井頭山人のgooブログ

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「詩とは何か、詩人とは何か」

2025年01月25日 18時38分55秒 | 数学と言語学、及び宇宙論と哲学

 感性と言葉のあいだに生息する生き物が「詩人」という種族である。彼らは感性を言葉に繋げるべく必死の努力をするのだが、それはいつも裏切られて悩むのだ。詩人とは因果な種族である、成りたくて成るのではなく、成りたくなくても成って仕舞うのが詩人であり、詩人に成りたい者でも、波長のない者はどんな努力をしても成ることは出来ない。詩人は天より与えられた災難であり言葉の大本を探った為の罰を与えられたのである。彼らは言葉が紡ぎ出る泉を見ている、だがその聖なる泉の水は、気の遠くなる深い深い深淵から湧出するものなのだ。

最近、わたしは古本屋で吉本隆明さんの「追悼私記」という本を買った。値段は200円である。題名の如く、知人への追悼文を集めた物である。古本屋でペラペラと見ていると知った名前が出て来た。一人は「今西錦司」であり、もう一人は「遠山啓」である。今西さんはすみわけ論でダーウィンの適者生存説に挑戦した、私が思う偉大な人間であるが、もう一人の遠山啓さんは、水道方式という教授法で一世を風靡したこれも偉大な数学者である。この両方の方は、日本の思想界や数学教育に大きな影響を与えた人物である。

永くわたしは吉本隆明という人がどんな人かを知らなかった。彼は初期には詩人であり、その後多大な著作と評論で名を成した人物である。そのくらいの認識でしかなかった。それにお名前の本当の読みは「たかあき」だが、一般には「りゅうめい」と呼ばれていた。名が知られその影響力が増すと漢読みに成るらしい。勿論、漢読みには元々成らない人物もいるが。まあそんな事はどうでも好い。この追悼私記には交流のあった多くの人物が取り上げられて居る。わたしは吉本さんの体験した時代が、丁度わたしの父の時代と重なってゐるので、父は左翼ではなかったが、吉本さんを左翼に染まった人物と考えていた。戦中戦後の時代を体験した人物は、占領軍にそんな一種の洗脳を受けて居たのかも知れない。戦後には所謂、進歩的知識人と称する人が居る。丸山真男や加藤周一と言った御仁である。共産主義者と自称はしないが中身は共産主義者であった。もっと言えば猶太の影響を深く受けた人である。

これまでの吉本さんの著作や対談集を拾い読みするに従って、わたしの認識は誤認であったと感じた。吉本さんは旧弊を打ち破ろうとする気持ちは強いが、決して猶太が主導するような教条的共産主義者ではなかった。敗戦後のこの頃は、左翼で無いと人間ではない遅れた人間と思わされれていた。だが、令和七年の現在、19世紀に始まる共産主義は猶太の世界支配の為に仕掛けられた道具である事が明らかに成ってゐる。戦後の間もないこの頃の吉本さんは、つまり深い洗脳に染まってゐたと言える。この追悼集には吉本さんの若い時代から現在までの、心が辿った自己の内面の歴史と仕事への展望が密かに書かれている気がした。とくに遠山先生への追悼文は他の人に比べて異常に長く、吉本さんの今在るまでの人生を語っているような気がする。

何も知らない私は、最初なぜ此処に遠山啓が登場するのかが解らなかった。遠山さんは数学者であり、また物理学にも親近性があった人である。ところが若い頃の吉本さんは、詩人であり膨大な本を、読み・考え・書いた、初期は先端左翼の評論家であり、総じては日本文化の深層を論じる思想家に変身した。そんな吉本さんが遠山先生と、どう重なるのか?。そこで思い出したのが、遠山教授は東京高等工業(現東京工業大学)の先生だった。吉本さんも米沢高等工業(現東京工業大学)の生徒で、高等工業が統一されて東工大になった。此処に接点があったのだ。そして私見だが、数学と詩の親近性は強いのだ、どちらも研究するには大掛かりな機械は必要が無い、謂わば、紙と鉛筆が有ればそれで済む。追悼文を読み進めるに従い、遠山啓さんが吉本さんの人生に深く影響を与えている事が解ってきた。詩人は世の流れに敏感なので、大抵は左翼全盛の時代には無意識にそれに染まる。

現在の日本は、一時の左翼全盛の時代が過ぎ去ると、共産主義ほど陳腐なものは無い事に気が付き始めた。彼らは、今まで左翼幻想に深く酔わされて、何も見えずフラフラと暴力を振るい、ソ連を崇め、不思議な事に、同じ穴の狢のアメリカを否定した。だが、ソ連を創って再び壊したのは、アメリカを支配している猶太金融資本機構であり、世界支配をそのProtocolで挙げている猶太超国家勢力である事など何も知らないに違いない。そして、江戸時代の封建制反対、資本主義反対、資本家反対、国家権力反対、と、何も知らず、何も分からず、動物の様に訓練され者たちが、新左翼と呼ばれ日共と呼ばれていた。そんな中に吉本さんも一時は住んで居たのである。だが吉本さんにも、Marx自体がイギリスを支配しているRothschild家と縁戚に在り、マルクス主義と称する世界攪乱の方法論が猶太連盟の要請で書かれた事を知って仕舞ったら、あまりに阿保らしくて今までの狂態が何であったか恥ずかしくて何も言えないだろう。

遠山啓教授への吉本さんの追悼文の中で、米軍の無差別爆撃で東京の下町は焼き尽くされ、大學は見るも無残な状態に在った時、学生有志が遠山教授に数学の講義を頼むのである。その講義は「量子論の数学的基礎」という内容だったらしい。階段教室には200名ほどの学生が詰めかけていたという。空きっ腹を抱えてそれでも学問への魅力を失わなかった真正の学生には、感激せざる得ない。本来の教育とはこんな条件の中でしか成立しないとするならば、豊かな中での本当の教育や講義とはいったい何なのだろう。

次に書いて有るのが、今西錦司先生である。この特異で偉大な思想家は現在で云う生態学の創始者のひとりであるが、今西の思想は単なる生態学を超える知恵を持つ。彼の思想と哲学は人間の社会を考える上でも非常に強く有効である。

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未来への問題

2024年04月26日 21時08分36秒 | 数学と言語学、及び宇宙論と哲学

 脳が生み出した数学と脳が紡ぎ出した言葉とこの双方には関連性が無い筈がない。統合された意識としての(こころ)その必然性と構成性の絡み合い、これが最大の探求問題だ。数学・物理・化学・的な面で得た道具で、生物生命の仕組みを、どれだけ知ることが出来るか?。知るとは何なのか、それは脳の持つ機能だけなのか?、此処の所が解らないのだ。これまで地球上で発生し、様々の生存困難な事態を克服して生きて来た生命体の本質が探究される時代に入った。そして、例を挙げれば、その認識の本体を窮理する事である。我々が例えとして使う、「こころ」「意識」「魂」、と言う様な表現対象の奥に在るモノである。それが此れからの研究対象の探求方向です。物事を知るには、普通は先ず実体から入る、と、すると細胞の構造や機能の探求から入ることに成る。眼で見て知る部分も在るでしょう。眼から見た細胞間の情報が探求される。そしてその細胞間の軸索を通じた電流の電位その信号回路がモデル化される。元々「こころ」という物は、コトバが発明した概念であろうが、形の在るモノではなく、空間に浮遊するプラズマボールのようなイメージで捉えられていた。しかし「こころ」を科学する様に成れば、もっと実態に即した細胞の現象信号系を探求することが求められる。

脳神経科学の探求者にとって、「こころ」と言う物、概念は神経細胞が紡ぎ出す波動情報の重ね合わせの上に発生するのだと思われていた。この様な想像は、誰でも思う浮かぶものであり、特別珍しい発想ではない。ところで我々を含めた地球上の生物は皆な同じ系統樹の枝であり、その意味では皆兄弟である。然も、我々を構成しているピースは周期律表の謂う元素であり、その意味では構成の要素は宇宙的な物である。では元素はどうして出来た(生成された)のか?、ものの本では宇宙の始まりには水素しか無かった。それ以外のすべての元素は星の中で創られたものだ。いわゆる核融合である。ただ、星のなかの溶鉱炉では鉄までしか創れない。それ以外の元素は核圧縮が必要な場合であり、それは超新星爆発の過程で創成される。もちろん我々は元素で創られており、元素の集合体である化学的な化合物である。更にもっと細部まで辿るのならば、我々はハドロンやレプトンなどの陽子や中性子、中間子、電子で構成されている。更にたどれば、構成子(クオーク)であるし、もっと辿れば一次元の紐や二次元の膜である事も想像に入れる事ができる。この様に外部世界と生命の内部世界は互いに繋がって居て、宇宙は我々の内部に在ると謂えない事も無い。

生まれて来た命は必ずその機能を止める、それは命の必然でありすべての物の行く末だ。わたしはそうして涅槃に入るだろうが、幸せな偶然がわたしをこの地球上での生活という奇跡を齎してくれた。幸福な時間を体験できたという思いで亡き父母の所に帰りたい。私は物事を考えるだけで、感じるという大切な機能を十二分に使ってこなかった。それは謂わば偏った精神生活である。私たちは考える事も大切だが、それと同じくらいに、こころと言う神秘を通して、感じるという事をもっともっと体験すべきだ。そうしないと死んでから後悔するだろう。感じるという事は考える事よりも深く偉大なものだ。でも多くの人は唐突にこう謂う事を言われても当惑するだろうな。感じる事は言葉を身に付けてから、一層難しく成った。そうだね禅で無に成る事が難しい様に、純粋なこころのアンテナの指向性を使う事が訓練をしないと出来なくなったらしい。

しかし、この世に父母の愛情をもってうまれ、暖かなふところに抱かれて育った。何も分からなかった幼子は、宇宙の起源や本質を問えるまでの心の発達を見た。有り難い異に、虚弱な幼子は、段々に逞しく育ち、自分の外に自分を包含する宇宙を知るに至ったのです。中学から高校生の頃に、自分は数学か物理学か天文学を研究する職を得たいと思った。その頃から多くの本を読んだ。うまれて来た命はかならず終わるのだが、終わるまでに、物理学と数学を究めたいと考えた。とくに数学の整合性は言葉を超える論理的な力が有る。もちろんそれが最高のものでは無いが、少なくとも今の段階では数学の論理的整合性を超える物が無い以上、この道具を身に付けないのは徒手空拳で、自然の謎に挑むことに他ならない。だから、後生は必ずやこの数学を物にしなければ成らないです。それから言葉はものすごく重要な物だが、コトバで何処まで外部世界を認識できるか、コトバは物凄く重要な物だが、それは論理的整合性とは少し違う、この二つの力、コトバと数学、これは車の両輪のようなもので、何方が欠けても、認識の深まりは期待できないし、車の両輪の如く前に進まない。絶対に言葉と数学はモノにしなければ成らない。

天体物理を遣るにしても物性や素粒子物理学を遣るにしても、道具立てが不可欠で、道具を持たないと何もできない。線形代数学や解析(微積分、常微分偏微分)は最初の道具で、群・体・束・環、複素解析、ベクトル解析・フーリェ解析、多変数関数論、位相解析、整数論、何でも身に着けて置いた方がキャパシティが広がる。これらは道具だと思い身に付けた方が好い。別に身に付けたからと言って、背中に背負ってゐて重い訳では無いのだから。フラクタルやカオス等の非線形力学も道具が必要です。物理屋はなんでも知って居なければ成らないというのは、彼のランダウが言ったとされる伝説です。理論物理学教程という教科書がありますが、このタイトルの上には理論Minimumという物がある。詰まり理論をやる以上、これ位の知識は最低限です。という事で、理論maximは、どの位の知識に成るのか分りません。ランダウ一派の成員が貢献をなしたのは、この辺に有るのだろうか。若いうちにこの道具を身に付ける必要がある。

以前にもこのブログで地球温暖化の実相を書いたが、此処でまた同じことを繰り返しておきたい。地球の生態系に影響をもたらす地球の温度環境が温暖化しているという主張は、何時の頃から始まったのかを繰って見た。それは80年代の終り頃乃至90年代の頃の様に思える。丁度、1989年から1991年に掛けては、国際金融資本家が創り、毎年毎年膨大な援助を続けて来たにも拘わらす、一向に自前で立ち行かない共産国家に愛想をつかし援助を打ち切った時であろう。そして必然の如く共産ソ連は潰れた。そして地球温暖化は、詳しく調べれば誰がどんな主張の下で云い出したかが判るだろう。この主張の根底に在るモノは、「金儲けの手段として温暖化」を、つまり各国の二酸化炭素の排出量から代金をせしめようという魂胆の下に始まったのだろうと邪推して仕舞う。もちろんこの魂胆の闇に在るのは国際金融寡頭勢力の金儲けの手段である。この者達は、あらゆる南極の氷山の崩壊映像とか、太平洋の小島が水没するという、虚構を創り出し宣伝し、それに依って金をせ占める事を考える連中である。彼らは必要とあらば戦争まで演出する。日米戦争も日本を潰し属国と成して、更にはシナを共産国家を設立しょうという意図で始まったものだ。残念ながらその通りになって仕舞った。2020年代の今現在、地球に住む人間を5億人まで削減する事と、この全地球に住む人間を、使役する奴隷として管理する超独裁国家の創立を目指している。注射でこれからも多く亡くなるでしょう。

惑星系としての地球の歴史を俯瞰すれば、多少の誤差は有っても、約10万年を周期に短い温暖化と長い氷河期が繰り返されて来た。それが地球の地質年代である。一言で云えば現在の地球は段々に温暖期を越えて氷河期に向かっている。地球の温度を左右するのは、太陽系の主であるお天道様の活動である。太陽がくしゃみをすると地球は氷河期に入る。温暖化は危険だと多くの人々は洗脳されている。危険どころか温暖化こそ人間の文明や人口を増やした御利益なのである。もしも此の侭、本当の氷河期が到来すると、それは農業の壊滅が始まり、本当の飢餓がやって来て人口は注射で削減しなくとも大激減をする。食うものが無くなれば生きてゐられる人口が減るのは自然の摂理である。そうして人口削減を企んだ者たりが目標とした5億人でさえ生存は不可能に成る。食い物をめぐって奪い合いの戦争に成ることは必至であろう。地球は氷河期にむかっている。それは太陽活動が弱く成り、地場の転回点に差しか有っている為だろう。太陽を運転しているのは自然の摂理である。だがマダマダ太陽のメカニズムは根本的な所で解明されていない。太陽もその水素が最終的には鉄に変換された時、その寿命は終わりを迎えて、我々地球上の生き物も消え去るであろう、永遠に存在するものはないのである。

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角田理論について

2024年03月03日 20時10分04秒 | 数学と言語学、及び宇宙論と哲学

 角田理論についての考察ですが、ブログのIDを忘れて仕舞い、gooの別なブログに書いていたブログを再び取り上げます。(2020年3月8日に書いたもの)

人間が言葉を習得する上で、聴覚はおよそ不可欠な感覚である。この聴覚が機能しなければ、ヒトは言葉を習得し音声を使って話す事ができない。ことばが習得される過程で、聴覚の機能はどんな働き方をするのだろうか?。そして日本語は人間世界の多くの言語と共通性を持つのか?、それとも異質なのか?、などのテーマが思い浮かぶ。なぜなら確かに日本語は世界各国のコトバの系統から離れる、特異な言語とされているからです。角田理論は医科歯科大の耳鼻科のお医者であった角田忠信博士が、1970年代初期に提唱された仮説でした。博士は何冊もの著書をお書きに成られているが、最後に出版された「日本語人の脳」を拝読すると、そこには永いご研究の変遷と核心部が書かれています。

ここでは角田理論のもたらした言語観と世界観について少し私見を述べてみたい。例えば「数学」と言う分野では、言語的な背景に係わらず世界共通という認識が一般的だが、果たしてそれは本当にそうなのか?と、問うた場合に幾分かの違和感がある。西洋数学が科学の上で業績を多く出したがゆえに、現代では西洋式の数学が主流です。我々は中高大で西洋式の数学を学んでいる為に、それが一番使いやすい、自然な方法であると感じているが、しかし西洋数学が主流になる前には、各文化には、その文化的な思念を背景とした数学があった。東洋では、古代にはシナの数学があり、日本にはその影響を受けた数学があり、戦国末期から江戸時代にはシナの数学から独立した日本の数学である和算の流行を見た。和算は日本人の感性で成長した数学であった。江戸時代、約200年間を通じて和算は成長し、その感覚には独特の物があり、成果にも実に面白いものが多々ある。

だが明治維新以後の、明治期には明治新政府の依って和算は洋算に替えられて、謂わば和算は消滅した形になった。明治期以降の学校で習うのは洋算である。洋算で育ってみると、和算には独特の数学的な感覚があるように思える。今現在、和算の方法論を直接になんのレクチャーを受けずに、提示されてもそれが解る人は少ないだろう。なぜなのか?、ここに文化的な差異が存在すると思う。もう子供たちは言うの及ばす、高校生・大學生でも和算の考え方を、何の初歩的なlectureの前提無しに和算を深く理解するのは難しかろう。和算の方法論的感覚は、それを特に学ばない限り消失したように想います。

言語と数学は実は深いレベルではつながっている。それは思考の方法が言語に拠って支えられて居るからです。コトバと数学は、たぶん同じ場所から出ている。数学は論理的想像力ですが、コトバはその想像力を表現する手段です。数学は明晰なコトバを使う人ならば易しい。だが音と思考を結び付ける言葉と言うものに関しては、ある成長時期までの(脳の機能形成過程と関連している)言語環境が大切です。それを逃すと、もう音韻に関する脳内スイッチが、日本語の音韻のスイッチ機構として形成されない。西欧に4ヶ国語を話す人がゐるにしても、それは皆な、同系統のことばであるから簡単であるに過ぎません。日本語は世界に類例のないことばですから、日本語とは異質なことばの外国人が、本格的に日本語を習得することは確かに、日本人が外国語を学ぶ以上に難しいに違いない。

さて「角田理論の言語観」、それは漸次発展して宇宙観にまで到達する訳ですが、先生がその発見をした切っ掛けの原因には、日本人の感覚とそれ以外の人々の感覚が、なにか根本的な違いがあり、その差異の元に在るのは何なのだろう?という疑問があった。その原因は何なのだろう?云う問いがあった。それは外国の耳鼻科学会に出て(確かキューバ島)、そのとき案内してくれた複数のキューバの学生が、宿に帰る道すがら、「猛烈に鳴いている虫の声を聴きとれない」、という経験を為さったらしい。なぜ、あれほどうるさく鳴いている虫の声が聴きとれないのだろう?という驚き、その事が切っ掛けに成って、角田先生はその原因を探ろうとした。

幸いなことに角田先生の専攻分野が耳鼻科であり、特に聴覚障害者の治療と難聴リハビリの分野であった事が、研究をすすめるのに大いに幸いした。最初、この原因が何なのだろう?と、たぶん迷われた事だろう。それが言語であると突き止めた。なぜ、日本語を母語とする私に、虫の声が聴き取れて、Spain語を話す若者に虫の声が聴きとれないのか?。当惑された事だろう。「コトバが脳を形作る?」。この発見は1970年代初期には驚くべき発見だった。コトバは実の所、感覚も思考も規定している事の発見は、サピアの言説以上に衝撃的だ。

聴覚の研究は尽きるところ日本語の研究に成る。ということを語る先師が居た。この師の先見性は大したものだ。聴覚の研究は言葉の研究であり、日本語の研究だ。というのだ。日本語は母音を意味として認識している。こんな言葉は日本語とポリネシア語系のコトバだけだという事です。他にも見つかる可能性はゼロではないが、たぶん無いだろうという考えらしい。これ一事を取って見ても、日本語といい日本人と謂うのは、相当古い言葉であり、古い人類で在るのでは無いでしょうか。日本語は色々なコトバが被さって出来ている言語であると、時枝誠記氏が提唱して居られるが果たして多くの言語が被さったコトバなのか?少し疑問です。例えば現在の英語などは、ケルト語を基層に、古ドイツ語にフランス語が被さった混じったコトバです。その様な例を参考にして時枝誠記さんは、日本語重層説を唱えたのだと思いますが、日本語には、被さるコトバは近隣には無いものです。この辺の事情は未だになぞです。

それは国語学者、言語学者、自身が日本語の本質を知らないからです。ああでもない、こうでもない、と呪文を唱える如き迷妄に彷徨っている。「日本語は日本列島で誕生した固有の他に無い言語」です。こう認識すれば、やれることは沢山ある筈だが、未だに日本語はどこかから来た言語であろうという想像でゐる。その様な漠然とした感覚をもってゐる。言語学界の怠慢は大きい。

特に、子供の母語の習得時期の重要さである。この時期は日本語環境での、脳内スイッチのモジュール形成の時期で、この時期の重要さは幾ら強調してもし過ぎることは無いくらいである。一人の人間に本当の母語が身に付く時期が、9歳から10歳までの時期であるという。それは恐らくは脳機能の成長と同期しているのだろう。この時期の研究は未だ未だ為されていない。音という端子を使い、脳内のメカニズムを考察する研究が此れからはもっと進められねばならない。それが言語の習得と深く関係しているならば、猶更のことであろう。

更に、研究は聴覚から脳の研究を超えるに及んで、驚くべき提案をしている。それは脳が惑星系とのセンサーで、運動(時間)や地球環境での地場の影響(地場の逆転)、地球の歪み(地震)、太陽フレア(磁気嵐)、個体の成長時間(寿命)、が、生命体個体の変化にも関与しているという説です。この提案はむべなるかなです。生命体はこの地球にうまれて、その地球は太陽系のリズムに即して動いている。生命に惑星のリズムが取り込まれているのは不思議でも何でもない。言って見れば当り前の事だ。不思議だと謂って居る御仁は、太陽系の運行が生命のリズムに及ぼしている事実を認識してゐない為です。地球環境の海に発生した生命は、最初に潮のリズムを取り込んで生殖過程を形作った。変化は連続的に続いているが、常に環境のリズムは生命体のリズムとして指導原則に成ってゐる。太陽系第三惑星の自然環境から言えば、月という衛星の存在は、驚くほど大きい。月は地球環境にリズムを付与したのだ。と謂える。月は地球の7割を占める海洋に、干満のリズムを創り出した。其の原体は引力(重力)なのであるが、引力(下の物が落ちる)は、あまりにも当たり前の事であるので、我々は殆ど気にも留めない事柄だが、それだからこそ、大いなる奇跡と呼んでよい。

言語習得の過程は、最近の生成文法の思考でも、また言語起源論の初歩的な問題としても多く議論されてきたが、この問題に真の創造的な回答や洞察を示した例は数少ないと云うより殆ど無いに等しい。言葉の問題の真の核心部は音声とか語彙、意味ネットワークに有るのではない。それよりモット根源的な感覚器の集る脳神経系のモジュール形成過程にこそある。五感の信号が集まる部分にこそ言葉の最初の源泉がある。コトバの問題を探求していると、「いったい意識とは何だろう?」と、謂う疑問が起きます。一言で謂えば、こころとは何んの反映なのだろう?との根源的な問いです。私の感じるところ、おそらく言語起源論の本体は「こころとは何か?」という問いと、ほとんど同じ物だ。

言葉の実体は発信された音声に有るのではない、それは内的な反映であって単なる音と捉えるのは錯誤である。音とは表面に出た通信信号の一種に過ぎない。言語学の本質はむしろ通信を発する本体の方にこそ重要さがある。角田博士の、音声信号、音声環境、音声認識、の研究は、脳機構の実体と日本語の特性とその本質を多くの日本人に気が付かせた。この功績は極めて偉大なものが在る。この研究は未だ途上である。それは言葉だけでは無く、こころと言う見えない実態に迫る物なのですが。

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言葉についての対話ー1

2023年01月05日 12時43分37秒 | 数学と言語学、及び宇宙論と哲学

Aー 言葉について、少し考えてみたいのだがどうだろう。要は人の意識とコトバの関係、または、幼児時代からの言葉の習得、思考と音の関係だ。

Bー それが聴きたかった事だね、ほとんどの者がこの言葉と思考の関係について解らない。自分の解らない。先ずは解らないと言って居る事柄を挙げてみようではないか。

Aー 発声機能と音声の関係は、かなり難しい、それは内的機能としての言語機能と発声が余りに密接に結びついている為に、人はそれを認識的に分離が出来ないでゐるからだ。最終的には意識自体を発現している物とは何か?、という問題に突き当たる。生命体を構成しているデオキシリボ核酸(DNA)という物は一種の蔵であって発動体では無い。それは言語の問題と同じような類例なのだ。コトバに於いて音は一種の通信媒体としての物質であり、それを創成する発動体は現状ではいま言ったように墳利することが難しく把握されていない。現代科学は、生物の構成情報であるDNAと認識行動の基準となる脳神経系を重視しているが、だがそれは本質を知らない思い込みだ、脳神経系の現象は言語の本質と同じ、つまり物質化のアナロージーに堕してゐる。コンピューターは命令文を読み、それを一つ一つ馬鹿正直に超高速で実施するが、ではそのプログラムは誰が書いているか?ということである。人工知能も巧妙に指示を実施するが、人工知能は発動体を持たない機械に過ぎない。それは目的のプログラムを正確に始動するが、唯の巧みな機械に過ぎない。人間機械論はド・ラメトリからウィーナーまで、多くの研究者が出現したが、根本的な所にある思想は人間はというか、動植物を含めた生命は一種の機械ではないか?という発想だ。

数学と物理工学の発達から、電子計算機は現実のものとなったが、機械式計算機の淵源はかなり昔だよ。日本では例えば算盤だ、ソロバンは玉五つの手動式の計算機だ、この計算機にプログラムを乗せることが出来れば自動計算機に成る。ソロバンが明から入って来たのは1400年代で江戸時代のソロバン技術はシナを凌駕したし数学もそうだ。西洋ではpascalが徴税請負人だった父親の為に簡単な手動式の計算機をつくったとされているし、Leibnizも計算機を試作した。本格的な機械式計算機の設計はCharles・Babbageに因る解析機関の発明だが歯車が多すぎて人が回すのは重すぎて動かなかった(笑)という。機械式では限界がある、それで1940年代の半ばに電子の運動を利用する方法を思いついたのが現代の電子鬼計算機だ。これ等は当面、言葉の問題とは異なる感じがするが、実はつながっている。計算機とコトバがつながるとは余り聴かない言説だろうが、認識という物を今までの限定的な枠から外して見て見ると、計算という物とコトバとは相互補完の関係にある。いや数学とコトバと言った方が好いかも知れない。これ等の根は同じだと思う。比喩的に言えば人間の一番奥に在る悟性というものだろうな?、それを理性とかこころと言う者も居るに違いない。

Bー 成る程、その歴史的な所は承知しているが、問題は、ことばの内部構造と意識とつながった、あるいは意識以前の言葉が形成される前の、音声につながる機能だな、それがわからない。それで今の話に成っているのだが、もっと直截に言って呉れないかな。その点が僕には解らないのだ。例えば、我々の感覚情報は、極く限定的なものだ。であるからこの世界の本質をたぶん私達は知らない。だが感知できないからそれが存在しないということは出来ないだろう。そんな難しい事は、少し脇に置いて最初の疑問に戻ろうよ、兎に角、先ずは言葉に附いてすこし突っ込んだ世界を喋って見たい。

Aー それは好いとして、言語の過程は未だに未知の領域だ、「思考と言語」の関係をもっと精密に議論できることが必要だ。記憶の仕舞われ方で言えるのは、視覚は直列だが意味のある音(音節・Sentence・)は並列だという事だね。(音)と(音)を結びつけるもの、その介在する物に意味が在る。意味とは関連したものを結ぶ糸の様なものだ。そして大事なことは、意味とは形式論理的には = のことです。視覚の記憶は直ぐに取り出せる。だが、音声記憶はなかなか取り出せない。その理由は仕舞われ方が異なる為だ。

そして重要なのは(=)等号という観念が、コトバを発する上で、どう生れ、どう機能するか?、言語上のうえでそれが分からねば、コトバの本質は分からない。つまり(音)が(意味)変わるとき、この現象過程が大事です。音は表現できても、意味がついて来ないと、コトバとは成り得ない。意味とは、単語を用いたそれをつなぐ形式論理の事だ。and・or・not・=・を単語に直すと、名詞、助詞、動詞、形容詞、修飾詞、などに表現する事も出来る。論理学的に展開する事で、文章を創ることが脳内でできる。言語は形式論理学と習合論的多様体の一種である。これで数学と言語学は結びついた。思惟形態とはこのような単語の形式論理である。これから分を創り出すことが出来る。単語はいくらでも創り出すことができる。これを情報の最小形態として組み合わせる。多様体は+・-・×・÷、などを言葉に持ち込むことができる。音節が出て来る過程が重要です。なにを基に音節が出てくるか?つまり言語と思考が、どのように結び付いているか?。この順序と機構が捉えられることが必要です。

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思考の道具としての母語

2020年06月12日 17時59分50秒 | 数学と言語学、及び宇宙論と哲学

コトバの起源とその習得は、これは人間の持つ最も基本の道具でありながら、未だにその本質は深い闇に閉ざされた分野である。過去に幾多の人々が、この謎を解き明かそうと挑戦したが、そのほとんどが失敗や挫折に終わっている。およそ是ほど簡単な問題は他にないと思われるほどであるが、人々は何時もその前で跳ね返されている。この太古以来の問題の解を求めてみよ。と思い至る方も多いが、なぜかいつも失敗に終わるのかは、それなりの問題に対する誤謬や、その背景に対する認識の錯誤があるのが理由だろう。たぶん多くは問題の見方と洞察自体が間違っている場合が多いのだ。謂わば本質を捉えていないのである。人間の言語の起源に関する時間軸つまり歴史の問題は少し置くとして、直近の赤ん坊がことばを習得する過程を突き止める事はこの言葉に関する問題では最重要なことである。

にんげんの言語習得に関しては、もちろん聴覚が最も大きな役割をするのだが、それは外部からの情報の摂取という事で在って、もう一つの重要な側面があまり気が附かれなかった。それは内部的な機構とサイクルの存在である。およそ言語の習得に関して、外部的なものばかりを分析しても、あまり展望は得られない。言葉の背景の問題ではこの内部的なサイクル機構の実態の把握が最も困難で重油な部分なのだ。このサイクル機構は自動的に始動し、段階を追って完成する。その過程で、外部からもたらされるコトバ情報がkey情報になる。ことばの習得とは、その様な相互過程の経過を踏んで身に附く母語となる。

母語と仮定するものは、人が生まれて最初に触れるコトバである。然し、それが赤子には、後年意味するところの言葉であるとは感じられない。母語と謂えども、赤子には音を知ることは出来ても、意味を知ることは出来ない。意味とは母語の習得の内から生まれてくる、流れ図的に言えば意識のサブルーチンの一つであり。言葉の意味とは、内的機構が形成されて、コトバの取り扱いが充分に完成してからの話である。であるから赤子には発せられたコトバは、音として聴くことは出来ても、コトバとして、意味ある音としてのコトバを把握する事はない。では、聴覚を通じた、それらの外部情報はいつの頃から意味としての音に変化するか?。

つまり、外部から入って来る音が意味として把握されるのは、いつの頃か?という事である。その最も重要と思われる核心部は、外部の音声としての入力情報にあるのではなくて、内部機構の形成にある。話された音としての言葉が意味としてのコトバに変わるのは内部の変化、つまり受け手の変化に負っている。ここの所が核心部である。人はいちいち声帯に因る音を発しなくても、脳と云う記憶装置に蓄えられた音に因って思考をすすめることができる。此処にこそいわば脳内意味のサブルーチンのCycleが在る。それが黙考であり脳内では盛んに内語の応答が進行している。思考と云う音と意味の互換サイクルの中で、概念や意味が有効に使われることになる。この応答Cycleが形成されるのが謂わば母語の形成と云える.黙想とか内語の機能、意味生成の現場はここのSystemで生成する。

昨日、古本屋を訪れたら「計算機と脳」という文庫が半値で売っていましたので買いました。著者はノイマンです。この人のうまれはオーストリア・ハンガリー帝国のユダヤ人で、帝国内の銀行家の息子です。ハンガリー語は日本語と同じで姓が先に来て名前が後ですので、本来の名前はノイマン・ヤーノッシュですね。本は文庫本の為に新しく翻訳し直したと書かれていました。この本は分からないながらも遠い昔に一度読んでいる。数式は殆ど出てきません。面白かったので完全な物を読みたいと思い、ラティス社と云う所(今は潰れてしまっているかも知れません)が出版していると註釈に載っていたので、そこに注文して買いましたが、ごく薄い本でした。この本を知る最初の切っ掛けは中央公論社の「世界の名著Ⅱ」に収録されていた「電子計算機と頭脳」というレポートの抄訳です。此処にはN・ウィーナの「人間と機械」とか、マッカローの「脳神経系の未来」と題する、今で云うニューラル・ネットワークとか人工知能系統の論文が収録されていました。その中の一つがノイマンの「電子計算機と頭脳」というごく短い講演記録でした。これは著書と云うより講演記録です。

確かコーネル大だか、どこかでシリマン講演という公開講座が在って、講演招待者が2週間に亘って一つのテーマに関して連続講演するのだそうです。ノイマンは招待されたらしいのですが、その時は骨髄腫というガンに罹っていて2週間の連続講演とても無理だったらしく、1週間に縮めた講演の為のメモがこの本の原稿です。それでも1週間の講演さえもガンの進行で出来なかったらしい。ノイマンは原爆開発を精力的に進めていて、水爆の実験観察にも参加し恐らくはその様な核兵器実験の現場での推進が元で骨髄腫という骨のガンに侵されたのでしょう。献身的な核開発の当事者としてあまり褒められた生涯とも思えません。ミサイルの命中度と敵国破壊の効率的な研究も請け負っていた。オッペンハイマーにしてもフェルミにしてもファインマンにしても同様です。自然科学が政治と積極的に係るのが20世紀の後半です。

さて、この「電子計算機と脳」は面白い論文ですが、ごく薄い論述にも係らず一部と二部に分かれていて、各部が「電子計算機」と「脳」という二つのテーマについてのノイマンの考えが書かれて居ますが、私にはノイマンが描いていた海の物とも山の物とも分からない対象である、「脳」に付いての考え方の方に大きな興味を感じました。一部の方はテーマが電子計算機ですから、これはノイマン型と呼ばれるプログラム内蔵式の現在のコンピューターを当然の事ながら予想しています。電子計算機自体もノイマンの時代からすると、隔世の感がするほど桁違いに演算速度と記録容量は発展しています。超々LSIが開発されて、その速度はうなぎ上りで、1秒間に演算回数は千兆×千兆倍に成るでしょう。その上に現代では、EPR効果に基づく量子もつれを応用した量子コンピューターも端緒に付いた事から、この先いったいどれ程の速度に成るのかが分かりません。

ところが半面、「脳」に関しては依然として、ノイマンが描いた時代から長足の進歩をしているとは言い難い。おそらく脳のコトバに関しての深淵が横たわっている。その中で彼が言って居る事は、脳神経系中の言葉(数学)は、我々が歴史的に使っているコトバ(数学)とは、根本的に異なるものである可能性が高い。だが問題は余りにも根源的で、究極には思考と意識の仲介を果たす言葉の問題に突き当たる事だろう。と書いて居ます。ノイマンは当時の神経生理学的知見から脳細胞自体の起電力とその伝達について、脳神経細胞の電位波動である「インパルス」という事に興味をもっているらしいが、それが通信の単位または端子として、どの様な回路で構成されているかを空想している。それは突き詰めれば、脳の言語は何か?、ということなのだ。

元々、想像力と云う物は、言葉の含む曖昧さという概念を元にして成り立っている。メインフレームの0or1の論理が脳中の言語と成り得るか?という事に彼は違和感をもっている。彼が間違っているかも知れないし、或いは正しい可能性も残っている。1950年代の中期に、この伝達言語と内語の関係問題を決める事は難しかった。現在ではだいぶ神経系の研究は進んだがこの著作が提起している問題の難しさは軽く成っている訳ではない。脳神経系中の言語の解明は依然として解明の過渡期にある。二部を構成する「脳」の問題は、つまる所コンピューターの論理と数学で、生きている脳が解明できるか?と云うことを問うている。

それは生命体とは何か?という問いに直接つながる。コンピューターは電源を切れば停止するが死ぬ訳ではない。再び電源を入れれば、プログラムを初めから読み直し復活するが、生命体はそうは行かない、一度停止した脳が再び活性化して動き出すことはない。コンピューターはスイッチを切られても、磁性的な記録(記憶)が残っていて復活するが、生物はデオキシリボ核酸(DNA)と云う二重螺旋分子構造の形で、細胞の中に分子記録媒体が残されるが、統合的な生命体の機能自体は、一度停止したら再び元に戻ることはない。特に脳細胞は酸欠に弱く、比較的短い酸素欠乏状態で脳の機能は死ぬ。今後、人間の文明が越えなければならない将来の課題として、この自動機械の機能と言語問題は大きなネックとして今も残っている。脳神経系中の論理(コトバ)と数学は、我々がいまの文明的な枠組みで使っている、コトバと数学とはおよそ異なるものであろう。それが何なのか、今の次元では確定してはいない。

まだ未知の分野である、脳神経系の数学と言語は、どこかで取り掛かりのヒントは無いかと考えるに、矢張り、自分の思考の源泉である日本語の特質を考えてみるのが一番妥当な方法だと思う。物を考えるのにコトバである音声の、その音節、時制、構造文の上での重要な助詞、てにをは、擬態擬音語であるオノマトペ、動詞、形容詞、むかし中学で習った、未然・連用・終止・連体・仮定・命令・などの活用形である。我々はこの様に、一応、日本語文法の大まかな運用系を学ぶが、物を喋る際にこんな回りくどい文法変化など意識して喋っている訳ではない。相手のコトバを理解して、ほとんど反射的に返答しているに過ぎない。それでも大体は文法の示す所から余り逸脱してないのは不思議だが、子供のころから或る意味で、優れた日本語使いの老人に有像無像の内に、言葉の手習いを受けた賜物であろう。大分前から私は、ことばと云う物がその民族の気質を創り、国柄まで作る重要な要素になっているのではないか?と感じている。日本語では和歌の伝統が示す如く、穏やかで余韻のある控えめな表現を金としているし、ことばを語る際のそれが上品さを現すとされている。私は言葉を聞いていて、実際にそう感じますし大方の人も同じであろうと思います。外国語でも金切り声を挙げたようなコトバを美しいとは感じない。これは意味が分からないからという事ではありません。勿論人によって異なることもありましょう。ただ、小川の流れが歌っている様に聞こえ、水音ひとつにも声を感じる日本語人の自然に対する態度は、外国人には理解できない物なのだろう.。また文化の本質について、日本に生まれたという事だけで、日本文化の実体や身近な過去の江戸時代が理解できるかと云うと、そんな事は絶対にない。やはり、体験していない時代に付いては、シッカリと学ぶことが必要なのだが、学ばねば江戸時代に付いては、いつまでも無知である他ない。

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言語の解明すべき基本的な問題

2019年11月15日 19時05分20秒 | 数学と言語学、及び宇宙論と哲学
当面、言語の特徴的な基本的問題が二つある。1つは、認識の音声化過程とメカニズムを解明することだ。その逆ではあるが音声の認識化の過程を解明することである。2つめは想像性の問題という、この思考の帰結を言語的に解明する事だ。これは、恐らく従来の言語学の範囲を大きく逸脱する問題群だろう。これは心理学や脳科学の全体が関与するもっとも大きく、また困難案問題に成るからだ。数学の多くの重要問題と同様に、我々の身近で、且つこの言語という抽象化の能力が無ければ、人間としての生活が意味を成さない様な分野の基本問題が、いまだに未知の荒野となっている。数学と同様に言語能力の問題は現代文明の土台であり、それは根幹に在る壁なのだ。この壁を超える事で新たな人間の精神文明が形成される可能性は大である。Hegelの言うが如く私は精神が進化するとは思わないが、とりわけ人間たちは発達した技術文明の成果が、過去の石器時代の無知蒙昧を超えて、自分達自身が過去より進化したと信じたがるのを大いに嗤う。断じて決してそんな事は無いのだ。

 問題群を簡単に取り上げる。
第一の問題は、ある認識を伝える為の音声化の過程がどうなって居るか?という問題だ。と同時に、ある音声がどんな過程を通じて認識に至るかという逆問題でもある。簡単なようでいて面倒な問題である。もっと根底には認識という機能の発生の問題が有るのだが。

第二の問題は、言語能力を通じての創造性の問題である。創造性とは新たな分野世界を創り出すという事もあるが、それだけでは無くまったく異なった分野同志を繫ぐという発見も創造性の問題に通じているものでもある。また異言語間の意味認識の翻訳の問題である。一般的な言語は密接に深くその固有の文化と関係しているので、特有な意味と表現が形成される。日本文化などはその良い例の一つである。大陸は戦乱に明け暮れた世界であった為に継続した文化を維持する事は出来なかったが、1つの文明が永く続いた日本では、古来から残されたものがある。漢字以前の文明が永く続いたのであは在るが、記録が不明なために然しながら漢字以前の記録と云うと心許ない。

1:認識の音声化(言語化)の過程(Process)と機構(Mechanism)を解明すること。
  此れとは逆の意味での音声の認識化の過程を究明すること。

2:創造性の問題なのだが、取り敢えずと謂って好いのか分からぬが、
  当面、究明すべき問題は、以上の2つの問題に集約されるとした。

創造性の問題は、大よそ外敵知見と内的認識の組み合わせなのである。
感覚器より得た情報を基に概念を生み出し、認識化し且つ内的な音ろ概念につなぎ
時制(前後関係)や因果性(時制に由来した抱合関係)から、組み合わせ的に
新概念を創造して行く言葉の力が必ず必要となる。
数学的な概念にはコトバを離れたImageによる組み合わせも在るが
言葉の創生という次元での概念操作は、出来上がった言葉の操作という地点よりも
深部にある。

簡単と思われた概念操作は、意味性に基づいて展開する
言葉の次元でも、関係性に基づいて展開する数学的概念操作の次元でも
それらは互いに強い相互作用を持ち、しかも繋がって居る。

言語遊びとも云うべき意味性の問題を提起しているのは、例えば禅宗の語録である。
これは意表を突いた実に面白い問題を提出している。
一般的に人間は思念を音声化して通信を行っているが、その音声化は
千差万別で有り、或る共同体が出来れば、そこで言葉が生まれる。

かってN・Chomskyは人類の普遍言語を話題にしたが、普遍言語という概念は
それは未だ母語を獲得していない時点、言葉の思考力と結ばれて居ない時点での、
基本言語能力は、如何なる言語にも適応・対応できる力が有ると謂う説であるが、
普遍言語能力という仮説は、IPS細胞の様に人体のあらゆる個別細胞に変化できる
と謂うアナロージーに似ている。と言うよりその物だ。

人間には、通信活動を言語化する本能的方法論が備わっている。
その方法論はあらゆる言語に適応できる能力である。
それはこの地球上に生息する生命体に共通な能力であり
神経網は言語を創生する必然的能力があると思われる。

大体の方向性は固まったが、ではその具体的な解明の手順はどうか?
意味の音声化は、語展開の
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古い雑誌を見る

2019年10月17日 19時59分24秒 | 数学と言語学、及び宇宙論と哲学

 古い雑誌(数学ー岩波書店)を取り出して見ていると「フラクタル上の解析学の展開」と言うテーマが目に付く。いったい何の事なのか?と思い論説を見た。熊谷隆氏の論文ではフラクタル空間上での確率過程の挙動を調べる事と、出来れば、そのフラクタル空間での確率過程の理論構築が目的らしい。熊谷氏のIntroductionには、フラクタルという言葉は1970年代にFranceの数学者B・マンデルブローによってつくられた言葉で、一般の滑らかな図形とは異なる連続だが至る所微分不可能なものであり、ある意味では、相当むかしに高木貞治が提案した分岐モデルと似ている。マンデルブローはフラクタルを、不規則で細部にまた複雑な微細構造が殆んど無限に続き、且つ自己相似的な図形をそう呼んだ。一般に、このフラクタル図形が流行ったのはコンピュターが市販されてからの事だろうと思う。それは手製のマイコンキットがようやく市販され、何年かしてNECや富士通が市販目的でマザーボ―ドを付けた電子計算機を発売した頃のことである。

そう言えば、私が買った初めてのコンピュターはNEC製の9801VXという機種であり、インパクトプリンターも併せて、当時の値段で56万円という遊びには高額の値段であった。当時でも中古の車が買えた値段である。1985年の頃のことであるが、これでフラクタル図形を描く事が可能だった。OSはMSーDOSで、プログラムを一々打ち込むには忍耐が必要だった。この様な自己相似の異常な空間での図形の研究は、コンピュターの出現が無ければ不可能であり、コンピュターの力は非線形空間の研究に大いに影響を果たしたと思う。フラクタルもそうだが、カオスもコンピュターの力を借りなければ、あれほど急速に、非線形現象の挙動の探究が展開される事も無かっただろう。量子コンピュターが動き出せば、また新たに新分野が開拓されることに成ると思う。

フラクタル上の確率過程を構築する仕事をした熊谷氏は、自己相似形の二つの代表的なフラクタルであるシエルピンスキー・ガスケットとシェルピンスキー・カーペットを取り挙げ、簡単な方のガスケットを選択したらしい。たぶん一連のこの研究の目的は、フラクタル空間でのブラウン運動がどう展開されるかを知るための研究で、ユークリッド空間上の通常空間でのブラウン運動に比べて、フラクタル空間では、どこがどう違うのかを調べる事にあったのだろう。結論的には、フラクタル空間上では、ブラウン運動(ウィーナー過程)の挙動がユークリッド空間に比べて、粒子の拡散が遅く中々散り散りに成らない。シエルピンスキーのフラクタル図形では、三角形のガスケットの方が少し分りやすい。カーペットの方は正四角形のフラクタルで、小生は仏教曼陀羅の一つである「胎動界曼荼羅や金剛界曼荼羅」を、思い浮かべてしまった。

図形とは不思議なものだ、思いも拠らぬところに奇妙な一致がある。昨年の秋に道の駅でブロッコリーを買ったら、その隣にはジュリア集合とそっくりのブロッコリーが並んでいた。思わす買おうと手を出したら、カミサンに通常のブロッコリーを買ったからダメと言われてしまった。そう言えばジュリア集合のガストン・ジュリアはフランスに留学した岡潔氏の先生だったなと思った。一次大戦で鼻に重傷を負い、彼は亡くなるまで皮で作った鼻蓋いをしていたようだった。鼻に大怪我をして付け鼻をして居るのは、ティコ・ブラーヘと同じだなと思い出した、もっともチィコ・ブラーエの場合は学生時代の喧嘩の私闘である。その喧嘩の決闘で鼻を削がれたのだが。

新たな数学の分野は、分子遺伝学の方向で発展して貰いたいものだ。遺伝子の分子情報と形態形成の分野である。4種類の塩基3セットで、蛋白生成が行われる事は解明されたが、この遺伝情報と形態形成の分野の数学は、基本的な一歩でさえ確立さえされて居ないはず。例えば、人間の細胞中の遺伝情報と、形態形成の対応関係を数学的に明らかにすることが出来れば素晴らしいのだが、これが解明出来ないと、生物学は理論生物学には成長しない。数学の様な物事の関係性を明らかにする力が、この分子遺伝学の方向には絶対に必要であり、言語学と同様に数学の力が居るのではなかろうか。群を使い情報の構造を知ることは出来ないか。例えば位相空間論をDNA分子構造の解析に使えないか?など。どなたか好いアイデアの在る方はコメントを下さい。この方面に知識をお持ちの方は、是非教えてください。遺伝情報の構造にエントロピーが深く関係して居る事を感じるのだが、エントロピーには、反entropyの作用が有りそれが自己構成力の淵源になっている。

だいぶ以前に、世の中には多くの数学者が居るが、彼らは一体を研究しているんだろうね?と謂う話をした人が居た。「数学ってそんなに遣ることが有るの?」と、言いたいらしい。数学って紙と鉛筆が有れば好いんだよね。とも謂われた。確かに数学は余り大掛かりな道具は要らない分野の代表だろう。逆に言えばその分だけどこを使うかと云えば、想像力、思考力、空間認識力、概念分解力、展開力、みんな「力」だ、力と謂っても筋力を使う力ではない。最大限、脳に血流が流れて頭が熱くなり夜眠れなくなる。意識がそこに集中している。こんな状態を何時間も維持できる訳がない。この状態は歳を経るごとに意識的力が続かなくなる。人間の頭は時間と共に硬くなるが、無意識の力は続くのだろうと想うのだ。数学の真の仕事って新分野の開拓なのだ。それが仕事だ、入り口だけでも好い新たな分野を開拓することであり、あとは放って置いても好い。その後は世の秀才が道を舗装してくれるはずだ。

数学の発想アイディアには終点と言うものは無い、人間の想像力が続く限り無限に続く、これから先に発展するのは確率現象の方面だろう。そして次なる解明すべき分野は、人間の意識と神経網との関連だろう。そしてまた其れと関連する物として遺伝現象と遺伝分子構造の由来と創成だろう。もっとも存在の核心部に触れる分野であろう。これ等こそが数学と物理化学の探求すべき分野である。

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日本の歴史が薄暗がりの中に入って、突如として輝き出した岡潔の言葉

2019年10月04日 21時26分31秒 | 数学と言語学、及び宇宙論と哲学

 歴史と言う物は実に皮肉なものだ。然もそれが逆説的な意味で輝き出してゐるとは。例えば日本の最も奇妙な数学者の一人であった岡潔は、1960年代を通じて何冊かの本を書いている。岡潔の数学者としての能力が超一流である事は、海外の影響力ある数学者が折り紙を付けている。そして60年近く前に書かれた岡の随筆は、数学者の随筆と言うよりも、1つの経世家か書いた、新興宗教の教祖の様な超脱した内容に近い物であった為に、結局、先生の言葉は、お面白がられただけで、言葉が示した真の価値も、やがて来るであろう未来への予言的警句も、当時の一般人にはたぶん理解されなかった。そして何年もの、否、何十年もの歳月が過ぎ去った今日、彼のことばは急速に光度を増し、そのことばの放つ光は、日本の現代の物質文明と日本人の痴呆化に対して強烈な反省を強いる指摘となって現れている。その言葉は、日本の現在の、物に溢れてはいるが芯の無い虚妄の物質文明の繁栄を、逆説的に照らし出す事に成った。1960年代の初期に書かれた、当時の岡潔のessayの本質を、一体誰が心底理解したと云うのであろうか。賛同する少数者以外には殆んど居なかった。もっと言えば、理解した人が居るというのは疑問である。恐らくは誰も理解などしていなかった。たぶん、奇矯な数学者の戯言くらいにしか思わなかったに違いない。

私は久しぶりに岡の「春宵十話」と「春風夏雨」を引っ張り出して見ている。此処で再び、先生は「頭脳は情緒が創る」と謂って居る。そう、物に感ずる心であり、自然の在り様に感ずる心である。美しい風景は心の奥に焼き付けられ、その光景と思考の内容は意識しない奥で繋がり更に重なって居る。重なって居るというのは、或る考えの理解が風景の映像とダブって居るという事だ。たとえば四則の展開が自由な数列に付いてあるアイデアを思い付いたとする、その時頭の中に森や風景、雲や山々の映像が浮かぶと、その時の理解の記憶は、その映像と結びついて情緒的に記憶される。そして再びその時の理解を反芻する時には、それに結び付いた視覚的映像が現れる。であるからこの視覚的映像と理解が結びついているとしか謂い様がない。他の人はどう云う風に頭の使い方をして居るのかは分からないが、兎に角、自分の場合には、その様に思考と映像、つまり理解と映像は不思議な関係で結びついている。何故なのか分からないが、私の場合の思考現場と映像は、どういう訳か結びついている。故に美しい風景は私には不可欠なのだ。私に取って美しい風景が思念と結びついているのであるから、美しい風景の中に身を置く事は最大の欲求なのだ。どうも放心時の思考内容は、記憶に残る風景と結ばれて、脳の深い部分にある、「分かったという認識」と共に記憶されているようだ。だが、こんな独り善がりの事実を書いても、この文章を読んでくれる人は、共感はして呉れないだろうと自戒している。

然しながら、哲学者、文明思想家としての、岡潔の古風な内容の文章が、この様に燦然と輝き出したのは、その哲学が依然としてその本質に迫る、「日本復活の或る鍵に成る力」が在るからで、先の見えない軽薄な時代には、過去の骨のある言動が見直される時代に入ったという事なのだ。これはF・ニーチェの言葉にも通じる物である。19世紀から20世紀の初めにかけて、当時のドイツも現代と同様に退廃した爛熟の時代に差し掛かって居たのである。ニーチェは、古典文献学の総合的な知見から、様々の文明の弊害を指摘し、また宗教論に深い関心を有していて、ユダヤ教から派生してやがてローマ帝国を腐敗させ且つ席巻して仕舞った原始キリスト教に付いても論評している。そしてキリスト教の弊害を受けていない、未だキリスト教化されていない、健康な時代の古代ギリシャを比較しいる。今の崇敬されるギリシャ文明も、それはもともと他の様々の古代文明から学び、その成果を継承していて、エジプトやペルシャの古代宗教、科学と実用技術、天文学、軍事論、などを摂取しそれを発展させたものだ。更に、歴史を探れば大陸の古代文明は、その発生とその後の経過は、常に戦争を通じての隆盛と敗亡、また勃興の連続で有った。

日本国に付いて云えば、日本はその自然条件から、70年前の大東亜戦争による敗北以外に、外国の武力によって侵略された経験を持たない。それ故に日本の文明は古代支那の漢字文化と印度に発する仏教文明以外に影響を受けたものは殆んど無い。すべて自前で揃えてやってきた物である。日本文明を語る上で、2万年ほど遡れる縄文時代とその前の十万年を遡る、旧石器・新石器時代を論じない訳にはゆかない。2万年続いた縄文時代、この時代が日本人の本質を決定した。日本国は成立して居ないので、当時の原住民を日本人とは云わないが(笑)、日本国が成立したのは3世紀の事である。然し、彼らは血統的に言えば、紛れもない日本人であり、我々の血と遺伝的情報を共有した人々の事である。岡潔の一見奇怪に見える言葉には、スミレの花の存在の様に、命のもつ独自性と完成された原理が厳然として現れている。特に、教育論は再び見直されるべき内容であろう。その根本から始めないと、日本の文明の真の再生は決して成功しないだろう。

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詩人の形而上学-「ユリイカ」に付いて

2019年09月12日 22時14分49秒 | 数学と言語学、及び宇宙論と哲学
 世界には永遠に記録すべき、特異な人物が何人も居るものだが、即物的で何の文化的歴史も持たないアメリカという国家は先住民であるインデアンを抹殺し、秘密結社フリーメーソンに拠る反乱に因ってブリテンから独立した独善的な国家だが、この国家に二人の特筆すべき人間が生まれた。そしてこの二人は、このUSAから鼻摘まみ者にされ悲惨な生涯を送ったが、この飽くなき蛮族の国に若しも文化の価値があるとしたら、この二人に因る効果以外には考えられないだろう。一人はC・S・パースという数学者で哲学者の人で、もう一人は此処に取り挙げるスリラー作家、E・A・ポーである。比較的短い生涯に於いて、彼は怪奇小説家と記述されているが、それとは丸で異なった側面もある。詩人であり評論家で怪奇小説の妄想家、そう言う男が、思わぬ不思議なテーマである「宇宙論」を、自分の悲惨な生涯の最後に書いている事は何を意味しているのだろうか。怪奇小説家と謂うと、わが国では、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が脳裏に浮かぶ。この二人は何らかの共通性で繋がって居るようにも見える。これらのジャンルに属する人々は、本来の人間という物を知るための重要な暗示や理解に連なるものだ。

人物論の中では「自己破滅的人間」という種類に分類できる思想家・作家を幾人か挙げる事ができる。同時代のフランスの詩人では、ボードレールやヴェルレーヌ、マラルメ、ランボー、などもその範疇に入れることが出来よう。思うに世の人間認識の深みは、この様な人々によって開拓された。日本では偉大な詩人が書ききれないくらい何人も出ている。古くは万葉の庶民の詩人たちである。万葉集は日本全国から集められた庶民の詩集である。古今和歌集、新古今和歌集…、和歌のみならず、日記、物語、宇治拾遺、今昔などの説話集、此れに参加した庶民は数限りない。個性あるキリリと引き締まった物語など、伊勢物語はかなり古い部類に属するが、これは多くに人に読まれて来た意外とうすい歌集である。段落が有り、その物語のなかで歌が詠まれる。作者は解らないが在原業平だと云うのが有力な説である。作者は多分そうだろうが、読み継がれるうちに恐らくは、有力な詩人によって増段されて行ったというのが分り易い。確かに初版の伊勢物語は業平が書いたにしても、彼が亡くなり、それを見ている歌人たちが、それに付け加えるという誘惑に勝てなかったと思える。方丈記と同様に薄い本だが、古典という物はこの様な物を云うのだろう。能の演目に井筒があるが、その元はこの中の一節である。日本文化の発想はおもしろい、能と狂言はコンビだが、能はこの世とあの世の境で演じられる。

日本の近代詩人の中では朔太郎がポーに近いかも知れぬし、また宮沢賢治も特異な詩人に属するのだろう。詩人たちは不思議を愛する。
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