この本(生命とは何か?)の著者は、1925年辺りに始まる量子力学の草創期に、Heisenbergの行列力学と共に、ド・ブローイの物質波の物質と波動の二重性のアイデアを、波動方程式として出したシュレーディンガー方程式の導入者である、エルヴィン・シュレーディンガーが書いた「生命と遺伝現象」に関する物理学側からの見解である。本の初版は1944年になってゐて、時代的には古さを感じさせるが、細かい部分の改訂を省けば、生命を考察する際の基本問題の根幹に触れており、古典として今尚を有益な著作である。1944年と謂えばヨーロッパ戦線は帰趨が見えていて、大東亜戦争に於いても日本の劣勢が明らかに成りつつある時期である。ウィーン生まれのオーストリア人、シュレーディンガーはユダヤ人ではないが、この時(1944年)には、すでに、GermanyからEnglandに亡命し、その後に北IrelandのDublinに在るDublin、Trinity・collegeの教授として在籍していた筈である。すでに原爆が開発されつつあり、やがて日本の一般市民の多大な犠牲者を生む直前の時代である。
20世紀後半の自然科学の最先端は、量子力学や物性物理・原子核物理学の時代から分子生物学の時代に移りつつあった。ここでシュレーディンガーが未だ歩き始めたばかりの分子生物学を意識して、この様な本を書いたのだとしたら、私は彼に先見の明があり、やはり極めて優れた洞察力を持つ物理学者であると思った次第であった。この本は日本でも戦後の比較的初期に、安価な「岩波新書」の一冊として高校生など一般人の手にすることが出来る本であった。高級な数学は殆ど使って居ないにも係わらず、その分析力と、問題への切り込みは鋭い。翻訳者の岡小天、鎮目恭夫の各氏も優れた方たちである。鎮目恭夫氏はノーバート・ウィーナーの著作で、そのお名前を知って居た。
この本でシュレーディンガーが提示している論点を書いてみたい。
本来物理学は、存在の基盤・基本である「物質とは何か?」という問いに答えようとする学問です。同時にそれは存在の最小の単位としての構造の最小単位としての原子論も導入した。原子自体は古代ギリシャや古代インドでも探求され、物の最小の単位としての原子論も遠い昔にも存在したのです。さらに現代物理学は、この世界を創り上げている最小の物質とは何であるか?を、知ろうとした訳です。シュレーディンガーは、「生命とは何か?」という表題を持つ、この本の中で物理学者らしく原理と原則を提案している。
20世紀前半の物理学が知ろうとしていたモノは、世界の構成要素としての原子とその構造です。(当時19世紀後半は原子は未だ空想上の概念でしか無かった)熱力学からエントロピーの概念が生まれ、偉大な数理物理学者、ルドルフ・クラウジウスや、統計力学の牽引者ルードビッヒ・ボルツマンなどが熱力学とその確率論を応用した統計力学を開拓して行った。物質の持つ質量とエネルギー力学の問題は、特殊相対論を提案したA・Einsteinにより解明された。特殊相対論の特筆すべき成果は「等価原理」である。その結論は、E=MC2乗という等式に因り、物質の持つ質量と熱量の関係が導き出された。殆んど高校レベルの数学しか使わずに、この数式はかんたんに導き出すことが出来る。また元素生成の起源や元素の創成は、恐るべき重力の力に因る超新星爆発など、空間と時間が質量の持つ重力に因り変形される一般相対論などは、未だにアインシュタイン方程式は、その解の問題と共に今も議論がされている。重力の齎す宇宙の問題はブラックホールの本質と共に、いまだに解決はされていない。
此れとは少し別の問題として、「生命とは何か?」という問いと、その認識的射程をシュレーディンガーは、この本で問題点を提起している。生命を創る物質としては確かに原子であるが、生命現象自体は分子構造の上に点在する化学反応である。つまり生命とは原子の次元の現象というよりも、その上の原子が集まった分子としての構造と作用を持つ次元での現象である。生命の重要な特徴として、真核細胞では、生殖を通じて複製をつくるという基本的な目的の下に在る現象であり、生命とは一番に、複製を創れる事と、個々の細胞の集る全体的な目的性と細胞が調和的に活動して内的平衡(恒常性)を維持するようなSystemが働いている現象である認識です。さらに生命の特徴である生態情報の複製が、如何なる分子情報によって担われているか。その情報の保存がのどのような形で維持されているか?を探求している。これはのちの分子遺伝学その物である。
この本では、分子生物学の核心である分子遺伝学のModelも実に巧みに提案している。シュレーディンガーの、この世界観は面白いし重要であるともいえる。生体を複製する遺伝子がどのように働き、さらには其の複製が或る期間、生体の恒常性を維持しどのように生きるか?を問う。地球の生命の全体は産まれい出て、或る期間だけその活動を維持できる。その期間が終われば、生まれた命は消えてゆく事に成る。それは大自然の摂理であり宿命であると言える。我々はかならず消えゆく存在である。その為にこそ、我々は次の世代を残そうとするのです。それは我々というよりも地球生命全体の意図でも有るのです。
生命の起源は遠い昔から人間の関心の的であり、様々な仮説が出されて来た。面白いものも陳腐なものもある。だがその様な仮説はさておき、生命の起源が地球という稀な惑星にうまれた奇跡であろうことは誰にも分ることであろう。地球環境が生命を生み、その生命は太陽が育てたのである。そして地球環境の特徴は水があるという事であり、そこに太陽からの光のエネルギーの恵みがあることである。生命現象の大元は太陽の力にある。その水素融合の莫大な熱エネルギーは、地球以外にも放射されているが、そのエネルギーを基に生命が発生しより高度な物へと自己進化を行い得たのは地球だけである。
太陽の水素核融合は、これから先50億年は続くであろうが、太陽はやがて手持ちの水素をヘリウムに変えて燃やし尽くし、最終的には鉄の生成でその活動は終わる。現在の太陽は恒星の変遷過程から、やがて赤色巨星へとその姿を変えて行く。太陽を始めとした諸々の恒星は元素生成の溶鉱炉とでも言える。我々の命も永遠ではないのである。現在の我々も主としては消滅すべき運命を甘受せねばならないだろう。ただ思い出すのは、我々地球生命が何のために生まれて来たか、それは偶然なのか必然なのか、私達生物も、大きな目で見れば、この大宇宙の元素生成の小さな一部なのかも知れない。驚嘆すべきは私たちが星空を見上げ、小さな小さな生命体が、この神秘ともいえる宇宙世界を知ることが出来るという驚きである。
太陽の構造とそのメカニズムは、大方は解ってゐるが、太陽系自体の生成にはまだ多くの謎がある。中心部の熱核融合反応は2つの水素を融合しヘリウムへと元素変換する過程で発生する熱放射エネルギーである。発生した熱光エネルギーは太陽の表面に出て来るのに20万年ほど要する。であるから、朝、我々が太陽を見上げて光熱放射は20万年前に生成された物なのである。それに対して元素変換の過程で出るニュートリノは光の速さで瞬時に太陽表面に出現する。そしてそれは我々に地球にも降り注いで居るのです。海の浅瀬に太陽からの放射線をうけて、ある化学反応が起きた。その化学反応が重合しひとつの集団を作った。それは太陽の光を自己エネルギーに変える光合成を行うまでに変化した。それが地球生命の始まりであろうと想像する。
生命の活動は基本的に物理化学の原則が適用でき、その基本的な法則性の下に生命が出て来たのは、法則的な結果であろうとしても、矢張り、其れだけでは割り切れない神秘がある。一見物質と生命は、まるで異なって居るかに見えるが、我々がまだ知らない根源的な秘密があるのだと考える。