生命体は地球という太陽系第三惑星上に発生した化学的な負のエントロピーを持ち、化学代謝を持つ不思議な物で在る。、当然の事ながらその母体である地球と無関係ということは有り得ないし、またすべてが地球に支配されるとも思えない。

* 日本語は世界最古の言語であるだけでなく、日本語ほど古い言葉は存在しない、世界の古い言葉は滅びた。最も根源的な、こころを現わすコトバとして残っているのは奇跡的なことであろう。日本語の特徴は歌である。古代からこころに感得したものを歌として表現することを行って来た根源的なコトバである。謂わば日本語は最も古い原始的なことばである。現代の音票表記は漢字に基づいているが、本来の文字は音標文字としていわゆる神代文字として伝えられた。神代文字はいろは48音に対応する記号が指定されている。この神代文字が一般には伝わらなかったのには、古代のどこかで焚書があったのであろう。文明に取って文字を変えるという事は、好い面と危険な面が併存する。日本人は、漢字を導入する事で表記に象形文字を取り入れたが、古代の記録が永い期間に読めなくなった。記録が焚書されたことは文化にとってダメージが大きい。

* 「角田法」の更なる拡張を研究者は目指すべきでしょう。脳の機能の内、言語を駆使する部分と思考法は奇妙に同期している。日本語は母音を言葉の発音の特徴とする。母音は音の変化が狭い、それ故に同音異語が多く存在する。ゆえに擬音語が数多い。子音が主体の西洋語とは根本からして異なっている。日本人のルーツ起源と日本語はいつごろ生れたのか?、この問いは未だに結論が出ていない謎です。我々日本人のコトバはその脳機能の作用と共に外国人とは異なっている。日本人を特徴付けるのは、その言葉である日本語です。一個の人間が母語を獲得する12歳までの言語環境がその特有の脳を創り上げる。その理論と機能の詳細は再認識されるべき重要事項です。

最後に角田理論の結論を要約すると次の様に成るかと思う。

*ー コトバは文化・文明の背骨であり、それはすべての全般に影響を及ぼす。

*ー コトバは音声の面もあるが、= 音、ではない。

*ー 動物の脳は、宇宙星辰のセンサーでもあり地球の時刻と同期するセンサーだ。

*ー 地球の歪は、脳に由って感知される。

*ー 日本語は自然言語として成立した特別な言語である。

*ー 空海の言う言霊は、日本語の特質である。

*ー 日本語は平和的な互恵のことばである。

*ー 神道は、日本語より励起されたものである。

大まかに言えば、その様な結論に成るようです。この他にもあるでしょうが。

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コトバと数の共通性について

2023年03月19日 17時12分27秒 | 日記

 コトバは人間知性の内奥に直接的に関連する。コトバの本質は音ではない。その音の背後にあり音を統合する何らかのシステムだ。

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お彼岸の日に、22歳の自分の時代と父の時代

2022年09月28日 09時51分50秒 | 日記

どんなに時代は変わろうとも、その時代に生きる青年の心は変わらない。置かれた時代の条件と環境に多大な差異があろうとも。20歳から22歳という青年時代の条件の中で父の時代を振り返ってみよう。

父は大正12年の秋10月1日に、栃木県宇都宮戸祭にある14師団の官舎で産まれた。祖父は14師団の経理をしていて将校でもあるが実戦とは直接の職務関係は無かった。また大正12年はあの関東大震災の年でもある。9月1日の昼近く東京が揺れた。大震災は公式に発表された記事とは異なり、様々の裏話がある。震災の被害は家屋の倒壊も勿論あるにしても、なによりも大火に因る焼死者の災害が思い出される地震である。昼近くだと云うから、各家庭では食事の支度に火を使う事は考えられる。火の回りは早く類焼に人々は惑わされ、家財道具を大八車に積み込んで道に溢れた。その逃げる道を大八車が塞いだ為に、多くの焼死者がでた。大八車に積んだ家財道具は火の粉にさらされて、それは一種の焚き木である。焚き木を引いて道に溢れれば火事を拡大する事にもなる。多くの人はそれを考え無かった。家財道具は暮らす為に大切な財産である。それは分らないでもないが、それが火を拡大させ被害を大きくした。祖母に聴いた話では、昼近く地震が発生し、祖母は父が育って大きなお腹をしていて、余りにも強い揺れに、大黒柱に摑まって居たという。祖父は地震が発生すると、取る物も取り敢えず東京の陸軍省に急いで出掛けた。汽車で行ったのだろうと思う。線路は地震の被害は有ったと思うが程度は知らない。東京は灰燼し新たな設計が新都として為された。

大正12年10月1日に長男として宇都宮市に生れた。父の少年・青年時代は、大正の後期から昭和の十年代のことだ。父は地元の尋常小学校の1年生に入学したが父が9歳の頃に祖父は14師団から離れて、満州の地に職を得て家族と共に満州の新京や吉林に住むことに成ったらしい。その地の尋常小学校の2~4年、高等小学校を経て旧制中学へ進んだ。何回かの転校が有ったらしい。満州の地で短歌好きの教師から短歌の魅力を教えられ、それは父の一生の情熱となった。

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お彼岸の日に

2020年09月24日 16時28分15秒 | 日記

はや、父が逝って18年、母が逝って5年、
だがいまだに私の脳裏には、父の歩く姿も、母のまなざしを、
昨日のことのようにあざやかに浮んでいる。
今日はお彼岸である。

仏教の開祖、ゴータマ仏陀の出家は、彼の重い鬱病に発しているという。
あるとき、釈尊の弟子は師に訊ねた。
「先生、個人的自我は死後も保存されるのでしょうか」と。

師はその問いに直接答えることが無かった。
だが、師は間接的に弟子の問いに応えて、

「それを知ることは、おそらく、
我々の人生にとつて根本的なことではなかろう。
我々にとって大切なことは、
現に出来る最良の行為を行い続ける事なのだ」。

質問した弟子には不満も残った事だろう。
師は、それが何か知って居るのに教えてくれないのだと。
では、弟子は何を期待してその問いの答えを求めたのだろうか。

個我ー「自己意識に起因するあらゆる記憶と為した行為のすべて」

もしも、個人的な個我は、死ののちに残らない。とするならば、
弟子は、人の道に反れて悪行のすべてを為しても、
死後の地獄で審判官の、何らの報復を得ることは無いと解釈するだろうか?。
弟子は、地獄の恐怖の為に、彼は見せかけの善を為し、
閻魔庁を欺けると思うのだろうか。
そんなものは地獄の審判官には丸っきり見通しである。
およそ考えられる以上の責め苦を科すだろう。

だが、多くの檀家や門徒は、この答えを聞きたがる。
殆ど答えようのない、生きている者には答えられないこの問いを。
唯物論的に、或いは物質科学的に言えば、
個我が死後残らないのは明白である。物質を超えた何かが
在れば別の話だが。

個人的な我の意識は唯識の中でも色(感覚)によって
一番表面に展開される識のひとつに他ならない。
ゆえに、死後に生理的機能が停止し
焼却によって肉体が蒸発する際には
表層の識は記憶の元が消滅する。

(色)ー しきとは、生きてある、その個体が発散し、
また感受する全感覚機能を言う。

では、何が消滅し、何が残る、のだろうか。

我々の現世的な物の価値一切は消滅する。
個人的意識(個我)は勿論の事、肉体に起因する
その業の全て、容貌、知能、教養、博識、美声、
利己心、性欲、憤怒、吝嗇、虚言、強欲、狷介、
収集癖、詐欺癖、窃盗、破産、脅し恐喝、名誉、
勲章、預金残高、博士号、助平好色、すぐやる課、
名車、妾、友情、借金、恋、妄想、狂信、悪友、良友
権威、痴呆、
グラムシ、ミノムシ、サナダムシ
ありとあらゆる表層的なもの、
フィネガンの通夜に出て来る俗人たち、
諸々の業(カルマ)のすべてが、消え去る。
われわれは、みんな、青い交流電流の幽霊
の効果だ。

では、何が残るか、

それは、弟子の問いに還ることになる。

個人的自我は保存されない、死は生理的機能の停止である。
脳神経活動は停止する。体は焼却され
残るのは骨のカルシュウムと化合物のみである。
そのような中で人間の生理的機能が生成するという、
心は残らないのだろうか。

残るのか、残らないのか、それを弟子は、師に聞き質したのだ。
残るとすれば化学元素か化合物のかたちである。
デオキシリボ核酸も、焼却の熱で構造はバラバラに成る。
遺伝情報は保持されない。

では、行く先が不明なら、
来た道を帰ってみょう。

遠い記憶の種子のすべてがそこに在る
永い永い命の発展史である
仏教が謂う種子とは種で、それは正しく遺伝子であろう
燻重とは遺伝子の中に含まれる分子のもつ
塩基情報であろう。
我々は、いのちのはじまりから生命体の全歴史を
受け継いでいる。

われわれは、0.2ミリの卵と0.05ミリの精子の合体である
そこに心は常在している。古来から物質とこころの関係は
議論されてきた、仏教しかりである。

さらに心とか精神と呼ぶものは物資に起因するものか、否か、
心は物質に起因しないものであるとしたら、それは残る。
というより、元々消滅しないものである。
それは唯識の阿頼耶識に相当するものか。
阿頼耶識は、存在の最小単位でありうるか、
宇宙の意思を体現するものであるか。

それは比喩的に言うのならば原子であり、
実体は原子核を構成する陽子であり、
現代的にいうなら、super・stringのDブレーンであり、
単位でいえば涅槃示寂である。

そこには、もう我々がいう意識はないのだろう。
我々は、なにゆえに、この宇宙と世界に在るか。
風がドゥと吹き、木の葉はその緑をキラキラと光らせていました。

仏教はこの様に、存在の究極を探求する、また常に心を探求する。

ショーペンハウエルは、仏教を心理学と呼んだ。
この感想は正しかった。
現世に生きるひとのこころは、
生きる為の活動と闘争、欲望と打算のために泡立っている。

泡立ちの濁りをときには澄ませるために
一人座るのも好いだろう。
禅はその療法のひとつである。

例えば、禅の公案に

「人間にとって、数とは何なのだろう」という公案があるとする

たぶん外的世界に数という物質は無い、
それは、外に投影した人間の「内的概念の展開」に過ぎないのではないか。
数とは何か?、と謂うこと自体、数というキーワドを使い
意識が合理性的基準の下に、数という概念の構造化をする為の内部展開である

たとえば、数が外的に存在するとするなら(数は人間のイメージであって、外的な存在では無いと思うが)
仮にそれが、存在するなら、それは、惑星や岩石と同じ。
人間は好い自然把握の手段を持ちえたものだ、
数概念は、思念を展開するための謂わば駒のようなものだろう。


父と母への思い出を抱いて、
お彼岸の日に。

 

死とは何か?

進化の果てに積み上げられた生理的機能の停止である。それはもう生理的な円環の活動を停止することだ。死という事に関して直ちに具体的な想像では、意識が停止し無くなるという事だ。では意識とは何か?それは五感の感覚の幻影である。それらの総合された感覚が、謂わば存在の幻影を創り出している。空間が在るというのも幻影だ。我々は腕を振り回せる空間があるではないか?と人は謂う。然し、空間は幻影なのだ。五感の齎すものは幻影である。然しこれが事実だとしても、生きて社会的存在でいる間は、間違っても幻影だなどと主張してはならない。空間はある物として、物質はある物として、この社会が機能しているからだ。死とは何かを問う場合、それは意識とは何かを問う事と似ている。

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ふと思い出すこと。

2020年09月10日 06時43分01秒 | 日記
 今からもう二十年以上も前になろうか。ある市に定期的に通ったことがあった。週二回ほどその道路を通るわけだが、3回目当りから気に成り出したことがあった。それは、私の車が通過する時間、その道路のある地点まで来ると、青年がニコニコと笑いながら手を振るのである。私は誰か青年の知り合いが出かけるのを見送る為に、道路の車の列に手を振っているのだと最初は思った。私が用事を終わり午後遅く帰るころには、青年の姿は見えなかった。ああ!矢張り知り合いに向かって手を振って居たのだと思った。私は仕事の進み具合やプランを考えながらも、妙にこの青年のことが気に成り出した。ところが青年は、次の週も、その次の週も、私が通り過ぎる時間には必ず道に出ていて、満面の笑みを浮かべて車に手を振っているのだ。これは知り合いに手を振って居るのでない事がわかった。私は思い違いをして居たのだ。たぶん、此処を通る車の運転者の大方はこの青年を見て知っているに違いない。

青年は神に近い存在であろう。子供は車が好きだ、特に男の子は動くもの、飛行機・電車・貨車・昆虫・時計・ピストル・etc…。である。たぶん、私が用事でこの道を通るかなり以前から、青年はこの道の、この場所に出て、風が吹こうが、雨が降ろうが、雪が積もろうが、相も変わらず、気の遠くなるような人生の時間を過ごしていたに違いない。私はこの道を通るのが楽しくなった。あの青年は出ているだろうか?と。時に青年に車の中から手を振ることさえあった。三年間、この道を通ることは私の楽しみの一つであった。三年間が過ぎて、私は道を通ることが無く成ったが、4~5年の後に、この道を走った際に、彼はどうしているだろうかと謂う期待があった。だが青年の姿は見えなかった。わたしは車を止めて土地の人に、青年の消息を聞こうかと思ったが遠慮して止めた。もしも青年がもう既にこの世の人ではないとしたら、私は僅かの時間であったが、この青年に手を振って貰うことで、或る力をもらっていたのだと気が付いた。出会いと呼べるような出会いではなかったが、別れの悲哀を感じないわけには行かなかった。「ひとは何のためにこの世に現れて来るのだろうか…」。

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人間雑感

2020年08月13日 09時06分33秒 | 日記
チロチロチロ、コロコロ、リーッリーッ・・・。台風が去って急に秋の気配が濃くなりだした。
今年の夏は、幸い五月、六月の異常な暑さから予想された猛暑の夏ではなかった。
いや、蒸し暑さはあったのだが、あの、ギラつく太陽を目にした日は少なかった。
農業など外で仕事をする人には、好ましい夏だった。

いま迄生きて来た歳月を振り返ってみると、
いろいろな場面で人に助けてもらった事を思い出す。
ある時期にには、Iさん、ある時期にはTさんに、
随分助けてもらったと思う。
思い出してみるに付けありがたい気持ちが湧く。
その点で、自分は人の恩を感じ、人の徳を知った。
だが、世の中には、いつ如何なる状況に於いても、残念だが悪しき者と善き者がいる。
それは偏見ではなく明らかに事実なのだ。

これはどういう事なのだろうか。
思うに、人は生まれながらに
その性格は、その徳は定まっている。
自分ではどうにも成らない事でもあり、
或る意味、恐ろしい事だがどうもそうらしい。

友人達と話すと、育成歴だの、学業歴だの、家族歴だの、職業歴だの、
彼らが考える、後天的な原因に関する意見や見解の多くを聞いた。
だが、本当に人が教育歴で変わるのだろうか。
それは知識とか理解とかの、知的ストックの訓練と技術の面であって、
人が秘めている心と呼ぶものの全体像から謂えば
意識の層のごく表面の層に他ならないのではないか。

最も深部の層は、おそらく教育や環境では変わらない。
それは過去を受け継いでいて、生まれながら一種の刻印で定まっている。
それは、体も心も構成している遺伝子が大まかには決定しているのだろう。
だが、その束縛律がどの程度かは、今のところは分からない。
また、心の傾向のすべてが、その核酸情報で決まるとも思えない気がする。
それでも、精神的傾向の色彩に、かなり強い因果性を持つに違いない。

我々は通常、自己意識がすべてを決定すると思い込み勝ちだがそうではない。
何を求めるかは、自己が決定できない種類の古い根源的な衝動である。

脳の構造を見れば、それは一目瞭然である。
我々の意識の根源の本質的な部分は、
生命体が生まれた当初の脳幹の部分に在る。

そして進化論が主張するように、脳神経系の構造は、
魚類~両生類~爬虫類~哺乳類への様相を示している。

我々の日常意識は、一番上部の新皮質に乗っている意識だが、
それを動かして居るのは、古い皮質の衝動なのだという事も事実なのだ。
ただ古皮質の衝動には限りがあり、
人に因ってその本能の力の組み合わせには差異があるという事なのだろうか。

                                   2017年 9月 日記から
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なんとなく蒼き空行く雲をみる。

2018年12月01日 22時22分33秒 | 日記

 温泉の湯に浸かり、何となく蒼き空を行く白き雲を見ていると、不思議な気持ちになった。肌の赤い松や緑と黄色の取り取りの広葉樹がみえる。この空間を創っている力はなんだろう。空間の創生から自ずと時間は出現する。少なくとも私達の次元で感じるものは重力だ、USAの作家E・A・ポーは重力が神だと書いているが、まったくその通りで、世にあまねく満ち、すべての存在に作用する物とは、重力に他ならない。世に、重力教という物が有ったとしたら、私は喜んで信者に成るだろう。この世に生まれてきて重力を知らない者はいない。それ程有名なのだが、実態を調査してもその真実を把握した物はいない。と言う摩訶不思議なものだ。

特殊相対論を創ったあと、重力の相対論である一般相対論を創ったA・Einsteinが次に目指したのが、一般相対論と電磁気学の統一であった。一般相対論の式と電磁気学の式を一つの式で統一する試みである。1915年に創った一般相対論のあとに彼が死ぬ1955年までの40年間をこの統一の為の試みを追及するが、上手く行かなかった。元々電磁気力学と重力は相性が悪い。宇宙創成時にある程度冷えて来ると力の分化が始まったが、その分化の過程が温度という要素だけとは限らない。1929年USAのカリフォルニア州のパロマ山にある巨大な反射望遠鏡で深宇宙の星雲を研究していたエドウィン・ハッブルは、遠方銀河からのスペクトル写真が間延びして居る事に気が付いた。最初、彼はこの写真の間延びが何を示しているか分らなかったが、ドップラー効果を思だした。光もドップラー効果を起こす。それまで誰も宇宙が膨張しているとは考えなかった。ただ一つEinsteinの一般相対論の方程式が、宇宙の膨張を示していたが、この荒唐無稽の解に不安を懐いたEinsteinは、相対論の方程式に膨張解を押さえる宇宙項を付け足した。Einsteinはこの宇宙項を付け足したことは、最大の失敗だったと書いているが、その後の現代の先端宇宙論を解釈する上では、この宇宙項λは不思議なことに有効であるという考え方もある。

元々ビックバン論は、果たしてどこまで有効なのか?大多数の天体理論家たちは、それを支持しているが、疑問を持つ者が居ない訳では無い。始まりの前には何が在った?ビックバンの支持者たちは、それ以前には何もないという。一部では無という考え方らしい。だが、とてもそうは思えない。この問題は、現代の物理学や天文学では、残念ながら答えを得る事が出来ない問いだ。我々の科学文化は精々400年でしかない。この四百年間に基本的な多くのことを知った。だが、多くとは言え根本的な謎は数限りないほどある。

落葉ーヴェルレーヌ

秋の日の

ヴィオロンのため息の身に染みて

ひたぶるにうら哀し、

鐘の音に胸ふたぎ、

色変えて涙ぐむ

過ぎし日のおもいでや、

げに我はうらぶれて、

さだめなく飛び散らう落ち葉かな

             
           海潮音ー(上田柳村)

 

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進化と適応ー分子遺伝学に残された謎と、自然観、世界観ー世界は確率的か?

2018年09月07日 10時05分05秒 | 日記
進化と適応と云う事を焦点に、地球に発生した生命体の変化に付いて考えて見たい。

進化論は19世紀の中頃、イギリスの地質学者C・ダーウインによって提唱された。これは19世紀の生物観に根本的な影響を与えた。それがなぜ世界観や社会観まで深く大きい影響を与えたのか?と云うと、西洋人の宗教観に決定的な衝撃を与えたからである。つまりユダヤ教から発するキリスト教の教理に否定的な見解であったからで、進化論がただしいとするとキリスト教の教義は根も葉もない虚偽に他ならないことを示したからだ。と、同時に社会観にも大きな影響を与えた。生物が進化するなら、社会制度が進化しても不思議でない。という想像である。19世紀のマルクスの共産主義の考え方である。そこには物質現象しか信じない唯物論的世界観が巧言されて、20世紀の最後までその妄想は人々を迷わし現在もなお迷わし続けている。

生物を規定する分子進化とは、外敵・内的・またその相互の要因が数えられるが、ここでは外的(大自然の中の変化を促進する要因)と、内的(分子構造独自に自己変化する要因)を別に分けて考えて見よう。外的とは、正に適応の現象に他ならないから特に重要だ。生物がそれなりの形をして居る事は、過去の歴史の適応であり、また突然変異が生き残った、偶然の反映と考える事もできるだろう。生物の基本を見れば、植物の生き方が基本となる。動物はその基本の作用の下に生存を許されて居る存在だろう。浅い海のラン藻類が、いつしか光合成を始めた。この本質的な機能が後の生物の繁栄につながる。ラン藻類は地球の空気組成を有害な塩素や硫酸系の組成から窒素を主体にした酸素に変えたのである。

この酸素は、初期の生命にとっては猛毒で有った。初期の生命体は嫌気性の原始的な生命体であったが、浅い海に発生したラン藻類は、光合成の能力を生み出し、太陽の光の恵みを基に大気を中和し窒素を主体に酸素を含んだ現在の大気へと次第に変えていった。この現象が意味している深い真理は、結果的に、次の生命の発展の為に原始的生命体が、それを用意して居る事である。ラン藻類でも自己の増殖の為に太陽光を用いて生活しているだけなのだと考える事も出来ようが、結果的に次の生命体のために条件を用意している。不思議としか言いようがない。空想をたくましくすれば、恐らく、今ある地球生命体は一つの物である。種内ではダーウィンの言う様に、自然淘汰が行われ、弱肉強食の現象も起きているが、結果的には個体の利己的生存競争も、大きく遠い目で見れば、何らかの次の生命体の条件を用意しているのかも知れない?。この辺のレベルは、もう神意の範疇に入り、その全貌を見渡す事は私には不可能である。

次に現れたのが、植物である。この植物こそ地上に存在する動物のすべての条件を用意した偉大な対象である。動物が存在するには酸素が必要である。海もラン藻類から昆布の様な海中植物が、沢山の酸素を生み出して居る。中にはサンゴの様な動物まで窒素を固定化し海の生態系の大きな役割を示している。海はすべての生命体の母であり、現在も様々の生物を抱擁してその生態系を維持している。地上に上がったのは最初は植物であった。古生代から中生代に掛けて、陸地の上は空気中の窒素と太陽光から植物は、酸素が満る大気に変えていった。ついこの間まで、人間はこの植物、樹木の偉大な側面を理解していたのだが、西洋の産業革命が始まって以来、自然の生態系を乱している元凶は人間の生活に他ならない。人間の利己的追及は、いずれは次の生命体の生存条件を用意しているのであろうか?それは分らない、それがただの破壊だけで無いことを切に願う物である。植物は、語らず、且つ移動しない様に見えるが、本当はどうなのか?分らない。動物とは異なる形で彼らは別な知能を持って居るようにみえる。

人間は考えた事を深く顧みて反省をすることが出来る。この手法は人間に特徴的な物だが、それでは、すべての人間がこの大切な手法を実際に使っているか?、と云えば、恐らくは心許ない物が有る。哲学とは、人間の探求心が、未だ個別的な学問として形成される以前の概念を、探求する営為であるが、それ故に空想に近いものだった。だが是が大切な人間の想像力であり思索のすべての前提になる。この空想力こそが文明の、科学と芸術の孵卵器なのだと言ってもよい。美意識も宗教も文学でさえも、この空想力の所産である。この地球にうまれた哺乳類の想像力は、何処から来て、何を基に形成されたか?大いに興味が湧く所である。

地球環境の変化に従って、生物はその変化から、巧みに自己変身を遂げて来た。是は生命体の最も重要な能力である。地上の動物の生存のすべての基礎を用意したのは、植物である。この事は、何度言っても言い過ぎではない程、重要な事実である。植物の無い所に一切の動物は、その生を全うできない。ゆえに動物は植物との共生が、その生存の鍵になる。地球の歴史は現在の時間単位では46億年を充てているが、その原始惑星の中に生物が、初めて痕跡を示したのは8億年と云われる。太陽光の強い紫外線を防ぐ為に、地球の大気が変らねばならなかった。その大気を変えたのは浅い海の藻である。不思議なことにこの光合成の能力は、いつ獲得したのだろう?。この力こそやがて太陽系第三惑星に多くの生命的変種を生み出した基礎条件なのだ。

生命体の変化の記録はすでにギリシア時代にも記録されている。様々の生物の形態が、その生存環境に依存する事を知っていた。環境条件により生物は変化するのである、それは原始的な物だけでは無く、ギリシア時代の自分たちも、その一種であると云う事である。そして人間自身も、その適応の結果であり、条件が変化すれば、当然の如く人間自身も変化する。それを司るものは何か?と云う事である。それは長い間、最大の謎の一つであった。その変化の片鱗が見えたのは、19世紀になってからであり、遺伝の法則がメンデルにより提出された時を持って、進化学の始まりと云える。

 確率的世界構造とは何だろう。

 これは物凄く難しい問題だ。第一に、通常世の中は連続しているものだと云う思い込みがある。我々の身近な自然数列でさえ離散的だ。1と2は連続していない、その間には無数の少数がある。飛び飛びの指標なのだ。実在性を突き詰めると、偶然と必然に大きくは分類できる。人間の自然把握は20世紀の初めに量子論が出て来た時から、量子力学が離散的で確率的な世界観を提示したため、従来の連続的な世界観の信奉者は困惑しただろう。自然が飛び飛びの値からなるという世界観の初めは、プランクの量子仮説から始まり、確率・統計的世界観は、現象を統計的に見る事で、ある程度の実体の理解に寄与した。21世紀の産業社会は、物を生産し、それを売ることで回っている。有用な生産物など、必要なものを提供する企業が、人を雇い賃金を支払いその人が物を買い、また生産に従事し、新たな物を開発する。いわば絡み合って社会が機能している。その仲介を果たす役割が貨幣ないし経済構造と云う事に成る。

この社会が変化するのは技術的な革新である。古くは蒸気機関に始まり、電気に替わった。今では電気は、社会と云う生き物の神経網であり、これが絶たれると社会は麻痺し機能を失う。そして石油も最も金以上の価値を持つ基盤物質であり、漁業や農業の生産は、恐らく効率的に不可能になるだろう。漁業を支える船舶のエンジンを回すのは石油であり、農作業のトラクターも石油である。過去に生きた生物の残した地下資源を、汲み出して燃やして機械を回して居る。石油が無くなれば発電にも支障が出る。世界中で原子力発電が動いて居る。電気に関しては核融合炉の技術が出来れば事態は大きく変わるだろう。社会に関しては工作機械とロボットの連動が生産構造を大きく変える。サイバネティクスの通信と制御でも話題にしたが、ロボットが限りなく人間の技能に近い機能を持つ事が目標である。小型電子計算の発達で人工知能の進歩も夢想では無くなった。


 現代では、細胞核の中のデオキシリボ核酸の構造の中に、今まで培ってきた生命体の歴史が隠されている。将来、この情報体は脳と云う構造物を通じて、こころと云う現象に迫る力をもっている。多くの人がこの領域を研究しているから、何れは、遺伝子の構造体の中に、実際の物質過程に反映されている形式と反応が知られるに違いない。地球の歴史には生まれてきた生物である、植物・動物を問わず、多くの生命体の死の上に成り立っている。この様な事を書いて居る投稿者も、何年か後には多くの死の中の一つに成るだろう。宇宙の始原と終焉を、科学的に明確に知る事無く、我々は死ぬことに成る。それは宿命だ、悲しむ様な事柄では無い。それは必然でありまた運命でもあり得る。であるからして、我々は、未来の命の中に、その認識的智を求めなければならない。後生に期待すると云う事だ。我々が探求しつつも、知る事無く逝ってしまった問いにである。地球はおろか宇宙はもっと謎めいて紘大だ。生まれ、生まれ、生まれ生まれて、生の初めに冥く、死して、死して、死して、死の終わりに冥し、。弘法大師もおそらくは、わからなかったのだろう。まして凡庸な投稿者が分る筈が…。


 また話は変わるが、言語と数学の関係を云うならば、中枢神経系が生み出している、「心」とか「意識」とか「論理」とか言う物は、言葉を通じて数学的な側面を持ち、それに因って理解に翻訳される。脳神経系から出て来るコトバというものは、その数学的な手法と同様なモノなのだ。中枢神経系中の論理は、私たちが、今、論理と読んでいる物とは、全く異なるものだろうと思う。おそらく、脳神経系が生み出している、その様な実体は、数学の手法を使って翻訳されると同様に、情報を一括して処理する脳神経系の活動媒体としてのコトバ(言語)も、数学の新しい分野を創造することに因って解明される。たぶん、コトバの構造と数的抽象性は、神経系の活動の表と裏の関係にあるのだと私は考えています。


ついでと云っては何ですが、言葉の分野の問題について問いを立てて見る。

簡単で基本中の基本と目される初歩の3つの疑問で、子供が懐くような疑問です。


①ー ひとは、その固有のコトバ(母語)を、どの様にして習得するか?


②ー コトバを使って考えるとは、どういう事か?『子供の頃に思ったこと、こんな変な言葉(英語)で、ひとはモノを考える事ができるのだろうか?』と。


③- もしも、こんな変なコトバで、モノを知る結果は、はたして自分の様な日本語でモノを考えるのと同一なのだろうか?

子供が感じた問だが、60年を経ても、一向に解決されてはいない。
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空ー地球と宇宙

2018年09月06日 18時58分13秒 | 日記
空―地球と宇宙ーという題名ですこし書いたみたい。

私たちの空は、青い空を背景にゆったりと流れゆく白い雲や大空を掃く筋雲や夕焼雲の赤など、多彩な色彩に陶然とするのだが、もしもこの空に、空気と水蒸気の存在自体が無ければ、漆黒の空を見る事に成るだろう。そして空を見る事で、直接宇宙の深さに直面する事となる。これは壮観であるよりも、たぶん、むしろ恐ろしい相貌だろう。地球に住む人間が空気と水蒸気と云うサングラスを外したときに見るものは、空はどこまでも漆黒の闇を現し、その永遠の闇に、怯えを懐かぬ人が何人居るだろうか。宇宙飛行士Rシュワイカートは、船外活動に際して、宇宙の闇をビロウドの様な黒と表現している。同じ船外活動をしたレオノフ飛行士も、多分同じ様な経験を語るだろう。空気の無い宇宙では、地球上の印影という物が無い。光か闇か、の何れかなのだという。光に当たる物は強烈な反射に晒され、闇は漆黒の深淵なのだ。例えば手首から肘までが光にさらされたとする。そこは強烈に光って見えるが、では手首より前の五指は闇の泥に入った様に丸で見えないという。空気の反射が無い為に、或る意味では恐ろしいのだ。重力から放たれた宇宙では、上も下もない、有るのは、前と後ろ、左と右だけだ。我々は空を天とも言っているが、我々が生息している地球が丸い物だという事を知れば、天は足下を突き抜けた地球の下にも広がっている。人の立つ、一見水平に見える地面の他は、すべて空なのだ。地表の生物は、すべてが宇宙に向かい合い、対面していると云うのがただしい。

天文学は人間の歴史と同じくらい古い知識であり、人間の自然観察と同じくらい古い物だ。人間の自然観察は、我々の周りの環境の観察と共に、重要な物としては、空の星々の観察から始まった物で、それは栽培農業以前から存在していたものだ。採取狩猟の生活でも、人々はいつも空に関心を持ち観察していた。幾度の観察から、古代人は空の星々が、時の経過と共に極めて正確に廻って居る事実を知るのである。その経過を記録し太陽が一番中天にくる夏至の日を決めた。そして夏至の太陽がどの方向から昇るのかを決定した。それは冬至の決定事でも同じであった。こうして一年の日数が決められて、一日の長さにも刻みを入れて、年と月と日の概念が決定された。一日の時も後で正確に決まられた。空には、時には特異な現象が起こる事が有った。今で云う超新星の爆発があり、彗星の飛来が有り、隕石の落下が有った。こういう特異な現象の記録は、原住民や各国の昔の記録に見る事が出来る。

星学ー天文学を過去の遡って、人間の本格的な探究の学として見られるのは、エジプトープトレマイオス朝のアレキサンドリアであろう。ここに在った、人類の英知の結晶とも云うべきアレキサンドリア大図書館の、多くの書物と収蔵品は戦乱の為に灰と化した。救い難い愚者は古代にも現代にもいるのだが、この図書館の古代文書の焼失は何を置いても惜しいものだ。これで数千年の賢者の思索の結晶が焼けて仕舞った。アリスタルコスやエラトステネス、ユークリッド、アルキメデスの著作がすこし残った程度である。これ以後アレキサンドリアの叡智はイスラムに継承されて中世を生き残るのである。ローマがキリスト教化されて、極めて偏狂で攻撃的な一神教であるキリスト教が、ヨーロッパに蔓延した時代を中世と云う。この宗教の為に、どれだけ多くの人々が狂信的な教義に従って、拷問を受け殺されて行ったかを、史実から確かめて見れば好い。宗教をいう物は、フロイトに言わせれば集団ヒステリーである。19世紀から20世紀に掛けてもスタイルを変えた疑似宗教である共産主義が蔓延した。この幻想に因って、どれだけ多くの人間が犠牲に成ったことか。多くの悲惨な事がこの時代には起きたが、東洋である我々の国では、古墳時代である。

太陽系の生成は現宇宙の出現から大分あとの事に成る、太陽の元に成る凝集物の回転と、重力に塵が引き付けられて、塵はやがて層状にバーム・クーヘンのような層状の構造を創る。幾重にも中心部を取り巻く回転が創られ、それが個別に凝集してやがて星を作る。これは19世紀に太陽系の創生を考えたアイデアの一つで批判哲学で有名なイマーヌェル・カントの説である。つまり重力により凝集するのだ。これとは反対のもう一つの説は巨大化回転個体が回転力に依って分離する数学者ラプラスの説である。二つの考えの内、実際の現実に近いのはカントの説であり、恐らくは太陽系だけでは無くもっと莫大な太陽系を抱える銀河系宇宙の生成も、この様な重力に因る凝集から生成されている。すると重力は随分昔から力として宇宙の成り立ちに関与していたことに成る。ビックバン宇宙論が、どこまで正しいと云えるのか疑問な面があるのだが、そこでは力の出現が最初は重力が次に電磁気力が、そして強い力、弱い力、と順に出現する。いわゆる物質が出来る前に、重力はで聞いて居るのか?或いは物質と共に重力は出現したのか?面白い問題である。多分物質と密接に関係しているはずだ。当然の事だが物質は空間とも関連している。

創成の観点から順に云えば、宇宙の始まりが最初に来る。だがこれは曖昧模糊としていて未だ厳密な意味で数的科学に成らない。つぎは宇宙がはれ上がり物質の創生である。元素創生の初期の研究は、随分むかしソ連のサハロフと日本では吉村太彦により提案された論文がある。最初に出て来たのは最も元素的には単純な水素であり、つぎにヘリウムであり、このくらいの元素の創生であとは無い。この水素の集合体の星雲が重い元素を生成する。おそらく現在の宇宙の物質は一度星に依って生成された元素で構成されたものだ。元素が共有結合イオン結合などの分子を作ることに因ってひいては生命の発生に必要な分子を創り上げている。端的に云えば条件さえ整えれば、生命の発生は必然で有ると云う事なのかも知れないのだ。

既に出来上がったものとして太陽系の生成を考えてみると、太陽系は太陽の生成と共に形成された。そして太陽を回る軌道には一つの天体が出来上がる。惑星の質量と重力と回転力のバランスの下に各惑星は形成され、必然的に太陽からの距離も決定される。太陽の自転と各惑星に及ぼす重力、惑星の質量と自転、nなどのパラメーターが現象を決定する。然も、太陽の質量その物が、実に奇跡的なほどすごい。もしも質量がモット大きいならば、太陽は45億年を経ずして燃え尽きていただろうし、いまの質量よりも小さいならば水素の核融合の火は点火されて居まい。太陽の回りの惑星は、距離と質量により創れる環境が異なって来る。水星、金星、地球、火星、木星、土星、天王星、海王星、冥王星(最近冥王星は惑星である事を取り消されたが)、そして、火星と木星の間には、惑星に成り切れなかった欠片が散乱している。惑星に成ろうとするのだが、木星の干潮力が邪魔をしてバラバラにする。冥王星の軌道は、余りに辺なので、惑星を取り消された、基本的には海王星の衛星だという事になった。


この回転する惑星系の運命を決定するものは重力にある。力の生成過程で重力は、最初に分離した力だ。この重力が水素を球体として締挙げている。水素と水素を融合させて、出来たヘリウムの質量差が、光と熱のエナルギーとなって太陽を輝かせている。惑星のすべても太陽からのエネルギーを得て、輝き、地球では生命の源のすべてを支えている訳だ。50億年の後に、水素ヘリウムを燃やし尽くした太陽は、次第に燃やすものがなくなり、赤色巨星として地球軌道を飲み込むまでに拡大される。その時に惑星系は終焉を迎える事になる。星の創り上げた傑作である生物も消滅する事になる。無論そこまで地球上の生命体の生態系が生き残って居ればの話であるが。それは何も人間が生き残る落ちう物では無い。


人をサピエンスと云う言い方をしている西洋人は思い上がりが顕著だ。人間は決して知恵ある生き物では無い。ここ300年の歴史的事実を見れば、技術が芽生え、技術改良が進み、戦争の技術と破壊力が増したために、自らが窮地に陥っているのが現実だ。現在に於いて、人間は長期的に人間が存続可能な社会システムを採用していない。過去の植物が残してくれた化石資源を湯水のごとく貪っている。電気を起こすと称してソーラー発電の為に森林を切り払い、植物を絶滅させているのが現実だ。動物は植物の恵みで生かされて居る存在だという真理を徹底的に忘れている。様々な現代の国民国家の産業の為に、地球上の資源の獲得競争が熾烈になり、それが原因で戦争の事態も起こりうる。人々の生活が文化を生み、それがさらに発展して文明を生む。

その典型的な資産は、コトバである。言葉が文明のすべての土台なのである。現在の地球上の人間集団が話す言語は、小さいものまで含めると数千と云う言語が有るという。それはみな文化と云う意味では貴重な物で、滅んでしまう前に記録されることが重要だろう。言葉の背後には、その文化特有の精神体系と云うモノが控えている。比較文化を探究する文化人類学や生態学は、依然は活発であったが、この所、余り有意味な知見が無い。人間の真の平等と豊穣の為には、本来、この様な比較分野の研究と思索が必要なのだ。地球環境の上に花開いた各文明は、混ざり合う事無く、独自にその深化を図ればいい。言語と蓄積された文化遺産が、国民性を支えているのだ。日本文明は、世界最古であると共に、一度も亡びた事がない特殊で特異な文明である。この偉大な文化遺産の下に日本人として生まれた事の有り難さと幸いを感じずにはいられない。
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宮沢賢治の世界とその夢の図書館

2018年07月30日 07時19分20秒 | 日記

 人間に物語が生まれるのは、例えば蝶が大空に羽ばたく羽化の為に吐く糸である。羽化への過程には、様々の困難と苦しみがあるが、天の声に導かれて自らが変態する。宮沢賢治の諸々の童話は、繭が羽化の為に吐く糸であったろう。宮沢賢治は37歳までしか生きなかったが、彼の全集を見ると、書き残した詩と童話と評論など、相当な量に達する。世の中にはそれこそ賢治愛好者が無数に居て、彼の残した小さなメモの紙片や、適当に書き散らした構想を書いた古いノートまで探し出し、研究誌に発表している。賢治は自分の作品を心行くまで改変する事を惜しまなかったので、初稿と最終稿とは微妙にあるいはまるで異なっている場合が多い。子供の頃から、ネコの漫画や童話を読んできた我が家の子供たちも賢治の大ファンである。実を云えば、遠いむかしに小学校の図書室で目にした「風の又三郎」という童話があった。研究書によると、この本は最初「風野又三郎」という題名で出されたのだと云う。この本は暇をもて余す夏休みに、家の中で寝転んで読むには好いかもしれないと、借りて来た事が有る。家には、ロビンソンクルーソの冒険やガリバー旅行記やトムソーヤーの冒険、アンクルトムの小屋などが有ったが、これは私の知らない内に、父が文学に親しませる心算で、シリーズ物を買って来たのだろうと今では推察する。世界文学全集は大抵は外国の話で、巌窟王やああ無常などフランス物やイギリス物、クオレ、ピノッキオなどの伊太利物、アンデルセンなどのデンマーク物も有った。ドイツを始めとして、思えば世界中に童話は存在する。しかし子供には、何処のどういう国の作品か?など分る筈がない。外国物はほとんど一緒くたである。


そんな中で日本の童話の伝統を見ると、明治以来、子供の為の童話雑誌としての「赤い鳥」などの少年雑誌には多くの作家が秀逸な作品を書いているし、感動的なお話は自然に子供の心に対人関係や社会性を醸成する役割を果たしている。同時に日本の有名な作家たちも、個人的に童話の作品集などを発表しているから、その作品に宿る個性は読んで見ると明らかである。どんな時代でも、親は子供が健康で慈悲に飛んだ利発な子供として育って欲しいと願いがある。だから子供に与える読み物には注意を払ったに相違ない。なにもそれは開国してからの話では無い、江戸時代に於いても、子供の読み物は確かにあった。忠義の物語や人情物という、遠くは庶民への教化の為に様々な説話集さえ書き継がれているではないか。日本霊異記も宇治拾遺物語も今昔物語も御伽草子も、それこそ大昔の話ではあるが、みな同じジャンルに入るのではなかろうか。子供の物語は、その国民性がもろに出る。多くの物語文学、説話文学、日記文学、評論物、随筆、紀行集、など共々に日本語という物の特徴と起源をすこし考えて見たい。日本語はいつ頃から定着した物であろうか?

話し言葉は、それこそ起源が古い。日本に人類が住み出す様になってからもう10万年を超える。この列島の人類の起源は石器時代にはすでに住んでいたのだ。こんなにも古い時代から石器を磨き、縄文土器を焼いてきた我々の父祖が大いなる母がいる。わたしは日本の精神の基層には呪術的な文化が有り、それは神道ともシャーマニズムともいえる自然崇拝が基礎に有ると思ってきた。特に東北には、この精神が残っていると信ずる。それは二万年も、何千年も変わらず継承されてきたと感じる。修験道にしてもそうだ。東北にはそれが色濃く残っているのだ。方言は特に貴重な話し言葉であり、これは消滅する前に残したい。東北のシャーマニズムに月山信仰があり、人物を挙げて云えば、平安時代、空海の実家である佐伯氏は東北の出自であり、江戸時代には平田篤胤がいる。斎藤茂吉、宮沢賢治、棟方志功、何か共通性が感じられないか?土俗的な縄文を思い出させる。

日本の文学は、遠くは万葉集や古事記に始まるし、五世紀に仏教が伝播し、それが日本の伝統的な自然崇拝の思想と融合して日本文明に独特の仏教説話集を創り上げた。永い平安時代を経て、多くの鏡文学また鎌倉期には御伽草子、鎌倉幕府の政務記録である吾妻鏡、平家物語などの武士の物語、西行などの旅と歌の日記文学、中世歌論、方丈記、明月記数えれば多々有り、当時の文学レベルに於いて日本国は世界的に見ても最高峰の文化を体現していたと、そう言って過言では無い。たぶん日本語の創作性、哲学性が、文化の創出に強い力を与えている。元々日本人は、過大な自画自賛を下とし、控えめを上とするが、敢えて言えば日本の歴史的事実は世界的に見ても最高の文学を持って居たと思って好い。

それは室町期に於いても、太平記を始めとした日本の今に通ずる文化の発生がこの室町の世に発する事が多いのだ。連歌、茶の湯、大和絵、書院作り、作庭、製陶、数多である。室町の習慣・習俗は、戦国、江戸を通じて、この今につながる歴史を有している。数限りない分野の中で、ここでは一つ絵巻物に付いてすこし書いてみたい。歴史的な絵画は西洋にもあるが、十数メートルに亘る絵巻物のレベルと、その多さは日本が特出して居る。どうやら日本人は、事件や歴史を絵巻で現し残す、という特技があるらしい。その中で、対極にある物として、一遍上人絵伝、と鳥獣戯画を取り上げて見たいが、絵伝は一遍の生まれ育った環境とその後の教えを説いて歩く人生を活写している。これは一遍の後をついて歩いた弟子の一人に絵の上手がいて、それが見た事実から描いたものだろう。それに対して、漫画の始まりとも目される鳥獣戯画は、鳥羽の僧正という坊さんが制作した物であるらしい。これもまたキツネやカエル、サルやウサギ、イノシシやウシウマが、繰り広げる愉快な風体を活写して、一度見たら決して忘れられない印象を残すものだ。

風の又三郎、銀河鉄道の夜、なめとこ山の熊やグスコーブドリの伝記、猫の事務所、注文の多い料理店、ドングリと山猫、これらの童話を、鳥獣戯画の作者が読んだら、直ちに絵巻にせずには居られない物だろう。日本霊異記も鳥羽の僧正は絵巻物化すべきであったと私は思うのだが。

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思考と言語、あるいは(声と音)

2018年07月13日 16時47分52秒 | 日記
思考と言語

思考とコトバの関係について、少し公理風に要点を書いてみたい。


「コトバをつくる力とは、音を構造化する力である。」

では、その力が、どこから来るのか?を考えてみたい。

A-その力を知ることは、何が分るのですか?

B-それを知ることは、思考の実体が何なのかが分るだろう。思考とは、記憶の再現なのか?記憶の組み合わせなのか?或いは、新たな創造の形成なのか?が分るだろう。




*- 問題を、もっと細かく述べれば、コトバの機能とは、何かの意志を伝える為に、声帯で発生させた空気の振動を、構造化して伝える力であるが、その力が、どこから来るのか?を探ってみたい。
別な表現では、述べる力であるが、それは定性的で月並みだが、こころとか、自我とか、いう所の対象に近い。


1- 音としてのコトバが無ければ思考は出来ないと云う考えの人は、どこか考え違いをして居る。

2- 言葉は、思考の結果であって、思考の原因では無い。日本人の思考は幾何学的、視覚的だ。それは音声とも兼ね合い、どちらかと云うと単なる音では無く空間的なのだ。

2-Aー コトバの習得時代は特に母語としての思考と表音の枠組みを作る時代は、コトバが理解の要因かも知れないが、言葉という物は単なる純粋な音では無い。意味に連れて行く指標ではあっても。

3- 思考内容の表明が、言葉と云う方法を通じて表示される由縁である。聴覚を通じて、概念と概念をつなぐ媒体が声であって、それは音+αである。もう一つの方法論が在る。それは視覚を通じて、概念と概念をつなぐ媒体が、文字である。特に表意文字である漢字である。象形文字は特に特有の読み方は無い、ただ慣習的に呉音読みと日本語の訓読みがあり、だから漢字に関しては、言ってみれば、如何読んでも本来は差し支えないが、古来慣習的jな読み方があるので、それに従っているだけで、本質的にはどの音を当てても間違いでは無い。象形文字とはそういうもので、形に意味があるが本体は、音には対応して居ない。

4- では極まる所、思考と言語の関係は、どうなのか??「思考と言語」は、むかし若い頃に読んだ、ロシアの言語学者ヴィゴッキーの著作の表題(タイトル)でもあるが、「思考と言語」を「声と音」に読み替えて、この問題の根源を探求してみたい。この問題は、どうも一筋縄では行かぬ問題で、ずいぶん古くから、多くに人が頭を痛めて来た難問である。ここで一つの試論を探求してみたい。

思考と言語は、想像力の問題と深く関連しているので、最近話題のAIの問題とも関連している。人間の想像力を機械に持たせるには、それこそ遠い問題だが、機能的には意外にも何十年もかからず実現できる可能性は在る。謂わば疑似的想像力は、流れ図的に言えばサブルーチンを幾重にも重ねて、組み合わせることで、それに似せる事は可能だ。改良するには失敗数が有効だ、機械同士を闘わせて、改良流れ図手順(プログラム)の学習資料(データ)を積み重ねる事で、機械に一種の疑似的思考力の機能を持たせることが出来る。だが戻り手順(サブルーチン)を膨大にすることで、関門(ゲート)が増え、強力な速度の電子計算機(コンピューター)が必要になる。

これは最近、算法(アルゴリズム)が開発されて、俄かに現実味を帯びた、量子電子計算機が組み合せれば、大いに進む分野であろう。だが機械は機械である。それに対して必要なのは、人間の実際の神経系の探求である。マッカローやピッツに依り、脳神経系の論理は、すでに昔から研究されており、人工知能(AI)の問題は、機械と生体の組み合わせを計った、N・ウィーナーの計測と制御の科学(サイバネティクス)の拡大された思想的萌芽である。人造人間(ロボット)が電子計算機の支援を受けて、人間に近い能力が現実味を帯び出したのだ。ただ電源を切れば、死んでしまう機械に連続した能力を持たせるには自己発電能力が必要だろう。コトバとココロの言語的な関連を探検してみようと始めた主題(テーマ)だが、のっけから思わぬ方向に行きそうだ。

では(1)の問題で、ひとは視覚で物を考える事が出来る。あるいは図式で考察を進める事が出来る。という事象を調べてみよう。この声と音の差異を考察する上で、日本語は最適な道具だ。耳と目を最大限に融合させている言語が日本語だ。象形文字を導入して以来、日本語はそれ以前の音標文字と相まって、表現の自由度を持っことに成った。本当に不思議な言葉である。コトバが発達してきた背景には、その国の自然環境が創り出す国民性という物が、大いに規定する。日本語は環境である自然のコトバを聞く言語なのである。音楽的で擬音語が際立って多い。それは言葉の母音の構造も関連して居て、それは日本の文化的な背景を構成して居る。日本語という珍しい言葉が無ければ、おそらく、珍しい日本文化は形成されなかっただろうと考える。

むかし読んだ角田忠信氏の「日本人の脳ーその東西文化比較」は、本当に驚く研究であった。コトバの違いが脳神経系の動作機構に多大な影響をもたらす事だ。これは自然に対する感受性が産んだ言葉である。生体が意志?を持って発する信号が声である。それに対して単なる石と石がぶつかり発するモノは音と考えて差し支えない。声には音の側面が有り、というより声は、音に乗せている何か?なのだ。我々が住む空気という導体の環境の中では、声帯を震わせて音を発する行為には、当然個体の意志が反映されている。それを言葉と云い、言葉が大規模になれば言語という。意志の発生がフィードバックされて意味の発生へとつながり、やがて言葉は音の制御に一定の原則を形成さる。それが最初の文法だ。我々は言葉が音の側面を持つからと云って言語はすべて音だけで出来ているなどと考えては成らない。音だけで出来ていると云う考えは過去にもあった。ブルームフィールドたちが主張する「構造言語学」である。それが言語に対する錯誤で有ったことは、今では殆んど常識だが、当時は、言葉は空気の波動(音声)を通じて行われるので、音が全てで有ると云った考えが有ったことは、理解できる積りである。でも言語の特質は何か?という問いに、迫れなかった。

ブルームフィールド流の構造言語学から出て来たのが後の生成文法である。チョムスキーの初期の著作「文法の構造」はその走りであるが、後の生成文法の考え方の源泉に成って居る。詰まり音を操る構造をどこに得るか、何処が発信元か、構文を論理的に構造的に分解して、その論理構造を抽象化して調べると云う方法論です。


◎ ーこれは、(重要な事なので)探求の為の問題設定をしてみょう。恐らく矛盾しているものや、錯誤も有るとは思う。


*- 言語とは他人との思惟の共有化を図るための外延である。

*- 内語とは言葉に翻訳される以前の原初的な言語化のプロセスである。

*ー 深い問いには、すでに正答への道が用意されている。

*- あなたの頭が混乱しているのは、問いのプロセスか、問い自体が間違っている為である。

*- やはり一つの言語と云うものの背景には、継続された歴史性と、生まれて習う個体性がある。

*- 言語(ことば)が無ければ思惟が出来ないという人は、本当の思考をしたことがない人だ。

*- 図形を使って図形を動かして思惟する人が居る、独創的な数学者は皆そんな方法を使っている筈だ。

*- 禅の瞑想は、自分の思念を注意深く反芻し、再度、頭の中で再現している、それもスローに。それも言葉の発話の際の、現象を観察している。

*- おそらく意味が出てくるのは、記憶の再現性が確立されてからだ。

*- 自分とは何であろうか?、たぶん内語的空間に自我は発生しない。

*- 内語は、発生過程のプログラムに入っている。すでに言葉の原基は神経系統の構成の中で形成されており、出生後の適切な外的刺激で、一つの言語を持つようになる。

*- 感覚器の統合として得た概念の重複が自我として認識される、その外延として言葉が設定されていると考えた方が、方向性としては現状に合致する。

*- およそ、人が物事を真に分かったと云えるのは、理解を別な表現で言い替えられる概念を得たときである。

*- 得た体験・経験を象徴化することで言葉が生まれる。で、その逆も成り立つ。我々は実際に体験・経験しなかった象徴から、言葉によって実体験・経験をしたかのように理解する。言葉の相互互換性とは、まさに、この点にこそある。逆が成り立つことで、人は実際に経験もしない経験を蓄積してきたと云える。文明とは、そのような蓄積の集合体である。

然しつくづく感じるのは、日本語のルーツと云う事もあるが、それ以上に遺伝子と言葉と数論の見えない繋がりであり、その背後に在って繋いでいる糸である。これ等の現象を深く知ることによって、これらを結ぶ糸が何なのかを察知する事は、生物の出現と生命の意味を知る新たな世界観を開くことに成ると思う。DNAは生物としての最も重要なデータであるし、また言葉は、生物の種の行動、思考、の外延として成り立っている。また数論は、これらとは一見関係のない概念分野の様にも見えるが、そうでは無く物事が進行する際の、規範は、数論の様な一見制限された秩序に則っていると思うからだ。この事の具体的な証拠はまだ無いのだが、空想だが遺伝子と言葉と数論は、もっと高次の概念の別な表現になっているのではないだろうか?この問題は中々簡単には解決できぬ問題でしょうが、未来を概観するプログラムとしては大変魅力のある問題の様に思えます。

将来、学際的な人間と文化の研究プログラムのの中で、関係を繋げている糸の実体と、背後に在って今は明らかでは無い未知のXに、先鋭的な人々の中で、より現実的な問題として取り上げられるだろうと思います。そして思う事は、確かに言葉は、声帯を震わせる事に依って発生する空気の振動であり、地上に上陸した生物は、空気の海で声帯を震わせ、空気の振動を利用して意志を伝える方法を確立した。勿論の事だが、それには聴覚機関の存在が不可欠なのであるが、ブルームフィールドが云う様に、確かに音声が言葉のすべての様に見えない事もない。だが、察知力のある人間ならば、言葉の本質は音ではなく、音を統合しているある種の能力か心という物に在る。つまり音とは、すでに在る意志を伝える道具に過ぎないと云う事なのだ。言葉とは、その音が全ててあるとした所に、ブルームフィールドの錯誤が有った。然し、アメリカ的な機能主義の伝統からすれば、現に有るもの、目耳で確認できるものが全てである。と云う考え方がすべてなのである。

だが、音声に乗せて発するところの「心と云う形態」の表現形式は、単なる音に収斂する物では無いのだ。であるからして、表題の件にある「声と音」の差異をここで論ずる必要が有る。声とは生命体の意志の外延である。音は、小滝の音、川風の音、松風の音、雫の音、と生命では無い物が発する音である。
ところが日本語はムシの声は声として当然の事であるが、川風や松風にも声として聴く事が有る。ここにあらゆる外国語とは異なる日本語の特徴がある。森羅万象のずべてに神々の声を聴く日本語の特徴は、この言語の特異な性質に在るのではないか?日本人に一神教が、嘘の如く感じるのは、この日本語と云う先人に感謝すべきコトバの特徴に由来している。
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世界認識に登場した面白い物理理論

2018年06月30日 09時15分51秒 | 日記

 現代の物理理論の歴史の中には、永い試行錯誤の歴史が埋まって居る。その当時の困難を乗り越えようとして、様々なアイデアが提出されました。その幾つかを取り挙げて具体的な式は書かず、少し内的事情や定性的な事柄を書いてみようと思います。或る意味では独善的なこじ付け的理解の仕方ですが適当に読み流して頂ければ幸いです。

*- 計量ゲージ論 ゲージ理論は現代物理学の標準理論を構成する方法論としては最も信頼されている主要な方法論である。「1905年に、Einsteinは特殊相対論、1915年に一般相対論を出した」当時の有力な数学者ダビット・ヒルベルトの弟子で、此れまた中々の数学者であるH・ワイルは、その相対論と従来の電磁気学とを統一的に理解する為に、時空に基準に成るゲージ(物差し)を導入したアイデアが、このゲージ論の源流となっている。ワイルの物理認識を現す論的構想である。現在も格子ゲージ論などの、それなりの展望を持っている基本的な方法論の一つで、ゲージ理論の改良に依っては、また別なアイデアと合流して、再び新境地を創り上げる可能性もある力強い考えである。ワイルは単なる数学者でも、また物理学者でもないと思う。参考に成るその一つに、彼の著書「数学と自然科学の哲学」がある。この本は出版年は古い本だが、内容はいつまでも輝きを持って居る著作だ。この本が示すように、彼の真骨頂は数学と物理を別な分野の物とはせずに、その統一的な認識を求めたことに在る。20世紀の数学は従来の素朴な形式の雑物を取り払い出来るだけ抽象化して、その概念を操作する事が流行であった。であるから、数学では20世紀の前半・後半を通じて抽象化、普遍化が目標であった。フランスのブルバキが進めた形式は将にそのものである。確かに抽象化は関係を明晰にし問題の根源を整理するには優れている。しかし、この様な純粋数学の概念同士の交配を続けていると、何時しか、それは生物の近親交配と同様に活力を失い、退化或いは衰退する。真の数学は自然現象から新しい血を入れねば、逞しい活力を保持できないものだ。ゲージ論のアイデアだが、1905年にベルンの特許局の技師アインシュタインに依って特殊相対論が発表され、1915年には更にEinsteinはNewton力学の重力論を拡張した一般相対論を創り上げた後、一般相対論と電磁気学を統一的(二つの基本式を一つの式で現そうとして)に理解仕様として、その後のすべての時間を使ったが、結局のところ上手くは行かなかった。ワイルの野心はEinsteinと同じように、電磁気学と一般相対論を融合させた理論を作ることに在った。なぜ上手く行かなかった原因は何だ?と言う議論は今も続いていて、詰る所量子力学と相対論の統一的認識が出来ていない事に在るのだろう。相対論は革新的だが、飽くまでも量子という確率的世界像を必要としない古典的物理学の範疇に入るものだが量子論はそうは行かないからだ。現在の新理論の中には「量子重力論」という分野が有り、これがEinsteinの夢を実現する近道か?とも予想する人が多い。

また驚く事には、現象学の創始者で哲学者エドムント・フッサールは、自分の後任にヘルマン・ワイルを望んでいたので、もしかするとワイルはフッサールの誘いの乗って現象学の講座を継いで開講していたかも知れない。元々、E・フッサールは、有名な数学者ワイエルシュトラウスの助手として解析数学を専攻していた数学者だったのだがイタリアの名門でウィーン大学の宗教哲学者フランツ・ブレンターノの心理学的哲学の講義を聴いて、突如代数解析学の研究から心理哲学に転向した人物である。こう謂う経過がある為に、現象学は常に数学的世界観をその基礎をおいて居る。彼の主要な研究である、「幾何学の起源」や「論理学研究」はこの様な数学的厳密さを曖昧な心理現象に適応させるという彼の考え方が哲学の底に見える。この時代の数理論理学研究はヤン・ルカシェービッチやレスニェフスキー、USAに移住したアルフレッド・タルスキーを始めとしたポーランド数理論理学派が有力であった。この当時に不思議と力ある数学者が輩出したポーランド学派の歴史は検討に値する。ワルシャワ学派、クラクフ学派、ルヴォフ学派、は、皆その大学名である。ワルシャワ学派はワルシャワ大学の数学グループであり、コペルニクスが在籍したポーランドの古都クラクフにあるクラクフ大學はヨーロッパの中でも古い伝統ある大學であった。バナッハ空間で有名なステファン・バナッハは、ルヴォフ学派の最初の指導的な巨匠であり、全ポーランド数学を率いる力ある数学者であった。彼らは論理学派を世界に先んじて形成し大きな影響を与えた。基礎論理学はドイツの当時の先鋭的な論理学者であるG・フレーゲの「概念文字」のアイデアを参考にして居る。また、ルードヴィッヒ・ウィトゲンシュタインの論理哲学論考もフレーゲの概念文字に何らかのヒントを得ている。論理学研究が主張しているのは思考の様式と論理構造の関連なのである。フッサールはフレーゲの研究と共にアメリカの鬼才であるC・S・パースの研究も何処かでヒントにして居るの違いない。フッサールという人物は現在でも人気のある哲学者と見なされて居り既に陳腐としか思えない物でも日本では大切に継承されている。ワイルに関しては、他にも「群と量子力学」や「リーマン面」「シンメトリー」という名著が有りそれは彼の深い見識を示すものだが、現代の最前線の物理学はそれよりも奇抜な方向へと進行軸を変えている。

*- S行列論 「量子物理論の創始者の一人で、行列力学の発案者、不確定性論の提唱者である、W・Heisenbergの提出した最後の大きな理論で、現在でも歴史的にそれなりの価値を持っていると思う。アイデアとしてはクラシカルで、優れた所を感じさせる。だがHeisenbergとPauliの追及した初期の場の理論は、今でも完成して居ない。場の理論は根本的な難題が在るのだ。それは電子の質量を計算すると無限大の出現がが計算の障害に成る。これが解決されれば量子力学は完成する。しかし、解決には未だ甚だ遠い道を思わせる。Heisenbergは、その後も現代物理に関する大きな影響を与えている。それは不確定性原理のもたらすもので、観測の問題の核心部であり、EPRの問題とも深く関係して来る。Einsteinの言い掛かりと見えたEPRのパラドクスは、思いもかけない問題を提起している。量子相関の問題で、これは量子コンピューターの根拠なのである。また不確定性原理については、Heisenbergの不確定性原理は2003年に日本人の数学者ー小沢正直に依って内容が新たに書き直された。classicalなHeisenbergの不確定性は、位置の確立偏差、質量の攪乱の変異などの項が無かった。ゆえに現象の把握に忠実な不等式では無かったのだ。量子論の認識に欠く事できない不確定性原理は、小沢の不等式で新たな現象の把握に役立っ事に成る。不確定性論は新たな次元に突入したと言えるのだ。ここでも量子現象の統計的解釈に関する、Einsteinの貴重な言掛りが面白い結果を生む。それは「量子テレポーテーション」である。最近、技術的な量子コンピュータの基礎が確立された。日本はその光学的テレポーテーションの分野で最先端を走っている。一つの量子の半分を宇宙の果てに置いたとしても、それは一方の状態に何かが有れば、瞬時にして片方に伝わる、(当然の事だがそれは高速を越える)という原理を基にしている。公式には(量子もつれ)、と言うような呼び方をしている。テレポーテーションを応用した量子コンピューターは、恐らく私の持って居る、この3万円のパソコンの千万倍も速い事だろう。


*- 素領域論 「現在の素粒子論の基となったアイデアは、中間子論を提案した湯川秀樹が1967年に提唱した極微世界に関する展望であり、何やら、芭蕉の「奥の細道」を引用した、味わい深い巨匠の哲学である。それによると、素粒子は通常の時間と云う流れを遡り、逆旅を遂行しているのだそう。湯川がこのアイデアを談話会で述べた時、弟子達は師匠の頭が少し変に成ったと誤解したらしいが、何せ現状の標準模型を信じ切っている弟子達であり、師匠の高遠なアイデアを理解できなかった模様である。この素領域理論は、世界は素領域と称する最小の単位があり、それによって構成されている。というアイデアであり、それはひも理論を導入する時の奇縁になった物である。物質の最小単位は紐であるという、その紐の挙動により世界のあらゆる物質は説明されるとする一種の万能理論である。それは、陽子、中性子、電子、中性微子、光子、などすべての素粒子の存在理由を合理的に説明するなど、現在の先端理論に導く考え方を持っている。さすがに物理理論家のなか随一の哲学者湯川である、その眼力は日本の英知と云える物だ。彼の基礎的教養には漢学が有り、祖父から仕込まれた東洋哲学が有りそうだ。彼のコトバ、(真理は必ず少数派から始まる)は、永遠の事実を言い表している。如何なる思想や哲学も同様だろう。

*- クライン・カルツアー論 「これもEinsteinの相対論に触発されたもので、三次元から、もう一つの次元を導入した、四次元を想定し、重力と電磁気力の統一的記述を目的としている。このアイデアは、最初にドイツ数学者テオドール・カルツアーによって考案され、スェーデンの物理学者オスカー・クラインが改良して発表した論です。この理論の魅力は、新たに次元を導入することで、異なった力や現象を統一的に考察する見方が出来る事ですが、辻褄を合わせる為に、余りにも高次元を導入しても、誰も信じないだろう。この考え方は、すごく好い自然像を解釈を齎してくれるので、今後も形を変えて生き残って行く基本的な考え方の一つだろうと思う。ある意味では、ヒモも理論は、この論の考え方を形を変えて生き返らせた物だ」。

* - 坂田模型・クオーク論 「日本では戦前の物理学は、独創的な人物の殆んどが京都帝国大学の卒業者で占められた。なぜ、その様に成ったかの原因と理由は、重要で有るにも拘らず、殆んど誰も話題にもしなかった。この理由は誰も知らないが、本来東京帝大は役人官僚養成の学校で、物事を研究する学校ではなかった。研究の大学は、京都と東北であり、その後の大阪と名古屋であった。明治の大学は、第一に政府機関の役人を養成するものであり、研究は二の次である。京都は幾分、官僚大学と云うよりは、研究大学に近い。その京都で、卒業生で3名の名が挙げられるのが恒例である。湯川秀樹と朝永振一郎と坂田昌一である。このうち二人はNobel賞が授与されたが、坂田はその複合模型への貢献で、当然、資格が有るにも拘らず受賞しなかった。1969年の賞は、USAのマレー・ゲルマンに授与されたが、ゲルマンのクオーク論やハ道説の元に成った物は、坂田の「複合模型論」で、あったことを思えば、その評価は客観的に不当な物であった。ノーベル賞委員会への坂田の推薦者であった湯川は、1969年度の受賞者を決定したNobel委員会に坂田を選ばなかった事への抗議の手紙を書いて居る。やはり、此処には今でも存在する人種偏見が在ったのだと云われても言い訳が出来ないだろう。それに、坂田は1969年の時点で胃ガンに罹っており、1970年に59歳で亡くなった。今で考えれば、1968~1972は、若い人は実感としては知らないだろうが、日本では70年安保反対という学生運動を、その虚構に上手く踊らされた学生の、破壊暴力運動が吹き荒れた時代であった。扇動者以外の、当の学生達は、中学時代からの永い負荷の加わった受験戦争の後の解放感として、いわば流行(モード)としてゲバ棒を振るって居たのであって、何ら歴史的な意味での認識も、又社会的現実も知っていた訳では無かった。

そこには、日本人としての何の矜持も深い哲学も無く、彼ら学生は典型的な歴史の事実に関しては、社会経験の丸で無い、無責任な単なる流行モードに反応した無知で愚かな集団であった。誠実な坂田は、この運動の混乱に、最も心を痛めた一人であったから、その心労から胃ガンが進行する危険があった。59歳の短命は、次の機会に受賞する事ができなかった。然し、坂田のNobel賞は弟子達に回った。この3人の中で、坂田は指導者として、最も多くの優秀な弟子を育てた。この点、他の2人は坂田には敵わないだろう。それは坂田の人的な魅力も去ること乍ら、ゼミでの活発で自由な討論を信条とする、その方法論も重要視されて然るべきだ。数多くの、歴史に名を残す弟子の中でも、大貫義郎を筆頭とするその最優秀の弟子達てある、坂田模型(最初のクオーク理論)に、世界で初めて群論を使いモデルを説明した大貫は、何度もノーベル賞の候補に選ばれており師匠の坂田昌一よりも先にノーベル賞を貰う立場に居た。名古屋大學の理論物理科には、大貫義郎の学生であった、小林・益川も居た。坂田の複合模型は、素粒子の生成構造を分析し、当時の世界をリードする最先端の結論を導いた。この時期、名古屋大学は世界の素粒子論の最高峰だったのだ。戦前の二中間子論も面白い。坂田があと十年長生きしたら、彼は恐らくNobelprizeを受賞しただろうし、もっと多くの真に優秀な弟子を育てた事だろう。尤も、物理学という学問は、Nobel賞を貰う為に遣っている訳では無い。自然の究極の物質の在り方を知りたいという好奇心の為に探究して居るのであって、それは、我々自身の存在の意味に関する、自然認識の根源の探究なのである。

また坂田の核子に内部構造があると云う前提で導入された、適切な言葉である「構成子」という名称は、アメリカのゲルマンに依って、ジョイスの言葉遊びの真似をして、ワタリガラスの鳴き声だと云う(クオーク)という鳴き声を命名されてしまい、全く物理的意味を持たぬ、意味のない言葉遊びの名前を付けられた。本来の内部構造を象徴する「構成子」という、適切な言葉に変換され無かった為に、核子の量子力学は、意味のない名称で、考え方に混乱を来たしたと思う。人は物事を理解知る為には、適切で深い概念が必要であるが、馬鹿げたアメリカナイズのコトバが氾濫して変な事に成って居るのが現状です。大体、アップもダウンもトップ(ハダカ)も、意味のない出鱈目な名称だ。こんな馬鹿げた名称は返上したい。坂田は、核子には、内部構造が有り、それを構成子と呼んだ。当時、核子には内部構造が無いと思われていた時代に、明らかに坂田は自分の哲学を元にして、核子の内部構造を予言している。彼の哲学では物質は、どこまで行っても究極の存在は無く、すべては入れ子の状態になるという。彼は自然の構造は広い意味で行き止まりの構造は無いと考えた。もしかすると構成子は物質では無いのかも知れない。それは力とは異なる新しい概念なのかも知れない。

*ー ブートストラップ論ー「素粒子の分類に頭を悩ませていた当時の
状況は、此れも面白い論を創った。HeisenbergのS行列論を下敷きに、J・チューという人が考えたのは、広い意味での一種のひも論である。」ジェフリー・チューの哲学は深く知らない。彼の素粒子分類のアイデアは非常に面白いと思う。


*ー超対称性重力論 「宇宙創成後の、力の出現とその分化を研究し、重力が再び分化して極微の力を形作った。と云うアイデアの下に形成されたが超重力の構想である。我々の次元である空間+時間の4次元よりも、多くの次元の導入を要請するために、その理論の検証は、あとで書く、弦理論、超弦論と同様に、一種の夢物語の感が、無きにしも非ずの論である。然し、超重力は一種の統一論としては、まさの正鵠を得ている。あらゆる力の源は重力であるとするなられば、その分化の現象の原理こそ、理論的に探求されるべきものだからである。極微の静止点よりこの宇宙が出現したとするなら、そこにはすべての存在の原型が宿っていたとして何の不思議が有ろうか。」

*- 標準論 「現在までの諸データからでた、妥当な見解である。そこには量子色力学、ワインバーグサラム論、ヒッグス機構、など、既に承認され確立された理論体系が並んでいる。だが、この標準理論が一部では破綻している。それはこの理論が予想する陽子崩壊が指定された時間内に起きて居ない事だ。カミオカンデの100万トンの純水槽で、感度の鋭い光電子管を使い、実験屋が日夜、不眠不休で調べているにも係わらず、陽子の崩壊は検出されていない。と云う事は、検出器がダメなのか?理論がダメなのか?、の何れかである。やるべきことは二つある。一つはカミオカンデの純水槽を、いまの千倍にする事だ、そして光電管の感度を高め、数をもっと増やすこと。もう一方の問題である理論の方は、現実に即していないのだから改良する事だ。改良と謂っても、そう簡単には出来ないだろう。やるとすれば、理論の出だしの、また出だしの基礎から始めな無ければ駄目だろうし、陽子崩壊は、有ると考えた方が合理的だが、その生成単位エネルギー設定が想像していたよりも、もっと大きいオーダーなのだろう。おそらく理論の前提の何処かに問題が有ったと想う。それを検証し直す事が大切に成る。もしも、陽子が崩壊しないのならば、これは宇宙論が変ってくるし、ガモフの言う単純なビックバン論の歴史が変更してくる。始まりと云う物の意味が変ってくるのだ。

それは、ビックバンで極微の無から、或る時この宇宙は創生された、それ以前の物質的存在は無い、元素創生の過程は、何もない所から有が創生されたと言う宇宙開闢論が破綻してくるからだ。だが、存在の基本的な対象である陽子が、自ら崩壊しない上に寿命が無いのならば、サイクリック宇宙が、是までに何回かの回帰性を持つとすると、つまりすでに開始の無の時点で陽子は残っていなければ成らない。これは一つの矛盾ではなかろうか。ビックバン宇宙論には、どうも何らかの根本的な疑念がある。ガモフのビックバン論(宇宙開闢の大爆発理論)には、どこか疑念がある。宇宙はそんなに単純なのだろうか?

*ー 弦理論・超弦理論ー あらゆる謎を解明し、あらゆる問いに答え得る、唯一の理論だ!という触れ込みである。確かに力の起源、質量の起源、現実の質量の決定は、魅力的である。だが、此処には森羅万象を余りにも単純化する弊害に陥ってはいないか?。宇宙・自然界は、一神教のような教義で括ることは本来できないとわたしは思うのだ。然も、実験的な基礎、背景を一切持たないのだから(超弦の理論想定energyレベルが高すぎて実験できないという言い訳だが)、此れって、一神教の皮をかぶった神学ではないか?と勘ぐってしまう。此処には有り体に言えば一神教の匂いがぷんぷんしている。この、「ひもの理論には、奇妙だが面白い歴史がある。このひものアイデアには、元々セルンで提唱された。セルンの実験から得たデータを統一的に考察する段階で、それこそ何十とある共鳴状態のデータを理論的に説明する為に導入されたものだ。共鳴状態の粒子を並べてみると、この並びが不思議なことに、大昔につまり18世紀の中頃ことスイス生まれの数学者であるレオンハルト・オイラーが研究した論文に記載されたβ関数の数式を適用すると、その実験結果が上手く説明できる事を、当時のセルンの所員であったベネチアーノや鈴木真彦たちが発見したことに因る。その式が表している事は、一次元のひもが振動していると解釈すると、雑多な共鳴状態の存在分布が上手く説明される。この様なアイデアは、南部陽一郎や木庭二郎のデンマークでの弟子であるハンス・ホルガー・ニールセンなどの複数人物に依って提唱された。木庭は日本を出て色々と外国を回り、デンマークのコペンハーゲンのボーア研究所に落ち着いた。ニールセンは、そこでの弟子である。木庭は大東亜戦争中に朝永振一郎の「繰込み理論」の完成に、計算上の貢献をして居るが、驚いた事にコペンハーゲンで今時珍しい疾患であるコレラで亡くなっている。また木庭二郎は、有名な文芸評論家である中村光夫(木庭一郎)の弟である。木庭家は文学にも理学にも秀でた家系らしい。

南部陽一郎と後藤鉄男らは、このハドロンの生成を説明しょうとしてヒモの存在条件を研究して式を作った。然し、結果的に、このヒモの理論はハドロンの段階では、残念ながら極めて高次元に成って仕舞い、結果的に上手く行かなかった。それで、紐のアイデアは捨てられたかに見えた。だが、素敵なアイデアは、カルツアー・クライン理論のように、必ず復活する可能性を持つものである。根気強く紐の理論の可能性を模索していた、USAのJ・シュワルツとイギリスのM・グリーンは、この紐の考えを導入すると、従来の量子力学の無限大の困難を乗り越える事が出来ることを1985年に発見した。これが機運となってヒモの理論は再び復活した。ハドロンのもう一つ下の段階で、この論は、その有効性の息を吹き返す事になった。古いハドロンの弦理論は、更に高次元を導入する事で超対称性弦理論になり、再び可能性を持ちだしたが、この先端の考え方は何かと数学的に難しく、現状の数学の段階では、この考えを有効に展開するのは困難かも知れない。更にもっと数学の方法論の深化と、拡大が必要であり、現象を導くための更なる数学が必要なのだろう。超弦のアイデア的には、他にない興味深いものがあるにも係わらず、数学的な困難が理論をうまく展開できない事にある。

しかも具体的な物理的事実を何ら導き出せないのであるから、超弦理論は「高級な玩具に過ぎない」という批判を被る事が多い。口の悪い連中は西欧中世の宗教論争が盛んであった時代の、空想的神学論の空虚なモデルであると酷評さえする。一つのヒモの振動状態から、幾つもの素粒子が出現するというアイデアは大変魅力的なもので、うまく育てると、この先の宇宙理解に根本的な貢献を果たす可能性もあるが、今のところは実験でも理論でも、少し行き詰まりの感がある。まあ、究極の理論と言う大風呂敷の割には、何も具体的事実を予言できな理論は少し肩身が狭いのでは無かろうか?。この様な高エネルギーレベルでの実験は、最早地上のエネルギーレベルでは不可能なほどであり、地球上で再現するのは無理なのでは?というのが現状だ。銀河系宇宙の衝突などの宇宙物理の中でなら、この様な高エネルギーレベルは見出せるかも知れない。ゆえに宇宙の巨大現象に求めるのも一つの手立てかも知れないし、それ以外に無いだろう。数学理論的には整合性のとれた美しい思想であるが、この先超弦理論はもう一度進化する必要がありそうだ。

*- サイクリック宇宙論 サイクリック宇宙論には、不思議な共感が有る、古代日本人の世界観では、大自然は円環的だからであり、地球表面に生息している生物も円環のサイクルに従っているからだ。我々は死んで、その肉体と骨は、地上に残され、地l表の生物の餌に成るし、食べ残した物は、微生物が食べて、つぎの生物の食べ物となる。その食物の円環構造が自然という物の正体である。宇宙の円環構造を、我々の意識は、これを確認するほど長くは保てない。もしも、あと100億年の後に、或る自覚的意識体が、宇宙の円環構造を理解、確認したとき、これと同じ事の正否を、百億年の昔、別な生命体の意識が、同じことを考えて居たという事を、果たして想像してくれるだろうか?。 古代の神道にも太陽の帰還「古代インドの輪廻思想が現在に復活したような印象を与える。多くの古代思想は、自然についての円環構造を想像している。 これは宇宙論であるが、密接に極微の世界、つまりプランクの長さの世界と深く関連している。弦の存在で宇宙の初めが理解されると、宇宙の終わりも、その結論である理論から理解される。宇宙はまるでプラーマのように息をして居るのだ。ある0点から突然始まった膨張宇宙は、そして膨らんだ後に、宇宙はいつか収縮に転じる。この期間は、どの位の時間なのか??、命は、その中では光の如き素早い一瞬の間だ。古代の人類も、宇宙の行く末と過去に思いめぐらしたが、その答えをこのサイクリック宇宙論が答えてくれるのか??、大いなる夢と深淵を考察する、好い機会であろう。太陽に下に新しきものは無いのかも知れない。我々は消滅するが、この宇宙に同化すると思えば、それも良いのではなかろうか。この宇宙は拡大だけでは無く、物質の凝集的な力で収縮に転じる。何度の拡大収縮がなされたのだろう?。すべての物事は初めに帰ると云う円環の思想である。然しただ帰ったのでは、何ら創造性は無い。人間の理知では、もう解き得ない問題だ。我々は、自然の創り出した子供である事を、再び確認する確かな機会であろう。」

* ダークマター論 「この論は宇宙の観測から得られた事実の基づき提唱された論で、観測によると宇宙が始まって以来、急激な膨張を経て、現在の宇宙はその膨張速度を減少させていると目されてきたが、観測による結果は、むしろ膨張速度は増大しているらしい。その理由は見かけにも係らず、計算された物質質量が、いま見えている量よりもはるかに多い事実を指示しているからだ。ではその見えない質量はどこに有るのだろう??これがダークマター論の根拠である。勿論のことだが人間の眼は400~700ヘルツの電磁波しか見ることは出来ない。人間の眼や耳は、謂わば限定された機能なのである。我々は見えると云う事だけで物事の答えを知ったと思う事は傲慢であり、無知であるにすぎない。いずれダークマターは問い詰められ解明されるに違いない。人間の世界認識は、まだまだ赤子の段階に過ぎない。我々は、自分の人生でさえ、好く分ってはいないのだから。生態系には深い謎がひしめいて居る。人間の感覚器官である眼と耳に付いてさえ、好く分らない事が多い。例えば眼であり、眼は太陽の光に反応して形成された感覚器官であることは、おそらく確実な原因だろうが、人間(霊長類の)の眼は、太陽光の最も強い一般的な波長部分に対応して形成されたと云う想像が出来るが、では、太陽の下で生きて居る他の生物はどうなのか?活動時間を夜に置いて居る動物は眼の受光能力は異なる筈だが、これは生物の生息領域に適応した結果なのだろう。

感覚器官の発生は生物の環境適応に極めて重大な事件で有った。これは相当の古代にまで起源を求めなかればならない。魚の段階ではもう感覚器が有る。ミミズの段階でも聴覚と視覚に関する原初的な能力を持って居る。存在した生物の中で動物と植物に分かれる以前にすでに能力は持って居たものと思われる。視覚と聴覚の何れが先か?という議論もあるが、それは物事の本質を洞察して居ない議論だ。感覚系は一度の作られた。生命体を囲む外界のデータを取り込むためであり、代表的な五感を超える物も有った。個体の交信には空気の波動を使った言葉の様なものだけでは無かった可能性もある。テレパシーの様な云わば際物の様な物だが、それは既に一般人間には無くした感覚である。ダークマターとは空間の裏に隠れたマイナスの質量か?未だに問題は曖昧模糊としている。

*-量子力学に於ける観測の問題。ー 心という空間と実在宇宙空間、及び、幽霊波と意識

中世の一神教や神道が盛んな時代には、霊はこの空間に満ち満ちていたと信じられていた。だが20世紀の自然科学は、それらを意とも簡単に否定したかに見えたが、中世の云わば迷信は、或る意味で姿を変えて、未だに問題を起している様に見える。然し、其れはそれで此の分野は、EPR相関や不確定性原理、また隠れた変数の存在に関する、ベルの不等式にも関係する分野でもある。21世紀に入って、俄然現実味を帯びた「量子コンピュター」の実現の根拠となった基本原理なのである。特殊相対論は、光の速さを越える速度を否定する。それが現代物理学の基礎土台となっている。もう一つは、エネルギー保存の法則である。もしも是が破れてしまうと、其処に立つ建物の基盤が崩壊し、当然の事乍ら、現代物理理論の根拠が消えてしまう事に成る。Einsteinは、物事の根底に認識の決定論を信奉していた為に、量子力学が何らかの欠陥の為に確率的解釈を余儀なくされていると信じていた。どうしても確率的な未決の現象を自分の物理の中に導入できなかった。一つの電子が、宇宙の端と端に分けられていたとするならば、量子相関は、この電子の片割れに何かが起きたとすれば、直ちに一瞬を置かず宇宙の果ての、もう一方のの電子に、その事態は伝わる。と言う現象に付いて考えた。それが謂わば簡単に云えば、EPRパラドクスである。この問題は、初めは空虚な言い掛かりの如く、多くに人には感じられたが、約百年後、この言い掛かりは不気味なほどの現実味を持って、我々の前に立ちはだかって居る。では光速でも数兆年が掛る果てに、一瞬でその情報は届くのか?、この仕掛けが、量子コンピュターの根拠であり、それは「量子コンピュター」の基本アルゴリズムが決定された時点で、時間は掛かるが、それは現実味を帯び出した。その速度は従来の電子交換のコンピュターの速度を遥かに凌駕する、謂わば異次元の速度となるだろう。

この20年ほど、物理の理論は少し行き詰まりを感じている。現在の主要な物の一つである弦理論は数学的に行き詰まりを見せているのは、現在ある数学的な方法論に限界があるからだが、もっと新しい分野が開発されてその方法論を適応できれば問題の進展を見るだろう。新分野を開発するには最初は素朴で好いから最初のアイデアの一歩が肝心なのである。例えば確率論の分野を位相幾何学と融合させて拡張するなど。数学もそうだが、特に物理学は空間的なイメージが理論の進展を推進する力となる。イメージが涌かなければ理解もそうだが理論の進展はあまり期待できないからだ。

むしろ、是から可能性のある分野は、元に帰っての天文学である。天文学は人間が文明化の道で見出した最古の学問のひとつで、人間の文明と共に進展してきた自然認識の基礎である。謂わば人間の法則性への覚醒は天文学に始まるのである。ところが蒸気機関を持った産業革命を経て、熱力学、エントロピーから統計物理学がうまれ、光の速度の計測から相対論がうまれた。溶鉱炉をイメージする黒体輻射の検討から量子論が生まれた。すべては天空よりは手元に在る素材から現代物理学の本体が構成されている。現在の流行りである素粒子論は、クオークから紐の力学に移って、其れなりの歳月が過ぎた。現在では究極の粒子というよりは、あらゆる粒子的現象は、最小の一次元の紐か、進化した二次元の膜で現されるとされている。抽象化とはかくの如き物か?。その様に極微の世界の基本的構成を追求した為に、現在は超弦理論が主流を占めている。工学的物理学が勃興し天空の事象は蔑ろに成り忘れられていた。

Isaac・Newtonの力の物理学が天文学の現象を基礎としている事は中学生でも知って居るのであるが、元々は我々も我々を取り巻く世界も、宇宙という世界体の一部であり、それを統括するのは天文学である。天文学は星を眺め、星座を定め、昔の人は天が回る想像し考えた。天文家は宇宙に浮かぶ星雲を別な世界と考えたが、我々の存在する銀河系宇宙も同様の形をしていると想像したが、それは正しかった。最近は天文学が復活し、盛んに観測装置と観測機が宇宙に置かれて、驚異的な事実を人間に齎している。現在の時点では観測が一番の仕事である。物事を知る為には、観測的事実は何よりも重要な判断材料であるからで、宇宙の始まりとか、物質の始まりとか、そういう根源的な問題は、未だ手の届かないところに在る。ハッブルの宇宙膨張説を基に、膨張の過去としてジョージ・ガモフが単純化して想像したある、無限の小領域からの宇宙の始まりである「ビックバン論」は訂正の余地が多くある。宇宙は必ずしもそのような一点から出発したとも思えない。

 

物理と数学の法則の違いはどこに在るか?

これはこの違いを根本的な問題としてとらえる人は多い。物理学の法則は宇宙の創成以来の諸現象を説明するための法則であり、それは飽く迄も自然の諸関係から形成された現象に関する認識の極致としての法則である。で、在るからして物理学の法則は全く異なった環境に関しては、法則は法則では無くなる可能性がある。物理は名の通り物の理である、むかしは窮理といった。窮理学とは現代の物理学をいう。理を窮める学問でそれは外部世界を窮めることです。外部世界という物は人体も脳神経系も含まれるし星雲も宇宙もふくまれる、それは思念の外部に存在しているのに対して、数学は内的世界、つまり精神世界に対応する。等値という概念についてためしてみる。

およそ理解の本質というものは、対象間の認識を等値というもの導くことにある。それは勿論外的世界の認識に応用される事もあるが、本質的には思念の内の問題である。数学の指導理念の本質はこのような思念内の論理性に在った。ギリシャ以来より定理には必ず正しい証明が成されなければ、その言明は幾ら正しそうに見えても定理とは呼べない。物理学は現象を説明できればそれは法則として成り立つが、数学では外的現象というものが得にくい為に、まあエジプトに始まる平面幾何学ではそうとも言えないが主には思念の内での等値を導くための論理が用いられる。特に異なるのは物理では根本的なものである実験というものが数学では必要ないという事であるが、最近の電子計算機の発達で定理の検証を行えるという事態にまで発展しているので、これから先はどういう展開になるかわからない。

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