岡山市で未成年飲酒死亡事故がありました。
快楽と堕落を追い求めた若者たちは、地獄を味わったことでしょう。
彼らは、人生が始まったばかりなのに、これから失敗だらけの人生をおくるのかもしれません。
わが子をこのようにしないために、親や学校が何かできるでしょうか?
実際、大人が自ら快楽や享楽ばかり求めて生きているたえ、子供たちも同じようにまねをします。
大人の真似をするのが子供です。
ですから彼らが、快楽と享楽を追い求めるのは仕方ありません。
しかし、子供は大人と違って、知能が低く人生経験も少ないため知恵や分別がありませんから、快楽や享楽に節度がありません。
快楽や享楽を追い求めることしか価値を見いだせないと、このように破滅の人生をおくることになるのではないでしょうか?
これは学校に問題があるのでなく、社会の仕組みに問題があります。
そして、その問題ある社会の中で、しっかりと育ってくれればいいのですが、「環境が与える影響は計り知れない」ため、まともに育つことができない子も出てくるわけです。
きっと彼らも一時的に反省はするでしょう。
しかし、ただ反省しても落ち込むだけで「人生に何も意味がない」ため、再びこういった快楽享楽を求めるような愚行を犯すに違いありません。
彼らは、「悔い改めること」ができるでしょうか?
私はできないと思います。
なぜなら、「彼らに悔い改めをする方法を知らい」&「悔い改めするメリットがない」からです。
そして、「世の中の罪」と「人間の罪」との違いすら教えてもらっていませんから、今の子供たちは、家を建てるのに、基礎工事をせずに、箱だけ買ってきてポンっと乗せるように建っているにすぎません。
そして、その家に住む人は建てた当初はいいですが、年数がたてば次第にぐらついてきて、倒壊する不安を抱えながら、過ごしていくことになるのです。
「警察に捕まらなければいい、犯罪にならなければいい」
というところまで現代人は堕落しきっています。
だから平気で不倫したり、危険ドラッグをやったり、酒やたばこに溺れてしまうのです。
基礎工事とはつまり家を建てるための設計図とも言い換えることができ、具体的には
「人生の目的」「価値ある生き方」「動物の幸せと人間の幸せの違い」を知っていることです。
人生の設計図がない人の人生とは、「とりあえず、雨風しのげればいい」という生き方しかできません。
ですから、「人生に目的や終わりを感じられない」ため、辛いことが続いたときや、辛いこと楽しいことが終わった、ふとした瞬間に「目的を知らず、人生の意味も教えてもらえず生きることへの不安」に襲われることになります。
そこで「両親」「学校の先生」「バイト先、職場の上司」「親友、彼女彼氏」に相談しますが、みな明確な答えを持っていません。
「人生は死ぬまでの暇つぶし」
「生きる目的を探すのが人生の目的」
「幸せを求めることに幸せがある」
「美味しいものを食べて生きることが幸せ」
「沢山の異性と付き合うことが幸せ」
「全ての欲望を叶えるために、富と権力を手に入れたら幸せになれる」
こういった詭弁ばかり言って、はぐらかされるのです。
言い換えれば、私たちが「寝て、食べて、排泄して、働いて、学校で勉強して、運動して、賢くなって、笑い、泣き悲しみ、楽しむこと」に意味がないと教えられてしまうのです。
子供たちは「偉そうにしているが、世の中の大人や学校の先生は何も教えてくれない、何も知らないんだ」と無意識に考えるようになるでしょう。
「誰も見ていないからずるをしよう」と思ってしまうのかもしれません。
そして、「生きることに意味がない」と考え始めると、
①「好きなように生きればいい」=気持ちいいことだけしたい、他人なんて関係ない、現世利益だけを追求する
②「生きていることが虚しい」=自分が無価値な存在に感じ絶望、抑うつ、自殺
という生き方を選んでしまうのです。
「そんなことはない」と反論される方がいるかもしれませんが、残念ながら多くの人間は①か②の間でゆらゆら揺れています。
まさに「アンビバレンツな状態」で揺れているのです。
私が20代の頃傾倒した哲学家に「雀鬼 桜井章一」という人がいました。
<左:サイバーエージェント藤田、右:桜井章一>
結論から言いますが、
「麻雀が強くなりたくて、桜井氏の哲学に触れたのですが、彼の哲学に真理はありませんでした。」
ということです。
この世の中に真理を見つけ出すのはやはり難しいかもしれません。
【雀鬼】桜井章一 TV出演
彼の著書は数十冊以上は発刊されていますが、その中には「人生論」もあります。
私は麻雀で勝ちたかったためその著書をほとんど読みましたが、結論は
「勝ちたいなら、勝ちたいと思う心を捨てろ」
でした。
実際、そんなの無理です。
「勝ちたいから、チヤホヤされたいから、人の上に立ちたいから」麻雀を勉強し始めたのですから(汗
結局学生時代麻雀はうまくなりませんでした。
欲を捨てることができなかったからです。
桜井章一は「本音で生きろ」としかいいません。
しかし、「本音で生きる方法」や「勝ちたいという欲を捨てる方法」は具体的には教えてくれませんでした。
ただし、雀鬼流という麻雀をすると、「麻雀を通して、欲望を捨てる思考になったり、思いやりのある思考になっていく」ことは間違いありません。
しかし、雀鬼流を知らない人と麻雀を打つと「汚すぎて面白くない」「真剣勝負をぶち壊してくる」ため、
「麻雀を通して、幸せになるのは無理だな」と悟りました。
1対局(半荘10回)で2億円のウマがつくような試合でも、平然としていたから彼は現役時代勝てたと言っています。
「麻雀が楽しく遊びの延長だった」ようです。
晩年は、麻雀という遊びを「金儲け」「賭博」などの道具に利用されていたため、怒って引退してしまったように思えます。
「知的スポーツ」であるのに、「金持ちやヤクザやチンピラが汚した」とでも感じたのでしょうか?
桜井章一は「麻雀が楽しかったからやっていた」のです。
「麻雀で勝って、金持ちになれた、偉い人と知り合いいなれた、富や地位や名誉が手に入るから」からやっていたわけではありません。
「楽しいこと、得意なことをやって食っていけたから麻雀をやっていた」と言えるでしょう。
しかし「食っていくためにやっていた」わけではなかった気がします。
現役時代、サラリーマンもされていたようですから。
桜井は晩年、「私は麻雀の神様から愛されていたから勝ち続けることができた」
と語っています。そして現在は、「正しい麻雀」を普及するために「雀鬼会」というものを結成し、「麻雀を通して人格形成をする」ことをしています。
「勝負よりも、礼儀、思いやり」を大切にして麻雀を打ち、人間性を心を高めているそうです。
結果的に雀鬼会の選手は一般の麻雀大会に参加しても驚異的な強さを見せます。
(※閲覧注意 以下の動画は麻雀が分からない人は見ても楽しくありません)
<雀鬼 桜井章一 伝説の麻雀最強戦1/6>
見ていて懐かしくなりますが、
「麻雀に世の中の汚いものを持ち込むな」
と桜井氏は言っています。
「八百長しろ」とやくざに刃物を突き付けられても、屈しなかった勝負師ならではですね。
(残念ながら桜井章一役をやっていた清水健太郎ですが、覚せい剤で逮捕され続けて廃人寸前までになってしまいました。)
清水健太郎 「失恋レストラン」
どうしても麻雀と聞くと、タバコと酒とイカサマというヤクザチンピラをイメージしてしまいますが、堕落した麻雀を回復させようとしている人がいますよという話です。
さて、話題を戻します。
「中学生の時、人生について、自分について、生きる目的について、勉強や部活を頑張る理由、目的について、深く悩んで、考えたことがある人」はどれくらいいるでしょうか?
おそらく、ほとんどの人は、何らかの悩み、苦悩を思春期に抱えてきたのではないでしょうか?
なぜ、そのような悩みや苦悩がでてくるのかというと、
社会において13歳からは「社会人として、振り分けられていく」時期だからです。
そして、その振り分けの仕方が、日本の場合、「学歴、勉強とスポーツしかない」のです。
これは「親が子供を評価する物差し」と言い換えてもよいです。
この「学歴とスポーツ」とは一体何なのかというと、「将来、どれだけお金が稼げるか?」
という予測指標となります。
世の中の大人に「幸せな生き方とは何か?」と聞いてみてください。
「有名大学に入り、大企業や公務員、医者になる。女性なら、容姿と学識を併せ持ち、高給どりの男性と結婚する。」
と声をそろえて言うでしょう。
つまり親自体が「お金持ち=幸せ」という「短絡的思考もしくは短絡的な生き方しかしてこなかった」ため、こどもをこのようにしか評価できません。
私は以前から、「家族のうち、父親一人が月に30万円を稼ぐのではなく、4人の家族が一人8万円づつを目安に稼ぎ、皆で持ちよって生活すれば保険も税金も節約できるし、正社員になり入社数年で責任の重いポストにつけられうつ病やアルコール依存症になったり、青天井で残業させられ過労死したりせず、空いた時間をゆっくり過ごすことができる」と説明してきました。
大金があれば、物質、ものは手に入ります。
しかし、そのお金を稼ぐために、人生のほとんどの時間を会社に捧げ、不眠不休で働き続けることで「心が荒んでいく」のです。
さらに、稲盛和夫の盛和塾やワタミのようなカルト宗教にはまっている悪徳経営者がトップにいるような企業に入社でもしたら、「一生考え方まで思考まで企業に洗脳され続けること」になります。
「肉体の死+魂の死」がセットで漏れなくついてくるというわけです。
心の荒みを癒すために、旅行に行ったり、車を買ったり、ブランド時計やカバン、服を買う。
エステやグルメにはまり、どんどん浪費をして、さらにお金が必要になってくる。
テレビをつければ、高級車に乗り、高級ワインを飲み、高級料理を食べ、豪邸に住む芸能人や社長などの金持ちを見て
自分と比較して劣等感を感じ、さらに芸能人のように贅沢したいと思い
「これこそが幸せな人生だ」
と子供から大人まで洗脳されています。
逆に「ブランド品を身にまとい、芸能人の真似をして外見だけ綺麗に着飾って、雑誌やメディアで紹介された有名店で食事をし、贅沢しながらも体系維持のためにスポーツクラブに通い汗をせっせと流す人たち」を見て、「大変だなぁ、気の毒だな」とは思えないのです。
彼らは「世間から他人から高評価を得たい」がために、自分を磨き、欲望を叶えるために必死に努力しています。
では、その「世間様や他人様」がいかほどのものか?ということは何も知りません。
世の中のことを何もしらない、真実をしらないのに、「世間や世の中の常識が絶対正しい」と考えているのです。
東京大学や慶応大学を出ようが、医者であろうが、弁護士であろうが、政治家であろうが、有名歌手や芸能人であろうが、年収1億円以上稼ごうが、「真理」を知りません。
せいぜい人を騙して働かせて暴利をむさぼったりする悪知恵に長けているか、医者や弁護士、税理士のように「イルミナティが作った業務独占の世界」でしか生活していくことができない、狭い生き方しかできず、「人生に価値を見出せない生き方」をしながらも、低学歴、低所得者層を見下して、「俺はあいつらよりは幸せだ」と閉塞的な生き方を慰めて生きることしかできません。
彼らは法律で身分を保証され、所得も高い。
しかし、社会や法律や医学常識が間違っていることに気付いても、何もできないのです。
結局、子供たちは「親の言いなりになっていても幸せになれない」と気付く。
でも「世の中い幸せになれる方法を教えてくれる人がいない」ため、快楽享楽を求め、「異性や富や名誉」など得ようと、物質依存に走るのです。
<安部心晴>
13歳で生涯を閉じる、なんと虚しいことでしょうか?
本当に奇跡的な確率でこの世に生を受けるのに、生まれてきて誰もが涙を流し、喜んでくれたのに。
人間は生物的に産まれてきますが、放っておけば、野の獣と変わりなく育って行ってしまいます。
躾をしたり、道徳を教えたり、「人間としての生き方」を教えてもらわなければ、「感情的に生きる、犬や猫と同じになってしまう」のです。
「理性=脳」を育てなければ、いずれ「食欲、性欲」などの感情に負けてしまうのです。
精神医学を学ぶとマーラーの発達心理学で「分離個体化理論」を学びます。
そこでは、人間は「生理学的早産」であると学びますが、これは「生まれてきてから、3歳くらいまで「食事、排泄、睡眠」を親に一方的に依存しないと生きていけない」状態で産まれてくるという人間の特徴を言い表した言葉です。
0歳~3歳までの間に、生命維持するために面倒を見てもらえなかった場合、日々「生命の死の恐怖」に脅かされて育つため、「人間間の基本的信頼関係を築くことができなくなる」=愛着障害が生まれるという理屈です。
ここまではわかります。
しかしここからが問題です。
3歳から言葉が理解できるようになってきてから、「どのように生きればいいのか?」について両親が知らないまま、結婚し、出産をしてしまう、
「霊的早産」
「精神的早産」
の事態にぶち当たります。
つまり「私たちはどこからきて、一体何処へいくのか?」
という基本的なことを知らない親や社会の中に生まれてきてしまうのです。
「父親は家族を食わせるために外で働いて金を稼いでくる。母親は子供たちの生活の世話をする」
「こどもの人生なんぞ知らん。親が歩んできた人生しか親は教えることができない」
のではないでしょうか?
なんともお粗末なものです。
「TDLやUSJでアトラクションを楽しむ」
「素敵な彼氏彼女をつくってイチャイチャする」
「高級ブランド時計やカバンをもって、威張る」
「スポーツ大会で優秀な成績を収め表彰される」
「有名高校に進学する」
ことが「子育て」の定義になってしまっているのです。
子育ては「子供が将来自立して生きれるようにすること」だけではありません。
「こどもが人生でどんな時も幸せに生きられるような術を教えてあげることで、この世に生まれてきたことを喜べること感謝できるようにすること」
が子育ての目的なのです。
以下のような人生も「自立は自立」です。
「毎日馬車馬のように働かされ、楽しみは休憩時間のタバコと帰宅してからのアルコール、休日のパチスロ」ではいけません。
<日本文化とは?老若男女ギャンブル天国の日本>
<ギャンブルで身を亡ぼす>
そして女性は「愛」を求め、寂しさや心の渇きをいやすために、不倫のような、一時的な愛に溺れたり、買い物やスピリチュアルなどに溺れていってしまいます。
<今井絵理子議員>
<足は二本しかないのに靴は沢山>
<愛=目に見えないもの=スピリチュアルに嵌る女性>
私たちは「心を育てる方法」を知りません。
「心を育てる方法」を知らずに大人になってしまっているのです。
「子供と大人の違い」は感情に左右されず、倫理的に道徳的に行動できるかどうか?ではないでしょうか。
「会社に行って、給料を稼いでこれば一人前」なのでしょうか?
こういった不道徳で堕落してしまい、人生を棒に振ってしまった今回の事件を見ると、本当に社会が親が子供たちを導いていないことが良く分かります。
「真理」とは何か?
私たちは学ばなければ、こういった痛ましい事件はこれからも続くのではないでしょうか?
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