シルヴュー・ディーマ氏がコンサートマスターを務めるシチリアはパレルモの”テアトロ・マッシモ劇場”で、ドニゼッティ作曲の”アンナ・ボレーナ”を見せて頂きました
ギリシャ神殿のようなエントランスに向かって、ゴッド・ファーザーの一シーンでも有名な階段を登って行くと、中は天井の高い美術館のような、ホールのようなフォワイエになっており、係員は男性も女性も、昔の日本の”救世軍”のような長めのコートの制服を着ている。
チケットを見せると、左奧のエレベーターに乗るよう促される。木製のぎしぎし音がするのも、この劇場の歴史、貫禄を感じさせる。5階で降りる。22番扉を開けると、オペラ座らしいビロードのカーテンとビロードの壁で仕切られた小部屋がぐるっとホールを囲んでいるのが見える。その中の一室に入った訳で、椅子が前列に3つ。後列は少し高い椅子が2つ。5人用の部屋。
下を見下ろすと、写真のとおり、オーケストラ・ピットと、舞台に赤い緞帳が掛かっているのが見える。全体に深紅の内装だ。ピットは意外にも明るい。客席はほぼ満員。さすが、こちらはオペラが日常生活の中に充分取り込まれているだ。5時半開演の予定だったのに、始まらない。次第に観客が声を出し始めた。拍手をして登場を促そうとする人もいる。段々、顔状は騒然としてきた。「お~い、どーしたんだヨ。早く始めろ~!」ここは、スタジアムか?と言いたくなるような騒ぎになってきた。何かアナウンスが始まったけれど、到着が遅れている?って、指揮者が遅刻でもしたのかしら・・? などと思っていると、団員がピットに出てきた。ばらばらと座り、揃っていない。
シルヴューらしい背の高いシルエットが見える。チューニングを始めた。しかし、観客は収まらない。これからオペラが始まるというのに、静かにならない。やっと指揮者が指揮台に立っているのに、まだワーワー言っている。序曲を振り出したのに、全く聞こえない。オケは、演奏をストップして、またピットから出て行ってしまった。収拾がつかなくなっている。信じられない
ちょっとして、また団員が出て来た。指揮者がピットの外から渡されたマイクを握って何かしゃべっているけれど、イタリア語だし、観客がまだワーワー、ピーピー言っていてさっぱり解らない。「シレンツィオ!」と言う声が大きくなり、やがて騒ぎは収まった。そして再び序曲が始まり、幕が開くと、さっきまでの騒ぎがウソのように舞台は進んで行った。
翌朝、シルヴューから聞いたところでは、団員とコロス(合唱団)やスタッフによる”ストライキ”だったのだそうだ。その為、遅れてきた団員もいるし、とうとうオーボエ抜きだったそうだし、コロスも何人か少なかったらしい。それが、「何とかなると思うけど・・」というシルヴューの謎の言葉の意味だったのだ。 今までにも2~3回、こういった騒ぎはあったそうで、決して初めての事件ではないそうだ。一度は、オペラではなく、シンフォニーだったそうだ。
しかし、オペラそのものは、高い水準のものだった。まず、衣装がすばらしい 大道具美術も、ヒトを3~4人分集めた大きさの大きな物言わぬ仮面を登場させたり、極悪非道の王様を右側の金色の馬に乗せ、哀れなアンナ・ボレーナ王妃を左側のシルバーの馬に乗せて対峙させる・・など、美術も衣装も、象徴主義的な表現で、やや斬新だけれど、品の良いモダンさの一線を保っていた。
演奏も昨年の来日公演で見たとおり、一流のレベルで、劇場はほぼ残響が無いけれど、オケはかなり高い精度を持っているのが良くわかり、歌手も柔らかく、美しい声で、お芝居にも説得力があった。全体的に高音域の声も張らず、柔らかく響かせていた。中でもアンナ役のソプラノ、マリエラ・デヴィアは大変すばらしい表現力だった。本番開始前の騒ぎがウソのように、充分にオペラを堪能できた。ミラノ、パリ、ウィーンなどのような、”ピッカピカのハイセンス”ではないけれど、シチリアらしい、ややノンビリおっとりした(田舎くさいとは言わない)雰囲気の、開演前の騒ぎも含めて、”地元に根付いているオペラ”なんだ、という印象を持った。”地元のオペラ”がこのレベル、という事は、パレルモの文化水準の高さを表している。決して、泥臭い田舎ではないのだ。「イタリアから来た人間はね、イクミ、大抵の事には感激したりしないんだよ」と去年語ったシルヴューの言葉を改めて思い出した。
”文化”の深さに感じ入って外に出ると、階段下で、サンバ”ブラジル”を吹くサックスの音が聞こえる。なんか、興ざめな気がしたが、シルヴューも知っているルーマニア人のジプシーだそうだ。レストラン前ならともかく、オペラ前は不向きだ。
あまりお腹がすいておらず、おつまみピザ程度にして、カシスソーダを飲んでホテルに帰った。翌日は、10時にシルヴューが観光に連れて行ってくれる。
写真をもっとアップしたいのに、どーして1回のブログに1枚しか載せられないのかな・・。
ギリシャ神殿のようなエントランスに向かって、ゴッド・ファーザーの一シーンでも有名な階段を登って行くと、中は天井の高い美術館のような、ホールのようなフォワイエになっており、係員は男性も女性も、昔の日本の”救世軍”のような長めのコートの制服を着ている。
チケットを見せると、左奧のエレベーターに乗るよう促される。木製のぎしぎし音がするのも、この劇場の歴史、貫禄を感じさせる。5階で降りる。22番扉を開けると、オペラ座らしいビロードのカーテンとビロードの壁で仕切られた小部屋がぐるっとホールを囲んでいるのが見える。その中の一室に入った訳で、椅子が前列に3つ。後列は少し高い椅子が2つ。5人用の部屋。
下を見下ろすと、写真のとおり、オーケストラ・ピットと、舞台に赤い緞帳が掛かっているのが見える。全体に深紅の内装だ。ピットは意外にも明るい。客席はほぼ満員。さすが、こちらはオペラが日常生活の中に充分取り込まれているだ。5時半開演の予定だったのに、始まらない。次第に観客が声を出し始めた。拍手をして登場を促そうとする人もいる。段々、顔状は騒然としてきた。「お~い、どーしたんだヨ。早く始めろ~!」ここは、スタジアムか?と言いたくなるような騒ぎになってきた。何かアナウンスが始まったけれど、到着が遅れている?って、指揮者が遅刻でもしたのかしら・・? などと思っていると、団員がピットに出てきた。ばらばらと座り、揃っていない。
シルヴューらしい背の高いシルエットが見える。チューニングを始めた。しかし、観客は収まらない。これからオペラが始まるというのに、静かにならない。やっと指揮者が指揮台に立っているのに、まだワーワー言っている。序曲を振り出したのに、全く聞こえない。オケは、演奏をストップして、またピットから出て行ってしまった。収拾がつかなくなっている。信じられない
ちょっとして、また団員が出て来た。指揮者がピットの外から渡されたマイクを握って何かしゃべっているけれど、イタリア語だし、観客がまだワーワー、ピーピー言っていてさっぱり解らない。「シレンツィオ!」と言う声が大きくなり、やがて騒ぎは収まった。そして再び序曲が始まり、幕が開くと、さっきまでの騒ぎがウソのように舞台は進んで行った。
翌朝、シルヴューから聞いたところでは、団員とコロス(合唱団)やスタッフによる”ストライキ”だったのだそうだ。その為、遅れてきた団員もいるし、とうとうオーボエ抜きだったそうだし、コロスも何人か少なかったらしい。それが、「何とかなると思うけど・・」というシルヴューの謎の言葉の意味だったのだ。 今までにも2~3回、こういった騒ぎはあったそうで、決して初めての事件ではないそうだ。一度は、オペラではなく、シンフォニーだったそうだ。
しかし、オペラそのものは、高い水準のものだった。まず、衣装がすばらしい 大道具美術も、ヒトを3~4人分集めた大きさの大きな物言わぬ仮面を登場させたり、極悪非道の王様を右側の金色の馬に乗せ、哀れなアンナ・ボレーナ王妃を左側のシルバーの馬に乗せて対峙させる・・など、美術も衣装も、象徴主義的な表現で、やや斬新だけれど、品の良いモダンさの一線を保っていた。
演奏も昨年の来日公演で見たとおり、一流のレベルで、劇場はほぼ残響が無いけれど、オケはかなり高い精度を持っているのが良くわかり、歌手も柔らかく、美しい声で、お芝居にも説得力があった。全体的に高音域の声も張らず、柔らかく響かせていた。中でもアンナ役のソプラノ、マリエラ・デヴィアは大変すばらしい表現力だった。本番開始前の騒ぎがウソのように、充分にオペラを堪能できた。ミラノ、パリ、ウィーンなどのような、”ピッカピカのハイセンス”ではないけれど、シチリアらしい、ややノンビリおっとりした(田舎くさいとは言わない)雰囲気の、開演前の騒ぎも含めて、”地元に根付いているオペラ”なんだ、という印象を持った。”地元のオペラ”がこのレベル、という事は、パレルモの文化水準の高さを表している。決して、泥臭い田舎ではないのだ。「イタリアから来た人間はね、イクミ、大抵の事には感激したりしないんだよ」と去年語ったシルヴューの言葉を改めて思い出した。
”文化”の深さに感じ入って外に出ると、階段下で、サンバ”ブラジル”を吹くサックスの音が聞こえる。なんか、興ざめな気がしたが、シルヴューも知っているルーマニア人のジプシーだそうだ。レストラン前ならともかく、オペラ前は不向きだ。
あまりお腹がすいておらず、おつまみピザ程度にして、カシスソーダを飲んでホテルに帰った。翌日は、10時にシルヴューが観光に連れて行ってくれる。
写真をもっとアップしたいのに、どーして1回のブログに1枚しか載せられないのかな・・。