今回の記事は、病院医療での看護の役割についてです。
私は医療とは何か?
目的は「患者を幸せにすること」です。
ではどうすれば幸せになるか?
「病気による苦しみ、痛み、生活のしづらさを無くすこと」
により、病気による苦しみ、痛み、生活苦がなくなりますね?
その治療過程が自宅ではできないため、集中的に治療プログラムに乗せる場所が
「病院」=施設です。
看護の目的も同じです。
「人を幸せにすること」です。
ではどうすればその「看護という専門領域に関わる人を幸せにできる」のでしょうか?
基本的な考え方は以下の通りです。
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Q どんな人を?
A「病気で苦しむ人を」です。
Q ではどのように?
A 「日常生活援助を通して」です。
Q ではどうすれば病気の苦しみはなくなりますか?
A 「病気が根治すればなくなります」
Q ではどうすれば根治しますか?
A 「病気となるような生活習慣を変える事」です
Q ではどうすれば悪い生活習慣を変える事ができますか?
A 「患者一人ひとりの考え方を変える事」です。
Q ではどうすれば、その人の考え方を変える事ができますか?
A ・・・・・・←←(最終的にここに看護介入する)
(以上が考え方)
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そうです。
「患者の考え方を変えること」
これが看護の王道の考え方です。
そしてここが一番難しい。。。。。。
(以下続きます)
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Q では、人間が考え方を変えるときはどんなときでしょうか?
A 痛み、苦しみなどの不安や悩みがいつまでも取れない時
喜びや希望、感謝がなくなり、
孤独感、怒り、嫉妬、絶望などの感情しか湧いてこないとき
にそれらを取り除いてくれたとき、解決してくれたとき
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人生において
なぜ痛いのか?なぜ苦しんでいるのか?
どうすれば痛み苦しみが取れるのか?
実際、痛み苦しみを取り除いてくれるのか?
を誰でも求めています。
当然、入院してくる患者もそうです。
それが、病的、器質的な原因から来る肉体的な痛みなだけで、
世の中の人の心の悩みから来る痛み苦しみと質的な大差はありません。
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Q 肉体的な痛みを「鎮痛剤を内服してとる」ことは正しいのでしょうか?
A 正しいです。痛み、苦しみ、そのことへの悩みが続いては日常生活自体が破綻しますから、
一時的にも痛み、苦しみは緩和すべきです。
しかし、これはあくまで条件付です。
どういうことか?というと
仕事の悩みを酒、タバコ、ギャンブル、不倫で紛らわすことと同じですから。
Q ではどうすればその人にとって良いのでしょうか?
A その人がどこまで治療を求めるか?によって変わります。
Q 痛みだけとってくれればいいや!という人なら
A 鎮痛剤処方、手術など外科的治療しかありません。
(ただし)
・手術による器質変化障害、生活障害
・さらには病気の再発
・薬剤耐性ができてしまい薬も効かない+副作用地獄
に落ちます。
Q ではどうすればいいの?
A 生活習慣を変えてください。
というか「変えたい」と思ってください
そして「変える」と決心してください。(←←ここに介入)
(以上)
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おわかりでしょうか?
人間は誰しも、「楽になりたい、幸せになりたい」と考えているのに
一方で
「苦労したくない、我慢したくない、好きなことをしたい、気持ち良いこと(一時的に)をしたい」
と心の中で思っています。
ですから、どうしても現状維持の力が強く働きます。
生体恒常性=ホメオスタシスなどという言葉を使いますが
これは、
「人間以外の自然界で生活する動物や植物にしか適用できない話」でして
実際人間は、
「自分で悪い考えや病気になるであろう生活習慣を知らず知らず実践し積み重ねて」
生きてきています。
しかもそれを誰も「悪い!やめなさい!」と指摘してくれません。
正確に言うと、『悪いからやめなさい!」と指摘できないのです。
なぜでしょうか?
それは「医師、看護師を含む、医療従事者が心身ともに健康であり、患者に指摘できるほど日常生活に気を使い
正しく毎日生活できていないから」ではないでしょうか?
自分ができていないことを他人に指摘できますか?
「あんたはどうなんだ?」と言われ、反論できますか?
「俺は医者なんだから言うこと聞けや!?」
「私は看護師なんだから、従いなさい」
・・・・・・・・・・・・・・・・これでは、言うこと聞きませんよ。
実際、自堕落な生活を送っている人に、「生活リズムを取りなさい」
と指摘されても言うことを聞きません。
仮にあなたが
「どうすれば異性の恋人ができるか?」を相談するとき、
A 現在、異性の恋人がいて、オシャレで清潔感があり、前向きで話していても楽しい人
B 異性の恋人がいない、ダサい、清潔感なく、話題もなく後ろ向き発言しかしない、話していて苦しい人
どちらに相談しますか?
Bに相談する人はいないと思います。
これで何がわかるか?というと
実例をとりますと、苦しむ人、悩む人(患者)は
あなたの国家資格や主任やら師長やらの社会的立場だけを見ているわけではないということ、
つまり、普段の立ち振る舞い(自信を持った表情、笑顔、受け答えの仕方)
人の悪口を言う、ため息ばかりつく、愚痴ばかり言う、仕事のミスを人のせいにする
疲れた表情を見せる・・・・・
といった人間性を観察しており、いざという時、
「どの人が信頼できるか?」
と頭の片隅にいれて生活しています。
信頼されるにはどうすればよいか?
まずは信用されることから始まります。
信用とは「過去の実績」
信頼とは「信用」を元に未来へ期待することです。
信用してもらうには、
第1に、同僚から信用してもらうこと
そして、患者から信用してもらうこと
が必要になります。
つまり、信用という実績が無い人には信頼はありえないということですね。
実績を見ています。
では、人が見ている実績とは何でしょうか?
①「影ながら、人の見ていないところでコツコツと努力すること」
②「24時間365日、何時いかなるときも、自己中心でなく、利他の心を心がけて行動すること」
つまり
「愛を実践していること」
が実績になります。
自分のためだけに仕事をしている、自分中心の人のいうことを誰が真剣に聞くでしょうか?
サービス残業しろとか、自己犠牲をしろというわけではありませんよ。
(サービス残業が発生しているなら、それは「仕組みとしておかしい!」と意見することも利他の心ですから。
黙認すること、事なかれ主義は自己中心です)
さて、本題に戻しますと
看護の本質とは、「相手の考え方を変えること」でした。
そして、相手の考え方を変えるには?
見た目や肩書きなどの表面的な部分だけでなく
信頼してもらうことが重要で
信頼してもらうにはまず
「信用してもらう」ことが先に来ることが必要だとわかりました。
そして「信用してもらう」には、
「常に利他の心を持っていなければならない」
「影ながら、自分が正しく生きること、生きようとコツコツ努力していること」
を積み重ねることが必要だとわかりましたね?
つまり、看護力=考え方を変える力とは、「その人の内面」が強く影響します。
処置の技術、ルーチンワーク、医学的知識は絶対に必要です。
しかし、技術、知識、経験、そこで終わってしまってしまうから、看護(=人を救う喜び)への情熱がなくなり
燃え尽きてしまうのでしょう。
目的、目標を理解したなら、進むべき方向、進み方をだれもいままで教えてくれませんでしたからね。
しかし、苦しみ悩む人を救うというのは本当に大変なことです。
まずは、あなた自身がセラピスト自信が救われているか?
毎日、喜びがあり感謝感激に溢れているか?
悩み苦しみが長続きすることがないか?
確認してみることをお勧めします。
(若い男性看護師の歌がアメリカの医療現場を救うより)
今回はこのあたりで。
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