今回の記事は稲村亜美というグラビアアイドルが、野球少年に強制わいせつされた事件について書いていこうと思います。
まず、今回被害にあった稲村亜美という人物については以下の通りです。
・・・・・・・(稲村亜美)
稲村 亜美(いなむら あみ、1996年1月13日 - )は、日本のタレント、グラビアアイドル。東京都出身[2]。浅井企画所属。
来歴
当初はジャスティスジャパンエンターテイメント(旧:ジャスティスプロダクション)に所属していた。
2013年9月20日発売のFRIDAYで発表されたミスiD2014にて準グランプリに相当するミスiD(アイドル)2014に選出された。
2014年3月13日、日出高等学校を卒業し、同年4月1日に国士舘大学21世紀アジア学部に入学[3]、4月14日には週刊プレイボーイ×グラドル自画撮り部「第1回ジガドル・グランプリ」吉田豪賞を受賞する[4]。
2015年3月26日公開のトヨタ自動車のCM「G's Baseball Party」に出演。最後に登場し、OL風スーツでの豪快なスイングが「神スイング」として話題となった[5][6]。同年8月1日には巨人対中日戦の試合前イベントに登場、「神スイング」を披露しスタンドのファンを湧かせるとともに原辰徳監督(当時)をして「非の打ち所がない」と言わしめた[7]。
2016年1月に浅井企画へ移籍、同年3月14日に女子プロ野球チーム・埼玉アストライアの公認「神サポーター」に就任するとともに[8]、3月19日開催の東京ガールズコレクション(TGC)2016 SPRING/SUMMERにて東京ガールズラン(TGR)5期生就任を発表、またフジテレビONE「プロ野球ニュース」の金曜担当キャスターに抜擢、3月24日に開幕直前スペシャルとして初回放送を迎えた[9]。この年より始球式を務める機会が増え、4月24日、5月8日[10]、11月23日と3度自己最速を更新した。なお、プロ野球の球場における自身最速の球速は105km/hである(2016年11月23日にQVCマリンフィールドで開催された千葉ロッテマリーンズファン感謝デーでの1打席対決で記録)。
また、2016年には「第11回 BFA U-18野球チャンピオンシップ」「第7回女子野球ワールドカップ」「第1回 U-23 野球ワールドカップ」の3大会のアンバサダーを古田敦也とともに務めた(BS-TBSの中継番組にも大会アンバサダーとして出演)[11]。
2017年度、川崎競馬のイメージキャラクターに就任[12]。
2018年3月10日、明治神宮野球場で開催された日本リトルシニア中学硬式野球協会関東連盟の開会式で、投球した後に大勢な出場選手に取り囲まれるハプニングが発生した[13]。この件について、稲村本人はツィッター上で無事であると表明したが、ネット上では群集する中学生への批判も上がっていた
・・・・・・(転載ここまで)
「第1回ジガドル・グランプリ」吉田豪賞を受賞する
とあります。
吉田豪賞を調べると以下の通りです。
・・・・(ミスiD(ミスアイディー、MISS iD)
講談社が主催する女性アイドルオーディションである。概要
講談社は1982年からおよそ30年(休止期間を含む)の間、『週刊少年マガジン』と『週刊ヤングマガジン』が主催するミスコンテストでグラビアアイドルの「ミスマガジン」を選出しているが、2012年から新企画出版部[注 1]が主催するオーディション形式のコンテストを開始する。ミスマガジン休止はミスiD2013募集時に告知せず、2012年7月7日放送『開運音楽堂』で休止を伝えている。
2014年に行われたミスiD2015まで「ミスiD(アイドル)」と表記されていたが、ミスiD2016では「iD」は「アイデンティティ」と「アイドル」[1]を表すと再定義している。ミスiD実行委員長は『妄撮』シリーズのプロデューサー・「妄撮P」こと小林司で選考委員も兼務する。書類による一次と二次の審査は、ミスiD2015まではプロジェクト・アマテラス上の掲示板、ミスiD2016以降ではCHEERZやTwitter上で一般ユーザと交流する様子から応募者の個性を評価し、二次審査を経たファイナリストから選考委員の協議により複数名の「ミスiD」を決定する。「ミスiDグランプリ」はミスiD2013では当初設けられていなかったが、玉城ティナが「ほかの入選者と圧倒的な差があり『グランプリ』とするにふさわしい」とする選考委員の意見により選出、以降常設されている。
・・・・・(転載ここまで)
プロジェクトアマテラス、天照大神ですね。勘弁してくださいといいたくなります。
プロジェクトアマテラスは講談社のネット上の投稿サイトだそうです。
脱線しましたが、このミスIDの選考委員
吉田豪の来歴を見てみると、「紙のプロレス」の編集者を長年やっています。
・・・・・・・(紙のプロレス時代:1993-2004)
入社から2年後、『紙のプロレス』(以下、紙プロ)と出会う。『紙プロ』がイベントを行った時に、ターザン山本と高田文夫のトークイベントの動員が悪かったため、サクラで来るよう言われ、イベント終了後、編集長に挨拶に行ったところ、そのまま『紙プロ』編集部まで連れて行かれ、朝まで仕事をさせられる。その報酬がよかったため、以後アルバイトで手伝うようになる。
後に『紙プロ』へ完全移籍。「プロレス用語大辞林」「日佐夫クン人生劇場 書評の星座」などのコーナーを担当する。この時期に、従来の漫画評論で無視されていた梶原一騎のダークな作品を論じた『マンガ地獄変』(水声社)にメイン・ライターとして参加。
1996年、発行会社のダブルクロスが分裂し、『紙のプロレス RADICAL』になって以降は、紙プロの編集部に机を置きながらフリーライターとして活動[17]。『BUBKA』(コアマガジン)『ダカーポ』(マガジンハウス)など、30本前後の連載を抱える人気ライターとなる。
『紙のプロレスRADICAL』は、SWSの再評価など他の専門誌が扱わないレスラー、団体にスポットを当て、当時の業界の権威であった新日本プロレスや週刊プロレスにアンチを唱える姿勢で、タブーの少ない雑誌としてカルト的な人気を博した[18]。
編集長の山口日昇がPRIDEに運営に関わる様になって以降、利害関係ができてしまい、「紙プロはDSEの機関紙と揶揄される」ほどPRIDE一辺倒の雑誌になった。吉田はこれに対して、誌面で行なわれる山口との対談などで批判的なスタンスを取りバランスを取る役割を担っていた[18]。
2004年、紙プロであるプロレスラーの妻の本を書評した際、山口に呼び出されてそのプロレスラーから叱責を受けることとなる。吉田は、これを「パートナー変更宣言だった」「今まで普通にできていたことがPRIDEとの利害関係が生じて、できなくなってしまったから起こった事件」と述べている。他の編集部員は吉田の残留を望んだが新しい事務所に移転時、山口の妻から吉田の机を置かないことを告げられ、紙プロを去る
・・・・・・・(転載ここまで)
プロレスは暴力団を密接な関係を持つ団体ですね。
吉田豪はプロレス関係の雑誌で才能を開花させたライターです。
そこで2004年までライターをされています。
丁度、総合格闘技PRIDEが大当たりし、衰退していくまでの間、宣伝要員として働いていたのでしょう。
PRIDEは格闘技イベントとして大成功しましたが、当時のDSE代表の榊原社長が暴力団との関係をすっぱ抜かれて自殺してしまい幕引きした経緯がありました。
その後DREAMという格闘技団体が出てきますが、イマイチ盛り上がらず、前田日明が主催するアウトサイダーが生き残っていく形となります。
前田日明も在日で暴力団とは密接な関係がある人物ですね。
・・・・・・(PRIDEの怪人 百瀬博教 百瀬組と前田のインタビューより。)
さて何が起きているのか。
まずは随分と前から言われていたPRIDEを主催するDSEと暴力団との関わりについて。これは色んな所から出ている情報を参照し、整理していくと、暴力団というか、どこぞの胡散臭い団体と何らかの関係があったことは間違いないものと思われます。
とりあえず今から5年前。「鳥越祭を愉しむ会」を紹介するサイトの中に刺青を入れたごっつい連中がわーっとたむろしていて、んでその説明書きに「注意!全員ただの入れ墨愛好家です!!」とか丁寧に書かれてるんだけど、中段に「百瀬」と書かれたハッピ、そして男たちの間を割って入ってくるのは「PRIDEの怪人」こと百瀬博教。
百瀬博教は一時期アントニオ猪木と組んでPRIDEを取り仕切っていた人物。毎回毎回リングサイドに帽子を被って座っていて、試合を終えた屈強な外国人選手達が親しげに両手を添えて握手をして、一体誰だ?何だアイツ?と一般人はいつもそう思っていたワケでして。でその正体はといえばこれまた怪しげな百瀬塾、実質は百瀬組の親分様で、その生い立ちとか犯罪歴だかは、包み隠さず前田日明との対談で語られている次第。http://www.asakusakid.com/past-column/momose-maeda.html
前田 百瀬さん、お父さんの組は継がれたんですか。
百瀬 ええ。でもね、親分になるっていうのは、地球七周り半くらい苦労することだからね。これは昔お世話になった森田政治親分の姐さんの言葉ですけど、「ヤクザで苦労するくらいだったら違うことで苦労した方がいい」。
前田 それほど厳しい世界なんですね。
百瀬 だから俺もある時にヤクザって辛すぎる稼業だなと思って。もちろん度胸もないし、俺は親分になって日本を制覇するっていう才覚もなかったし、俺の視線っていうのも違ってたから。今は百瀬組はやってないけど、母の大好きだったお祭りだけは毎年6月にやってるんですよ、浅草の鳥越神社で。今度見に来てもらえばわかるけど、もう東映映画より格好いい。毎年お客さんが300人以上来るんだけどね。中村雀左衛門っていう歌舞伎の女形が舞台衣装みたいな着物を俺にくれるんですよ。それに着替えるためにみんなの前で俺が浴衣をパッと脱ぐと、上着のダボの胸のところにお袋の名前なんだけど「菊江」って書いてある。「俺は今、お母さんを思い出してるよ」って。これがいい場面 なんですよ。でもね、K-1の石井館長が祭の祝儀に一億円くれたら来年から「菊江」はやめますよ。「和義」って入れますよ(笑)。
ホント色んな名前が出てくるなあ。んでその中にある写真に、桜庭和志の名前が入った酒樽があったり高田とDSE社長榊原が鏡割りをしていたりとかね。
ただここら辺の関係というのは最近ポッと出た話ではなく、随分と前から指摘され続けてきたこと。ホテルの一室でなにそれの約束を取り交わしていたとかではなく、あまりにも堂々と公で交流していただけに、フジテレビがそれを発端として契約解除に踏み切ったと考えるには何を今さらってな感じが強すぎる。まあ最近猪木祭の件で後藤組関連やら何やらが相当ゴチャゴチャとしてきているので、それで何かの重大な疑惑あるいは真実が発覚して、というのなら話は別ですが。
その繋がりがクロとなって今回の事態を招いていた場合。DSEは全面撤退、極めて真っ白な新団体が今までの運営方式を引き継いで、できればフジと再契約、無理であれば船木-ヒクソン戦を放送したテレビ東京で、と個人的には考えているのですが、んー。
可能性があるとすれば、「DEEP」を主催する佐伯氏、「パンクラス」の尾崎氏、「修斗」の坂本氏あたりが連立する形で新しい運営母体を設立しコンテンツを提供、というのが望ましいかなあ。それぞれの団体としても、長い年月をかけてやっと世間で認知された「総合格闘技」という競技を、このまま地上波からフェードアウトさせるのは惜しいでしょうし、ってか何よりもオレを含めた格闘技ヲタが泣きます。
http://www.asakusakid.com/past-column/momose-maeda.html 百瀬博教 ON STAGE!! お客様/前田日明さん
『格闘パンチ』vol.2より
――前田さんと百瀬さんは一度、西麻布の『キャンティ』で遭遇事件があったと聞いたんですけど。
前田 あれ、そうでしたか?
百瀬 あなたは男3人でスパゲッティを食べてたんですよ。で、俺はその隣の席にいた。そうしたらね、凄くあなたがいい、言葉遣いで話しててね。それで連れの人がフォークか何かを落としたんですよ。あなたがボーイさんに「すいません、すいません」ってお上品に呼んでいたら、そいつがマヌケな野郎で気がつかない。だから俺がね、「おい、ほら、何やってるんだ!お客様が呼んでるぞ!お前っ!」って言ったんですよ。
前田 ああっ、はいはい! ああ、そうでした、そうでした(笑)。
百瀬 そうしたらあなたがね、「申し訳ありません」って俺に言ったんですよ。あなたが帰る時にも「どうも先ほどはすいません」って俺に挨拶してくれてね。「いえ、どういたしまして」って俺も応えた。あなたは「なんか下品な人だなあ」という感じで俺のことを見てましたよ(笑)。
前田 いやいやいや、えらい気合いの入った人だなと思ったんですよ。
百瀬 そうだったの。何から話をしようかなと思ってるんだけど、まず最初にね、俺はあなたに言いたいことがあるんですよ。要するにプロレスってのは力道山が作ったじゃないですか。力道山が作って、馬場とか猪木とかが出てきてね、まあ前田さんが出てきたわけなんだけど。俺なんかはプロレスっでいうのは全然わかんないんだけど、そのスター性っていうことにおいて考えるとね、たとえばカ道山を長谷川一夫っていう感じにする。猪木が三船敏郎かな。そうするとあなたが石原裕次郎っていうことになるんだよ。
前田 石原裕次郎! ああ、そんな。
・・・・・・・(転載ここまで)
百瀬組の息子にプロレス界の石原裕次郎といわれているのが、前田日明なんですね。
興行できるんですから、もう真っ黒ですよ。
・・・・・(百瀬 博教(ももせ ひろみち、1940年2月20日 - 2008年1月27日)
作家、詩人、格闘技プロデューサー。日本スノードーム協会事務局長[1]。血液型AB型。総合格闘技イベントPRIDEとの関わりから、「PRIDEの怪人」の異名を持っていた[2]。来歴
東京市浅草区(現台東区)柳橋出身。侠客の百瀬梅太郎の次男として出生。学生時代は相撲取りを目指し、私立市川高等学校[3]では相撲部を創設して、関東大会2位、国民体育大会に出場した。立教大学文学部史学科在籍中も相撲部に所属し、同大学の相撲部は、百瀬と交流のある周防正行が1992年に監督した映画『シコふんじゃった。』のモデルになっているという大学時代は1960年から赤坂の高級ナイトクラブ「ニューラテンクォーター」で用心棒を勤めた。そこで俳優の石原裕次郎と知り合うことになり[5]「弟分」を名乗ることとなる。用心棒として23歳のときから拳銃の密輸を始め、28歳のときに拳銃不法所持により警視庁へ出頭。その後、裁判前に秋田県に逃亡したが結局逮捕され、6年間の刑務所生活を送り、その間に読書生活を送った格闘技愛好家としても知られる。プロレスラー・アントニオ猪木と親交を持ち、総合格闘技イベントPRIDEには1999年から関わりを持っていた。メディア登場時には「FOREVER YOUNG AT HEART」(心は永遠の若者)とプリントされた黒い野球帽を常に被っている事でも知られていた。大手ネット掲示板2ちゃんねるでの通称は「ピーチ」。「百瀬」の読み、「ももせ」を「桃」としてその英語読みから取られたもので、猪木はそのニックネームを知ると「ピーちゃん」と気に入っていた[13]。
2008年1月27日午前2時40分ごろ、自宅を訪れた知人が風呂場の湯船の中で意識を失っている百瀬を発見。救急搬送されたが、同日午後3時半ごろ、死亡が確認された[14]。 死の3年ほど前から体調を悪化させていたという[15]。映画『タバコ・ロード』について書いた文章が絶筆となった[16]。2月20日に青山葬儀所でしのぶ会「不良ノート」が開かれ、アントニオ猪木、ビートたけし、周防正行、EXILEのHIROら約700人が参列した
格闘技との関わり
元プロレスラーのアントニオ猪木とは、1992年頃に知り合う。高校時代の後輩で芸能事務所ケイダッシュとプロレス団体UFO社長だった川村龍夫に新右翼活動家の野村秋介と猪木のトラブルの仲介を頼まれたのがきっかけだった[18]。1990年代末頃から猪木とは接近し、猪木の詩集をプロデュースするなどした。
1999年に当時格闘技評論家の谷川貞治から総合格闘技イベントPRIDEを運営する森下直人社長を紹介され[19]、PRIDE運営会社ドリームステージエンターテインメントが設立される際には3000万円を出資したとしている
・・・・・・(転載ここまで)
百瀬氏との交友関係を見ると、いかに芸能界と暴力団がつながっているかわかりますね。
(石原新太郎と長嶋茂雄)
<鳥越際 高田延彦 榊原代表>
<吉田豪と百瀬>
<浅草キッド、NIGO、サッチー>
やはりプロレスを見ていくだけでも、相当芸能界と暴力団はつながっていることがわかりますね。
そして「稲村亜美強制わいせつ事件」についての記事と動画です。
・・・・・・(稲村亜美を“マウンド上で集団暴行”した中学生が無反省ツイートしていた!?)
3月10日、神宮球場で行われた野球大会で、事件は起こった。
この日、始球式に登場したのが“神スイング”で知られるタレントの稲村亜美。マウンドに立ち、投げ終えた稲村を、最初は遠巻きに見ていた中学生たちだが、その輪は次第に縮まり、やがて稲村は理性を失った中学生の群衆に、客席から見えなくなってしまうほど“飲み込まれ”てしまう事態となったのだ。
稲村亜美触った人RT! 2018年3月10日【中学生・野球・始球式】
「ネット上にはその時の動画があがっていますが、四方を囲まれて逃げ道を失い、ジワジワ忍び寄る数千人の男子中学生に衆人環視の中で襲われた稲村の恐怖はいかばかりでしょうか。もっとも、稲村自身はインスタグラムで『選手の熱気がすごく伝わってきて色々とハプニング?も起きてしまいましたが、みなさんのパワーが伝わってきてわたし自身は貴重な経験をさせてもらえました』と問題にしないようですが、これはアクシデントでもトラブルでもなく、正真正銘の犯罪的行為。被害者が声をあげなければまかりとおるような事例にしてはいけないのです」(週刊誌記者)
ところが、当の中学生の中には、まったく反省の色を見せない者もいるようなのだ。
「ネット上には、稲村の体を『触った』と武勇伝のように書き込む者もいるのだとか。ツイッター上で言葉の最後に『笑』とつづりながら、本当に当人なのかはわかりませんが、最初に稲村に思い切って接近したのは自分たちだと書き込んでいるようなヤカラまでいるようです」(芸能ライター)
稲村が不問に付すことを「神対応」などと誉めそやしていたメディアもあったが、犯罪に近い行為だということを認識させることこそ必要なのではないだろうか。
・・・・・・(転載ここまで)
暴力団と繋がっている吉田から吉田豪賞を受賞して、浅井企画に移り、これから売り出していこうとしているアイドルだったのですが発情した中学生に襲われてとんだ災難だったかもしれません。
しかし、始球式があのようなカタチで行われて、制止する人もいない状態であったのは、ひょっとすると運営側が仕組んだことかもしれません。
あの中に誰か意図的に扇動して、けしかけた人物がいるとしか思えません。
スポーツの目的は、「競争させて己の欲望を満たすだけ」になってしまっています。
試合の前の挨拶や礼も形式的にやっているだけで、まさに偽善の塊なのが現代スポーツといえます。
twitterの反応もやはり同じようですね。
・・・・・・・(#稲村亜美)
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#稲村亜美 の件。日本リトルシニア中学硬式野球協会関東連盟参加者の「触ったw」的な呟きは保存して全て暴行罪で警察(IHC)に通報する。また、稲村亜美の事務所が日本リトルシニア中学硬式野球協会関東連盟に抗議し必要な訴えをしないのなら、それも問題である。
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・・・・・・・・・・(転載ここまで)
日本を代表するスポーツのプロ野球ですが
野球賭博やら、清原麻薬で逮捕やらにぎわしい業界であるのは確かですね。
A:スポーツを広告塔としたいためクリーンなイメージを保ちたいマスコミや大企業
B:スポーツを賭博ギャンブルとして使いたい暴力団やマフィア。
両者ともいえることは、スポーツの成れの果ては金稼ぎに使われるということです。
練習中に骨折したり大怪我をして、その後の人生を棒に振ってしまう選手も多いスポーツ。
勝ち負けよりも、健全に汗を流し、心身ともにリフレッシュすることに意味があると思うのですが
現在のスポーツは、選手自体が優勝劣敗の考えの中、
「己の名誉を手に入れるため、欲望を満たすために努力してる」
そして、そのような損得勘定を物心ついたジュニアの頃から、大人たちが誉めそやし知らず知らずのうちに
子ども達を悪の道に導いている、、、。
その結果が「稲村亜美強制わいせつ事件」へと繋がるのです。
本当に、スポーツをやらせるには、指導者の資質を見極めなければなりませんし
スポーツの目的は一体何なのか?
親自身が理解していないと、いつでもこのような犯罪者になってしまう恐れがあります。
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