心のハンドル操作方法 幸せに生きるための教習所

旧精神科医療は思想警察なのか?

フジサンケイグループの事実上トップ鹿内信隆(しかないのぶたか)と従軍慰安婦

2018年08月17日 | 世の中はヤクザ、暴力団が牛耳っている

今回はメディアの中心ともいわれている、フジテレビについて見ていきたいと思います。

まず、日本テレビ系列の「とんねるずの生でダラダラいかせて」という番組ではテリー伊藤が、オウム真理教の麻原彰晃を出演させていました。

・・・・・・・・・・・・・・・(『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』(とんねるずのなまでダラダラいかせて!!)

1991年10月16日から2001年3月14日まで日本テレビ系列で毎週水曜日 21:00 - 21:54 (JST) に放送されていたお笑いバラエティ番組である。とんねるずがメイン司会を務める冠番組。略称・通称は「とんねるずの生ダラ!!」もしくは「生ダラ」。とんねるずの視聴率全盛期にあたる、1991年からスタートし、初年度からバラエティ年間平均視聴率ランキングで、4位(1位はとんねるずのみなさんのおかげです、3位はねるとん紅鯨団)から始まり、以後1998年まで、年間平均視聴率ランキングで、5位以内に常にランクインした。また、子どもに見せたくない番組ランキングでは番組終了まで、常に1位を争っていた。

出演者の「しゃべり言葉」を字幕として画面に表示するという手法を初めて本格的に導入した番組[1]で、これ以降のバラエティ番組やお笑い番組の制作に多大な影響を与えた。


麻原彰晃の青春人生相談


麻原彰晃が若者の悩みを解決するという企画。しかし実際は「風変わりな風貌で、ちょっと珍しい事をしているおかしなおじさん」である麻原に対して興味本位な質問[3]をぶつけ、その反応を皆で笑っている感じのものであった。

一回きりの企画で、初期生ダラの演出を担当していたテリー伊藤が当時麻原を面白がっており、自身が演出する番組にたびたび出演させていた[4]。

・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)

その動画は以下の通りです。

麻原尊師 生でダラダラいかせて出演

いかにも淫乱な番組なのですが、この時代いわゆる世紀末というのは、本当に人間が性的に堕落しており、動物以下のようだったと回顧されますね。

そして1991年12月30日にテレビ朝日「TVタックル」という番組で、麻原彰晃とビートたけしの対談が実現されています。

対談動画は13分程度ですが、その中で、たけしはしきりに虚しさを語り、麻原が「たけしさんならオウム真理教の教祖になれる」とコメントすると「5年後には自殺するか死んでしまうのではなないか」と発言しています。 

無茶苦茶な麻原彰晃の教理なのですが、たけしの賢さによって、恵みのあるものに聞こえてしまいます。

このように、カルト宗教をメディアを通して広げてきたわけですが、そのとんねるずの番組で人気をはくしていた女子アナが三田友梨佳です。

ミタパンぶち切れ! バナナマン・日村のセクハラにビンタ連発!!

このようにお笑い芸人に抱き着かれるという演出を番組ではどうどうとしています。

イルミナティの広報機関のメディアで女子アナをするということはこういった淫乱なこともさせられるのですから、イルミナティの世界も大変だと思わされます。

この三田友梨佳がフジテレビの入社試験で「腰を振らされた」と発言しています。

・・・・・・・・・・・・・・・(セクシーポーズ要求? フジテレビの面接の闇、また暴かれる「腰、振りました」2018年8月16日 12時0分 リアルライブ)

 フジテレビの三田友梨佳アナウンサーが14日、『志村の夜』(フジテレビ系)に出演し、入社試験の裏話を明かした。

 この日は、同局の新人アナである井上清華アナと杉原千尋アナも出演していたのだが、フジテレビの就職試験に話が及ぶと、井上アナが「カラオケの十八番を歌ってと言われた」と暴露。これは、カメラテストといって、カメラの前で一問一答形式で質問に答える試験の際に出されたお題のようだが、「チチチって(タイマーが)鳴る中で質問が飛んでくる」ため、追い込まれた状況で歌を歌わなければならなかったと振り返った。

 これを聞いた先輩アナである三田アナも同調するように、「私も当時『ビヨンセのものまねをして』っていきなり言われて…」と告白。戸惑いもあったようだが、「腰、振りました」と明かしていた。

 これを受け、ネット上ではフジテレビに対する批判の声が続出。「面接官の立場利用したセクハラ」「そんな無茶振りするヤツほんとクズ。アナウンサーになりたくて頑張ってるなら無理して応じるしか無い」「求められるものはタレントや芸人と変わらない」「女のこと舐めきってる」などの声が相次いだ。

 「フジの面接スタイルは昔から独特だったと有名です。今はフリーになった加藤綾子アナウンサーも、フジの面接時に『変顔をしてください』や『セクシーポーズをしてください』などと言われ、スカートの裾を膝上まで上げたことを告白しています。それも今ではましなほうで、90年代前半の頃はもっとありえない質問をしていたそうですよ」(芸能記者)

 ただし、キー局の場合、こういった傾向になることは、ある程度予測できるともいう。

 「地方局は即戦力を求めるため、面接時から原稿読みなど、純粋なアナウンサーとしての素質を見ます。しかし、東京のテレビ局はアナウンス力よりも、その局の色にどれだけ近いかが重要。フジの場合は、バラエティでセクハラまがいのことを言われてもめげないような心の強さが一つの必要な要素だったのかもしれません」(前出・同)

 実際、今回の三田アナの発言を受け、「この人はいい意味で割り切ってるのがいい」とプラスに捉えた人もいた。

 となると、フジの“見極める目”はある意味間違っていなかったのかもしれない

・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)

ただの変態おやじの集団ですね。

権力を持っているため、こういった横暴が平気でできるのでしょう。

女子アナを「性的な対象」として仕上げてしまい、淫乱な行いをさせることは彼らにとって常套手段なのかもしれません。

文化人づらして小難しいニュース記事を読ませる傍ら、堕落した行いをさせる。

飲み水糞尿を入れる感覚が彼らの中では当たり前なのかもしれませんね。

フジテレビ面接の闇で調べると、風俗店の面接のような質問内容が飛び交っていることがわかります

・・・・・・・・・・・・・・・(女子アナ“入社面接”のナマ現場はこんなにもエグい(1)加藤綾子が明かした面接時のトンデモ質問) 

 元フジテレビアナウンサーのカトパンが、同局入社試験時の面接の様子を暴露。波紋は広がるばかりだが、テレビ業界からは「何をいまさら」との声が漏れてきた。何でも、各局の美女アナたちは当たり前のように“通過儀礼”をクリアし、難関を突破してきたイキサツがあるというのだ。

 衝撃発言が飛び出したのは、7月10日深夜に放送の「クジパン」(フジテレビ系)。新人の久慈暁子アナ(23)がMCを務める同番組にゲスト出演した、カトパンこと加藤綾子(32)がフジ入社時の面接試験について、こう実態を明かしたのだ。

「(面接官から)『セクシーポーズをしてください』って言われたの。セクシーポーズ‥‥どうしよう、どうしようと思って、私、何を血迷ったか、スカートの裾を上げたの‥‥。スカートの裾を膝上まで上げて、エヘッとかやって」

 まさか、“チラ見せ”がフジ入試の決め手になったのかと勘ぐりたくなるが、同番組の放送以降、ネット上では驚きの声が続出している。当然ながらテレビ業界関係者の間でも「セクハラ面接」の話題がひっきりなしに飛び出しているのだが、一般視聴者たちの感想とは様相が違うのである。

「カトパンのチラ見せなんて全然序の口です。今回、フジがセクハラ面接をやっていたことに対する批判の声も上がっていますが、女子アナ採用の現場は各局どこも同じ。いや、もっとえげつない質問、強要であふれかえっていますよ」

 こともなげにこう語りだした、民放局関係者A氏が続ける。

「コンプライアンス意識の低かった昔は特に、女子アナ面接といえば“ド直球のセクハラ”が横行していました。何せ30年前、河野景子(52)がフジの重役面接を受けた際の最初の質問が『君って処女なの?』だったんですよ。これに動じず『想像にお任せします』と答えたことで彼女が採用されたというエピソードは今もテレビ業界の語りぐさ。90年代後半までは『外国人とヤッたことある?』『好きな体位は?』『今日のパンツの色は?』なんて質問がバンバン飛び交っていましたよ。現在アラフォーになっている、テレビ朝日の武内絵美アナ(40)や元フジ・内田恭子(41)ぐらいがド直球の洗礼を受けた最後の世代ですね」

 さすがにコンプライアンスが叫ばれる時代背景もあり、その後は女子アナ志望者に対するセクハラ面接もソフト路線へと変貌を遂げていったという。

「各局、2000年代に入ると、ド直球から“ほのめかしセクハラ面接”に移行したんです。面接官がニヤニヤしながら『あなたは同僚から仕事上の不満を“口に出してほしい”と思いますか?』なんて聞いてくる。ニヤケ顔から質問の狙いを察して『口に出してほしいです‥‥』と半笑いで答えると、面接官たちからドッと笑いが起こり『わかってるね!』と称賛されるんです。下ネタの意図をくんで、テレビのノリを試すという趣旨はあるにせよ、今の時代ならセクハラと言われてもしかたがない面接ですよ」(A氏)

 社風なのか、こうしたセクハラ攻撃は面接という場にとどまらなかった。

「当時、フジの深夜番組『音箱登龍門』という番組で中野美奈子(37)が、『柔らかいせんべいと硬いせんべいのどっちが好き?』と聞かれて『硬いほうが好き』と、いかにもエロく聞こえる言葉を言わされていましたが、あのコーナーは、彼女が入社面接で受けた、ほのめかしセクハラ面接を再現した企画なんです」

 入社面接でも中野アナは「他の志願者とは比べものにならない下ネタに対する強さを発揮していた」(フジ関係者)というから、学生時代からセクハラ耐性を持ち合わせていたのだろう。

・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)

フジテレビはまさに、「女子アナや社員を性的接待の道具」としか考えていないのでしょう。

報道番組やめざましテレビで有名にしてやるかわりに、性接待の道具として使おうとしているのです。

ある程度、学歴がある見た目のよい女性を募って、ヤンキーやキャバ嬢よりも、「知的な女性を好む政治家や大企業社長」を取り込む道具として、仕立て上げようとでも考えてるため、このような面接内容になるのでしょう。

安倍晋三首相の甥っ子がフジテレビに。慶応野球部出身の慶応ボーイ

<岸信千代>

岸信介の孫で、安倍首相の甥っ子が、フジテレビにコネ入社しています。

 

安倍首相の親戚の斎木陽平氏が「#保育園落ちたの自業自得だ」というハッシュタグを作成⇒批判殺到で炎上!>

この斎木陽平は「AO義塾」というAO入試という裏口入学指南をやっている経営者のようです。

フジテレビ、安倍首相、三菱、天皇家は太いラインで繋がっています。

そして、このフジテレビの総帥が「鹿内信隆(しかないのぶたか)」です。

・・・・・・・・・・・・・・・(鹿内 信隆(しかない のぶたか、1911年(明治44年)11月17日 - 1990年(平成2年)10月28日)

日本の実業家。フジサンケイグループ会議議長。

 

出生から学生時代まで

北海道の夕張郡の当時は人口6,000人程度の村だった由仁町に[1]父・鹿内徹、母・モヨの長男として生まれた[注 1]。母・モヨは写真館を経営していた[2]。

父・徹は撮影技師だったが由仁町に来てからは歯科医になった[2]。

1924年、岩見沢中学に進むと弁論部に入って主将を務めたが、鹿内は、「小生意気な子供であった」という[3]。通学用の革靴が買えなくて、母親の婦人靴をぱかぱかいわせながら穿いていた[4]。母親も事あるごとに借金しようとしたが、由仁町の平均的生活感情からは、「変った一家」とみられたため、誰も金を貸すものはいなかった[4]。

1929年に単身上京し、早稲田第一高等学院に入学した。同校では演劇に熱中、左翼的空気の中で脚本や演出を学んだ。この頃の仲間には、後に社会派の映画監督となる山本薩夫らがいた。

3年後に早稲田大学政治経済学部に進学した鹿内は財政学を専攻し、研究サークル「政経攻究会」に所属した。このころの鹿内のあだ名は、“図書館ゴロ”であったという


軍隊時代
1938年に応召し、予備役召集第1回の士官候補生となり牛込区若松町に置かれていた陸軍経理部に進み、のち主計少尉

軍務時代慰安所設置などに尽力(本人著「いま明かす戦後秘史」に詳しい)。

また、日清紡の営業部長で軍と折衝していた桜田武や大日本再生紙社長の水野成夫らと、需給計画を通じて知り合う事になる。岩畔豪雄をリーダーとする陸軍戦備課は1938年、軍用の製紙会社・国策パルプを設立し、続いて水野と南喜一を支援して1940年大日本再生製紙を設立するが、鹿内はその担当事務官であった[6][7][8]。ただ、水野は岩畔との関係からインド独立工作に一生懸命で、水野に会ったのは戦後だという[6][7]。

戦後
除隊後の1943年、鮎川義介の日産コンツェルンが資金的にバックアップしていた日本電子工業の創立、戦後の経済同友会創設に参画。

戦時中から仕事の付き合いがあった桜田が鹿内を非常に買い、関東経営者協会の発足で、桜田委員長=鹿内信隆副委員長という労務問題でのコンビを成立させ、これが1948年4月の日本経営者団体連盟(日経連)設立に至る。

桜田は日本電子工業の常務だった鹿内を引き抜いて、日経連の初代専務理事として迎えて、桜田総理事=鹿内専務理事として再びコンビを組み、戦後の約10年を日本共産党に指導されて各地で起ったラジカルな労働争議を闘った。

また桜田の師匠・宮島清次郎が若手財界人を束ねて帝大同期の吉田茂政権を支援したことから、桜田を通じて政財界人脈を拡げることになる。

戦後の混乱期に「財界四天王」らと共に「財界主流派」の中心メンバーとして、戦後の日本経済の基盤作りを行い、政財界の舞台裏を取り仕切った人物の一人である。

鹿内自身「私のいちばん記録に残すべき時代は日経連時代なんです」と述べている。

1954年のニッポン放送設立に加わり、1957年文化放送にいた水野と協力してフジテレビを開局させた。1961年、ニッポン放送社長に就任する。

1963年、同局社長。フジテレビ社長時代の1968年、産経新聞社社長に就任した。

1969年、箱根 彫刻の森美術館館長・フジサンケイグループ会議初代議長を務め、フジサンケイグループ内で絶大な権力を持った。

1974年、郵政官僚出身の浅野賢澄に社長職を譲り、自らは会長に就任。また、ニッポン放送社長を同郷の後輩である石田達郎に譲った(石田の後任は鹿内の大学の後輩である羽佐間重彰で、後にフジテレビの社長も務めた)。

1982年、郵政官僚出身の浅野賢澄にフジテレビ会長のポストを譲った。1984年フジサンケイグループ最高顧問の座に就いた。しかし1988年、長男・春雄の死去を受け、再びグループ会議議長の座に就任した。1990年10月28日、78歳でその生涯を閉じた。

・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)

①陸軍経理部に進み、のち主計少尉。

軍務時代慰安所設置などに尽力(本人著「いま明かす戦後秘史」に詳しい)。

②除隊後の1943年、鮎川義介の日産コンツェルンが資金的にバックアップしていた日本電子工業の創立、戦後の経済同友会創設に参画。

③桜田の師匠・宮島清次郎が若手財界人を束ねて帝大同期の吉田茂政権を支援したことから、桜田を通じて政財界人脈を拡げることになる。

まず①ですが、従軍慰安婦制度を実質的に取り仕切っていたのは鹿内信隆だということです。

・・・・・・・・・・・・・・・(産経新聞元社長・鹿内信隆が自慢げに楽しげに語る慰安所開設とレイプの話がおぞましい。2014/09/18 15:00)

日本に残念ながら多数ある歴史修正主義の本家本元のひとつである産経新聞の元社長の鹿内信隆という人が、大日本帝国軍性奴隷制度の運用の一環としての慰安所開設自慢をしていると同時に、日本軍将校によるレイプのことを楽しげに自慢げに語っていて身の毛がよだちました。こんなことをしていた、そして自慢げに語って本にもする日本の右派、右翼、極右、歴史修正主義、女性差別者たちの異常さ、こんな人間と同じ思想を共有する「仲間」たちが日本の権力を現在握っていることの恐怖を改めてこうして書き留めておきます。

・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)

「軍の規律を保つために、性的処理する人間が必要だ」

そもそも、天皇家の侵略戦争を止めればいいだけの話なのですが。

 

フジテレビが従軍慰安婦問題をつつけないのはこういう創業者がこういうことを堂々とやっているからです。

 

私たちはフジサンケイグループの汚点のために、韓国に謝罪し続けているのでしょうか?

フジテレビが責任取れと言いたくもなります。

②除隊後の1943年、鮎川義介の日産コンツェルンが資金的にバックアップしていた日本電子工業の創立、戦後の経済同友会創設に参画。

③桜田の師匠・宮島清次郎が若手財界人を束ねて帝大同期の吉田茂政権を支援したことから、桜田を通じて政財界人脈を拡げることになる。

鮎川を通して財界と繋がるための「経済同友会」とパイプラインを作る。

そして、吉田茂は麻生太郎の祖父でした。

麻生太郎は天皇家と親戚ですから、政界人脈+天皇家とがっちりタッグを組んだということがこれだけでもわかります。

終わりに、鹿内の女性観についての記事を転載します。

・・・・・・・・・・・・・・・(フジ産経・初代社長の実録 鹿内信隆の強制連行関与(女を性器として品定め)2014-09-14 | Weblog)

故人鹿内信隆(1911-1990)は「商業右翼」を社是とするフジサンケイグループをつくりあげた創始者だ。

戦後の混乱期に乗じて、いわくありげな人脈・金脈を使い電波事業に手を拡げ、メディア(ニッポン放送・フジテレビ・産経新聞)の実権を次々に手握して、着々と支配力を強め、ついに1968年、フジサンケイグループをつくりあげた。

その手握は当時の白木屋乗っ取り事件(山師・横井英樹が株主総会に総会屋・ヤクザ・右翼を送り込んで経営陣を揺さぶりながら敵対的に株式を買占めて百貨店を乗っ取った)にならったかたちだ。

またその支配は絶対服従を強いる傲慢な経営だった。労働組合の存在すら認めず、従業員を物として扱い、逆らえばそっこく解雇された。特に女性を蔑視し25歳での結婚退社を強制していた。鹿内の部下だった現フジテレビジョン会長日枝久も「恐怖経営」だったと回顧している。

鹿内信隆は1938年27歳で応召され、予備役召集第1回の士官候補生となり陸軍経理部に進み、のち陸軍主計将校として戦地におくられた。

その鹿内は戦中、陸軍経理部に招集されていたのだが、産経新聞社長就任後に桜田武・元日経連会長との対談集『いま明かす戦後秘史』(サンケイ出版/絶版)を出版。陸軍時代の思い出話をこんなふうに語っている。

「鹿内 (前略)軍隊でなけりゃありえないことだろうけど、戦地に行きますとピー屋が……。
 桜田  そう、慰安所の開設。
 鹿内  そうなんです。そのときに調弁する女の耐久度とか消耗度、それにどこの女がいいとか悪いとか、それからムシロをくぐってから出て来るまでの“持ち時間”が将校は何分、下士官は何分、兵は何分……といったことまで決めなければならない(笑)。料金にも等級をつける。こんなことを規定しているのが「ピー屋設置要綱」というんで、これも経理学校で教わった」

鹿内は召集後、1939年4月から9月にかけて陸軍経理学校で軍の後方支援のノウハウを学んでいたのだが、そのときに、慰安所の作り方も叩き込まれたというのだ。しかも、その内容は今、右派メディアがしきりに喧伝している「公衆衛生の管理だけ」というようなレベルではない。鹿内の発言に「調弁する女」という表現が出てくるが、「調弁」というのは軍隊用語で兵馬の糧食などを現地で調達するという意味。つまり、これは陸軍が慰安婦の調達に関与していたということではないのか。

さらに衝撃的なのが「女の耐久度とか消耗度、それにどこの女がいいとか悪いとか(中略)といったことまで決めなければならない」という発言だ。当時の日本軍が現地の女性を完全にモノ扱いし、どんな女がいいのかを品定めする作業までをも士官に命じていたことを証明するものだ。

断っておくが、この鹿内発言は老人の妄想でも記憶違いでもない。靖国神社の一角に靖国偕行文庫という図書館があるのだが、そこにこの鹿内発言を裏付ける一冊の本が所蔵されている。

300ページ以上はあろうかという分厚いその本のタイトルは『初級作戦給養百題』。昭和16年に陸軍主計団記事発行部が発行した、いわば経理将校のための教科書だ。
 
表紙はハードカバーで、「日本将校ノ外閲覧ヲ禁ス」という文字。その9ページ目、第一章総説に、師団規模の部隊が作戦する際に経理将校が担当する15項目の「作戦給養業務」が解説されているのだが、その最後の項目「其他」の解説に以下の任務が列挙されていたのだ。

1 酒保ノ開設
2 慰安所ノ設置、慰問団ノ招致、演藝會ノ開催
3 恤兵品ノ補給及分配
4 商人ノ監視

ようするに、陸軍の経理将校向け教科書に任務として「慰安所ノ設置」が掲載されていたのである。軍が関与したのは衛生面の管理だけという保守派の主張が、明らかな嘘だということがよくわかるだろう。

もちろん、こうした事実を産経新聞をはじめとする右派、保守派が知らなかったわけはない。少し前に中曽根康弘元首相が「土人女を集め慰安所開設」していた(*関連ブログ)という戦時記録を紹介したが、今回は自分たちが中興の祖とあおいでいる人物が自社の単行本で軍の組織的な関与を認めていたのだ。

しかも、中曽根元首相の証言でも明らかになったように、軍は現地で娼婦でない女性たちも徴収している。これでほんとうに、従軍慰安婦のことを「自ら志願した高級娼婦」などと信じているとしたら、どこかおかしいとしか思えない。

ようするに、保守系メディアはこうした事実を知っていながらそれをネグり、あらかじめ強制連行の定義を「軍が銃剣を慰安婦に直接突きつけて連行した」という非常に狭いものに限定し、それを否定することで、巧妙に情報を誘導してきたのである。朝日が歴史を捏造したというなら、産経をはじめとする保守メディアもまったく同罪なのだ。

しかも、中曽根首相、今回の鹿内信隆フジサンケイグループ元議長の発言でもうひとつはっきりしたことがある。

それは、彼らが従軍慰安婦に対していささかも自責の念を抱いていない事だ。

それどころか、まるで笑い話のように、「慰安所をつくってやった」「女の耐久度とか消耗度、それにどこの女がいいとか悪いとかまで決めなきゃならない」と語っている。

狂気のるつぼだった戦中ならともかく、戦後20年以上たってもこんな発言を嬉々としてできるというのは、そのベースに「女性はセックスのための使い捨ての道具」という差別意識が横たわっているという事に他ならない。そして、このメンタリティは、従軍慰安婦像に紙袋をかぶせるような性差別ギャグを嬉々としてほめたたえる今の右派メディアや嫌韓本、百田尚樹などの右派言論人にもしっかりと引き継がれている。

彼らの姿が今の日本人を代表するものだと思われているとしたら、それこそが「日本の恥」ではないか。

・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)

 「商業右翼」とは暴力、恫喝をして商売をする「暴力団、やくざ」と同じです。

やくざのメイン稼業は「薬物」と「女衒業」つまり風俗です。

まさに今のフジテレビを象徴しているようですね。

女子アナを風俗嬢のように扱い、公共電波に乗せる。

確かに、このようにお高く留まった印象の女性を凌辱するのは、政治家や大企業のトップにはたまらないのかもしれません。

しかし、このように、女性を「性的な存在としか認識していない企業」はいかがなものかと思います。

一日でも早く、フジサンケイグループが滅びることを願うばかりです。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 若者が、公務員のような暇で... | トップ | キリスト教的看護についての... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

世の中はヤクザ、暴力団が牛耳っている」カテゴリの最新記事