この著作は,、聴覚の機能を通じて人間の脳の先鋭的探求者である角田忠信博士の最終著作です。角田博士は長年に亘り、「聴覚」の研究を通じて、多くの著作と論考を書かれています。それにしても凄いのは、その御研究は人間の「聴覚」と云う、基本的な感覚器に関連した物であり、其処から幾つかの驚くべき推論と理論を発表為さって来ました。現在、この研究の奥行きは未だ見えぬほど深く且つ広い物であることが窺がわれます。
聴覚は、人が社会的に人として生きる上で殆ど不可欠の能力です。若しもこの能力が欠けて仕舞ったとするならば、ヒトとヒトとは視覚を使った手話など以外に交信することが出来ません。角田氏の研究の一歩は、生まれながらの聴覚障害児の社会復帰をどう支援するか?、という課題だったそうです。親は子供が生まれる時に五体満足か?と心配します。生来「眼」と「耳」に、障害を負って来た子供は、社会生活をする上で、最大の負荷となります。眼が見えないと云う事は、人間社会で普通に生活をするには、子供の時代は衣食住万汎に亘り、両親かその他の支援して呉れる誰かに、補助をして頂く必要が在ります。それは実に大変なことです。
成人してから「視力」を失う事は、もの凄いハンディキャップですが、生れながらに眼が見えない場合はどうなのでしょう?。誤解されると困るのですが、「目」と「耳」の障害の内どちらが依り重大なのでしょうか?。勿論、どちらも最重要な機能には違いないのですが、そしてどちらも社会生活に必要な「コトバ」と「文字」の能力に関連しています。改めて言いますが、生まれ乍らに耳が聴こえないという事は母語の獲得が出来ないという事です。コトバを話す能力が、子供に在ったとしても子供は日本語としても音声を学ぶことが出来ない。これは社会生活を営む上で最大の障害です。コトバを話せないとしたら、社会生活は支障を来す。
眼の機能は外部世界を見る事ですが、それは聴覚に依る音声と、視覚に依る文字を重ね合わせて子供は耳と眼で言葉を習得します。この、二つの機能を脳の中に統合して、人間らしい世界が開けます。特に聴力の喪失は、交信手段と思考手段と表現手段という言語の機能的な能力の基礎として根本的で重大なものです。永年、この難聴児の訓練と社会復帰を目指して働いてきた氏は、種々の曲折の内に、「聴覚が」人脳にどの影響力を与えているか?という研究に進みます。工夫を凝らして聴覚の独創的な方法論である「角田法」を創り上げ、左・右の脳の本質機能を聴覚を通じて突き止めて行く。そして最終的には「日本語の特別性」に到達する。
ヒトに限らず生物の形態変化や脳神経系は、始まりから終わりまで、地球という大自然の環境の下で形成されたものである。と同時に、更に言えば太陽系という言う、広大で莫大な宇宙空間を背景として、太陽系という一つの惑星系の中で育って来た物です。その取巻く世界の重力に因る運航とリズム、その土台の重要さを知らなければ、生物や人間の脳の本質などは何にも分からないだろう。我々のすべての能力は結果的に大自然が作り上げたモノなのです。その点を見落としては、何の本質的な認識には至らないだろう。その後、角田さんは難聴の子供たちの治療と聴覚研究に進む。
ヒトが言語を獲得する過程で基本的なものは、人が生まれ所属する言語集団のコトバです。それを母語と云います。この「母語は」一個に人間の一生に決定的な影響をもたらします。世の中には、いわゆる言語の天才という人達がいるのですが、一人で10ヶ国語20ヶ国語に通じる人たちである。然し、その人たちに於いても「母語は」一つなのです。つまり、何十ヶ国語を、読み、書き、話せても、その人の思考展開の「母語は」一つなのだという事です。そして一人の人間の一生を通じて、「母語か」形成される時期は定められている。この事はとても大切なことを言っている。子供が母語を習得するこの時期は、人生で決定的に重要な時期である。子供時代に言葉を収得するということは、単に文法と音韻を収得することではない。重要な事は人間の脳の機能に、角田さんの謂われる、脳内スイッチの形成と作動に足った一度の刻印が押される時期という事です。「日本語は」母音を基本として形成された特異性が目立つ言語です。
ヒトはコトバを習得する過程で、コトバの持つ文化的な世界観・価値観を同時に収得する。日本語に形勢は未だに謎が多い。世界中のどんな言語とも日本語は似ていない、共通性が無い。明治以降、言語学者は日本語の起源を求めて、様々な試案を試みた。特に戦後は、世に名高い言語学者は様様の試案を提出しました。金田一京助、服部四郎、時枝誠記、大野晋、安田徳太郎、日本語の起源を求めて外国語を猟歩した者は多い、だが、チベット語も朝鮮語もタミル語その他も、本質的に文法・語彙とも日本語とは異なっていた。語彙には似た音がどんな言語にもある。人が口で話す以上発音できる音声には限りがあり無限ではない訳です。当然似た音声の語彙は在ります。
それが言語間の共通性に成るか?と言えば、それは乱暴なこじ付けでしかない。大野晋氏のご本に依れば、確かにタミル語の語彙には幾つもの似たものが在る。それは昔に安田徳太郎氏がチベット語(レプチャ語)と日本語の関連性に言及された時もそうでした。結論的に言えば、日本語の起源を外国の言語系から探し出すのは、諦めた方が好いとおもいます。多重言語説などもありますが、それに於いても、現在の日本語の特徴である母音構造を十分に説明するものではありません。それよりも、日本語は日本列島で旧石器時代人から話継がれているコトバだという自然な認識に従った方が正解のような気がします。
更に、日本語の系統以外にも、コトバには人間の精神に影響をもたらす現象もあります。日本語の音韻体系とともに、コトバの意味論には人間のこころの構造を思わせるまだ解明されていない莫大な領域が存在する。それは角田忠信先生が指摘される、人間の言語機能と共に人間の脳神経網には、惑星との深い共振までが記録されていて、現在の流行りの分野である、フラクタルやカオスの現象とともに、自然の周期に共振する生命体の挙動が記録されるという。
私はここで現代の自然科学の発展以前の、その母体となった「太占」「易」や「占星術」を詳しく言いたい訳では無い、ただ、力学的世界観が確立されて居なかった17世紀の天文学者たち、とりわけヨハネス・ケプラーを始めとした人々に言及したい。自然認識の歴史的経緯から推測すると、数学と天文学、工作技術は、近代科学の土台になっていて、力学的世界観は天体の観測を合理的に理解するための試論的天文学から成長してきた芽です。ケプラーが言うようには、わたしは直接的に星辰の動きが、一個の人間の運命を完全に決定するとは思わないが、しかし、完全な無関係とは謂えないだろうと感じている。ケプラーは徹底した計算屋だったので、惑星の運動を完璧に理論的に後付けしょうとしてゐた。それは彼が数学者であったから、正しいと信じている占星術をして、個人の人生の運命の枝葉末節まで決定出来るとする信念を持って計算した。彼はヒトの運命を、その生まれた時の星の位置、誕生の何時何分何秒まで拘ることに成る。
易も占星術を妄想だとする現代人には、凡そ得心の行かない信念である。生命体は、その誕生から星と星座につながり、更には莫大な宇宙とつながっているのかも知れない。生命体も宇宙の一部分に違いない事を思えば、「太占」「易」「占星術」は、新たな衣装をもって復活する可能性が在るのだろうと予想する。数学、天文学、宇宙、易、占星術、コトバ、物理学、そして「我々のこころ」と言う対象は、互いにつながっているのだと想像する。
⁑ここで「日本語人という極めて奥の深い、難解な書物が言及している結論をまとめてみたい。
*角田先生の最大の発見は、脳が宇宙の詳細なデータを感知するセンサーである。という発見です。このことは宇宙と人間が重力ないし電磁波的信号で情報的につながっており、命と星々は一体のものである事を示している。
* これは古代の智慧である占いと関連している。古代人はヒトの一生の運命は星に刻まれていると信じていた。現代人は自分の人生は星とは無関係である、と教育制度から無批判に信じている。此処には外部世界と内部世界が密接につながっていた古代と、外部世界と内部世界は無関係であるとする現代の根本的な世界観の違いである。
* これはどちらも真実からは外れていると私は感じて仕舞う。生命体は地球という太陽系第三惑星上に発生した化学的な負のエントロピーを持ち、化学代謝を持つ不思議な物で在る。、当然の事ながらその母体である地球と無関係ということは有り得ないし、またすべてが地球に支配されるとも思えない。
* 日本語は世界最古の言語であるだけでなく、日本語ほど古い言葉は存在しない、世界の古い言葉は滅びた。最も根源的な、こころを現わすコトバとして残っているのは奇跡的なことであろう。日本語の特徴は歌である。古代からこころに感得したものを歌として表現することを行って来た根源的なコトバである。謂わば日本語は最も古い原始的なことばである。現代の音票表記は漢字に基づいているが、本来の文字は音標文字としていわゆる神代文字として伝えられた。神代文字はいろは48音に対応する記号が指定されている。この神代文字が一般には伝わらなかったのには、古代のどこかで焚書があったのであろう。文明に取って文字を変えるという事は、好い面と危険な面が併存する。日本人は、漢字を導入する事で表記に象形文字を取り入れたが、古代の記録が永い期間に読めなくなった。記録が焚書されたことは文化にとってダメージが大きい。
* 「角田法」の更なる拡張を研究者は目指すべきでしょう。脳の機能の内、言語を駆使する部分と思考法は奇妙に同期している。日本語は母音を言葉の発音の特徴とする。母音は音の変化が狭い、それ故に同音異語が多く存在する。ゆえに擬音語が数多い。子音が主体の西洋語とは根本からして異なっている。日本人のルーツ起源と日本語はいつごろ生れたのか?、この問いは未だに結論が出ていない謎です。我々日本人のコトバはその脳機能の作用と共に外国人とは異なっている。日本人を特徴付けるのは、その言葉である日本語です。一個の人間が母語を獲得する12歳までの言語環境がその特有の脳を創り上げる。その理論と機能の詳細は再認識されるべき重要事項です。
最後に角田理論の結論を要約すると次の様に成るかと思う。
*ー コトバは文化・文明の背骨であり、それはすべての全般に影響を及ぼす。
*ー コトバは音声の面もあるが、= 音、ではない。
*ー 動物の脳は、宇宙星辰のセンサーでもあり地球の時刻と同期するセンサーだ。
*ー 地球の歪は、脳に由って感知される。
*ー 日本語は自然言語として成立した特別な言語である。
*ー 空海の言う言霊は、日本語の特質である。
*ー 日本語は平和的な互恵のことばである。
*ー 神道は、日本語より励起されたものである。
大まかに言えば、その様な結論に成るようです。この他にもあるでしょうが。