人間と動物との違いは何か?
それは、理性的に生きられるということではないでしょうか?
・欲望を満たすことではなく、心の平安こそが真の幸せである。
RAPT有料記事360(2019年3月23日)肉性(欲望や感情)の強い人は聖霊を受けられず、聖霊を受けられない人の祈りは叶えられない。
今の世の中は、モノや情報に溢れ、いつでも直ぐに安価にモノや情報が手に入る時代になりました。
そして、メディアやテレビをにぎわしている、有名人、芸能人、スポーツ選手はとにかく派手で贅沢な生活をしているように報道されます。
そして、それがさも幸せな生き方であるかのように報道されるのです。
理性的に生きると良いことがあります。
それは、脳が成長していくということです。
感情的に生きる人を例に挙げると、感情的に生きる人は本能のままに生きています。
ですから、快不快の感情で生きています。
快不快とは、それが社会全体にとって「善か悪か?」という基準がありません。
本人にとって「気持ちいいか?」「不快か?」の基準で選択して行動しているため、結果として社会全体としては「善になろうが悪になろうかは関係ない」という基準なのです。
それが、感情的に生きる人=本能のままに生きる人の生き方です。
これは言い換えれば「自己中心的な人」のことを言い表します。
もし、自己中心的な人ばかり集まったら、世の中はどうなるでしょうか?
「自分さえよければいい」
のであれば、集団生活や集団作業はできませんから、製造業は非効率で生産性は低下します。
会社のような組織そのものが成り立ちません。
それこそ、法律のようなものすら、存在せず、小さな村単位で話し合い、毎回もめごとを地域の長老や識者が仲裁して解決するということになってしまいます。
それが進めば、さらに欲の強い人が現れ、人々を買収し一極集中の支配を使用と暴力と資金力による支配が進んでいくことになってしまうでしょう。
まさに、日本史の戦国時代のような様相を示す時代になります。
日本史において、戦国時代は、なぜか人気があります。
それはなぜか?
「日本一欲望の強い人を決めよう!」という大会が戦国時代であったため、歴史を学ぶ側としても
「どうやって、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康は天下を手に入れたのか?」
とそのサクセスストーリーに興味がわくからかもしれません。
人一倍、強欲で、人一倍、残虐で、人一倍、冷酷だっただけだといういうのに。
人命よりも富や権力が大事だと思った人にしか、人殺し=犯罪をすることはできないのです。
窃盗、強盗といった類の犯罪は、食べるものがない、欲しいものが手に入らないため、交換機能がある「お金」を他人から無理やり奪う行為です。
本来、お金とは労働力の対価として支払われるものであるはずなのに、他人の労働力(時間)を窃盗や強盗という犯罪によって一瞬で奪ってしまうのです。
コツコツと働いて貯蓄してきたものを、一瞬にして奪ってしまうのが窃盗や強盗なのです。
それができなければ、強盗殺人をして強制的に奪うのです。
戦争とはまさに、大義名分があろうとなかろうと、単なる犯罪行為なのです。
ある意味において、お金、紙幣とは「労働力、時間」という目に見えない価値のある存在を「物質化したもの」です。
お金によって、流通速度が上がり、より世界中から良いものが集まり、商業の取引が活発化されました。
紙幣やお金によって、貧富の格差が生まれたというネガティブな意見もありますし、通貨発行権を握っているロスチャイルド家が強いなどと言っている人もいますが、通貨発行権を握っている人たちの間で、ドル、ユーロ、円、元などの国家間でも諍いが収まらず、実は彼らもコントロールできずにいるのです。
その反面、流通システムを発展させるために情報技術や輸送環境が発展し、人間は豊かな生活を手に入れることができました。
私たちは欲しいものや他人が持っているものを、殴ったり、殺したりして実力行使で奪い取ることによって手に入れる時代から卒業できたわけです。
しかし、働けばお金が手に入り、そのお金で必要なものが手に入る時代になったにも関わらず、強盗や殺人が横行しています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(強盗が全国で急増)
従来の営業時間を狙う方法以外に、早朝や夜間、帰宅途中に局長を襲い金庫を開かせる被害が続発している。その多くが局員の少ない小規模の特定郵便局で警視庁では「郵便局は警備が手薄とみられているのが背景にある。」としている。
アジア系エステ店への強盗事件も全国で100件を越え急増している。東京で捕まった中国人犯人によると、「従業員が不法残留しているケースが多いため警察に通報されないと思った。」と供述。犯人グループは十人前後で、4~5人で犯行を繰り返していると考えられている。主に新幹線沿線の都市で発生、関東に拠点を置く組織が新幹線を使って犯行後すぐに逃走する「ヒット・アンド・アウェイ方式」で犯行を繰り返していると見られる。
商店経営者や主婦が殺害された侵入窃盗中に偶然出くわしたための「居直り強盗」「居直り強盗殺人」も急増している。
又、鉄パイプなどで歩行者を襲い、金品を奪う路上強盗も多い。ひったくりの延長のような意識で「手っ取り早く現金を奪える。」というのが理由で、未成年者の犯罪も多い。ここでも犯罪の若年化の傾向が見受けられる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)
実は、戦国時代のような時代に現代日本は変わりつつあります。
警察の発表した統計が正しいかどうか?は不明です。
しかし、信用するしかありませんから、一応は侵入強盗事件の認知件数は減少しています。
しかし、上記リンク先のセキュリティ関係の会社では、強盗の手口も残虐になっていることなども書かれており、
「人間が欲望を満たすために、獣のように犯罪を行っている現状」も表しています。
それだけ貧富の格差を政府が意図的に生み出し、庶民には物質的豊かさを追い求めさせることで「文化的精神的退廃」を進めているのでしょう。
庶民が貧しくなれば、お金欲しさに、戦争にも行くことを辞さないようになります。
それこそ、意図的に内政によって貧富の格差を生み出しておきながら、「今の不平等は外国からの影響だ」と現状に不満のある若者に訴えれば、受け入れて戦争で人殺しを平然とできるようになるためです。
「感情に流されて生きる=本能のままに生きる」ということは目の前の快楽享楽を求めればよいだけですから、一見、頭、脳を使わなくてよいため楽な生き方のように思えますが、最後はそれらの快楽享楽すら政府や権力者から取り上げられ、政府や権力者、大企業経営者の好きなように扱われてしまうだけの人生になってしまう恐れがあります。
「逆に感情をコントロールして理性的に生きる」ことで、現実を踏まえ、社会の中で本当に必要とされる、価値ある人間としての行動を取ろうと、いつも脳を働かせているため、どのような時代の変化があっても、その荒波に飲み込まれることなく、生きていけるのではないでしょうか?
「おなかが空いたから食べる」人だけなら、いずれ食糧を調達する人、生産する人、販売する人がいなくなってしまいます。
現代社会は全体調和ができるように、高度に分業がされています。
その中でも、自分にしかできない分業をみつけ、その道を極め、社会に益になる生き方をできる人が、本当に幸せであり、単に刹那的に感情的に欲望の赴くままに生きる人は、欲望の奴隷となって、いずれ時代が変化したときに、ついていけず欲しいものまで取り上げられてしまう人生になってしまうかもしれないのです。
そのために、私たちは人生の基準を持って生きていかなくてはいけません。
その基準は明確に存在するのです。
ただし、誰も知らない、そして教えてくれないのです。
まずは人生の明確な基準、生き方について知ってみてはいかがでしょうか?
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