精神科看護実習に行くと、受け持ち患者として紹介される人たちは、教科書に載っているよう症状が全くありません。(残遺型統合失調症って💦)
過去の電子カルテにはそれっぽい記述がある患者もいますが、ほとんどが、「普通の人」なのです。
それを実習指導者や指導教員に言うと「視点や考え方が浅い」「知識不足」と偉そうに上から目線でアドバイスをされます。
しかし、実際、看護学生が受け持つ精神科の患者の9割は社会的入院患者なので、症状もへったくれもありません。
薬漬けにされて無気力になっている人です。
特に、民間病院であれば、経営上、ベッド稼働率を維持するために入院させている患者ばかりです。
社会的入院患者を例えるなら
「現在、風邪の症状がないのに、10年前に一度風邪をひいて、肺炎が悪化して重症化したから、再発しないように風邪薬を飲ませ続けられている」人たちです。
指導者たちは「この人たちは、肺炎の怖さを知らないから、病識や自覚がないんだよね。」
「風邪のひき始めは自覚症状がないから怖いけど、この人たちは風邪を舐めているんだよね」
と決めつけているのです。
笑ってしまいますね。「症状がない人=無症状感染者」とでも言いたげです。
さらに「この人たちは、今、普通に生活しているように見えるかもしれないけど、精神薬、つまり薬物療法で症状が抑えられているんだよ。」
と偉そうに語ります。
「普段から、風邪薬を飲んでいるから、感冒症状が軽く済むんだよ」
と本気で信じています。
(洗脳が深いというか、バカにつける薬はありませんね。)
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学生が「症状ないなら、退院できますよね?」とでも言おうものなら、「自分で薬を内服し続けることができないから、こうやって私たちが、薬物療法の管理をしてあげているの」と上から目線の言葉が返ってきます。
「自己管理能力をみにつけるリハビリは?」
「この人たちは障害があるからできないの」
(本当は服薬確認がめんどくさいからルーチンでやってしまっているだけ)
こんなやりとりを聞いていると、どこまでも愚かとしか言いようがありません。
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長期入院している施設症の患者たちは、社会から10年以上も隔離され、ろくに仕事もできず、忍耐する力も奪われてしまっています。
入院と言いながら、3食昼寝付き、上げ膳据え膳の生活を1年でもしてみてください。
きっと、「働くのが馬鹿らしく思えてくる」でしょう。
民間精神病院はこうやって、人間のやる気を削いでいくことで、「家畜」のようにしていきます。
また、精神薬によって、一日中頭がぼーっとしていて、実際に行動も緩慢になり、二重の意味で「やる気」が削がれてしまいます。(施設症、二次性陰性症状)
家畜とは主人の言う事に従っていたら、雨風しのげて、食料が与えられる動物です。
「主人と奴隷の関係」です。
家畜が主人にかみついたり、危害を加えたら、その家畜はどうなるでしょうか?
拷問を受けるか、最悪、なぶり殺しにされるでしょう。
それが懲罰的に行われる隔離・身体拘束の実態です。
自分の意志を表現したら、懲罰を受けることで、自律性が削がれてしまいます。
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前置きはこれくらいにして、自律性(自主性)を高めるために必要な要素とは何だと思いますか?
「夢を追いかける事」です。
例えば、受け持ち患者が「本当は結婚したい!」という夢があったとしましょう。
では、異性と結婚するためには何が必要でしょうか?
①経済力、
②見た目や容姿、
③話題性などの会話力、対人能力、
④家事全般の生活力(セルフケア能力)
⑤体力(健康維持力)
などが挙げられます。
つまり、何か成し遂げたいと考えたら、様々な能力や実力を身につけないと手に入れることができないのです。
これは一見大変なことに見えるかもしれませんが、「夢があれば乗り越えられる」のです。
なぜなら、これは「他人に言われてする努力ではないから」なのです。
人間は「問題が自分のことだ」と認識した時に、本気で努力するようになるのです。
これが「自律性」「自主性」の原動力となります。
(他人に言われたことを義務的にやっていても、自主性自立性は身に付きません)
前述した5項目全てを実習期間中に行うことは難しいでしょう。
しかし、その中の1つでも取り組むことができれば、良いじゃないですか?
「人生のセルフケアをしよう!」という考えが出てきたのですから。
マラソンに例えてみて、結婚までの道のりが100kmあったとしましょう。
入院していた、医者や看護師から言われるままに生活していたら、マラソン大会にエントリーもしていない状態です。
しかし、看護学生と何か一緒に取り組み始めたら、「靴を履いて、運動しやすい服装に着替えて、100m歩けた」ことになります。
つまり、のこり99.9kmになったのです。
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人間も自転車に例えると「止まった状態から走り出すこと」つまり「0から1にすること」が一番難しいのです。
動き始めてから、スピードを上げて行くこと、つまり「1から10にする」方が比較的優しい。
学生が一緒に、隣で伴走することは「0から1にすること」です。
実は、この過程が、社会的入院患者への看護の第一歩になるのです。
指示待ちの家畜から、自分で考えて行動できる人間になる一歩目です。
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「”本人が今のままの生活で良い”と言っているから、そっとしておいてあげていいじゃないか?」
と偽善的なことを言う、指導者がいます。
しかし、本当にそれが患者の望むことなのでしょうか?
例えば、精神科の入院費が値上がりしたり、障害基礎年金の2級の受給額が減らされ、患者負担が増えたり、食費補助が増えて
「経済的に家族の援助がない人は入院できません」
という状況が来て、入院継続できなくなりました。
厚労省や財務省の政策に左右され、その患者は「今のままの生活」は維持できるでしょうか?
それこそ、家族との同居を余儀なくされたり、生活保護をとって、グループホームや一人暮らしを始めなければならなくなります。
そんな時、「法律が変わったから、あなたは来月から一人暮らししてね」
と言われ、一人暮らしに対して、何も能力実力がなければ、その患者は、絶望し自殺や犯罪の道を選ぶかもしれません。
実際、多くの精神病院患者は、自殺を選びます。
自立できない自分の姿に現実直面し、絶望するからです。
ですから、「本人が今のままでいいからそっとしておく」というのは、実は耳障りがいいだけで、本当に相手の事を思っていない考えなのです。
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人間は自分ひとりの力で夢をかなえることはできません。
仮に、偶然にも夢がかなったとしても「幸せにはなれない」「喜びは一過性で、幸せが続かない」のです。
人間の本当の幸せとは何でしょうか?
幸福感とは何でしょうか?
答えは聖書にあり、聖書をさらに詳しく紐解いた、ラプトブログにあります。
看護という仕事はある意味、幸せのお手伝いをする仕事です。
希望を持って生きてもらうために、「人間の幸せ」について明確に知っていなければなりません。
ラプトブログで答えをみつけて、幸せのお手伝いとは一体何なのか?わかる人が増えることを心からお祈りします。
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