感性と言葉のあいだに生息する生き物が「詩人」という種族である。彼らは感性を言葉に繋げるべく必死の努力をするのだが、それはいつも裏切られて悩むのだ。詩人とは因果な種族である、成りたくて成るのではなく、成りたくなくても成って仕舞うのが詩人であり、詩人に成りたい者でも、波長のない者はどんな努力をしても成ることは出来ない。詩人は天より与えられた災難であり言葉の大本を探った為の罰を与えられたのである。彼らは言葉が紡ぎ出る泉を見ている、だがその聖なる泉の水は、気の遠くなる深い深い深淵から湧出するものなのだ。
最近、わたしは古本屋で吉本隆明さんの「追悼私記」という本を買った。値段は200円である。題名の如く、知人への追悼文を集めた物である。古本屋でペラペラと見ていると知った名前が出て来た。一人は「今西錦司」であり、もう一人は「遠山啓」である。今西さんはすみわけ論でダーウィンの適者生存説に挑戦した、私が思う偉大な人間であるが、もう一人の遠山啓さんは、水道方式という教授法で一世を風靡したこれも偉大な数学者である。この両方の方は、日本の思想界や数学教育に大きな影響を与えた人物である。
永くわたしは吉本隆明という人がどんな人かを知らなかった。彼は初期には詩人であり、その後多大な著作と評論で名を成した人物である。そのくらいの認識でしかなかった。それにお名前の本当の読みは「たかあき」だが、一般には「りゅうめい」と呼ばれていた。名が知られその影響力が増すと漢読みに成るらしい。勿論、漢読みには元々成らない人物もいるが。まあそんな事はどうでも好い。この追悼私記には交流のあった多くの人物が取り上げられて居る。わたしは吉本さんの体験した時代が、丁度わたしの父の時代と重なってゐるので、父は左翼ではなかったが、吉本さんを左翼に染まった人物と考えていた。戦中戦後の時代を体験した人物は、占領軍にそんな一種の洗脳を受けて居たのかも知れない。戦後には所謂、進歩的知識人と称する人が居る。丸山真男や加藤周一と言った御仁である。共産主義者と自称はしないが中身は共産主義者であった。もっと言えば猶太の影響を深く受けた人である。
これまでの吉本さんの著作や対談集を拾い読みするに従って、わたしの認識は誤認であったと感じた。吉本さんは旧弊を打ち破ろうとする気持ちは強いが、決して猶太が主導するような教条的共産主義者ではなかった。敗戦後のこの頃は、左翼で無いと人間ではない遅れた人間と思わされれていた。だが、令和七年の現在、19世紀に始まる共産主義は猶太の世界支配の為に仕掛けられた道具である事が明らかに成ってゐる。戦後の間もないこの頃の吉本さんは、つまり深い洗脳に染まってゐたと言える。この追悼集には吉本さんの若い時代から現在までの、心が辿った自己の内面の歴史と仕事への展望が密かに書かれている気がした。とくに遠山先生への追悼文は他の人に比べて異常に長く、吉本さんの今在るまでの人生を語っているような気がする。
何も知らない私は、最初なぜ此処に遠山啓が登場するのかが解らなかった。遠山さんは数学者であり、また物理学にも親近性があった人である。ところが若い頃の吉本さんは、詩人であり膨大な本を、読み・考え・書いた、初期は先端左翼の評論家であり、総じては日本文化の深層を論じる思想家に変身した。そんな吉本さんが遠山先生と、どう重なるのか?。そこで思い出したのが、遠山教授は東京高等工業(現東京工業大学)の先生だった。吉本さんも米沢高等工業(現東京工業大学)の生徒で、高等工業が統一されて東工大になった。此処に接点があったのだ。そして私見だが、数学と詩の親近性は強いのだ、どちらも研究するには大掛かりな機械は必要が無い、謂わば、紙と鉛筆が有ればそれで済む。追悼文を読み進めるに従い、遠山啓さんが吉本さんの人生に深く影響を与えている事が解ってきた。詩人は世の流れに敏感なので、大抵は左翼全盛の時代には無意識にそれに染まる。
現在の日本は、一時の左翼全盛の時代が過ぎ去ると、共産主義ほど陳腐なものは無い事に気が付き始めた。彼らは、今まで左翼幻想に深く酔わされて、何も見えずフラフラと暴力を振るい、ソ連を崇め、不思議な事に、同じ穴の狢のアメリカを否定した。だが、ソ連を創って再び壊したのは、アメリカを支配している猶太金融資本機構であり、世界支配をそのProtocolで挙げている猶太超国家勢力である事など何も知らないに違いない。そして、江戸時代の封建制反対、資本主義反対、資本家反対、国家権力反対、と、何も知らず、何も分からず、動物の様に訓練され者たちが、新左翼と呼ばれ日共と呼ばれていた。そんな中に吉本さんも一時は住んで居たのである。だが吉本さんにも、Marx自体がイギリスを支配しているRothschild家と縁戚に在り、マルクス主義と称する世界攪乱の方法論が猶太連盟の要請で書かれた事を知って仕舞ったら、あまりに阿保らしくて今までの狂態が何であったか恥ずかしくて何も言えないだろう。
遠山啓教授への吉本さんの追悼文の中で、米軍の無差別爆撃で東京の下町は焼き尽くされ、大學は見るも無残な状態に在った時、学生有志が遠山教授に数学の講義を頼むのである。その講義は「量子論の数学的基礎」という内容だったらしい。階段教室には200名ほどの学生が詰めかけていたという。空きっ腹を抱えてそれでも学問への魅力を失わなかった真正の学生には、感激せざる得ない。本来の教育とはこんな条件の中でしか成立しないとするならば、豊かな中での本当の教育や講義とはいったい何なのだろう。
次に書いて有るのが、今西錦司先生である。この特異で偉大な思想家は現在で云う生態学の創始者のひとりであるが、今西の思想は単なる生態学を超える知恵を持つ。彼の思想と哲学は人間の社会を考える上でも非常に強く有効である。