心の病はどこから来るのか?
精神病は19世紀「脳の病気だ」と言われる前は「狐憑きだ」「悪魔が乗り移った」などと言われていた
確かに、人間の言動に異常を来すとき、脳内で何らかの変化は生じているが、では脳内で起こっている化学変化がなぜ起こっているのか?
同じ人間で、どうして脳内変化が起きやすい人と起きにくい人がいるのか?
精神医学はその原因を「外因性、内因性、心因性」というように精神疾患の原因を3つの原因によって生じると仮説立てました。
しかし、これらが仮説だという理由は、万人向けしない理論であり、非科学的な考え方であるからです。
精神医学は、この非科学的な理論をもとに「この人は精神病だ」とレッテル貼りをするだけの医療分野です。
思考がまとまらなくなっている、奇異行動をしはじめたこのような行動の裏には、
「本当に狐の霊が憑りついた」のかもしれないし「悪魔が乗り移った」のかもしれません。
しかし、そういった目に見えない可視化できない物を完全に排除し、ただ目の前で患者が繰り広げる奇異行動や発言、体験を聴取し、それらを分類することで鑑別するのが現代の精神医学、つまり症候学という欺瞞に満ちたものなのです。
精神医学は人間に起こっている問題をチェックシートに沿ってレ点をつけて分類しているだけなのです。
そして、分類された精神病と呼ばれる人たちは、
①向精神薬という麻薬が与薬され、
②入院すれば隔離収容という社会からの絶交
③障害者手帳取得の手続きという逆差別
が開始されます。
その人の問題となっている、家庭環境や経済環境、社会環境といった「生き辛さ」への解決は何も始まらないのです。
精神的苦痛と霊的苦痛の違いをご存知でしょうか?
・恋人がいなくてみじめ
・友達がいなくて寂しい
・お金がなくてひもじい
・学歴が低くて馬鹿だと思われる
・サービス残業続きで自宅と職場の往復だけの人生は辛い
確かに、これら「恋人、友達、お金、学歴、仕事」はあるに越したことはないものです。
しかし、これらが十分にあっても「私は不幸せだ」と感じて生きている人は日本には沢山いると思います。
霊的苦痛とは一体何でしょうか?
それは一言で言えば「私は何のために人生を頑張るのか?」という人生の目的や目標がないまま生きることで「自分の立ち位置を見失うこと」です。
普段、忙しく働いている時は感じにくいのですが、会社を辞めた時や定年退職したとき、不慮の事故にあって大怪我を負ったとき、大病を患った時、大切な人を亡くした時といった時に
「どうせ人間死ぬんだから、人生、頑張る価値なんてあるのかな?」と普段向き合わない自分の人生について考え始めてしまう時があります。
それはなぜか?というと、必死に働いて稼いだお金や貯金も、我慢して積み上げてきた、地位や役職や名声や国家資格も、恋人や友人、家族も
「死んでしまったらあの世に持って行けない」
「死んだら終わりなら努力が無駄に終わる」
というシンプルな事実に気付いてしまうからです。
そんな時「私たちはどこから来て、どこへ向かっていくのか?」とふと疑問に思うのです。
そして「人生をどうやって生きれば良いのか?」という最大の疑問に対して答えがみつからず、考えるのを止め、この漠然とした不安や疑問を抱えたまま生きることにより「心の飢え渇き」や「無気力感」が付きまとい始めるのです。
「人間以外の動物と同じように、本能のままに、欲望のままに生きれば幸せだ」というのが社会の風潮です。
Aマズローは人間の欲求階層を基本的欲求が満たされないと社会的欲求を満たそうとしないと話しましたが、高度な社会的欲求を満たせれば、人間は幸せになれるのか?というと、社会的地位があり金持ちで有名な人たちを見ても、必ずしも幸せそうに生きていません。
むしろそれらの富や名誉や地位を必死に守ろうと、さらなる権力や富、財産を得ようと必死にしがみついている人ばかりではないでしょうか?
私たちは幼少のころから「お金や権力や地位名声、恋人や家族や友人を手に入れれば幸せになれる」という世間からの「幸せの定義」を押し付けられて生きてきました。
しかし、それらを実際手に入れても心は一時的にしか満たされませんし、大部分の庶民はそれらのものすら満足に手に入れる事ができず、人生を終えていくのです。
「一生遊んで暮らす財産を手に入れられなかった、誰もが羨む異性を手に入れられなかった、贅沢できずに終わってしまった」と悔いながら死んでくのが日本人の最期なのではないでしょうか?
努力が報われないのではなく、報われない努力をして人生を終えていくのが日本人の生き方なのです。
これらからの影響によって受ける苦痛を「霊的苦痛」と呼んだりします。
では、この霊的苦痛から逃れるにはどうすれば良いのか?
というと「前向きに生きればいい」
「いつも感謝して生きればいい」
「いつも笑顔でいきればいい」「利他の心で生きればいい」
などという耳障りの良い自己啓発的な答えが帰ってきそうですが、そうやって生きようと思っても、持って1年程度で、結局長続きせず、人生の重大な局面や岐路に立たされた時にはそれどころではなくなり崩れ去ってしまい、逆にそういった無理な生き方に疲れてしまい鬱鬱としてしまうのが関の山ではないでしょうか?
ではどうすれば良いのか?
解決策はRAPTブログ有料記事でしかその方法を知ることができません。
結論として、RAPTブログ有料記事を読んでもらえば解決してしまうのでそれまでなのですがそれではこの動画を視聴してくださっている人たちには申し訳ないため、
その解決方法の一つをご紹介したいと思います。
それは自分の「霊を作り上げること」で霊的苦痛を取り除くことができるということです。
「霊を作る」とは何だ?と言われると「性格を変える」ことです。
では「性格とは何か?」というとその人が持っている「価値観」から産み出される「考え方の癖のこと」です。
「思想統一することなのか?個性もへったくれもなくなってしまうのではないか?」と思われる方がいるかもしれませんが、人それぞれ好むものや嗜好は違いますから心配には及びません。
日本が精神的に病んでいる人が多いのは、単にストレスが多いとかストレスに弱いという表面的な理由ではなく私たちが意図せず、無意識下において
「常に霊的苦痛にさらされている」から
であり、さらに「霊的苦痛にさらされていることに気付いていないこと」で病状が進行しているのに何も手を打っていないことが原因だと思います。
では「性格を変える、価値観を変える」とは一体どういうことでしょうか?
学生に対して「偶々宝くじを買って、100億円が当選したら、明日からあなたはどうしますか?」
と質問すると殆どの学生が「学校辞めて、やりたいことをやります」
という答えを返してきます。
「やりたいことって何ですか?」
と質問しても「趣味に没頭し、買い物や海外旅行、寝たい時に寝て、起きたい時に起きる生活をすることかな」くらいしか答えは返ってきません。
要するに多くの日本人は
「楽して金儲けして好きな事をして贅沢して暮らしたい」
と考えているのです。
しかし考えても見てください。
どこの世界に「仕事もせず、悠々自適に衣食住満たされ、贅沢できる世界が存在するのでしょうか?」食べ物は「単にお金を支払えば手に入る」のでしょうか?
違いますね。
生産者、加工業者、配送業者、小売業者という何重もの労働を介することによって、お金と交換できるだけなのです。
お金には時間と労働力が隠されているのです。
時間と労働力も拠出せず、ただ消費だけしようという考えは「富の偏り」であり、「不正によって富を得ること」なのです。
しかし、多くの日本人はその「不正」によって成り立つ生活に憧れ、必要以上に「欲望を満たす事で幸せになれる」と親や社会から教えられてきているのです。
私たちは「不正」によって成り立つ社会に慣れ切ってしまって「不正を正そう」とは考えず「不正を行う側に回りたい」という怠惰な価値観を受け入れてしまっているのです。
だからといって「奴隷のようにブラック企業で働け」などという事は言っていません。
一人一人が「不正を得たい」という考えを捨て、「不正を行う人たちを許さない」という「正義」を持てば良いのです。
その「正義の絶対的基準」を知る人がこの世には存在しません。
ですから、その基準を知って実践するためにRAPTブログ有料記事で学ぶ必要があります。
「正義の絶対的基準」こそが「正しい価値観」であり、「正しい価値観」を実践しようと日々努力し続ける事で、「性格を変えることができる」のです。
「性格を変えること」を始めることで「霊的成長が始まる」のです。
霊的成長が始まれば、霊的苦痛は減っていき、精神的苦痛もなくなっていくのです。
「好き勝手に、欲望のままに生きる」ということは「本能に従って生きる動物と同じ」なのです。
人間が本能に従って生きれば「事故死するか、報復されて殺されるか。または犯罪によって検挙され刑務所生活するか、アルコールや麻薬に溺れ廃人となりホームレス生活を送るか?」くらいしかありません。
「基準を持たずに生きること」はつまり「地図を持たず旅に出る事」と同じなのです。
しかし持って行く地図、頼りにしている地図がまがい物であれば、偽物の目的地にしか到達することはできません。
最悪、目的地につけず彷徨い続けて一生が終わってしまうかもしれないのです。
どんな辛い事があっても人間が耐えきれるのは「夢や希望があるから」なのです。
精神科医療では障害者手帳の取り方や、仕事もせず、3食昼寝付きでゴロゴロしていれば一日が終わっていく方法は教えてくれます。
しかし、そこに「夢や希望」があるのでしょうか?
ただ怠惰に生き、毎日同じことの繰り返しで、奴隷や家畜のように生きることが幸せなのでしょうか?
精神病院がなくなったり、自立支援医療や手帳制度や障害者年金制度がなくなってしまったらどうやって生きていけばいいのでしょうか?
「人生の問題」とは「心の問題」であり、皮肉にも精神科医療は「心の問題を全く解決することができない」存在なのです。
なぜならば、そこに脳内で起こる現象を仮説立てることしかできず、その本質について根本的に何も分かっていないからなのです。
そして精神科医はどうやって生きれば良いのか?について全く答えを持っていません。
医師になるために医学部で学ぶ内容に「人間について、人生について」の本質的な事を学んでおらず、医者になる動機も、富も名誉も手に入る医者という職業に憧れた、単に成績が良かったから医学部に進んだ、親から勧められたからという程度で、人を救うとは何かについて分かっていないからです。
最後までご視聴ありがとうございました。
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