「闘将」江藤慎一氏が死去…ただ一人の両リーグ首位打者
久し振りのプロ野球ネタですが、悲しい知らせとなってしまいました。
30年以上のベイスターズ(ホエールズ)ファンではありますが、それ以前、小中学生時分はドラキチ。(宗旨変えは自力で球場に通えるようになりホームが名古屋の中日より川崎の大洋と言った打算的理由もあった。)
中日の中心打者、江藤の放出(戦力外→ロッテ移籍)は子供心に大変なショックでした。まだ移籍やトレードというシステムに慣れていなかったし。
見事ロッテでも首位打者を獲得。
私が後生大事に保管しているプロ野球スクラップ・ブック(全9冊)の中に移籍時、首位打者獲得時の黄ばんだ記事が汚らしく貼り付けてある。
やがて我らがホエールズに移籍してセ・リーグに帰ってくるが大洋在籍中はまだドラキチ。宗旨変えの時神宮より遠い川崎の大洋を選んだ理由はいくつかあるけど、ホエールズ・ユニフォームの江藤選手の存在も理由の一つだったかもしれない。
江藤慎一選手のもう一つの個人的思い出・・・
当時毎週買っていた週刊ベースボール。気まぐれで送った巨人、堀内恒夫投手の似顔絵が掲載された。自分の絵が掲載された嬉しさの反面、題材が憎っくきG戦士であった事で複雑な気持ちにさせられた。鼻や太い首になで肩、ホクロとデフォルメしやすい条件が揃っていた堀内投手を題材に選んだのだ。
悔しいので2匹目の泥鰌はG選手外からという事で、次に投稿したのが江藤慎一(ロッテ)
週刊ベースボールの表紙でバットを肩にニカッと白い歯を見せる精悍な江藤選手の顔、インパクト強烈でありました。
自分なりには表紙の顔と似せて書けたけど、デフォルメまでは行けない。
当時、好きな選手であってもテレビでいつも馴染んでるG選手ほど顔のイメージが固まっていないのが実情でした。
勿論、江藤選手の似顔絵は掲載される事なくボツでした。
そんな愛すべき豪快な強打者江藤慎一選手・・・・
ご冥福をお祈りいたします。合掌。
久し振りのプロ野球ネタですが、悲しい知らせとなってしまいました。
30年以上のベイスターズ(ホエールズ)ファンではありますが、それ以前、小中学生時分はドラキチ。(宗旨変えは自力で球場に通えるようになりホームが名古屋の中日より川崎の大洋と言った打算的理由もあった。)
中日の中心打者、江藤の放出(戦力外→ロッテ移籍)は子供心に大変なショックでした。まだ移籍やトレードというシステムに慣れていなかったし。
見事ロッテでも首位打者を獲得。
私が後生大事に保管しているプロ野球スクラップ・ブック(全9冊)の中に移籍時、首位打者獲得時の黄ばんだ記事が汚らしく貼り付けてある。
やがて我らがホエールズに移籍してセ・リーグに帰ってくるが大洋在籍中はまだドラキチ。宗旨変えの時神宮より遠い川崎の大洋を選んだ理由はいくつかあるけど、ホエールズ・ユニフォームの江藤選手の存在も理由の一つだったかもしれない。
江藤慎一選手のもう一つの個人的思い出・・・
当時毎週買っていた週刊ベースボール。気まぐれで送った巨人、堀内恒夫投手の似顔絵が掲載された。自分の絵が掲載された嬉しさの反面、題材が憎っくきG戦士であった事で複雑な気持ちにさせられた。鼻や太い首になで肩、ホクロとデフォルメしやすい条件が揃っていた堀内投手を題材に選んだのだ。
悔しいので2匹目の泥鰌はG選手外からという事で、次に投稿したのが江藤慎一(ロッテ)
週刊ベースボールの表紙でバットを肩にニカッと白い歯を見せる精悍な江藤選手の顔、インパクト強烈でありました。
自分なりには表紙の顔と似せて書けたけど、デフォルメまでは行けない。
当時、好きな選手であってもテレビでいつも馴染んでるG選手ほど顔のイメージが固まっていないのが実情でした。
勿論、江藤選手の似顔絵は掲載される事なくボツでした。
そんな愛すべき豪快な強打者江藤慎一選手・・・・
ご冥福をお祈りいたします。合掌。
江藤慎一は1959~69。水原監督との確執。
凄いスラッガでしたね。ビデオをみたら興味津々。今ならば誰に似ているか。
杉下監督でエース権藤。スラッガー江藤で中日は優勝してないとは!
たまには中日ドラゴンズを!
横浜の田中健二郎投手(新城出身)期待してますけど。中日に来て欲しかった
ドラキチでいらっしゃいますね。
最近のプロ野球にはトンと感心が無くなってしまい・・・
田中健二郎投手・・・憶えておきましょう。
横浜は投手育たんから心配です。