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「記憶から歴史にメンタルリセット」 一瞬大金持ち実は大借金保証人!

2016年01月07日 | 日記
融資が実行されて口座に大金が入金されました。
なんかうれしくなって大金持ちになった気分です・・・が
実は使途が限定されてますから 
勝手に引き出しも出来ず 
また車を買ったり流用も出来なくなっています。
当たり前です 借りたのは「社長」という役割りの「私」であり
それも会社の新しいキーパープロショップ建設資金で借りたお金です、
会社の保証人という「私人」が保証人に借り出されたというわけです。
そういう意味では「社長」と「私人の私」は明確に区別されていますが
連帯保証人という「私」が責任を引き受けたというのが実情です。

会社がコケれば個人もコケますから
保証人だけにはなるな、と言われていますが
この責任を受けて立つ覚悟が自分から甘えをそぎ落とします。
会社の成長発展の道を選んで 
環境を整備し
そして社員を信じて頼む 
「信頼するに足りる人」を見抜いていかねばなりません。
零細企業の社長業は断崖絶壁を歩くような感じです。

過去いろいろな失敗を重ねています 
金銭の失敗も山ほどしています。
その苦い記憶はトラウマとなり
保証人になることを躊躇させます、
そのメンタルでは過去を引きずって 
記憶の再現をしてしまいます。

しかし「かもの法則」に学んで
歴史として捉えると、学べるものです。
あの時に失敗した経験が今回に活かされてするなら
未来にリスクを取る事が挑戦となります。
するとどんな偉人や成功者 キーパーコーティングの創始者も
数々の失敗を重ねられている事を知って
気楽に余裕をもって兆戦に向かえるメンタルにセットが出来ました。

「記憶を歴史に捉え直す」メンタルリセットは挑戦の原点です。
発明王のエジソンはフィラメントの素材に竹を使うことにたどり着くまで
100回以上の失敗を重ねたそうですが 
それを失敗とせず フィラメントにふさわしくない物質を
100種類発見したと言い切ったそうです。

すると失敗という記憶がリセットされ 
歴史の主人公というメンタルができて 
遂に大発明につながったそうです



                                             
公私混同という事が起こらないような
仕掛けがしてあるのは
人間というのは 
それだけ違った立場に
自らの立場を置き換えてしまいやすい
甘えた部分があるものだからでしょうか。

会社の金は 私のモノではありませんが
会社を私のモノととする意識があれば 
会社の金は私のモノという理屈がしゃしゃり出てきて、
まあ少しならいいかとか 誰にも分からないだろうとか
そういう不埒な考えが出るのも人間の性というもの、
それを見越して口座に資金使途に沿った出金しか出来ないロックが掛けてあるのです。


「私」という認識は 
親から見ると「子供 それも長男」であり
弟と妹から見ると「兄」であり 
叔父さんから見ると「甥っ子」であり
叔父さんの子供から見ると「従兄妹」となり
また 会社から見ると「社長」で
タイヤ屋から見ると「オヤジ」で
社員から見ると「頼りない社長」に写ったり
恩師から見ると「教え子」になり
「私」にはそれぞれ複数の目という視点があり
自然とその役にふさわしい対応をしているものです。

店のスタッフという目を持つのは「お客様」であり
「お客様」から見たとき 誰々の子供である「私」は
ほとんどの場合関係なく「お客さま」にとっては店舗スタッフであり
親切で愛嬌があって信頼できる人物であるかの評価軸しか存在しません。

銀行というところは 経営者社長という目で「私」を捉えて
お金を貸してもちゃんと返済してくれる人物であるかという評価を下し
そこにはタイヤをたくさん売る人という評価はあまり関係ありません。


信じて任せ頼む社員さんは 
やはり若いうちに失敗をした人がいいと思います。
失敗の記憶を自分の歴史として捉えるのは 
ある程度年数を必要とします。
「若いうちの苦労は買ってでもせよ」と言われるのは
辛い苦しい記憶をそういう体験をする時期だったと
自分の歴史という視点に置き換えるメンタルリセットに
必要不可欠なことだからです。

上手くいかなかったことを記憶とするのでなく
歴史から見ても失敗は成功の元だと 
歴史の大切さに気が付くからです。


昔 店を出すために借りた金を 
人に貸してその人が倒産をして
自分の店の運転資金を失った経験を持つ「私」
もしその経験がなければ 今回そうした経験をする可能性もありました。
しかし 会社という歴史から見れば
大きなつまづきをしたお陰で 
そうしたリスクを排除できたわけです。



自らの心に潜む劣等感やトラウマを
記憶とするのでなく 
自分史に必要な歴史の1コマとするなら
メンタルリセット完了です。

記憶は裁こうとしますが
歴史は許そうとするからです。
この国も70年前は戦争の悲惨さで溢れていました、
その辛い記憶を抱いて苦しむか
歴史としてそれを乗り越えた自分を褒めるか
私たちはどちらも選ぶことは出来る自由があります。
是非許すほうを選びたいものです。

「私」を客観視する 記憶(トラウマ裁き)を歴史化(許して教訓化)する技法
「私」はキーパー創始者の歴史と同化することが出来ます。
その歴史が厖大なキーパータイムスとコラムの中に発見できます。


埋め戻され整地され転圧中

11日にいよいよ柱が建ちます。

キーパープロショップ関店の柱を乗せるアンカーベースとマンジュウ




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