連日、精神病患者への虐待の報道がされています。
民間の精神病院で働くスタッフのストレスは多大なものがあります。
医療や看護で働く人は、もともとは「良くなって退院して欲しい」と願っている人ばかりです。
精神療養病棟や一般療養病棟、介護医療院といった、「肉体の死を待つ病棟」で働く人たちは、「医療の敗北:敗戦処理」をしているのですが、そういう自覚はありません。
それはなぜか?
それを認めれば、自分たちの職業に存在価値を見出せなくなるからです。
医療従事者は「死に抵抗する」「死の恐怖や不安を感じるような痛みを取り除く、遠ざけること」が仕事です。
しかし、人間には肉体的な傷や出血といった「痛み」以外の、「将来への不安」「漠然とした恐怖」「生きる意味、自分の存在価値が分からなくなって発狂しそうになる、または無気力になる、虚しくなる」といった精神的な苦痛もあります。
身体的な怪我や出血といったものは、鎮痛剤や処置によって痛みは和らげることはできます。
しかし、「心の痛み」つまり人間特有の「不安や恐怖、悩み」といった精神的苦痛を医学や看護が解決できるのでしょうか?
「傾聴」や「抗不安薬投与」「鎮静」によって、一時的に誤魔化すことはできても、時間が立てば「存在価値や、生きる事への不安や恐怖」といった「人間特有の苦痛」は再燃します。
医学や看護は精神的苦痛を、全く解決できないのです。
精神一般病棟や一般療養病棟、介護医療院には、医療ができることは全て手を尽くし「座して死を待つ人々」が生活しています。
「療養生活をしている」と言えば聞こえはいいですが、医学的には万策尽きた人たちが、身寄りが無かったり、地域で一人での生活できないため、「処置や医療介入が必要だから」ということを理由に、病院を終の棲家として生活しているのです。
「医学的に限界です、治りません」という人たちに対しても、詭弁を使って
「医学によって残された人生のQOLを維持する」と言って、「悪化させないこと」を目的にし入院させて、認知症で寝たきりで自分で食べれない人に経管栄養を続けたり、脳死の人に人工呼吸器を装着してCVから栄養を入れて、生命維持だけを続けるといった、無駄な延命や処置を行います。
「治らないなら、改善しないなら福祉に任せればいい」、「残された人生を本人に選択させれば良い」とはならないのが問題であり、「苦痛の原因」なのです。
一言「神の創った摂理には、人間は叶わない」と敗北宣言すればいいのです。
「負けを認めればいい」のですが、「無神論の日本において、現代医学は神格化され、宗教的役割を担っている」ため、それが許されないのです。
「医療の敗北=神の存在の肯定」を拒んでいるとしか思えません。
「受け入れる」「諦める」ことが許されない業界なのです。
民間精神病院の多くは、社会に居場所がなく、今更社会に戻っていけない人たちを集めて、「不治の病だから可哀そう」という理由で、そういった人たちを死ぬまで面倒を見ています。
療養生活中に、「医学が進歩して脳機能が正常に戻り、性格が治る、考え方が180度変わり、他人と合わせられる、真面目に仕事に行けるようになる、薬や治療法が発見されるのを、首を長くして待っている」と言い換えられます。
しかし、そんな未来が来るのでしょうか?
1952年にクロルプロマジンという抗精神病薬の開発による薬物療法が開始されてから、2023年で70年以上経過しますが、精神医学の治療は何一つ進歩していません。
挙句の果てには、1993年に基本法で障害者の仲間入りし、「病気なの?障害なの?」と宙ぶらりんの存在にされてしまいました。
1950年、精神衛生法ができてから70年以上経過しますが、病院の建物が小奇麗になり、スタッフがスクラブを着るようになっただけで、中身は未だに隔離収容だけしている精神医療。
これからも精神医学は発展しない事は目に見えています。
そんな精神科病院では、人間として、人生が発展しない人たちを相手にしています。
精神病床では「ただ一日、波風立てず、何事もトラブルなく過ごせること」を目標にして生活しているだけです。
人間として生まれてきて、成長していかない、変化がないことは、一番の苦痛ではないでしょうか?
「何事もなく穏やかに暮らしたい」という現代人は多いですが、その考えは間違いです。
例えば、毎日同じ料理を食べ、毎日同じワイドショーを見て、動画チャンネルやテレビプログラムを見て毎日過ごす。三食昼寝付きだが、自由に使えるお金もないため外出もできない、そんな生活を1年続けられますか?
一週間で飽きますよね?
たまには、和食や中華を食べたいし、外食もしたい。
映画を観にったり、買い物や旅行、ドライブをして、知らない土地や文化を味わいたいと感じるのが人間として自然だと思いませんか?
それが「自然だ、人間らしい」と感じるのは
「本来、人間は日々変化し、成長していくことで喜びを感じられる」ように創られているからです。
精神科病院で働くということは、そういった人間として当たり前の自然な「神の摂理」から外れた人たちの生活を支えるような仕事をしています。
囚人たちが問題を起こさないように、集団の治安維持のために監視役を「精神科看護」としているのです。
「看守をすることが楽しい、警察的な仕事がしたい」と思い、その仕事を選んだのでしょうか?
「食べていく生活していくため、経済のためだけの仕事」をしているため、いくら定時に帰宅できて、ルーチン業務や責任が少なく身体的に楽だとしても、「労働の意味、価値がない」ならば、精神的に苦しくなってきます。(発展していかない、変化がないためやりがい、生き甲斐が感じられない)
「人間らしく生きること」を支える仕事にやりがいはあるのです。
「人間らしく生きる」という前提を知らず精神科で働くと、体は楽でも、ストレスだらけで逆に精神的に苦しくなります。
それらのストレスや苦痛が原因となって、精神科病院、介護現場での暴力や虐待に繋がっているのだと思います。
それらの解決の糸口はRAPTブログにあります。
RAPTブログでは聖書を紐解いて私たちに、「人間とは何か?」「人生の答え」を伝えてくださっています。
「RAPT有料記事685(2022年9月26日)私たち人間は神に象って創られたから、私たち人間にとって、神のようになることが真の人生のゴールだ。https://rapt-neo.com/?p=57309」
残念ながら、無神論の日本で「神とは?」と調べても、RAPTブログ以外の場所で、神の存在について具体的に知ることができません。
それ以外の場所で調べても「サッカー選手でスーパープレイをする人」とか「勉強が凄くできて東大や医学部に合格できる人」程度の、人間的な次元での神業、カリスマ的存在しか出てこないと思います。
ですから、是非RAPTブログで「人間とは何か?」とう本質的な答えを知る事で、「働く意味」や「生き甲斐」とは何かについて答えを見つけて欲しいと思います。
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