日本は悪魔崇拝の国で、悪魔は人間を使い、「神はいない」と無神論、唯物論を拡げてきました。
また、「神でもない存在を神だと偽って崇拝するように」文化を形成してきました。
日本人は生まれながらにして、本当の生みの親から切り離され、養父のもとで、親を知らないまま育てられ、親を知らないまま年老い、死んでいきます。
「養父が悪魔だった」
日本の障害福祉事業を見ていくとわかりますが、福祉車両には「日本財団」のロゴマークがついていることを頻繁に見かけることができます。
日本財団とは笹川財団と言い、八百長三昧の競艇や戦時中、麻薬覚醒剤で暴利を貪った連中が設立した団体であることはあまり知られていません。
彼らは、障害者のオリンピックなどの公式スポンサーになったり、福祉施設に福祉車両を寄付したりして、一見、社会で良いことをしています。
しかし、実際の障害者福祉の現場、介護福祉の現場はどうでしょうか?
障害者、高齢者虐待のニュースを耳にしない日がないくらい、働く職員は荒んでおり、利用者たちも窮屈な生活を強いられています。
政府は「自立を促す、自己決定を促す」とし、公費をどんどんカットして、「公助でなく,自助、共助へ」とすり替えていっています。
低賃金、重労働の福祉現場では働き手がみつからず、職員も定着しません。
まさに、福祉分野は「生かさず殺さずの政策」しかされておらず、「老いや障害」という生理現象は、日本においては全く救済がない、未来に希望が持てません。
精神保健福祉分野において、精神科病院が減っていかない理由についての考察で、実は、障碍者福祉の分野で精神保健福祉が一番遅れています。
その理由として、障害に仲間入りしたのが1993年の障害者基本法からであり、1995年の精神保健福祉法によって障害者手帳制度ができたからです。
精神障害者と呼ばれる人たちは、生涯を精神科病院に入院して過ごす、福祉施設として使用されていました。
地域でトラブルを起こす程度、会社に働きにいかない程度で、特別ない医療処置はなく、医療材料も最低限でよく、日常生活に特に何も問題ない人たちばかりであるため、「3食昼寝付きの生活を担保し、ただ隔離収容していれば良い」というビジネスモデルで、老人病棟や療養病棟と同じだけ収益が入る、「収容ビジネス、宿泊ビジネス」となりました。
「医療は高予算、福祉は低予算」という構造から、グループホームといった福祉施設に比べれば人員や給食、風呂トイレなどの施設基準は手厚いたため、良い生活ができます。
また、福祉予算を削るために、施設から地域へという方針になり、精神以外の障害者は入所する施設が減っていきました。
福祉を充実させず、日々虐待や事件報道がされることは、士農工商という身分制度のさらに下の存在を作り、ガス抜きしている政策的意図を感じます。
「障害者、高齢者」という社会的弱者を平民の下において、庶民の怒りや反発が上級国民や金持ち支配層に向かないようにしている、江戸時代の身分制度構造が今でも続いています。
「人間が人間を大切にする」という当たり前のことが、無神論の国では根付きません。
「金持ちが、成功者に価値がある」という、#今だけ金だけ自分だけ の悪魔崇拝思想が根付いているからです。
所得や家柄による生活格差、教育格差が平然とまかりとおり、
公平な競争が行われず、協力して生活するという教育がなされていないからです。
そういった構造を、どのように変えていくのか?
RAPTブログに答えがあるのです。
RAPT×読者対談〈第104弾〉誰でも世界を変えられる。https://rapt-neo.com/?p=39134
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