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カフカの印象が30年前とは随分違ってきているようです。
当時は不条理の代名詞みたいな扱いで、不条理者大好きな私としてもカフカは気になる存在。ところが、中学生の時、ただ単に薄くてやっつけやすいという理由で「変身」を読んだきりうっちゃっときました。
その後「城」を読んでこれはたまらなく面白いと認識したのですがそれっきり。
なんとこのたった2冊しか読んでまへんやないか。
光文社古典新訳文庫というのは「いま、息をしている言葉で、もういちど古典を」とか言っちゃって、題名故に日本で大ベストセラーになった「星の王子様」を「小さな王子様」としたり、おどろおどろしいフェチの「眼球譚」を「目玉の話」なんて間抜けな題に変えたり、そのポリシーに対する自信がはっきり表れていますよね。
そういう意味では再読には持って来いなのかも・・・
原書で読む力の無い者にとっては翻訳に頼るしかない。つまり言葉の壁という限界が付きまとう。だから原作者の作品というより、原作を扱った翻訳者の作品といっても過言ではなかったりする。G・マルケスの文体、文章が魅力的なのも翻訳者のおかげという点は大きいのだと思う。
カフカの場合、それに輪をかけてマックス・プロートの存在があってややこしい事になっているみたい。その後「批判版カフカ全集」や「史的批判版カフカ全集」と大仰な題の全集が出てますますややこしい。今回は「史的批判版」底本にした新訳。
再読と言っても中学生の時。主人公がある朝虫に変身していたという事くらいしか憶えていないんですから・・・
やはり「変身」が圧倒的に面白い。ラストがこんなにも悲しくも素敵だとは知らなかった。いろんな事が言われたり考えられたりしてきていますが、家族の中で疎外感を持った経験のある少年が読んで何も感じなかったのかい。
と思ってしまいました。なんのかんの言ってもお気楽少年ですから・・・
他に「判決」「アカデミーで報告する」「掟の前で」
「アカデミーで報告する」は集中を欠き堪能に至らず。
「掟の前で」は今ではありがちなショートショートでニヤリ。
「判決」が面白かったね。
父との会話
「ちゃんとくるまれてるか」
「大丈夫ちゃんとくるまれてるよ」
「ちがうだろうが!」・・・答が質問に衝突したのだ。
カフカをもっと楽しもう。と思いました。
可?不可?
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当時は不条理の代名詞みたいな扱いで、不条理者大好きな私としてもカフカは気になる存在。ところが、中学生の時、ただ単に薄くてやっつけやすいという理由で「変身」を読んだきりうっちゃっときました。
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光文社古典新訳文庫というのは「いま、息をしている言葉で、もういちど古典を」とか言っちゃって、題名故に日本で大ベストセラーになった「星の王子様」を「小さな王子様」としたり、おどろおどろしいフェチの「眼球譚」を「目玉の話」なんて間抜けな題に変えたり、そのポリシーに対する自信がはっきり表れていますよね。
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そういう意味では再読には持って来いなのかも・・・
原書で読む力の無い者にとっては翻訳に頼るしかない。つまり言葉の壁という限界が付きまとう。だから原作者の作品というより、原作を扱った翻訳者の作品といっても過言ではなかったりする。G・マルケスの文体、文章が魅力的なのも翻訳者のおかげという点は大きいのだと思う。
カフカの場合、それに輪をかけてマックス・プロートの存在があってややこしい事になっているみたい。その後「批判版カフカ全集」や「史的批判版カフカ全集」と大仰な題の全集が出てますますややこしい。今回は「史的批判版」底本にした新訳。
再読と言っても中学生の時。主人公がある朝虫に変身していたという事くらいしか憶えていないんですから・・・
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やはり「変身」が圧倒的に面白い。ラストがこんなにも悲しくも素敵だとは知らなかった。いろんな事が言われたり考えられたりしてきていますが、家族の中で疎外感を持った経験のある少年が読んで何も感じなかったのかい。
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他に「判決」「アカデミーで報告する」「掟の前で」
「アカデミーで報告する」は集中を欠き堪能に至らず。
「掟の前で」は今ではありがちなショートショートでニヤリ。
「判決」が面白かったね。
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父との会話
「ちゃんとくるまれてるか」
「大丈夫ちゃんとくるまれてるよ」
「ちがうだろうが!」・・・答が質問に衝突したのだ。
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カフカをもっと楽しもう。と思いました。
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学生時代、単にタイトルに釣られて読んだ「変身」でしたが、ラストが途方もなく寂しくて切なかったのが印象に残っています。
文学作品の場合、確かに訳者の力量は重要ですよね。当然ながら原文のカラーを上手く表現するにはただ訳すだけではないクリエイティビティーが要求される訳ですし。「原作を扱った翻訳者の作品」というのは分かる気がします。
カフカ「変身」とかカミュ「異邦人」とかはその薄さから早い段階で読んでいる方が多いようです。
翻訳本は言語の壁があるものの昔読んだ本を別バージョンで再読できるので、その点、日本語の作品より楽しみ方が増えますね。