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「生命とは何か」ーシュレーディンガー

2023年06月28日 19時09分11秒 | 分子進化と集団遺伝学

 この本(生命とは何か?)の著者は、1925年辺りに始まる量子力学の草創期に、Heisenbergの行列力学と共に、ド・ブローイの物質波の物質と波動の二重性のアイデアを、波動方程式として出したシュレーディンガー方程式の導入者である、エルヴィン・シュレーディンガーが書いた「生命と遺伝現象」に関する物理学側からの見解である。本の初版は1944年になってゐて、時代的には古さを感じさせるが、細かい部分の改訂を省けば、生命を考察する際の基本問題の根幹に触れており、古典として今尚を有益な著作である。1944年と謂えばヨーロッパ戦線は帰趨が見えていて、大東亜戦争に於いても日本の劣勢が明らかに成りつつある時期である。ウィーン生まれのオーストリア人、シュレーディンガーはユダヤ人ではないが、この時(1944年)には、すでに、GermanyからEnglandに亡命し、その後に北IrelandのDublinに在るDublin、Trinity・collegeの教授として在籍していた筈である。すでに原爆が開発されつつあり、やがて日本の一般市民の多大な犠牲者を生む直前の時代である。

20世紀後半の自然科学の最先端は、量子力学や物性物理・原子核物理学の時代から分子生物学の時代に移りつつあった。ここでシュレーディンガーが未だ歩き始めたばかりの分子生物学を意識して、この様な本を書いたのだとしたら、私は彼に先見の明があり、やはり極めて優れた洞察力を持つ物理学者であると思った次第であった。この本は日本でも戦後の比較的初期に、安価な「岩波新書」の一冊として高校生など一般人の手にすることが出来る本であった。高級な数学は殆ど使って居ないにも係わらず、その分析力と、問題への切り込みは鋭い。翻訳者の岡小天、鎮目恭夫の各氏も優れた方たちである。鎮目恭夫氏はノーバート・ウィーナーの著作で、そのお名前を知って居た。

この本でシュレーディンガーが提示している論点を書いてみたい。

本来物理学は、存在の基盤・基本である「物質とは何か?」という問いに答えようとする学問です。同時にそれは存在の最小の単位としての構造の最小単位としての原子論も導入した。原子自体は古代ギリシャや古代インドでも探求され、物の最小の単位としての原子論も遠い昔にも存在したのです。さらに現代物理学は、この世界を創り上げている最小の物質とは何であるか?を、知ろうとした訳です。シュレーディンガーは、「生命とは何か?」という表題を持つ、この本の中で物理学者らしく原理と原則を提案している。

20世紀前半の物理学が知ろうとしていたモノは、世界の構成要素としての原子とその構造です。(当時19世紀後半は原子は未だ空想上の概念でしか無かった)熱力学からエントロピーの概念が生まれ、偉大な数理物理学者、ルドルフ・クラウジウスや、統計力学の牽引者ルードビッヒ・ボルツマンなどが熱力学とその確率論を応用した統計力学を開拓して行った。物質の持つ質量とエネルギー力学の問題は、特殊相対論を提案したA・Einsteinにより解明された。特殊相対論の特筆すべき成果は「等価原理」である。その結論は、E=MC2乗という等式に因り、物質の持つ質量と熱量の関係が導き出された。殆んど高校レベルの数学しか使わずに、この数式はかんたんに導き出すことが出来る。また元素生成の起源や元素の創成は、恐るべき重力の力に因る超新星爆発など、空間と時間が質量の持つ重力に因り変形される一般相対論などは、未だにアインシュタイン方程式は、その解の問題と共に今も議論がされている。重力の齎す宇宙の問題はブラックホールの本質と共に、いまだに解決はされていない。

此れとは少し別の問題として、「生命とは何か?」という問いと、その認識的射程をシュレーディンガーは、この本で問題点を提起している。生命を創る物質としては確かに原子であるが、生命現象自体は分子構造の上に点在する化学反応である。つまり生命とは原子の次元の現象というよりも、その上の原子が集まった分子としての構造と作用を持つ次元での現象である。生命の重要な特徴として、真核細胞では、生殖を通じて複製をつくるという基本的な目的の下に在る現象であり、生命とは一番に、複製を創れる事と、個々の細胞の集る全体的な目的性と細胞が調和的に活動して内的平衡(恒常性)を維持するようなSystemが働いている現象である認識です。さらに生命の特徴である生態情報の複製が、如何なる分子情報によって担われているか。その情報の保存がのどのような形で維持されているか?を探求している。これはのちの分子遺伝学その物である。

この本では、分子生物学の核心である分子遺伝学のModelも実に巧みに提案している。シュレーディンガーの、この世界観は面白いし重要であるともいえる。生体を複製する遺伝子がどのように働き、さらには其の複製が或る期間、生体の恒常性を維持しどのように生きるか?を問う。地球の生命の全体は産まれい出て、或る期間だけその活動を維持できる。その期間が終われば、生まれた命は消えてゆく事に成る。それは大自然の摂理であり宿命であると言える。我々はかならず消えゆく存在である。その為にこそ、我々は次の世代を残そうとするのです。それは我々というよりも地球生命全体の意図でも有るのです。

生命の起源は遠い昔から人間の関心の的であり、様々な仮説が出されて来た。面白いものも陳腐なものもある。だがその様な仮説はさておき、生命の起源が地球という稀な惑星にうまれた奇跡であろうことは誰にも分ることであろう。地球環境が生命を生み、その生命は太陽が育てたのである。そして地球環境の特徴は水があるという事であり、そこに太陽からの光のエネルギーの恵みがあることである。生命現象の大元は太陽の力にある。その水素融合の莫大な熱エネルギーは、地球以外にも放射されているが、そのエネルギーを基に生命が発生しより高度な物へと自己進化を行い得たのは地球だけである。

太陽の水素核融合は、これから先50億年は続くであろうが、太陽はやがて手持ちの水素をヘリウムに変えて燃やし尽くし、最終的には鉄の生成でその活動は終わる。現在の太陽は恒星の変遷過程から、やがて赤色巨星へとその姿を変えて行く。太陽を始めとした諸々の恒星は元素生成の溶鉱炉とでも言える。我々の命も永遠ではないのである。現在の我々も主としては消滅すべき運命を甘受せねばならないだろう。ただ思い出すのは、我々地球生命が何のために生まれて来たか、それは偶然なのか必然なのか、私達生物も、大きな目で見れば、この大宇宙の元素生成の小さな一部なのかも知れない。驚嘆すべきは私たちが星空を見上げ、小さな小さな生命体が、この神秘ともいえる宇宙世界を知ることが出来るという驚きである。

太陽の構造とそのメカニズムは、大方は解ってゐるが、太陽系自体の生成にはまだ多くの謎がある。中心部の熱核融合反応は2つの水素を融合しヘリウムへと元素変換する過程で発生する熱放射エネルギーである。発生した熱光エネルギーは太陽の表面に出て来るのに20万年ほど要する。であるから、朝、我々が太陽を見上げて光熱放射は20万年前に生成された物なのである。それに対して元素変換の過程で出るニュートリノは光の速さで瞬時に太陽表面に出現する。そしてそれは我々に地球にも降り注いで居るのです。海の浅瀬に太陽からの放射線をうけて、ある化学反応が起きた。その化学反応が重合しひとつの集団を作った。それは太陽の光を自己エネルギーに変える光合成を行うまでに変化した。それが地球生命の始まりであろうと想像する。

生命の活動は基本的に物理化学の原則が適用でき、その基本的な法則性の下に生命が出て来たのは、法則的な結果であろうとしても、矢張り、其れだけでは割り切れない神秘がある。一見物質と生命は、まるで異なって居るかに見えるが、我々がまだ知らない根源的な秘密があるのだと考える。

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確率統計論と進化に及ぼす遺伝子浮動

2023年06月15日 19時02分08秒 | 分子進化と集団遺伝学

 生物の再生を創る情報としてDNA(デオキシリボ核酸という塩基物質が生物の細胞には必ず存在している)は、4つの塩基が水素結合で結ばれ、アクチン・ミオシンシ・トシン・チミンという各塩基の対に成って、AとC、MとTは、互いに対になり、らせん状の構造を創り出している。遺伝子浮動とはその塩基分子が、熱の為に常に分子が熱振動をしてゐて、塩基の対に変化を起こす事を言う。遺伝情報の変異は生物の形質に変化をもたらす物だが、この遺伝子浮動は生物の形態変化とその原因である分子進化の主要な要因の一つと考えられている。 進化論と絡んで動植物の遺伝子、その分子遺伝学上の生物の形態情報を記録するデオキシリボ核酸の塩基の位置変化は、常時起きている事が発見されたのは、今から大分昔のことである。当時、高3の頃に家で購読していた科学朝日という雑誌がある。確かこの8月号には、1968年頃に東京で開催された、世界生物学会議だか遺伝学会議だかで、木村資生 岡崎遺伝学研究所教授の説が解説されていた。後に木村先生は、英文で「分子進化の中立説」という本を書かれており、その主張は遺伝子を構成する化学分子が定期的に変化して、それが生物の環境の変化に対する適応を創り出している。という主張だった気がする。DNAの永い鎖の塩基の位置変化である分子遺伝学的進化論であった。

当時の私はメンデルの法則くらいは頭に在ったが、分子遺伝学の詳細な論拠は知る由もなかった。で、中立説だって?、遺伝子の中立って何だ?構造の何が中立なんだ?、くらいの認識しかなかったのは仕方のない事です。1968年の夏ことであり今から55年も前のことですから。当時は進化論全盛の時代です。より強い高等な物がそれ以外の生物を駆逐するという狂暴な誤解がまかり通る時代でした。それは生物の歴史から否定されたのも係わらず、そう言った錯誤は今現在にも残っております。それが現実世界を左右しているという間違った認識です。

初期の進化論の歴史はとても面白いものが在ります。それはCharles・Darwinという人間の面白い知的成長過程から辿ることです。成長期に問題を抱えていたこの人は、その著書にもある通り当時有名だったライエルの地質学を勉強し、地層や化石という物に興味を示しました。Darwinはビーグル号航海記で有名です。その後の進化論に関しても問題を生み、その後の進化論論争のタネを作っている。DNA分子は熱の為に常に揺らいでいる。それは、生物の変化と常に関係してゐて適応と進化の差異は、現在でも多く議論される問題です。現在では「分子進化学」という分野が出来て居り、或る一定期間の間に、塩基の変異が一定量存在するという、時間的な分子進化の問題です。DNAの分子ラセンは固定したものでは無く、常に熱力学的に揺らいでいる。これはおそらく熱的な揺らぎであり、謂わばらせん自体が熱による振動をしているイメージです。熱的な振動であれば分子進化も単位時間内に一定量の変異が起きるのは誰でも推測できる。この熱的遺伝構造の分子置換がでは進化にどれだけ影響を及ぼしているか、それが問題です。

分子進化学は、その辺の現象を理論的に解明したいという動機で、起こった学問分野です。それは生物の個体変化を解くカギになる。

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書評ー日本語人の脳ー角田忠信ー言叢社

2023年06月03日 10時32分18秒 | 日記

 この著作は,、聴覚の機能を通じて人間の脳の先鋭的探求者である角田忠信博士の最終著作です。角田博士は長年に亘り、「聴覚」の研究を通じて、多くの著作と論考を書かれています。それにしても凄いのは、その御研究は人間の「聴覚」と云う、基本的な感覚器に関連した物であり、其処から幾つかの驚くべき推論と理論を発表為さって来ました。現在、この研究の奥行きは未だ見えぬほど深く且つ広い物であることが窺がわれます。

聴覚は、人が社会的に人として生きる上で殆ど不可欠の能力です。若しもこの能力が欠けて仕舞ったとするならば、ヒトとヒトとは視覚を使った手話など以外に交信することが出来ません。角田氏の研究の一歩は、生まれながらの聴覚障害児の社会復帰をどう支援するか?、という課題だったそうです。親は子供が生まれる時に五体満足か?と心配します。生来「眼」と「耳」に、障害を負って来た子供は、社会生活をする上で、最大の負荷となります。眼が見えないと云う事は、人間社会で普通に生活をするには、子供の時代は衣食住万汎に亘り、両親かその他の支援して呉れる誰かに、補助をして頂く必要が在ります。それは実に大変なことです。

成人してから「視力」を失う事は、もの凄いハンディキャップですが、生れながらに眼が見えない場合はどうなのでしょう?。誤解されると困るのですが、「目」と「耳」の障害の内どちらが依り重大なのでしょうか?。勿論、どちらも最重要な機能には違いないのですが、そしてどちらも社会生活に必要な「コトバ」と「文字」の能力に関連しています。改めて言いますが、生まれ乍らに耳が聴こえないという事は母語の獲得が出来ないという事です。コトバを話す能力が、子供に在ったとしても子供は日本語としても音声を学ぶことが出来ない。これは社会生活を営む上で最大の障害です。コトバを話せないとしたら、社会生活は支障を来す。

眼の機能は外部世界を見る事ですが、それは聴覚に依る音声と、視覚に依る文字を重ね合わせて子供は耳と眼で言葉を習得します。この、二つの機能を脳の中に統合して、人間らしい世界が開けます。特に聴力の喪失は、交信手段と思考手段と表現手段という言語の機能的な能力の基礎として根本的で重大なものです。永年、この難聴児の訓練と社会復帰を目指して働いてきた氏は、種々の曲折の内に、「聴覚が」人脳にどの影響力を与えているか?という研究に進みます。工夫を凝らして聴覚の独創的な方法論である「角田法」を創り上げ、左・右の脳の本質機能を聴覚を通じて突き止めて行く。そして最終的には「日本語の特別性」に到達する。

ヒトに限らず生物の形態変化や脳神経系は、始まりから終わりまで、地球という大自然の環境の下で形成されたものである。と同時に、更に言えば太陽系という言う、広大で莫大な宇宙空間を背景として、太陽系という一つの惑星系の中で育って来た物です。その取巻く世界の重力に因る運航とリズム、その土台の重要さを知らなければ、生物や人間の脳の本質などは何にも分からないだろう。我々のすべての能力は結果的に大自然が作り上げたモノなのです。その点を見落としては、何の本質的な認識には至らないだろう。その後、角田さんは難聴の子供たちの治療と聴覚研究に進む。

ヒトが言語を獲得する過程で基本的なものは、人が生まれ所属する言語集団のコトバです。それを母語と云います。この「母語は」一個に人間の一生に決定的な影響をもたらします。世の中には、いわゆる言語の天才という人達がいるのですが、一人で10ヶ国語20ヶ国語に通じる人たちである。然し、その人たちに於いても「母語は」一つなのです。つまり、何十ヶ国語を、読み、書き、話せても、その人の思考展開の「母語は」一つなのだという事です。そして一人の人間の一生を通じて、「母語か」形成される時期は定められている。この事はとても大切なことを言っている。子供が母語を習得するこの時期は、人生で決定的に重要な時期である。子供時代に言葉を収得するということは、単に文法と音韻を収得することではない。重要な事は人間の脳の機能に、角田さんの謂われる、脳内スイッチの形成と作動に足った一度の刻印が押される時期という事です。「日本語は」母音を基本として形成された特異性が目立つ言語です。

ヒトはコトバを習得する過程で、コトバの持つ文化的な世界観・価値観を同時に収得する。日本語に形勢は未だに謎が多い。世界中のどんな言語とも日本語は似ていない、共通性が無い。明治以降、言語学者は日本語の起源を求めて、様々な試案を試みた。特に戦後は、世に名高い言語学者は様様の試案を提出しました。金田一京助、服部四郎、時枝誠記、大野晋、安田徳太郎、日本語の起源を求めて外国語を猟歩した者は多い、だが、チベット語も朝鮮語もタミル語その他も、本質的に文法・語彙とも日本語とは異なっていた。語彙には似た音がどんな言語にもある。人が口で話す以上発音できる音声には限りがあり無限ではない訳です。当然似た音声の語彙は在ります。

それが言語間の共通性に成るか?と言えば、それは乱暴なこじ付けでしかない。大野晋氏のご本に依れば、確かにタミル語の語彙には幾つもの似たものが在る。それは昔に安田徳太郎氏がチベット語(レプチャ語)と日本語の関連性に言及された時もそうでした。結論的に言えば、日本語の起源を外国の言語系から探し出すのは、諦めた方が好いとおもいます。多重言語説などもありますが、それに於いても、現在の日本語の特徴である母音構造を十分に説明するものではありません。それよりも、日本語は日本列島で旧石器時代人から話継がれているコトバだという自然な認識に従った方が正解のような気がします。

更に、日本語の系統以外にも、コトバには人間の精神に影響をもたらす現象もあります。日本語の音韻体系とともに、コトバの意味論には人間のこころの構造を思わせるまだ解明されていない莫大な領域が存在する。それは角田忠信先生が指摘される、人間の言語機能と共に人間の脳神経網には、惑星との深い共振までが記録されていて、現在の流行りの分野である、フラクタルやカオスの現象とともに、自然の周期に共振する生命体の挙動が記録されるという。

私はここで現代の自然科学の発展以前の、その母体となった「太占」「易」や「占星術」を詳しく言いたい訳では無い、ただ、力学的世界観が確立されて居なかった17世紀の天文学者たち、とりわけヨハネス・ケプラーを始めとした人々に言及したい。自然認識の歴史的経緯から推測すると、数学と天文学、工作技術は、近代科学の土台になっていて、力学的世界観は天体の観測を合理的に理解するための試論的天文学から成長してきた芽です。ケプラーが言うようには、わたしは直接的に星辰の動きが、一個の人間の運命を完全に決定するとは思わないが、しかし、完全な無関係とは謂えないだろうと感じている。ケプラーは徹底した計算屋だったので、惑星の運動を完璧に理論的に後付けしょうとしてゐた。それは彼が数学者であったから、正しいと信じている占星術をして、個人の人生の運命の枝葉末節まで決定出来るとする信念を持って計算した。彼はヒトの運命を、その生まれた時の星の位置、誕生の何時何分何秒まで拘ることに成る。

易も占星術を妄想だとする現代人には、凡そ得心の行かない信念である。生命体は、その誕生から星と星座につながり、更には莫大な宇宙とつながっているのかも知れない。生命体も宇宙の一部分に違いない事を思えば、「太占」「易」「占星術」は、新たな衣装をもって復活する可能性が在るのだろうと予想する。数学、天文学、宇宙、易、占星術、コトバ、物理学、そして「我々のこころ」と言う対象は、互いにつながっているのだと想像する。

ここで「日本語人という極めて奥の深い、難解な書物が言及している結論をまとめてみたい。

*角田先生の最大の発見は、脳が宇宙の詳細なデータを感知するセンサーである。という発見です。このことは宇宙と人間が重力ないし電磁波的信号で情報的につながっており、命と星々は一体のものである事を示している。

* これは古代の智慧である占いと関連している。古代人はヒトの一生の運命は星に刻まれていると信じていた。現代人は自分の人生は星とは無関係である、と教育制度から無批判に信じている。此処には外部世界と内部世界が密接につながっていた古代と、外部世界と内部世界は無関係であるとする現代の根本的な世界観の違いである。

* これはどちらも真実からは外れていると私は感じて仕舞う。生命体は地球という太陽系第三惑星上に発生した化学的な負のエントロピーを持ち、化学代謝を持つ不思議な物で在る。、当然の事ながらその母体である地球と無関係ということは有り得ないし、またすべてが地球に支配されるとも思えない。

* 日本語は世界最古の言語であるだけでなく、日本語ほど古い言葉は存在しない、世界の古い言葉は滅びた。最も根源的な、こころを現わすコトバとして残っているのは奇跡的なことであろう。日本語の特徴は歌である。古代からこころに感得したものを歌として表現することを行って来た根源的なコトバである。謂わば日本語は最も古い原始的なことばである。現代の音票表記は漢字に基づいているが、本来の文字は音標文字としていわゆる神代文字として伝えられた。神代文字はいろは48音に対応する記号が指定されている。この神代文字が一般には伝わらなかったのには、古代のどこかで焚書があったのであろう。文明に取って文字を変えるという事は、好い面と危険な面が併存する。日本人は、漢字を導入する事で表記に象形文字を取り入れたが、古代の記録が永い期間に読めなくなった。記録が焚書されたことは文化にとってダメージが大きい。

* 「角田法」の更なる拡張を研究者は目指すべきでしょう。脳の機能の内、言語を駆使する部分と思考法は奇妙に同期している。日本語は母音を言葉の発音の特徴とする。母音は音の変化が狭い、それ故に同音異語が多く存在する。ゆえに擬音語が数多い。子音が主体の西洋語とは根本からして異なっている。日本人のルーツ起源と日本語はいつごろ生れたのか?、この問いは未だに結論が出ていない謎です。我々日本人のコトバはその脳機能の作用と共に外国人とは異なっている。日本人を特徴付けるのは、その言葉である日本語です。一個の人間が母語を獲得する12歳までの言語環境がその特有の脳を創り上げる。その理論と機能の詳細は再認識されるべき重要事項です。

最後に角田理論の結論を要約すると次の様に成るかと思う。

*ー コトバは文化・文明の背骨であり、それはすべての全般に影響を及ぼす。

*ー コトバは音声の面もあるが、= 音、ではない。

*ー 動物の脳は、宇宙星辰のセンサーでもあり地球の時刻と同期するセンサーだ。

*ー 地球の歪は、脳に由って感知される。

*ー 日本語は自然言語として成立した特別な言語である。

*ー 空海の言う言霊は、日本語の特質である。

*ー 日本語は平和的な互恵のことばである。

*ー 神道は、日本語より励起されたものである。

大まかに言えば、その様な結論に成るようです。この他にもあるでしょうが。

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