現代人の宗教アレルギーは強いです。
「あなたは宗教に何を求めますか?」
と質問すると、「宗教なんて、弱い人、努力しない人がやってるもの」「なんか騙されそうで怖い」
こんな意見が返ってきそうです。
確かに、日本ほど「無宗教」な国はないかもしれませんが、
「占い」「加持祈祷」「御守り」など日常的にやっているため、日本ほど宗教が強い国はないとも感じます。
「拝金主義」、、、現在の日本では「お金が神様である」と言っても過言ではありません。
「お金をたくさん持っている人が偉い、お金を沢山稼げる人、年収がたくさんある人が偉い」
と思い、年収の高い職業に就こうとする傾向があったり、親が子供にそのような職業を目指すように洗脳します。
お金は便利ですが、お金自身は何の価値もありません。
「効果的なお金の使い方」を知っているかどうか?に価値があるのです。
私たちは、「効果的なお金の使い方」つまり「幸せになれるお金の使い方」を知らずに生きてきたと思います。
ですから、「とりあえず、お金は邪魔にならないから貯金する」ということばかりします。
貯金は大切なことですが、
無駄遣いしないことが大切ではないでしょうか?
無駄遣いとは?何でしょうか?
「見栄や自己顕示欲で買い物しないこと」です。
今回は「拝金主義」と宗教について書いていきたいと思います。
まずは「拝金主義」についてですが、拝金主義は英語では「マモニズム」と言います。
「mammonism」とは、聖書に出てくる、マーモンというサタン(悪魔)のことです。
・・・・・・・(マモン (Mammon))
<「マモン崇拝」(イーヴリン・ド・モーガンの絵画、1909年)>
新約聖書に現れる、富を意味するとされる言葉である。
また、旧約聖書と新約聖書の間の中間時代の後期ユダヤ教のラビ文献において、不正な財を指して用いられたアラム語の語彙である[1]。
キリスト教文化圏においては、物質的「富」または「貪欲」(カトリック教会では七つの罪源のひとつ)を指し、擬人化されて神格として扱われ、地獄の七大君主(英語版)の一人とされることもある。
時には金貨をばらまく悪魔の姿で表象される[2]。
一般にマモンと表記されることが多いが、平井正穂訳『失楽園』ではマンモン、繁野天来『失樂園物語』ではマムモンと表記されている。
ドイツ語ではマンモンと発音されるが[3]、現代英語では mammon の mm は単子音として発音される。
悪魔としてのマモン
マモン コラン・ド・プランシー『地獄の辞典』より
元来、Mammon は「富・財」を意味するシリア語にすぎなかった。これが悪魔学において金銭の悪魔として定着したのは、『マタイによる福音書』の「汝ら神と富とに兼ね事ふること能はず」(6:24)の解釈に由来する[19]。
ドイツのイエズス会士、ペーター・ビンスフェルト(英語版)は著書『魔女と悪人の告白について』(1589年)において、キリスト教の「七つの大罪」を司る七つの悪霊のリストを示した。その中でビンスフェルトは、マモンを「強欲」を司る悪霊とした[20]。ネッテスハイムのコルネリウス・アグリッパは、1533年に出版された三部作『隠秘哲学論』の巻3第18章「悪霊の階級、その堕落とさまざまな性質について」の中で、マモンについて次のように述べた[21](この箇所は1801年に出版されたフランシス・バーレット(英語版)『秘術師』にも引用されている[22])。
さらに、〔人を〕誘惑する者、陥れる者たちは最下位〔悪霊の第9位〕にあり、そのひとつはあらゆる人間に現臨している。ゆえに我々はそれを悪しきゲニウス〔悪霊〕と呼び、その君主は貪欲と解釈されるところのマモンである。
・・・・・・・・・・(転載ここまで)
「天と富の両方に仕えることはできない」という聖句がマタイの福音書6章24節にあります。
この「富」とはマモンであり、お金や権力を指しています。
日本の諺「二兎追う者は一兎も得ず」はこのあたりがルーツかもしれません
日本語の「魔物(まもの)」も「マモン」からきているかもしれません。
では、拝金主義からほど遠い場所にいるはずの僧侶がお寺を訴えた面白ニュースです。
・・・・・・・・(高野山の僧侶に労災認定 64日間連続勤務、うつ病に 5/17(木) 12:20配信 朝日新聞デジタル)
世界遺産・高野山(和歌山県高野町)の寺院に勤める40代男性僧侶が、宿坊などでの連続勤務が原因でうつ病を発症して休職したとして、橋本労働基準監督署が労災認定していたことがわかった。
男性僧侶は寺院を運営する宗教法人に対し、慰謝料や未払い賃金など計約860万円を求めて和歌山地裁に提訴した。
訴状によると、男性は2008年から寺院で働き始めた。午前5時ごろから読経の準備などを始め、昼間は宿坊のフロント係としての受け付け業務などを担当。勤務時間が午後9~11時ごろまで及ぶこともあったという。高野山開創1200年の15年には宿泊者が増えて忙しくなり、3月25日~5月27日の64日間、9月17日~10月18日の32日間、連続で勤務した。同年12月ごろにうつ病になり、16年3月から休職。橋本労基署は労災と認定し、17年11月に休業給付支給を決定した。提訴は4月27日付。
寺院側は「提訴事実を把握しておらず、コメントは致しかねる」としている。
・・・・・(転載ここまで)
宗教の目的は、お金を儲けることではありません。
人を救うことのはずです。
最もこの世で欲望から遠い人が宗教の道に入るのですが、「ホテルマンを延々とさせられてうつ病になった」と言っているわけです。
彼らは一体何者なのでしょうか?これでは世の中の欲深い人と同じではないかとガッカリさせられますね。
しかしながら、僧侶の資格は大学で取得できます。(高野山大学HP)
そして、高野山の不祥事も表沙汰になっているものもちらほらありました。
・・・・・・・・・・(高野山の不祥事一覧 興正寺 2016年4月27日 17:01)
・1988年4月18日 高野山・地蔵院が、隣接する赤松院の次男(高野山大学1年)に放火されて全焼する(裁判で無罪になる)。
・1988年7月15日 高野山・赤松院が同院の次男(高野山大学1年)に放火され半焼、翌16日、次男が連続放火で逮捕される。
・1995年8月 高野山・遍照尊院と総持寺が、奥の院近くの土地を霊視商法詐欺の(宗)明覚寺に売却し、そこに教団本部施設が建立される。
・2004年3月12日 高野山・上池院が前年4月4日に全焼し、アルバイトの男子高校生が焼死した火事で、防火管理者の住職が業務上過失致死の疑いで書類送検される。
・2006年4月24日 高野山高校(添田隆昭校長)の男子生徒が、写真店の老店主を惨殺した容疑で逮捕される。
・2009年7月13日 高野山大学4回生2名が、大麻取締法違反(所持)の疑いで逮捕される。
・2010年1月31日 高野山の寺院職員の男が、自宅居間で両親と弟を斬りつけ、殺人未遂で緊急逮捕される。
・2010年4月17日 高野山大学生が、同じアパートに住む大学院生の部屋から100万円を盗んだ疑いで逮捕される。
・2012年6月18日 高野山高校の女子生徒が、高野山大学体育館で同級生を刺して重傷を負わせ、殺人未遂で緊急逮捕される。
・2013年2月26日 高野山真言宗、資産運用に失敗して、少なくとも6億8000万円の損失を出していたことが公になる。
・2013年7月25日 高野山・遍照尊院の副住職も務める高野町議が、参議院の公職選挙法違反(買収)の疑いで逮捕される。
・2013年7月25日 高野山高校野球部の元監督が、部員の家族から現金などを受け取ったとして、日本学生野球協会から1年間の謹慎処分を受ける。
・2014年5月27日 高野山・清浄心院(住職:高野山大学客員教授・池口恵観)の木材置き場で、切断された首だけの白骨死体が見つかる。
・2014年6月15日 添田隆昭・高野山大学理事長(高野山宗務総長)の宿坊・蓮華定院、高校生の放火により、客間の畳一部とふすま1枚が焼ける。
・2015年2月8日 高野山大学・遍明院(金剛三昧院の兼務寺院)の元僧侶が、九度山町のほこらに納められていた仏像を盗んだ疑いで逮捕される
・・・・・・・・・・(転載ここまで)
思わず笑ってしまいましたが、どうしてここまで放火されるのでしょうか?
相当恨みを買っている証拠だと思います。
そして、ここに列記されているだけでも、現役、元含め住職が犯罪を犯している事件も5件はあります。
人が学びたいと思う動機は、「教えてくれる人のようになりたい」「先生のようになりたい」と感じるから学びます。
こんなお坊さんに人生の何を学ぶのでしょうか?
高野山関係の学生ならともかく、僧侶がこれだけやらかしているようでは、高野山は相当胡散臭い場所だと言わざるを得ません。
また「月間住職2016年4月号」では僧侶の薬物汚染や労災保険についても特集されています。
・・・・・・・・・・(月間住職2016年4月号)
お寺で檀家接待中に重傷を負った僧侶に労災保険はおりないのか!?
どの僧侶にもかかわる事件だ。福井県大野市の浄土真宗本願寺派寺院に勤める僧侶が檀家接待中の事故で半身不随の重傷を負った。僧侶は労働基準監督署等に労災認定を求め申請したが棄却された。そこで僧侶は、お寺に1億円以上の損害賠償を求める一方、国を相手に労災の不支給処分取消を求め提訴。現地取材を踏まえ、行政処分の詳細をレポートする。
覚醒剤や大麻、危険ドラッグで逮捕される住職、副住職の薬物汚染に寺門の危機
元プロ野球選手の覚醒剤事件が大きな注目を集めたが、仏教界にも深刻な薬物汚染が広がっているのか。近年、覚醒剤や大麻の所持、使用で逮捕される僧侶の事件が相次いで起きている。宗門は再犯防止にいかに対応しているのか。
好評連載 宗派そして宗派の最高議決機関で論議されていることは寺院や住職のためなのか、チェックしよう
【曹洞宗】懲戒処分の公表を求めるお寺の声に宗派はどう答えるのか
【高野山真言宗】宗派に罷免された住職が未だ居座る名古屋市の興正寺裁判詳報
・・・・・・(転載ここまで)
なんともまあ俗的な世界なのですね。
こんな堕落した人たちに徳やら善行やら説教受けたくありませんよね?
好評連載コーナーで
「【高野山真言宗】宗派に罷免された住職が未だ居座る名古屋市の興正寺裁判詳報」とありますが、どのような事件なのでしょうか?
最新のニュース記事を見てみましょう。
・・・・・・・・・・( 八事山興正寺 前住職、不正流用を否定 名古屋地裁で弁論 毎日新聞2018年1月17日 21時56分(最終更新 1月17日 21時56分)
高野山真言宗の別格本山・八事山興正寺(やごとさんこうしょうじ)(名古屋市昭和区)の住職の座を巡る訴訟で、前住職が17日、名古屋地裁(末吉幹和裁判長)の口頭弁論に出廷し尋問に答えた。名古屋地検特捜部は昨年9月、前住職が寺有地の売却益を不正流用した疑いがあるとして背任容疑で寺などを捜索したが、前住職は弁論で不正流用を否定した。
特捜部の強制捜査後に前住職が公の場で話すのは初めて。前住職は総本山に無断で寺有地を売却したとして罷免され、興正寺を相手に住職としての地位確認を求めて提訴した。
総本山が選んだ現住職側は寺有地売却に関して、前住職が売却益からいずれも自身と関連のある英国法人に約25億円を、東京都内のコンサルタント会社に約28億円を送金したとして、土地売却の不当性を主張している。
これに対し前住職は17日の尋問で、英国法人に計50億円を支払うことで投資運用により総額107億円を調達できる有利な契約だったと説明し「大規模な寺の修繕が必要で、売却資金を(そのまま)使うと枯渇してしまう可能性があり、契約を申し込んだ」と支出の正当性を主張した。
実際に調達できたのは約10億円だが「登記簿上の代表役員(住職)が強制的に代えられたので、先に進めない状況だ」と語った。
コンサルへの送金は金銭消費貸借契約に基づく貸し付けとした上で「代表役員の変更で銀行預金を引き出せず、コンサルに寺職員の給与などを支払ってもらい、貸し付けの金利と相殺している」と話した。額の妥当性や無担保で貸し付けた理由は「そこにある金を貸した。信用しているから担保は取っていない」と述べるにとどめた。【金寿英】
・・・・・・・・・・(転載ここまで)
<八事山興正寺マルシェの様子>
いかがでしょうか?
要するに、住職が土地を売却したお金を資金運用に回しただけの話だと思うのですが、、、。
お寺も経営があるので、資金運用をするのでしょう。
お寺の建て替えの費用を信者のお布施に頼る住職に比べて、「自分で調達しよう!」としている姿は、素晴らしいと思ってしまいますよ。
(投資理由が本当ならの話ですが、、、、(笑))
最後に、お寺業界も変わって来ているようです。
では冒頭で使用した画像の元記事を見てください。
・・・・・・・・・(「僧侶とは職業なのか、生き方なのか」東本願寺の残業代未払い問題で考える 2017.04.28 16:35)
26日、京都にある真宗大谷派の本山、東本願寺で一部の僧侶に対する残業代が未払いであることが発覚した。
個人で加盟できる外部の労働組合を通じ支払いを請求したのは、全国から訪れる信者たちの世話役として研修施設で働いていた非正規雇用の僧侶2人。時間外労働は多い月で130時間にのぼっていたが、残業代の一部が支払われていなかったという。東本願寺は25日までに3年5カ月分の不払い分や延滞料約660万円を2人に支払った。
真宗大谷派宗務所の下野真人氏は「基本のシフトが朝8時半から夜9時まで。法定労働時間の8時間を超えている上に、早朝に来て頂いたり、夜9時に日程が終わっても参加者の方から『ちょっと相談があります』とか『こういうことを聞いてください』というのに前向きに対応して頂いていました。そうなると、その分が全て時間外労働になっていく」と説明、「宗教行為と労働というところの線引きを非常にあいまいな状況にしてきているということは事実だと思います」と話した。
さらに東本願寺は、信者らの世話にあたる僧侶に対して、40年以上にわたって残業代が未払いであったと明かし、早急に割増賃金の支給方法を見直したいとコメントしている。
埼玉県にある曹洞宗見性院の橋本英樹住職は「ついに来たかという感じですが、労働者という認識が無く、そういうものだと僧侶たちも本山職員も思っていたでしょうし、社会常識がお互いに欠けていたと思う」と話す。
働き方評論家の常見陽平氏は「今回の問題は、そもそもお坊さんの仕事は何かということが問われている」とコメント。さらに「奉仕するのが仕事ならすべて無給になるし、どこからが仕事か決めるべきだ。単に信仰が仕事だと考えるのは危険」だと警鐘を鳴らす。
「聖」と「俗」という考え方をすれば、僧侶は聖職者だ。
橋本住職は「どこまで職業で、どこまでが生き方なのか凄く難しい。僧侶はお金に執着してはいけないという側面もあるが、家庭もある。お寺を維持するという意味では経営者もある。そのためにお布施をどのように頂くか、などと色々考えてしまう。僧侶が実力をつけてお布施をもらうのは正しいことかもしれないが、そうであってもやはり僧侶は俗になってはいけないと思う私も妻子がいるが、子どもにお金がかかってくると、収入をある程度増やさないといけない」と苦しい胸の内を明かした。
複雑なのは、弟子や雇われている僧侶の場合だ。
「東本願寺に勤めている職員は完全に雇用されている労働者。一般的にお寺に事務で働いている人たちも朝9時出勤・午後5時退勤といった具合だが、お弟子さんや僧侶、住職はそうはいかない。お寺に住み込みという場合もあり、朝のお勤め、お経や作法の練習もある。通夜が入れば残業になりますが、ここからが残業、という明確な線引きは難しい」(橋本住職)。
橋本住職の下で修行に励む弟子も、通常は朝5時半くらいに来て、6時の鐘を打つのだという。早いときは朝5時から座禅を組むこともあるようだ。
「本山で厳しい修行をしている間はほとんど給料がなく、1年目に月1万円とか、2、3年目でも2、3万円という水準。全部が残業になって、お給料をもらうことになってしまえば、俗人と変わらなくなる。僧侶になるために無給で修行する期間も必要だろうし、朝早く起きて寺の掃除をするということも大事だろう。ただ、雇う側は生活の事も保障していかないといけない。私も、お弟子さんたちが結婚できるようにしてあげないといけないし、普通の職業との違いというものをよく考えていかなければならない」。
東洋経済オンラインの山田俊浩編集長氏は「元々、僧侶になる=就職ということではなかったと思う。それが仏教系大学を出て、入るお寺を選び…という形が一般的になってくると、労働環境の透明性がなければ、ゆくゆくはなり手がいなくなってしまう」と懸念を示す。
橋本住職は「多くの僧侶の収入は決して高い水準ではない。お寺社会の中でも格差が広がっている」と話す。「坊主丸儲け」「儲けられるのが良いお坊さん」といったイメージで見られることを懸念、「お寺社会もそろそろ社会の常識を学んだ方が良い」とも指摘する。
「お寺の常識は社会の非常識、社会の常識はお寺の非常識だったりする。やっぱりちゃんと頂くものは頂いて、税金もしっかり納めていくことが大事。不動産や幼稚園経営など副業的なものは課税対象だが、お布施やお賽銭は非課税なので、お金の流れも明朗会計にしないと、社会からの不信感も出てくると思う。実力をつけてお布施を頂くのは良いことだが、使いみちが大切。俗にまみれてはいけない。社会常識を守り、襟を正して生活すべきだ」。
加えて、檀家制度崩壊の影響も大きい。「地方も都会も檀家コミュニティは崩壊している。お寺を社会のみんなで支えていくという時代ではない」(橋本住職)。
若いお坊さんの悩みを聞く「フリースタイルな僧侶たち」を運営している奈良・満誓寺の竹林信悟住職によると、僧侶になりたいという若者が増える一方、建物なので修繕費用や、後継問題に悩む僧侶も多く、「お参りに来る方が少なくなったとか、結婚の悩みも寄せられます」という。
橋本住職も、「お坊さんと結婚するのはプレッシャーがあってなかなか大変だと思う。お寺の魅力を伝えて、お寺ってやりがいがあるなと思われれば良い。私たちには戒律もある。それをきちんと守って聖職者を目指さなければいけないし、威厳も保たなくてはいけない。現実をみて幻滅する部分もあるかもしれないが、もっとオープンにして、是々非々で討論していろんなことを整理していく時代にきている」と話した。(AbemaTV/AbemaPrimeより)
・・・・・・・・・・(転載ここまで)
このお坊さん、何言ってるんでしょうか?
「橋本住職は「多くの僧侶の収入は決して高い水準ではない。お寺社会の中でも格差が広がっている」と話す。「坊主丸儲け」「儲けられるのが良いお坊さん」といったイメージで見られることを懸念、「お寺社会もそろそろ社会の常識を学んだ方が良い」とも指摘する。
「お寺の常識は社会の非常識、社会の常識はお寺の非常識だったりする。やっぱりちゃんと頂くものは頂いて、税金もしっかり納めていくことが大事。不動産や幼稚園経営など副業的なものは課税対象だが、お布施やお賽銭は非課税なので、お金の流れも明朗会計にしないと、社会からの不信感も出てくると思う。実力をつけてお布施を頂くのは良いことだが、使いみちが大切。俗にまみれてはいけない。社会常識を守り、襟を正して生活すべきだ」。
本来なら、間違っているのは、欲まみれで拝金主義、争いや妬み、嫉み、不法が罷り通る「俗世間」のはずです。
それを、「寺が世間に合わせる」などと現職の住職が発言すること自体が、言語道断だと思いませんか?
信者の行く場所がなくなってしまうではないかと心配になります。
こんな考え方だから、尊敬もされないし、檀家も減っていくだけなのではないでしょうか?
現在の仏教には救いはありませんね。(合掌 チーンΩ\ζ°)チーン)
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