4/14 快晴。パレルモ晴れ
山と海へ車で案内してくれる約束のシルヴューが来る10時までに、考古学博物館を見ようと思って行ったけど、定休日じゃないのに何故か休館。隣のサン・イグナツィオ・アロリヴェッラ教会の中に入る。比較的新しい16~17世紀の様式か・・。両壁の絵画が特徴的だった。周辺を散策し、桃色の綺麗な花の木が沢山ある広場を通って、一旦ホテルに戻り、支度をしてロビーに出ると、シルヴューが来ていた。
しばし、前夜のオペラの感想を話し、開演が30分遅れた騒ぎの真相など聞いた。ストライキにも驚いたけれど、聴衆の騒ぎっぷりにも驚いた。一時、騒然とした時は、「ストラヴィンスキーの”春の祭典”の初演で大騒ぎになったという事件も、こんな風に聴衆が騒いだのかな・・」と思ったりした。今回の”アンナ・ボレーナ”は、6回公演だそうだが、その為に、あれだけの衣装を作って、経費がすごそうだな・・とも思った。色んな話をしながら、港の方へ歩いて行った。
途中、車道を車に続いてゆっくり歩く人々を見かけた。葬列だそうだ。その近くの教会の前を通りかかったら、扉が開いていたので入ってみた。サン・ピエトロ・パウロ教会という小さい教会で、今まで見たような煌びやかさは無いけれど、落ち着いた雰囲気だなあ、と思っていたら「葬儀があったから開いていたので、もう閉めますから・・」と言われ外に出た。さっき見かけた葬列だったのだ。
海に出ると、黒い大きな箱が立っている。シルヴューに尋ねると「マフィアの犠牲者のモニュメント。警察関係者が多く、もちろん市民も大勢いる。でも、今はもうそういう心配はないんだ」という答え。へえ~、やっぱりシチリアはそういう場所だったんだ、と改めて思った。
音楽高校の前を通るとトランペットとピアノの合奏の音が聞こえた。なかなか上手だった。名前は忘れたが、白いレリーフで壁が飾られている教会に入った。3年位前まで綺麗にする修復作業をやっていたそうで、シルヴューの友人も携わっていたそうだ。それに費用がかかったのか、入場料が必要な教会だった。
それから、ホテル近くに駐車していたシルヴューのプジョーでノルマン宮方面へ。駐車できるスペースをなかなか見つけられなかったが、大きいゴミ箱の隣に辛うじてスペースがあり、オジ様が少しゴミ箱を動かして下さって、停められた。
ノルマン宮に入った。入るとまず、ガラスケースにシンデレラの馬車のような大きな馬車が展示してあり、その周りのお城らしい階段を上がって行く。アラブ風の回廊がある。ここはアラブ人が作り、ノルマン人が手を加えたアラブ・ノルマン様式で、モザイクの壁画が特徴、とガイドブックには書いてある。ちょうど、ガイドさんの案内が始まるところだった。美しい声の女性で、イタリア語がわからなくても、聞いていて心地よかった。色々な部屋を案内してくれる。ビザンチン様式の黄金色のモザイク。中国の部屋。現在も会議室として使われている壁やカーテンが赤い部屋。その隣は、元はベルサイユのように鏡を張ってあったという大広間。そこの窓からの眺望が素晴らしかった。気分が大変良く、デジカメでムービーも撮った。ここで日本人の若めのご夫婦と一緒になった。
「ビデオも撮っちゃった~」と言いながら部屋を出たときに、ステップの段差に気がつかず、ガクッと足をひねってしまった。一瞬動けなかったけれど、ここで置いて脱落するわけにはいかないので、「ダイジョーブ、大したことない・・」と見栄をはって歩いてみせる。そのまま、美術展示室のマックス・エルネスト展を見学。遺跡の発掘や修復に貢献しているドイツのヴュルヒ社のコレクションだそうで、絵画、版画、彫像など、どれも柔らかい表現だと思った。
車に戻り、今度はモンレアーレへ。ノルマン・アラブ様式の見事なドゥオーモがある山なのだが、そのドゥオーモも何故かこの日は閉まっていた。庭園の方は見られるというので、庭園と更に奧の、見晴らしの良い、大きな木がある裏庭の方まで行った。遠くに海と半島。右手に山。手前はその山との谷になっており、赤い屋根の家が点々と見え、その手前は菜の花のような黄色いお花が咲き乱れている。左手は、新しい市街らしく、少し高いビルの林立が見える。風が強いけれど、爽やかだった。
山を降りて、モンデッロの海へ向かう。シルヴューの家はその海から近く、途中、前を通った。
海岸に着く。濃紺とライトブルーのコントラストが美しい。藤の花があちこちに見られる。駐車スペースを見つけて降りると、駐車代を受け取りに人が来る。ローマ遺跡によくある丸い塔の近くのレストランに入る。シルヴューお勧めの海の幸の店だ。Trattoria Da Calogero タコの絵がトレードマーク。お天気も良いが、とにかく明るい。そして、清潔で、すっきりしている。ここで、生ガキ、小さい蛸のぶつ切り、そしてオジ様お待ちかねのウニ・スパゲティを頂いた。前日のウニ・スパの5倍くらいは美味しかった。たぶん、全日程中、一番美味しいランチだった。白ワインも美味しかった。ここは、トイレもちゃんとしていた。この頃からすでに”トイレ研究”をする決心をしていた私は、あちこちのトイレの写真を撮っている。ここは、ちゃんとしていた。
お店を出たところへ、シルヴューの奥さん、マリーナが来た。パレルモで生まれ育ったそうだ。音楽家ではなく、普通の仕事をしているそうだ。とても幸せそうな夫婦だ。シルヴューがジェラートをご馳走してくれた。近くで、サックスとクラリネットの音が聞こえる。ゆうべのテアトロ・マッシモの階段下の連中だ。シルヴューも知ってるルーマニア人だそうだ。
写真は、モンデッロの海岸に横たわる”犬” 左が鼻で右がお尻の形をしている。海岸まで降りて、地中海の水に触ってみた。さらさらと、軽く、きれいだった。レストランの食器やインテリアで使われていた焼き物の店に行きたかったが、それも閉まっていた。どうもこの日は、いろいろフラレた。
4時半から、日曜日の本番のリハーサルをしにパレルモに戻らなければいけないシルヴューに、リハを少し見せてもらう事にした。「バイオリンを持って行かなきゃ」ということで、シルヴューの家に寄る。自動センサーで家の門が開き、車ごと入れる。右側に木が沢山生えている広い庭。左に大きな2階建ての家。シルヴューの家族、奥さんマリーナのお兄さんの家族、そしてマリーナのお母さん、の3所帯で暮らしているそうだ。家の前に外で食事できるようなベンチとテーブルがある。素敵な暮らしをしている。
テアトロ・マッシモに近いエリアにある、Trio Sicilianoのピアニストのお母さんの家のレッスン室でいつもリハーサルをしているそうだ。だだっ広くはないが、グランドピアノ(ヤマハでいうと2か3のサイズ)があって、バイオリン、チェロがそばにいて、半分位のスペースが、こちらに残っている。俳優をしているマリーナのお兄さんが、ピアソラの曲に合わせてナレーションを入れるタイミングを考えるリハーサルだった。私が編曲した”鮫””アディオス・ノニーノ”やった。自分が編曲したものを、上手な人たちが真剣に演奏するのを聞くのは、至福の時だ。「そうか、この瞬間のために私はパレルモに来たんだ!」と感じた。”リベルタンゴ”もやるらしかったが、その前に”ブエノスアイレスの四季”を始めたので、これを全曲聞いていると流石に長居してしまう事になるので、皆で写真を撮っておいとました。それをアップできないのがとても残念だ。
玄関まで送ってきたシルヴューは「シチリアに居る間に、もし何か困った事でも起きたら、必ず電話して」と言ってくれた。その言葉だけで頼もしい。そのすぐ近くにバザールのような商店街があって、その中の一軒でスニーカーを購入。マリーナに「遺跡巡りには、スニーカーなどの方がいいわよ」といわれたのだ。10ユーロ。韓国人のお店かな・・。
テアトロ・マッシモから近いシルヴューお勧めのレストランもお休み。ホテルで教えてくれた店もお休みで、その近くの” ラ・トラヴィアータ”(椿姫)という店へ入った。中庭みたいな所にテーブルを出しているので、肌寒く、背の高い屋外用ストーブを2基出していた。クスクス、サラダ、サーモンピザも美味しかった。半月の夜。別のお店でコーヒーを飲んで帰る。選曲番組をやっていた。ベルルスコーニ氏がニコニコしている。イタリアの政局は変わらないのだ。
山と海へ車で案内してくれる約束のシルヴューが来る10時までに、考古学博物館を見ようと思って行ったけど、定休日じゃないのに何故か休館。隣のサン・イグナツィオ・アロリヴェッラ教会の中に入る。比較的新しい16~17世紀の様式か・・。両壁の絵画が特徴的だった。周辺を散策し、桃色の綺麗な花の木が沢山ある広場を通って、一旦ホテルに戻り、支度をしてロビーに出ると、シルヴューが来ていた。
しばし、前夜のオペラの感想を話し、開演が30分遅れた騒ぎの真相など聞いた。ストライキにも驚いたけれど、聴衆の騒ぎっぷりにも驚いた。一時、騒然とした時は、「ストラヴィンスキーの”春の祭典”の初演で大騒ぎになったという事件も、こんな風に聴衆が騒いだのかな・・」と思ったりした。今回の”アンナ・ボレーナ”は、6回公演だそうだが、その為に、あれだけの衣装を作って、経費がすごそうだな・・とも思った。色んな話をしながら、港の方へ歩いて行った。
途中、車道を車に続いてゆっくり歩く人々を見かけた。葬列だそうだ。その近くの教会の前を通りかかったら、扉が開いていたので入ってみた。サン・ピエトロ・パウロ教会という小さい教会で、今まで見たような煌びやかさは無いけれど、落ち着いた雰囲気だなあ、と思っていたら「葬儀があったから開いていたので、もう閉めますから・・」と言われ外に出た。さっき見かけた葬列だったのだ。
海に出ると、黒い大きな箱が立っている。シルヴューに尋ねると「マフィアの犠牲者のモニュメント。警察関係者が多く、もちろん市民も大勢いる。でも、今はもうそういう心配はないんだ」という答え。へえ~、やっぱりシチリアはそういう場所だったんだ、と改めて思った。
音楽高校の前を通るとトランペットとピアノの合奏の音が聞こえた。なかなか上手だった。名前は忘れたが、白いレリーフで壁が飾られている教会に入った。3年位前まで綺麗にする修復作業をやっていたそうで、シルヴューの友人も携わっていたそうだ。それに費用がかかったのか、入場料が必要な教会だった。
それから、ホテル近くに駐車していたシルヴューのプジョーでノルマン宮方面へ。駐車できるスペースをなかなか見つけられなかったが、大きいゴミ箱の隣に辛うじてスペースがあり、オジ様が少しゴミ箱を動かして下さって、停められた。
ノルマン宮に入った。入るとまず、ガラスケースにシンデレラの馬車のような大きな馬車が展示してあり、その周りのお城らしい階段を上がって行く。アラブ風の回廊がある。ここはアラブ人が作り、ノルマン人が手を加えたアラブ・ノルマン様式で、モザイクの壁画が特徴、とガイドブックには書いてある。ちょうど、ガイドさんの案内が始まるところだった。美しい声の女性で、イタリア語がわからなくても、聞いていて心地よかった。色々な部屋を案内してくれる。ビザンチン様式の黄金色のモザイク。中国の部屋。現在も会議室として使われている壁やカーテンが赤い部屋。その隣は、元はベルサイユのように鏡を張ってあったという大広間。そこの窓からの眺望が素晴らしかった。気分が大変良く、デジカメでムービーも撮った。ここで日本人の若めのご夫婦と一緒になった。
「ビデオも撮っちゃった~」と言いながら部屋を出たときに、ステップの段差に気がつかず、ガクッと足をひねってしまった。一瞬動けなかったけれど、ここで置いて脱落するわけにはいかないので、「ダイジョーブ、大したことない・・」と見栄をはって歩いてみせる。そのまま、美術展示室のマックス・エルネスト展を見学。遺跡の発掘や修復に貢献しているドイツのヴュルヒ社のコレクションだそうで、絵画、版画、彫像など、どれも柔らかい表現だと思った。
車に戻り、今度はモンレアーレへ。ノルマン・アラブ様式の見事なドゥオーモがある山なのだが、そのドゥオーモも何故かこの日は閉まっていた。庭園の方は見られるというので、庭園と更に奧の、見晴らしの良い、大きな木がある裏庭の方まで行った。遠くに海と半島。右手に山。手前はその山との谷になっており、赤い屋根の家が点々と見え、その手前は菜の花のような黄色いお花が咲き乱れている。左手は、新しい市街らしく、少し高いビルの林立が見える。風が強いけれど、爽やかだった。
山を降りて、モンデッロの海へ向かう。シルヴューの家はその海から近く、途中、前を通った。
海岸に着く。濃紺とライトブルーのコントラストが美しい。藤の花があちこちに見られる。駐車スペースを見つけて降りると、駐車代を受け取りに人が来る。ローマ遺跡によくある丸い塔の近くのレストランに入る。シルヴューお勧めの海の幸の店だ。Trattoria Da Calogero タコの絵がトレードマーク。お天気も良いが、とにかく明るい。そして、清潔で、すっきりしている。ここで、生ガキ、小さい蛸のぶつ切り、そしてオジ様お待ちかねのウニ・スパゲティを頂いた。前日のウニ・スパの5倍くらいは美味しかった。たぶん、全日程中、一番美味しいランチだった。白ワインも美味しかった。ここは、トイレもちゃんとしていた。この頃からすでに”トイレ研究”をする決心をしていた私は、あちこちのトイレの写真を撮っている。ここは、ちゃんとしていた。
お店を出たところへ、シルヴューの奥さん、マリーナが来た。パレルモで生まれ育ったそうだ。音楽家ではなく、普通の仕事をしているそうだ。とても幸せそうな夫婦だ。シルヴューがジェラートをご馳走してくれた。近くで、サックスとクラリネットの音が聞こえる。ゆうべのテアトロ・マッシモの階段下の連中だ。シルヴューも知ってるルーマニア人だそうだ。
写真は、モンデッロの海岸に横たわる”犬” 左が鼻で右がお尻の形をしている。海岸まで降りて、地中海の水に触ってみた。さらさらと、軽く、きれいだった。レストランの食器やインテリアで使われていた焼き物の店に行きたかったが、それも閉まっていた。どうもこの日は、いろいろフラレた。
4時半から、日曜日の本番のリハーサルをしにパレルモに戻らなければいけないシルヴューに、リハを少し見せてもらう事にした。「バイオリンを持って行かなきゃ」ということで、シルヴューの家に寄る。自動センサーで家の門が開き、車ごと入れる。右側に木が沢山生えている広い庭。左に大きな2階建ての家。シルヴューの家族、奥さんマリーナのお兄さんの家族、そしてマリーナのお母さん、の3所帯で暮らしているそうだ。家の前に外で食事できるようなベンチとテーブルがある。素敵な暮らしをしている。
テアトロ・マッシモに近いエリアにある、Trio Sicilianoのピアニストのお母さんの家のレッスン室でいつもリハーサルをしているそうだ。だだっ広くはないが、グランドピアノ(ヤマハでいうと2か3のサイズ)があって、バイオリン、チェロがそばにいて、半分位のスペースが、こちらに残っている。俳優をしているマリーナのお兄さんが、ピアソラの曲に合わせてナレーションを入れるタイミングを考えるリハーサルだった。私が編曲した”鮫””アディオス・ノニーノ”やった。自分が編曲したものを、上手な人たちが真剣に演奏するのを聞くのは、至福の時だ。「そうか、この瞬間のために私はパレルモに来たんだ!」と感じた。”リベルタンゴ”もやるらしかったが、その前に”ブエノスアイレスの四季”を始めたので、これを全曲聞いていると流石に長居してしまう事になるので、皆で写真を撮っておいとました。それをアップできないのがとても残念だ。
玄関まで送ってきたシルヴューは「シチリアに居る間に、もし何か困った事でも起きたら、必ず電話して」と言ってくれた。その言葉だけで頼もしい。そのすぐ近くにバザールのような商店街があって、その中の一軒でスニーカーを購入。マリーナに「遺跡巡りには、スニーカーなどの方がいいわよ」といわれたのだ。10ユーロ。韓国人のお店かな・・。
テアトロ・マッシモから近いシルヴューお勧めのレストランもお休み。ホテルで教えてくれた店もお休みで、その近くの” ラ・トラヴィアータ”(椿姫)という店へ入った。中庭みたいな所にテーブルを出しているので、肌寒く、背の高い屋外用ストーブを2基出していた。クスクス、サラダ、サーモンピザも美味しかった。半月の夜。別のお店でコーヒーを飲んで帰る。選曲番組をやっていた。ベルルスコーニ氏がニコニコしている。イタリアの政局は変わらないのだ。