井頭山人のgooブログ

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

思考機械と理論物理

2025年02月03日 23時44分34秒 | 数学と哲学

 最近機械に思考を代用させようと云う試みが流行の様です、だが、それは最近ではなく、大昔のギリシャ時代からありました。日本にもそれに類したものが有ります。まず理論物理の目的というのは、多様な現象を構成している原理・原則を知る事です。そこから色々な法則が発見できますから、その中で最も基本的な原理を抽出して、それから現象を再構成すること、その一連の思索が理論物理と言ってゐる分野です。機械学習と言っているのは、思考の進行を数学的な概念で記述したものです。ブール代数などはそれに類します。AIとは思考のその一部の機能を機械に代理させるという分野です。機械は疲労もせず黙々と作業を進めますから、また速度が速いので、ルーチン化された部分は機械に作業させた方が良い。機械の使い方は思考の本質に係わる重要な分野です。機械にも自己展開、自己発展という思考のループをさせることが重要です。その過程の中で判別構造を挿入する。

人工知能の核心部は、それが「判断力」を持つかどうかに尽きる。判断力とは何か?、「分析力」である。それは目的性を持つ意識が有るかどうか?という事でもある。簡単に謂えば、真の分析力とは何か、それは情報の質を判別・類別して、その関係性を抽出することだ。生きてゐない機械というシステムが、以上のような機能を持つならば、人工知能は少年の知能を持つと言ってよい。

只、機械的システムは外部からのエネルギーで動いている、例えば電気である。動力源は無限ではない。電気が絶たれればシステムは死ぬ、原子力電池の様なものならば比較的継続する。電源の将来はそうなるだろう。問題の本質はプログラムを遂行する機会に、その得た情報に付け加える想像力を持たせる事だ。それが可能なら人工知能は、普通の人に代えることが出来る。生命の分子構造であるDNA生体情報は、マダマダ詳細にはだ分かって居ない。思考の何たるかも解ってはいない。

分子構造が如何なる意図で動いているのかは、未知の分野です。生物の脳神経系自体は、自然がその必要性から創り出したものです。我々が意図的に作った物では決してない。ここで重要なのは大自然の方向性と構成機能です。この力は日本の古代人も感じて居ました。それが自然信仰と成るのです。後のは修験道に成った。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする