井頭山人のgooブログ

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なぜ日本人は謀略に弱いのか。

2024年01月28日 10時46分14秒 | 電子計算機の未来

 ある知人と話してゐて、日本人はなぜプロパガンダ(嘘情報)とか、陥れようとする謀略に弱いのか?と云う話になった。確かにそうだねと答えたが、其れには歴史に起因する色々な理由があるのではないだろうか。日本人は此処2万年以来ユーラシア大陸から隔たった東の果ての列島に在り、有史以来、海外からの武力介入は二度しかない。それも占領された事は一度しかない。旧石器時代の12万年以来、新石器時代から二万年を超える縄文時代を経て歴史時代に入る。その間、原日本人は人種的に変わることがなく現在に至っいる。考古学のデータは約八千年前の三内丸山遺跡と宇都宮にある根古屋台遺跡と共に、縄文時代の面影を今に残している。歴史時代が始まり、ホツマツタヱ(真秀伝)に由れば、天照の皇子とは男神であり、その優れた人格は日本人の誉れであったという。日本の紀元前三千年以来の真実の歴史が書き記されている。古事記以前のもっと優れた表現の下にホツマツタヱはある。歴史時代に入り、神武天皇以来の日本の歴史が書き残された。日本書紀である。日本書紀にはその原型が在ったと謂われており、日本書紀が書き記された時代の都合の悪い事は、本来の歴史から除かれた。だがホツマツタヱには真実の事実が書き残されており、その研究が従来の記紀の脚色を改めさせるであろう。歴史時代は奈良から平安に移り、そして鎌倉に移った。鎌倉政権は或る意味で立派な政権で会ったと思う。北条泰時は御成敗式目51条を制定し、その法令は世界史的に見て(男女同権を含み)人類の時代を超えて居る。なぜ51条か?というと、聖徳太子の17条の憲法の3倍を目安にしたからだ。北条氏が執権を司ったがこれは元寇で日本の国難を救ったと言える。若しも、貴族政権が続いてゐたら、日本は元に征服されて居たかも知れない。そうすると日本の歴史はそこで消滅する。何よりも武家政権が日本文明を救った。北条時宗は当時弱冠19歳であったが、元寇の危機を打ちのめし日本をすくった。元(モンゴル人の政権)はその後日本遠征の失敗から滅び、そして明が現れた。時宗は其の心労から若くして没した。策略家であった後鳥羽院は鎌倉幕府を追い詰めて、天皇親政に戻そうとしたが、それは時代に逆行するものであった為に潰えた。然し、次の後白河院は再び親政を夢見て倒幕の詔勅を出し、鎌倉幕府を追い詰めた。鎌倉の政権は崩壊し北条氏はついに政権から退き、足利氏が次の政権を担った。だが、足利氏の国内の統治者が駄目で乱れた百年間の戦国時代があったが、結果的に足利尊氏よりも、多分弟の直義の方が室町の政権は安定したであろう。列島に生きる日本人は、真の意味では平和だった。大陸の悲惨さを我々は余り知らない。日本の国民性は嘘をつかず、他人を意見を無条件で信用することにある。もちろん、多数の国民の中には少数の嘘つきも居ますが、概ね日本人は人を信用するし嘘はつかない。それは日本の諸条件が作用して嘘をつく必要性が無かったためでしょう。ところが徳川の末期に、Perryの戦艦蒸気船での恫喝外交以降に、倒幕佐幕をへて明治を迎え悪党の割拠する世界に足を踏み入れた。

ここで日本のintelligenceは、何とも見劣りしているのは理解できる。外交に対するに性善説と誠意一辺倒では、まず通じないのが外国との付き合いなのです。intelligenceを身に付けた人物が当時は皆無に近かった。これでは個々の戦闘で勝った所で戦争戦略では負けます。日清・日露と戦争をした。これは日本の意志ではなく英米の金融資本寡頭勢力から遣らされたということでしょう。ロシアに金を貸し付けアラスカ・シベリアを占領し延いては朝鮮と日本を占領する目的を使嗾した。それが隠れた事実です。当時アジアには日本以外に真の独立国は無く、インドもシナも猶太金融寡頭勢力(イギリスは猶太に既に占領されている)の植民地としてプロパガンダではなく本当の意味で虐げられていた。で、日本人一般の性質として嘘の宣伝を容易に信じ込み、簡単に謀略に支配されるという弱みがあります。それは恥でも何でもない、それは民族性が純粋で人を欺くと云う事が無いからです。オレオレ詐欺に多くの人が騙されるのも、無条件にヒトを信用する性善説が国民の中に生きてゐるからです。何と素晴らしい国ではないか、世界を指導するのはこのような性善説の国民で無くて誰が導くことが出来ようか?

現在ではテレビという物が洗脳装置である事を大多数の人は知らないし、考えた事も無いことでしょう。此処にもテレビを信用する国民の性質が現れている。ただの通常の事は流すが一般国民に知られては困る事実は決して放送しない。これでは国民は操られる一方でしょう。私たちの生活はビック・テック(Google・Amazon・Facebook・Xは、経営者が変った為に少し民衆選りに成った)やテレビを使い国民を誘導や洗脳に使う輩が居る訳です。我々国民は疑問さえ持たずテレビを観ることで、報道を支配する者の意図に従っています。

テレビを見るのは結構ですが、幾らかは疑う事が必要です。もう昔の信用できるテレビ・ラジオでは在りません。或る意味で「真実は」タブー視されるか封印されているのが現状です。彼らに取って都合の悪い事は積極的に知らせないばかりでなく蓋をする。それには様々な謀略を用います。巷にいう「陰謀論」と言うのもそうです。「根も葉もない虚構だ!」と言い触らす事で、本当の事実を嘘にしてしまう。何も知らない民衆はそれに乗り易いです。世界は桁ハズレの悪党が支配している。などと言う事は公序良俗の下に暮らしてゐる人は知る由も在りません。今回のコロナ騒動も、その根本的な発想の土台に在るのは、私の学生の頃にFreemasonの組織であるRome・clubにより発表された答申「成長の限界」である想像しています。わたしも二十歳前後の頃にこれを読んで、人類の将来には考えなければならない大切な問題があるのだな、などと実に単純に理解して居ました。そこには人口増加をどう解決するか、石油資源の枯渇をどうするか、食料資源をどうするか、という様な実に基本的なテーマが書かれている。しかしこれは虚構だった。

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奇妙な一致

2024年01月22日 11時00分31秒 | 電子計算機の未来

 久し振りで岡潔のエッセイと読んで見ると色々な話題が書かれている。この人はいったい何を言いたいのだろうといつも思う。そして分かった様な分からない様な、不思議な気持ちにさせられる。彼は数学を専攻しその頭脳は突出しているが、生涯の論文数はたぶん15篇は無いと思う。この偉大な数学者にしては驚くほど少ない。遣り始めた分野は完璧に仕上げるという姿勢なのだろう。例えば18世紀のスイスの数学者レオンハルト・オイラー生涯で確か800篇以上の論文を書いた。オイラーは溢れる発想を論文として書き、あとの仕上げは後輩に任せるという姿勢だ。それで無ければ800篇の論文は書けない。確かに是は異常に多い例だ。普通の人は多くて200篇、平均100篇ほどだろう。物事を深く究めたら50篇が精々だろう。

岡先生はその代わり多くの著作を為された。春宵十話から何冊かのエッセイをお書きに成られた。簡単なことばで非常に深い事を言い、書かれた著書を読んだ印象は春の空気の如く清々としている。優れた数学者でこれほど多くの著作を出された人は居ないだろう。書かれる文章は透明感があり深い事を言って居られるので即座にはその趣旨を判断できない面がある。後年浄土宗の仏教者山崎辨栄上人に帰依して信仰の道を歩いた。数学者が仏道に入る?それは個人の精神生活だからあれこれを詮索するのは野暮な事だ。辨栄上人の人格が素晴らしかったに相違ない。岡潔が主張する中で一番に凡夫が不思議がるのは、人は死なない、という言葉であろう。我々の肉体が土に帰るのは誰が見ても現象としては正しのだが、人は死なないという言葉にはなにかそれとは違った意味が付与されているのだろう。

ところでこのコトバとおなじ事いう人物がいるのだ。それは交流電流の開拓者二コラテスラだ。最近では電気自動車のメーカーの名前にも採用されている。このアメリカ国籍のユーゴスラビア人はエジソンと争った稀代の発明家でもあった。エジソンも多くの発明、蓄音機、電灯、通信機械、他色々な発明をしている。その発明をめぐってテスラとの争いもあったらしいが、代表的な例では、直流電流か交流電流かの争いが有名であろう。私見としては直流電流よりも交流電流をつかった方が、熱エネルギーの減衰や危険性から言えば優れている。テスラが一度生まれた人間は死ぬ事がない。という趣旨は、どう言うことなのかを深く知りたいものだと思うし、同じく岡潔の言う人は死なないという事の認識と観念を知りたいものだと、この二人を想起するたびに思い出す事柄なのです。

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京都大学理学研究科 数学特別講義(函数解析学)「作用素環と共形場理論」第3回 河東 泰之(東京大学大学院数理科学研究科 教授)2018年4月11日

2023年12月25日 13時13分58秒 | 電子計算機の未来

京都大学理学研究科 数学特別講義(函数解析学)「作用素環と共形場理論」第3回 河東 泰之(東京大学大学院数理科学研究科 教授)2018年4月11日

作用素環論は今流行りの分野で、驚いた事にはその研究者は雨後の筍の如く多く居る。だが作用素環はノイマン・ジョニオが始めた分野である。果たしてそんなに面白う分野なのだろうか。他にももっと興味深い分野は有るのだが、

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量子コンピュータ授業 #8 量子コンピュータの歴史

2023年10月25日 12時53分43秒 | 電子計算機の未来

量子コンピュータ授業 #8 量子コンピュータの歴史

量子コンピューターの歴史は、実におもしろい起源を持って居る。それは今に始まった事ではなく、ズーッと長い因縁の歴史を持って居る。元々量子力学は、極微の世界を記述する為の力学である。それ以前の量子の発見はマックス・プランクに因り溶鉱炉の例を挙げて、黒体輻射の謎を解明する事から始まったものだ。自然は連続量で構成されているのではなく、飛び飛びの最小量である量子から出来ているという仮説である。それがどんなに極微の量であるかはフランク定数の数値を見れば一目で明らかです。そして量子力学は実に常識的理解を嘯く現象で構成されていて、なかなか知的には理解しがたい灰汁の強さを持って居る。重ね合わせという現象と波束の収束が何の為に何時起こるのか。そんな波束の収束などなど起こらないという理論もある。いわゆるエベレット2世の提出する多次元世界である。量子コンピューターは、その多次元世界を前提としているのではないでしょうか。

そして、古田さんの解説でドィッチュが主張している様に、量子コンピューターは今ある現象の再解釈を為す事に因って、次の時代の新しい考え方を生み出すかもしれない。それはドィッチュが言うように人間の意識に関する新次元かもしれない。最終的には物理法則は生命のこころと言う現象に肉薄する運命を自ずとその内に含んでいるものなのだろう。我々が物事を知るという事は、どういうことか?それは当然の事だが情報に関連している。知るという効果の物理学的な意味を追求すると、それは実に深い認識の意味を持つ事に成る。知ることはエントロピーを減少させるのか増大させるのか?、この問いの結論はまだ見出されてはいない。

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スパコンの中のクォーク-素粒子から原子核をつくる

2023年10月02日 18時12分51秒 | 電子計算機の未来

スパコンの中のクォーク-素粒子から原子核をつくる

今ではコンピューターの中で仮想の核内部の力の在り方を研究する事が出来るという驚くべき時代の様だ。量子力学は極微の存在である原子の振る舞いの力学を考える学問分野だが、更に微細な、例えば陽子のなかに存在するが単一には取り出せないという、構成子(クオーク)の挙動の法則性を探求するのが量子色力学と呼ばれる分野である。構成子が何故単一で取り出せないか?この問題は今でも十分な理解を出来ないでいる分野である。取り出せないというのは、構成子という物は単一の物質的な物ではないからであろう。それは波動の様でもあり物の様でもある量子力学的電子とは異なる世界の現象と考えた方が好さそうだ。自然はなぜ、このような仕組みをつくったのであろうか。ハドロンである陽子や中性子の内部構造を解明する為に構成子を導入しその構造を探ったが、クオークの力学は法則的に理解できたとしても、その存在の意味と構造をまだまだ理解出来てはいない世界といえます。

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思考とはなにか。

2022年01月07日 20時35分42秒 | 電子計算機の未来

「思考とは何か?が、AIの成否を決定する。そして、おおよそ推理的知能と論理回路とは区別できない、推理的過程が論理回路で表現される」

論理回路に拠って知能は構成できる。小さな神経細胞のつながりが、謂わば論理回路だからだ。思考の法則をむかし考えた人がいる。彼は「思考判断の進展規則」を一心に考えた、その結論が論理回路でありブール代数であった。ジョージ・ブールは論理学から回路代数を導いたが、実際の脳神経が絡み合っている回路網は、ブールの言う論理回路に酷似しているはずだ。一つ一つの神経細胞のつながりは至極簡単な回路だろうが、それが十億・百億・千億・一兆・百兆となると、其処には判断力や空想力が出現して来るかも知れない。人は物事を判断する場合に、頭はどのような経路を踏むのか、知るとはどういう機能なのか、とか問うだろう。これは哲学の世界だけでなく、数学・神経生理学・ロボット工学・サイバネティクスなどに於いても最も核心的部分である。驚くことにブールは中学校しか公式には出ていない、数学はみな独学なのである。父親は知的な靴屋であったが、息子をパブリックスクールに出す資金的裏付けは無かったのだろう。ブールは49歳で亡くなった、とても惜しい人である。彼があと30年永く生きたとするなら、我々は新たに何事かを知ることが出来ただろう。こういう人物は結構いる。偉大なマイケル・ファラデーは当時の小学校しか出ていない。工学の演算子で有名な数学者のヘヴィサイドは病気の為に学校に通って居なかった。我々の読者の中には、「教育っていったい何なのだろうか?」と、問う人も居るかも知れないし、教育の無力感を想う人もいるかも知れない。天才に教育など必要ないなどと言うつもりはない。だが彼らの存在は小さな偶然が微笑んだ数少ない特例に過ぎないのだろうか?。教育とは何んなのだろう?私たちのような平凡人を、世の中の有用な人に変える為に創り出された制度である。少なくとも明治新政府はそういう考えで居た。有用な機能を持つのだとされているが、その力さえも段々に薄れているのではないか。私たちは恵まれすぎているのだろうか?。昨今は栄養価の高い食事や暖かい着物、高級から低級までの書物の氾濫、自分の個室にベッドと机と本棚、Standを持ち部屋には熱暑を避ける為にエアコンまで付いている。教育が教えるべき最も重要なことは、雑多な個別の知識を与えると言うよりは、各人の「思考活動の技法と成る知識と判断を仕入れる方法」を教える事である。それさえ確立されて居れば、子供は放って置いても自分から進んで学んで行くものだ。手軽なインターネットの知識は、真の知識を深く究めるには軽薄だ。其れには、矢張り死んでしまって居る偉大な人物の、著書や論文を読むこと以外に無いのだろう。また本道に反れてしまった。上記のようなことを言いたい為にこのテーマを書いているのではない。此処でのテーマは「思考の機能と本質」である。

人に限らず、あらゆる生き物には、生まれてから壊れる(死ぬ)までの時間、生命維持の絶妙なサイクル。これを可能にしている恒常性サイクル、生き物には生存の知的活動が猶予された時間である寿命がある。それ相応の運命付けられた時間である。人間ならばその間に何をするか?であろう。命が先ず生まれるには、其れなりの手順を踏まなかれば成らない。卵子と精子の受精である、次には母親の子宮に定着し酸素と栄養を補給されねば死んでしまう。母親が元気で活動しその間、受精卵は卵割を繰り返し、人ならば人として一つの個体に成ってゆく。ヘッケルが云う様に生物は子宮から出て来るまでに、系統発生を繰り返す。つまり原始的な魚から両生類、爬虫類、哺乳類と、進化の段階を繰り返す事に成る。個体はただ眠っているだけではない、原始的な生命体が発生して20億年、その期間の経験を反芻しているのだろう、そうでは無いと言える人は居ない。産まれる為に畏るべき長い時間を足った10か月で辿るのだ、幾億兆の生と死が有ったことだろう。途中の無数の死が有り、無数の生が有り、そしてあらゆる生も最後には死にゆくもの。産まれてからは、母の体温と温かみを感じて育てられた。母は何物にもまして偉大な存在だ。そして、あらゆる命は一番大きな何かの部分、乃至一部である。それを星雲と言おうと宇宙と言おうと同じこと。死に行く先を心配する必要は無い。生まれ来る元を心配する必要は無い。こういう背景を元にして、思考する自己とは何だろう。産まれて来た事を深く感謝する。母も父も偉大だった。宇宙に見開く目を与えてくれた人々に誰しも代えがたい感謝をするだろう。

講義と謂えばアンリ・ポアンカレの講義が怖ろしい。この天才は少し時間に遅れて教室にヌ~ッと現れたかと思うと、偏微分方程式論の話を始めた。ブツブツとつぶやいて、変動値を計算していたが、何かを考えている為に上の空で計算を間違えた。生意気な学生が、先生その数字が間違って居ますと指摘したのだ。そこで事件が起きた、頭にきたポアンカレは、持って居たチョークを生意気な学生に投げつけ、そんなに数字が気になるなら会計士の所に行って教えて貰え!と怒鳴った。流石に学生は青く成ったが、自分はそんな怖い講義を是非とも取ってみたい。微分方程式の内容は自習でも習得できるが、ポアンカレの黒板前での一挙手一投足は、その講義に出て居なければ味わうことが出来ないからだ。ポアンカレは、わり方早く亡くなった57歳か58歳である。死因は前立腺がんの手術だった。今の時代ならば手術ロボット(ダビンチ)を使ったダビンチ手術があり、このオペで死ぬことは無かった。ポアンカレは直感派の巨匠のひとりだった。フックス関数の発見は有名である。典型的なインスピレーション派ですね。彼は未開のジャングルを開拓し多くの踏み跡を残した。踏み跡の道の整備は、他の秀才に任せれば好いという考えの持ち主なのだろう。この人も惜しい人だ、あと30年いや20年でも好い、彼が生きていれば我々は新しい何事かを知ることが出来ただろう。ポアンカレは直感派であるにも拘らず優れた文章家でもあった。彼の四部作(科学と仮説)(科学の価値)(科学と方法)(科学と詩人)は、どう見てもインスピレーション派の巨匠を超えた名著である。

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意識と情報は突き詰めるとどこかでつながるのか?

2021年06月07日 07時39分09秒 | 電子計算機の未来

 ところで、我々の意識は一種の情報処理の結果であると見做す事も出来る。「この意識と情報は、どの程度の深さの次元でつながることが有るのか?」という問いを立てることが出来る。言語はそれを使う生物の生存環境下での情報形態の、特殊な場合とみる事も出来る。おお昔から人は、自分の自我意識を、こころと呼んで、自分という意識に、不思議さを感じてきた。日本文化は永くこの部分の意識をこころと呼んで、あらゆる生き物にはこころが在ると信じてきた。特に日本人はその言語と文化の特殊性から、無生物にもこころが在るとして世界を見てきたのである。世界の大多数から見ればこれは陳腐なものと勘違いされて、彼らは決してその本質を知ることが無い。

さて今まで言葉の背景をさぐり数学の方法を使いその本質を掴もうとしてきたが、数学にその方法が無ければ新たに創り上げれば好いと思ってきた。遺伝情報(DNA)というものはあきらかに指令の書いてある情報、乃至生物の歴史が書いてある歴史書でもある。物語的な歴史認識が始まって以来、天には神が存在するとおおくの文化が語ってきた。これはある程度の諸文化に共通する認識である。二十世紀に計算機と言う物が発明され特に1980年代には多くの人々が、かなり高価な物にも拘わらず電子計算機を手に入れた。そしてその機構的原理的は分からない迄も、多くの人が使いこなす社会が実現した。現在(2021年)の時点で電子計算機がなくなれば社会は機能しなくなるであろう。ここからは二十世紀に到達した量子論の帰結である量子力学の世界像から見た、現象や不確定性原理や重ね合わせEPR現象を使った量子計算機についてあやふやながら考えてみたいのだが、この量子計算機の歴史には多くの面白い事柄が目白押しだ。宇宙が計算機だとは面白い発想であるが、EPR仮説、不確定性原理、重ね合わせ、二重性、観測と意識、など諸々の焦点を加味すると、宇宙は一種の計算機だという発想は、十分信じるに値する。要はそれをどうして証明するかだ。この様な量子コンピューターの起源に成る発想は、既にいまから40年以上前に提案された事柄である。いずれにしても量子計算機という名称がこの世に現れたのはドイッチュの論文が一番先の様である。量子現象が計算に使えるなどという発想は1970年代初期にほかの分野である、波動と粒子の重ね合わせ、不確定性、EPR仮説、などの問題からの派生物である。素朴な実在論が永く我々の世界観であったが、物事の本質はおそらく世界の量子状態にある。例えば本当に宇宙が謂わば量子縺れを伴う計算機成らば、宇宙は離れ離れではなく外側は存在しない内的な宇宙になる。そのとき重力はどの様な意味を持つのだろう。

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数ーそれはいったい何だろうか?

2021年02月25日 17時41分30秒 | 電子計算機の未来

  現代の物理学には外部世界をどう理解するかという明確な目的が在る。当然のことだが、その目的の為のモデルがある。モデルが現象を必要かつ十分に説明するか否かに因り成功したモデルと失敗したモデルに分かれる。例えば成功したModelのひとつに万有引力のModelがある。天空にある惑星系の運動を説明する為にIsaac・Newtonは万有引力のModelを導入し得たのは、Newton以前に惑星の運動を研究した二人の男が居たからだ。一人は寡頭政治時代のItalyに生まれたピサ大學の自然哲学の教授Galileo・Galileiであり、もう一人は神聖ローマ帝国時代のGermanyに生まれた神聖ローマ皇帝ルドルフ二世の直属占星術師であるJohanns・Keplerである。

この二人のうち、特に数学に秀い出て居たKeplerは、ティコ・プラーエの、当時世界最新で目視の観測としては正確無比のデータを欲しがったが、ティコは容易に自分の大切な観測データを与えようとはしなかった。自分を出し抜いて、新たな理論を立てられる事を好まなかったのであろう。ティコが尿毒症で亡くなると、観測データはKeplerに委託されて、初め稀有のてデータを解析する事が出来た。当時は微積分は発明されて居らず、現代風な分析が出来たとは思えないにも係わらず、Keplerはこのデータから、後に彼の法則として有名になる三つの遊星の運動法則を導き出した。この時点でティコのデータから遊星の法則に関する現象的な把握は完了した。1609年~1619年の間の事である。

ルドルフ二世は皇帝直属の占星術師としてのケプラーに給料を払わず、一家は食うや食わずの状態であった。その癖ルドルフ二世は豪華な調度品には高い金を出す事を惜しまなかった。当時から見れば珍奇な物語をKeplerは書いた。後のジュールベルヌ顔負けの空想小説である。人間の月旅行とか正立方体が互いに内包し合う関係の宇宙の星の構造に附いての、理念的なプラトニズム認識である。この時代の科学者は今で謂う科学者ではまるで無くて、どう言えば好いのかな、占い師と夢想家と数学者を足して割ったような存在である。ヨーロッパを襲った30年戦争の狂気の中でヨハネス・ケプラーはその生涯を終えた。

彼の友人にあてた最後の書簡は、時代を超えた者が味会う孤独を何よりも感じさせるものであった。このKeplerの三法則とGalileiの落下の法則などから、Isaac・Newtonが彼の力学を創り出すのは最早時間の問題であろう。だが、この万有引力の本質を説明するModelは形成されてはいない。肝心の重力の本質は説明されてはいないからだ。300年後にAlbert・Einsteinは重力の本質を捉える為に空間の歪み(曲がり)を導入した。空間の質量に因る歪みが引力をもたらすとした。物質はおおよそ質量を持つのだが、その質量が空間に歪みを創る。その歪みが作用の原因となるという。Einstein以前に誰もそんなことは考えた者は居なかった。空間が歪む、そうするとEuclidの平行線の第五公準が成り立たなくなる。

だがEinsteinよりも100年以前に相対論が要請するその幾何学はロシアのニコライ・ロバチェフスキーとハンガリーのヤーノッシュ・ボヤイに依り出来て居た。非ユークリッド幾何学である。そしてその後にもドイツの天才ベルンハルト・リーマンも非ユークリッド幾何学を創り上げた。ロバチェフスキー・ボヤイの非ユークリッド幾何学は双曲的幾何学であり、リーマン幾何学は楕円幾何学である。双曲幾何学の二つの平行線は、平衡を保つどころか宇宙の遠方では互いに遠ざかって仕舞う。反面、リーマンの楕円幾何学の二つの平行線は宇宙の果てで必ず交わるのである。平行線の公理を取っ払うと幾何学は三つ在ったのである。

Einsteinはこのリーマン幾何学を一般相対論の建設に使った。物質(質量)が空間の歪みを創る。だがこれは本当なのだろうか。そうだとしたら空間はなぜ歪むのか?。むかし18世紀の初期にプリストリーが主張したフロギストン説と云うものが在った。物が燃えるのは(燃素)という物が物質の中に在るからだという説です。立派な化学者であったプリストリーのフロギストン説は今では小学生にも笑われてしまうものだが、概ね自然認識はこの様な紆余曲折をへて進んでゆくのである。

だが数学には果たして物理のような明確なモデルと言う物は存在するのだろうか。というのは数学の特徴としてモデルが形成できない種類の学問であるからだと思うからだ。数学は外部世界の説明というより、内的整合性と意味・論理、などの必然性に基づいた幾何的・解析的基礎からの有の思考の過程が在り、明らかに物理とは異なるもので動いている。物理に比べて自由なのである。探求のMethodとして数学はすべての科学と称される方法論の土台なのだ。果たして(数)とは何なのだろう。それは自然の現象を観念化したものであると、漠然と感じている人は多い。然し、本当に数とは一体なんなのだろうか?、これは人間の観念文化の一歩であり、ことばと共に人間の知的発達の賜物なのであろうか?。

筆者には、数は「思考の原子論」「観念の原子論」として存在し、人間の知能に飛躍的な空想力を創り上げた能力であると感じている。数の観念を創造したがゆえに、人間は数という思考の原子に因って、高度な観念体系を構築することが出来た。「数の本質について」、筆者が漠然と考えて居た概念を、きわめて興味深く語っている人がいた。考えて居た事と全く同じ内容が、そこでは語られていた。ある書店で偶々手に取ったのは、インド人の脳生理学者ラマチャンドランの本である。彼の著書「脳の中の天使」という、彼の何作目かの本をパラパラと拾い読みしていると、偶然にもそこに「ウオルター・マッカロ―」の言葉が引用されていた。「人間が考える数とは、いったい何なのだろう?、そしてその数と考える人間とは何なのだろう」という問いである。

偶然という物は面白くてある意味ではそら恐ろしいものだと、筆者は再び思いを新たにした。そう言えばこの様な不思議な共振は何度でも起こったことを経験している。例えば或る記事を読んでいて、その記事の主人公として引用されている人間が、たった今自分の手元に在り読んでいる本の著者であったりするという一致は幾らでもある。関心のある傾向が同じ分野であるという事からすれば、奇跡というほどでないにしても単なる偶然ではないのだろう。ウオーレン・マカロックは、マッカローなどと表現されることもある人で、印象的なのは、このマッカローという人は、筆者がむかし親しんだ本の中に出て来る人物であった。世界の名著「現代の科学Ⅱ」のなかで、ウィーナーやノイマンと共に取り上げられて居た人物である。

今で謂う処の脳神経科学や思惟・思考力をもつ細胞計算機などを目指したニューラルネットワークの原初である。「サイバネティクスと脳」のなかで、最初の神経モデルを構築したのは、このウオーレン・マカロックとウオルター・ピッツであった。彼らが創り上げたモデルは、カエルの目の神経網の研究を基にした、ごく簡単な神経細胞のモデルである。だがそんな方面の人であるマカロックが、なぜ数について上記のようなことを口にしたのであろうか?、この人は工学者なのか?数学者なのだろうか?。なぜ工学者がこんなことを考えるのか?不思議であった。彼のキャリアと知的背景を知らなかったのである。これらの数というもののテーマは数学の範疇の中にあるが、然しおよそ哲学の問い方である。

調べてみるとマカロックという人は単なる外科医という訳でもなく心理学や哲学・数理科学に関心を持ちそれを身に着けた知的背景の在る人物らしい。ピッツとの関係はどうなのだろう。このウオルター・ピッツという人も面白い個性的な人物らしい。この二人が人工知能の基礎ともなる神経細胞を模した神経伝達モデルを最初につくったのはそれなりの理由がある。彼らはカエルの眼の視神経情報網に関する電位伝達のモデルを創ろうとしたらしい。脳神経系の初めの初歩は、神経を流れる電位の波動モデルを知らねばならない。長く伸びた神経細胞中を流れる電位の研究は烏賊の巨大神経を使ったホジキンとハックスレーの試みが在るが、現在では神経伝達モデルはもっと精巧に追及されて、高度な超集積回路を考えるうえでの参考に成っている。

LSIは平面的な物から立体集積への道を進めば一挙に千倍の集積度を持つ事に成るが発熱の問題は残るだろう。人工知能はSF的な世界の産物だが、それには意識という状態が必要で、「独立した意識」とは、他と区別する自我の存在が前提に成る。AI将棋、AI囲碁、などは考えられる限りの手の内で最良の手を多く学ぶことで、人間の判断力を凌駕することが実際に起きている。果たしてほんとうに自らの意思で物事を判断し思惟する機械を作ることは出来るのだろうか?。

フランス百科全書派の思想家ド・ラ・メトリは人間機械論というテーマで本を書いたが、それは人間が手足を始め臓器の各々に至るまで機械的側面を有していて機械で代用できると言う想像に基づいた空想だった。人間の動きは精巧なロボットで再現できる。だが思考を司る脳神経系の再現は未だ手探りで海の物とも山の物とも言えない段階だ。もしも人間よりも滑らかに優雅に動くロボットが出来れば、生産工程にきわめて大きな影響をもたらすだろう。人間の肉体的な労働はロボットに代えられる。そのとき人間は自分の生き方を問われる事になるだろう。生きて与えられた時間の真の有効な使い方が問われる。

それは人間の創り出した道具で最も珍奇で画期的な物は計算機である。その根本は加減乗除を可能にする計算機で算盤である。それは日本に伝わった段階ではただの単純な棒に木の球を指したものに過ぎず、日本で進化した現在の算盤とは異なるものである。日本人は明時代に伝わったというソロバンを使いやすく変えた。それ以来ソロバンは進化して、現在でもソロバン教室が生徒を訓練している。木の球を動かすソロバンから、機械式計算機まで計算機の進歩には長い時間が掛っている。第二次大戦中に電子を用いた電子計算機が発明され、電子計算機の時代となった。そしてその計算速度を争う時代に突入した。現在の超高速計算機は大電力を使った電子の発熱体です。真空管よりも増しですが、transistorと使った物でも相当の熱が放出されます。これでは冷却の方が問題に成ります。

ところが最近全く新しい原理を使った超高速の計算機が出現しょうとしています。勿論、最初はこんな物が果たして出来るのだろうか?と、半信半疑でした。量子の性質を使った計算機構です。1920年代に最初ド・ブローイが提唱した物質は波であり波は物質でもあるという物質波の考えで、電子は粒子でも波でもあるという性質を使ったもの。観測するまでは物事は中間の状態にあるという、日常生活の常識レベルでは判断を逸脱する世界が量子では広がっているらしい。現代の標準論ではどんなデータの移送速度は光速を越えることは無いと謂うのがありますが、この場合はどんなに離れた電子の片割れは、一方がONと出ればもう一方も同じ反応がでる。遠方、光速で一億年かかる距離にある物でも瞬時にそれがでる。

何か少し気味が悪い世界です。多重世界というアイデアが在る。別な世界が今我々が生存している世界と重なっている。というアイデアです。私の先祖もこの部屋で存在している。ただ物質反応をしないので存在しないも同様だ。遠方と云うが、空間は果たして実際に存在しているか?という疑問をいう人も居ます。人間の自然探求は、平板なものから立体へ、そして人間が感覚的に理解している三次元から四次元へ、更に多重世界へと進んでいるように見える。

あと100年いや1000年後の人間の科学はその多重世界を掴むことが出来るかも知れない。何にしても、思考過程の本質を知ること、物質的な物から派生する感覚の神経網、それが齎すで在ろう所の、自分という意識、いわゆる心と言う物の実態。それがあと1000年間の課題だろう。数学と言語、物理と心、化学と情報、これらは実のところ同じものなのだ。数学と言語は明らかに相補的な物だし、物質と意識は互いに関係し同様に相補的なものだ。化学と遺伝子は言うまでもなくDNAという生物情報が核に成って居る。分子レベルでの指令書であるところのデオキシリボ核酸の四つの塩基の列で書かれた、その情報は何だかチューリングマシーンの概念や、モデルその物の様な気がします。理想化された概念としてのチューリングマシーンの場合は無限に長いcodeだが、それに読み取るHeadもひとつであるが、人間の場合、いや生物のと言い換えた方が好いがそのDNAの塩基列は全部読み取られた。ではそれで全部理解できたかと云うと、そんなことはまるで無い。ある特定の人間の塩基列が初めから終わりまで読まれたに過ぎない。もちろんその塩基列は有限であり、Headもひとつではないだろう。

どうしてこんな長いcodeが出来たのか⁇。もちろん、それは生命の継承が途絶えることなく存続している過去の膨大な経験を宿してゐる為だろう。長いcodeには現況では何に使われるcodeなのか判断の付かない部分が全体の70%にも達する。これは要らないものではなくて、過去の環境変化に対するストックとも想像できる。地上の表面に活動している生物の内部には(つまり分子遺伝情報)現状の生存環境とは全く異質の歴史が記録されていると思った方が好い。これ等の情報もいずれは新たに読む方法が数学的に解明され込まれそのcodeの内容は驚くべきものを示唆するに違いないと思える。この解明こそ、いま最も重要な探求の分野であろう。此れこそが心と言う物の正体を明らかにする最初の手段であるに違いない。

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日本語の絶大なる力と想像力表現力。

2021年01月05日 08時54分07秒 | 電子計算機の未来

世界にはおよそ6000~8000の言語が在るという。或るものはすでに滅び去った中で日本語は地球上の如何なる同根の言語が無いという意味では、孤立した言語である。会話され且つ母語としている人口は一億二千万人であり、言語としては決して小さな言語ではない、むしろ大言語に類する。日本語の変遷は実に面白いものだ。奈良から平安にかけての日本語の音と言い回しは少しは変化し、奈良~平安~鎌倉~戦国~江戸と変遷があったが根本の構造と語根は変わってい居ない。漢字以前にも日本には文字が在ったと想像するが、神代文字はそれによって書かれた文献が僅かである事から詳細な研究が進んでいない。

確かに漢字の導入は画期的な文化の発達を促したとおもう。明確な日本語の話し言葉は存在したが漢字の導入は大きかった。日本語はその漢字の呉音を拝借して文章や歌を綴った。万葉集はその原文は大和言葉を漢字に翻訳したものだ。漢字は余りにも画数が多く、音を現わすには効率的ではない為に、奈良時代の先人日本人はカタカナを発明した。そして和歌や随筆を筆で描くに適切なひらがなを発明した。日本語の表示の豊かさは、「漢字」「カタカナ」「ひらがな」という文字の混合に在り、併せて明治以降はアルファベットを使いローマ字で日本語を綴る事も可能である。

江戸時代には長崎で蘭学を通じてオランダ語を学び、そして明治以降に海外に学んだ人たちは英語を身に着けて帰ってきた。森有礼の様な人である。森は産業革命を起こして隆盛にあった英国の現状と自国の差、彼我の差に驚き、日本語を止めて全国民に英語を学ばせるべきだ!と提言した。現在の英国を見て、日本国が日本語を止めて全部英語にすれば好いという主張に賛成する日本人が果たしてどれだけ居るだろうか?一時的な侵略に因る繁栄に目を奪われてはならない。それらの事例が歴史の教訓である。なぜ日本人は自国語に誇りを持って居ないのだろうか?。敗戦直後に、或る大作家は日本語を止めて、フランス語にしたら好いと主張した。ご本人はフランス語など話せないのにも係わらずである。日本語には国民の知識層に余りにも尊重されていない歴史がある。それどころか彼らの頭には、外国崇拝しか無いのは一体何故なのだろうか?、どうも調べてみるとこれ等の事は今に始まったことではない。江戸時代から、いやそんなことは無い、寧ろ奈良時代から、或いはそれ以前からか?、自分の文化に自信がないのは何故か、好い物は外国から来る、そういう思い込み。もちろん外国文化を排斥するという事ではない。好い物は取り入れ学ぶべきで、それを学びそれ以上の物を実現すること、それが日本の文化的特徴である。だが自国の文化に自信がなく尊重しない風潮、これは本当に悲劇的な事であるのに、多くの者たちにはそのことの意味が分からない。日本語も日本文化も尊重しない彼らは当時のそれなりの知識人であった。本来の日本文化の特質が文明の大本が言葉に在ることを自覚しない。それには大いに失望した。明治以降だけではなく奈良時代から、外国幻想がインテリ層にあるというのは、日本を除いた殆んどの外国では考えられない事だ。つまり日本国は古来以来、天啓の恵まれた国なのだ。人々は言葉を話しているが、その特有の価値については知らない。敗戦後は返って外国語を日本語の上に置く始末だ。昨今の外国語熱、英語熱は教育行政にも現れている。日本人に取って日本語は取るに足らない言葉なのだろうか?。楽園に住む人間にはそこが楽園とは気が付かないように。言葉を失えばその言葉で成り立つ文化・文明は滅びる。

日本の古典文学の森や哲学思想の森を分け入る事は、特段に興味のある者や国文科の学生でもない限り殆ど無理で、疎いのは仕方のない事なのだろうか。日本語の創造性は凄いもので、日本の古典思想や古典文学は山ほどある。例えば「日本古典文学大系102巻」や「日本思想体系68巻」などの岩波版、「日本の名著50巻」や「世界の名著81巻」中央公論社、など,、直ぐにでも手に入るものが手近にある。江戸時代の偉人、塙保己一の編集した「群書類従」「続群書類従」は、膨大な古典の一覧表を作っている。これは偉大な業績であり、仮に塙保己一氏が若しも居なかったら、多くの文献は失われて再び陽の目を見なかった事であろう。上に挙げた古典文学全集を自由に読み解くのは少し骨だが、日本の名著などは、これは現代文で書かれている為に比較的敷居が低く読み易い。21世紀は日本の世紀、という遠大な目標を掲げない限り日本文明は尻つぼみに成り兼ねない。GDPとかの国家財力など高の知れたものだ、最後に残るのは文化的な資産なのである。これは永遠に残るものだ、そういう物をこそ日本は追求しなければならない。

日本語の特異性を論じるには参考に成る幾人かの方たちが居られる。例えば聴覚障害である聾者の研究から出発し、人間の言語の特質に着目した神経生理学的な分野では東京医科歯科大学の角田忠信氏の研究が大きなヒントを形作るもので、未だにこの研究の帰結の重要さが認識されていない。角田先生のご研究以前には大概の言葉は似たり寄ったりの物だと思われていたのであり、日本語の特異性についての発見は殆んどの人が気が付かなかった視点である。また英語学者で単なる専門性を超えた人物に鈴木孝夫先生が居られる。氏は矢張り言葉の文化的側面に通じた人であり、日本語の特質についても深い知見を持っておられる。これは鈴木先生の御主張なのであるが、日本語はテレビ言語なのだそうで、英語を筆頭に他の言語はラジオ言語であるという。日本語は読まなくても見ただけで分かるという。漢字交じりの日本語文は、カタカナ、ひらがな、漢字、ありで、その中にアルファベットもEnglish語やFrance語も入る。基本的に外国語は表音文字であり、音を現わす文字の羅列でそれを分節で区切っている。また日本語の表示表現の豊かさは文化的背景を持つ為だ。自分の事を言うに英語にはアイしかないが日本語では自分の表現は多彩である。わたし、おれ、わし、じぶん、われ、せっしゃ、わて、漢語的表現では、小生、他にももっとあると思うが可成り多彩である。テレビ言語とはうまい表現をしたものです。漢字は読まなくても見ただけで意味が分かる。つまり漢字は絵であり、見ればその意味は判明するのだ。それに元々どう読むかは恣意的なのだ、是と決まっている訳ではないのである。漢字の読みは長い伝統の上では、呉音で読む場合と訓読みをする場合と、読み方は別であるが、基本的に漢字は発音文字ではない為に読み方は恣意的なのだ。ただ伝統上ある一定の読み方はある。共通了解事項と言う訳である。

現代の西洋言語学では、1950年代にアメリカで現れた言語学説で、今も大きな影響力を持つ生成文法説があります。この提唱者はペンシルバニア大のノーム・チョムスキーという若者でした。彼の親はソ連からのユダヤ移民で、本来の呼び名はコムスキーとかホムスキーと発音するらしいですが、彼が提唱した学説がいわゆる普遍文法と言われているものです。この学説を提唱する以前、彼の師匠は構造言語学派の大御所であるブルームフィールドでした。ここの言語学科でブルームフィールド流の構造言語学を学んだ彼が、この構造言語学派の困難を取り省く為に導入したのが、この生成文法という訳です。ちょうど私が生まれた昭和26年の頃の事ですね。この頃につまり1950年代辺りから構造主義と呼ばれる問題分析の方法論、その一大運動が起きました。チョムスキーの生成文法に関する一番早い論文は「文法の構造」という40ページくらいの論文でした。この論文は時を置かずに大修館書店から翻訳出版されている。この頃に「構造主義」の方法論が起きたらしいのです。構造主義の考え方の淵源は言語学では無くて、今ではあまり言及されなくなった人類学や文化人類学と言う分野から起きたとされています。構造主義の直接的な発端は、人物で言えばフランスの文化人類学者であるレビィ・ストロースです。彼が南米の未開部族であるラカンドンと言う部族の家族関係、親類関係を論じた「親族の基本構造」に由来するらしい。この論文では、文化人類学では珍しいのですが一種の数学的な方法分析が為されています。数理論理学とか群論の方法論を適応させている。ですから思いもしない厳密な一種の数学的な方法論が導入され、その新しさと厳密性に多くの人がこれに飛び付いたのでしょう。

で、何を言いたいかと言うと、ノーム・チョムスキーの生成文法の発端である論文「文法の構造」は、この文化人類学が喚起した構造主義を、即、取り入れているという事です。事実「文法の構造」は言語学者からは、これは言語学の論文ではなく数学の論文だと、苦情ないし非難を浴びたという逸話が有るようです。1950年代から60、70、80、年代くらいまで構造主義は流行期があったと私的には思っています。その後は下火に成りました。これから少し生成文法のアイデアや方法論の本質について書いてみたいと思います。

最初の行に世界には6000ものローカルな言語が在ると書いた。その数は6000でなくとも、一万でも百万でも好い。そしてなぜローカルか?と謂えば、それはあらゆる個別の言語を生み出す普遍的な文法が、そのローカルな言語の奥に在るという発想で構想されたものが普遍文法であり、その普遍文法を説明する為に導入されたものが生成文法という考えである。だが少し考えてほしい、その「普遍的なる文法」の実体は、果たして文法と謂えるのか?、それを言語と呼べるのか?という問いである。物事を観念性から解き放てば、何ていうことは無い、それは人間の「理解力」を「普遍文法」という言葉で言い換えたに過ぎない。それは知能の発達と言語獲得についての問いを当然のように喚起する。仮に、そういう普遍文法と謂う物が有ったとして、それは何処にどういう形で存在するのか?、という事になるだろう。生成文法家は、それを人間のある内部に在り、持って生まれた生得能力という物を仮定することで、普遍的な文法が個別文法を生み出すのだというメカニズム措定しローカル言語の生成を説明する。そして果てには、彼らは遺伝子の中に言語能力の機能を仮定する。では、遺伝子の中のどの部分に、それが在るのでしょうか?。こうして人間の言語能力の問題は分子遺伝学の問題に転嫁する。然しDNAの四つの塩基の暗号の上で考察する以前に、遣るべき大切な事は未だ多々ある。

遺伝子が、眼、耳、鼻、口、手、足、内臓、など、全体の諸器官の発生上のプロセスを支配しているのと同じく、その情報を発生を通じて感覚器官を統合する能力として言葉の発生を順序立てて、時系列で説明しなければ本質的にはもっと深い洞察には至らない。言語学という物は実際は脳神経科学の土台の上に建っているシステムだ。好い疑問、好い質問は、すでに答えを用意している。人間の感覚の分析では、参考に成る一つの試みが在る。誰しも思い付くと思いますが、仏教における「唯識派」である。彼らは今から2500年も前に、人間の意識の根源を知る為に、生物のもつ感覚の本質を分析している。それが見当違いな錯誤であろうとも、正しい認識であろうとも、少なくともこの方面での探求枠組みは、エルンスト・マッハやゲシュタルト心理学よりも遥かに先行している。彼らヨーガ経唯識派が得た結論は、感覚がもたらす意識よりもモットとそれを支える内部の自律的サイクルというか、そういう現在の自意識を越えた宇宙につながる様なが在るという物だった。意識の分析を通じて表層意識の下に末那識、阿頼耶識という超意識があるのだという、それが何段階に成っているかは、当面、議論は止めて、我々の日常活動を支えている五感を通じての反応は、人間の意識の最も表面に張られた感覚網であり、これが正常に働かないと外敵に襲われて食われてしまう。動物に限らずこれは人間でも同様であろう。

関連して昔の本を再読してみる。デオキシリボ核酸の構造である二重らせんを提案したFrancis・clickの意識の起源に関する本で、これは講談社より「DNAに魂はあるか」という意味不明な題名が付いているが、奇抜本ではなく極まじめな意識の起源と生命の発生に関する提案である。序文は翻譯が好いのか非常に謙虚で、素晴らしい考察を述べている。それが正しいかどうかは分からないが、今の時点での自分の考えである。と書いている。昔読んだ事に成っているのだが、視覚の発生が知能を産んだという事くらいで、細かい内容はほとんど覚えていない。マア斜め読みであったのだろう。今度はclickの考えを詳細に読んでみる積もりである。昔の論点を思い出しながら、生命体の最初の感覚は光を察知する視覚であろう。これはclickに言われなくとも誰しもが思い付く事だ。そして次には聴覚である。視覚が光である電磁波を感知する機能ならば、聴覚は同じ波動でも光の電磁波とは異なっている。何もない媒体の下では音波は存在できないからだ。水とか空気とかの媒体が必要だ。で、視覚と聴覚は同時に出来たとしても性質が異なる機能なのだ。聴覚が重要なのは、これが個体の意思疎通の基本である言語の発生に関連するからで、もしも聴覚が無ければ高等生物の出現は無かったと信ずる。

学ぶという事柄のには二つの側面がある。

一つは習うことでlearningのラーンである。真似る、体得する。という事で子供が字を習ったり、数の数え方や演算を習うなどのこと。もう一つは、進んで未知の事柄を考え把握すること、つまり究める(study)ことを謂う。どちらも学ぶことである。

我々が一般に学校で行うことは、概ね習うこと(learning)の側面が大半を占めているが、もちろんstudyの面が全くない訳ではない。物事を想像力によって捉える面にはstudyが関与する。

話は飛ぶが、統治論としての儒教と、孔子の言行録の論語は別の物だろうか?儒教と論語は(特に日本で考えられている)異質なものか。論語はある種の自省録みたいのものだ。もっと哲学的な物には道元の「正法眼蔵」がある。また弘法大師空海にも仏教体系をはなれた哲学探究がある。この二人は大切なことを示唆してくれる。両氏とも大著を残しており、筆まめな空海は相当数の歌、散文、理論書、注釈書、などを残しており分厚い10巻近い全集を残したが、これが全てではないと思います。どこかに未だ発見されていない手紙や文章があろうか。1200年前の御人だがきわめて手強い智力の人達である。空海さんが生涯をかけて追求しようとしたものに、二つの分野がある。現代風に言えば、「宇宙の始まり、そしてその終わり」と、「生命の始まり、そしてその終わり」、である。また宇宙の始まりと生命の始まりを論的につなごうとした。結局、彼の究極の関心がここに在る。この二つに収斂する。それは仏教の関心ごとでもあるが、天文学も観測装置も、数学・理論物理も未発達な時代では中々解けそうにもない。

で、最も身近に在る対象であり、人間の認識現象の極北のテーマでもある「ことばとは何か?」が、空海の最初の攻略世界になったのでしょう。真言宗の真言とはマントラの事であり、それは呪言と謂われる。原義ではSanskrit語の表現でmantraと呼ばれる。これは、ある言葉には特別な力が秘められ、具わっていると信じる信仰である。この辺には日本古来の言霊の信仰と重なるものが在るかも知れない。言葉に力がありそれが現象に影響を与える。とする考え方である。現代的に言えば、ことば(音声)の力というよりは、もっとその奥に在る脳神経系のサイクルと共振した現象といえるのでしょう。真言宗は、空海さんが奇をてらって付けた宗派名ではない、そこには宗派として探求すべき目標があった。もっと言えば、敢て真言宗でなければ、意味宗とか言語宗とか認識宗と付けても不思議ではなかった。この人の瞑想力は尋常ではなく、彼の時代の周りを見ても比べる人が見当らない。たぶん日常感覚の下まで降りて行く瞑想の訓練は修験道関係で出来て居て、気力から言ってもことばの発生の原初形態にまで肉薄する力があった。彼は基本的な要素が音を通じて伝えられることは前提としながらも、それは表面的な波動であり、波動を起こす何かこそが言語の核心部である事を知っていてこれを追求したのだろう。

 

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量子計算機の原理とその可能性

2020年11月13日 14時42分45秒 | 電子計算機の未来

 日本で日常に溢れている、コンピューターの概念は、すでに何百年も前にその源を発している。それは例えば算盤(そろばん)である。室町時代に明交易の過程から原始的な算盤が入ってきたと謂われている。当時の明から入った算盤は、玉が五つで玉の大きさはビー玉ないしクルミ大の大きさがあり、もちろん片手で弾く事などは出来ず、むかし小学校に在ったソロバンの模型の様な物だったという説明がある。少なくとも我々が懐く、片手で高速で弾く算盤のイメージはない。その算盤は日本で瞬く間に進化した。秀吉の子飼いの有力家臣である前田利家は、数値に明るく、兵隊の数や兵糧・築城日数など、問題を何でも計算する性癖があったとか?。事実、加賀藩の博物館には、利家愛用の小さな懐中ソロバンが展示されている。この様にソロバンは日本では無くてはならない物として進化して現在に至る。ソロバンは永く日本の社会生活に不可欠の道具として機能してきた。江戸時代の和算の発展も算盤の効果が大であろう。ソロバン以外にも、計算機は東洋西洋、特に西洋でその萌芽がある。計算機の一般に知られた歴史では、東洋のソロバンであり、西洋では歯車を応用した手回し計算機であった。

簡単な機械的計算機はpascalやLeibnizを経てCharles・Babbageの解析機関にまで到達したが、すでにギリシャ時代に精巧な歯車の機械が発見されている。いかにも、細工の得意なArchimedes辺りなら計算機を作ったかも知れないという想像は湧く。この金属製の歯車は天文の計算に使われたと想像されているが、実情は何に使われたのかわからない。19世紀に成り設計されたBabbageの解析機関は、余りにも多くの歯車があり、それを動かすのはとても重く駆動するには馬四頭を要したという(笑)。為にこの解析機関はいささか現実離れした構想であった。我々の手の平の上に乗る電子計算機が現れたのは、ひとえにトランジスタの発明の拠る。電子の流れを応用した、真空管と使った電子計算機が現れたのは第二次大戦中であるが、それは何万本もの真空管で構成された為に体育館並みの空間を必要としたし、その発する熱量は膨大なもので、冷却には大掛かりのクーラーが必要であった。冷却できないと真空管は電極が溶けてしまう。最初はそれは敵の暗号解読を迅速に進めるための手段であった。日本のパープル暗号が破られたり、ドイツのエニグマが破られた原因はこの最初期の電子計算機にあったと謂われている。

それには当時の工学者や数学者が使われた。数学者A・チューリングの活躍は永く秘密にされていたが彼の功績は大であった。彼はある意味の狭量な社会慣習の犠牲者でもある。

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自然とは何かー情報と自然現象ー計算とは何か(チューリング機械と動作の意味)

2018年11月17日 12時25分48秒 | 電子計算機の未来

 形式論理学と同様に計算可能性は古くから探究された分野だが、B・パスカルや、チャールズ・バベッジの機械式解析機関の計算機から、電子を介在とした電子計算機が出現するに及んで、回路図の論理であるブール代数を使った計算性の全体像が探求された。万能計算機のアウトラインを描いている、チューリングマシーンの概念が創られたのは、そんなに昔のことでは無い。電子計算機は第二次大戦時の暗号の解明に役立てようと試作された初歩の計算機に由来する。

その当時の計算機は、現在の様にtransistorを使った物では無くて、電子を操作する真空管を使っている。その真空管もその数たるや一万本~五万本という本数で、その活動電気料はもの凄いもので、また当然の事ながら発熱量は膨大でそれを冷却する為の装置も大変な水量を要した。いかに大掛かりな装置であったかが想像つくだろう。計算機の基本的機能を最も単純にデザインしたのが万能計算機のアウトラインを描いたチューリング・マシーンである。この計算機の形態は、codeとHeadで構成され、機械的な指示に従って動く自動計算機の概念である。

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