猪油(ラード)
今回のテーマは豚の油、ラード。これで炒めた料理は旨いのですが、健康志向の昨今では、使用が憚られることが多く、そういえば、香港の中秋節の月餅の宣伝で、ラード不使用を謳っているケースがありました。出典:沈宏非著『飲食男女』(2004年江蘇文芸出版社)
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豚肉の脂身は、もはや人々があまり敢えて食べようとはしなくなった。少なくとも、既にあまり人々が人前で、公然と食べることをしなくなった。事既にここに到り、猪油(ラード)は豚肉の脂身の粋ではあるが、それ以上に提起することさえ憚られる禁忌となった。
猪油
(ラード)がいつからわたしたちの日常の食生活から離れてしまったかを、時期の上で確定するのは大変難しい。ラードはつまるところ、食用油の配給切符の対象でなければ、肉の配給切符、全国糧票(中国全国の食糧配給切符)の対象でもない。ひとまず1985年を境目として、北京、上海、広州、及び中国東南沿海の大部分の都市の住民について言えば、これ以前に出生した人なら、多少はラードに触れたことがあるだろうが、これ以降に出生した人々は、基本的に生まれた時から先天性免疫のようにラードとは一線を隔している。
ラードを食べないのは、絶対的にそうすべき理由があってのことである。その理由というのは、ラードに含まれる飽和脂肪酸が過多で、コレステロールの量(LDLコレステロール)を増加させ、それにより動脈硬化を引き起こし、直接には高血圧、心臓病、脳梗塞などを引き起こす。実際のところ、医者の無味乾燥な説教だけでは、ラードを多くの人々の厨房から追い出すには不十分である。ラードが寵愛を失ったそのポイントは、第1、生活が豊かになった。第2、ピーナツ油、コーン油、サラダ油、オリーブオイルを含む多くの代替油が続々と登場したことによる。
明らかに、ラードを食べないのと豚肉を食べないのは、応対するのは同じ道理で、健康観念の他、実質的な物質の基礎がなければならなかった。例えば、赤身型の肉豚が大量に育てられると、これら赤身型の「よく肥えた豚」は豚インフルエンザワクチンを投与してからより多くの赤身を生産する際、「豚肉に油脂を使うのを禁止する」のが自然と食品市場で売買双方の共通認識になった。
豚肉が大変好きな蘇東坡は曾てこう言って嘆いた。「肉が無ければ人は痩せ、竹が無ければ人は低俗になる」。ただ、かれはここでこの「肉」が脂身なのか赤身なのかはっきり言わなかった。現代の人々の解釈では、ここでの「肉」は赤身であることは間違いない。なぜならわたしたちは「 竹が無ければ人は低俗になる」ことに同意しているだけでなく、更に脂身が人を低俗の上に更に堪えがたい程に低俗にすると信じて疑わないからである。もちろん、わたしのようなラード愛好者であれば誰もが、身をこのような危険な環境下に置き、ラードに対する思慕がひとたび抑えが効かなくなり、ひいては身を焦がれるようになるに至ると、逢引きをするかのように、こっそりと豚の脂身を買って来て、自分でラードを調製すれば解決ができる。けれども問題は、こうした「白い恐怖」に溢れたラードを食べてしまおうとすると、それはわれわれ自身の油に変わってしまうので、止めるしかなく、「こっそり食べることができなかった」と言って自分で自分を慰めた方がましである。
肥白(太って白い)
「白」はいつも「胖」(肥満)と結びつき、実際の経験もおそらく同様である。豚がそうなら、人もまたその右に出ることはない。けれどもその中の道理は、誰かに真面目に探求された様子がない。太った人の皮膚の色が白いのは、決して太った人の多くが生まれつき怠け者だからではなく、屋外での活動に従事することを好まず、陽の光を浴びることが少ないからである。
何れにせよ、太って白い(「肥白」)のはわたしに消し去り難い印象を残した。生涯で初めてこの言葉を読んだのは、『子夜』という長編小説の中で、たいへん痩せておられた茅盾先生が手ずから書かれたものである。しかし、作者が「肥白」で形容したのは決してひとりの人物の外観上の容貌ではなく、太ももであり、チャイナドレス(旗袍)の端から露出したものである。今思い返すと、わたしは世の中に本当に「肥白」と呼ぶに値するものがあり、それはただラードはだけであり、それも凝固した状態のラードである。これはおそらく中国語でバターのことを「黄油」と言う原因のひとつでもあろう。奇妙なことに、「黄油」(バター)を食べるのは、多くが白色人種であり、ラードは大部分が黄色人種の「代表的油」であり、それなのに白いのである。もちろん、ラードの白色は決して白色人種のような青ざめた白色ではなく、どう言えばよいのだろう、幾分きめ細かいなめらかさを帯び、少し薄暗くゆったりした光沢を発し、つまり、少し「しっとり」し、少し「脂ぎった」そういう「白」い「肥白」である。そうだ、他でもなく徳化窯で焼かれたあの白磁は、玉のようにきめ細かい地の上に、釉薬をかけた面は脂のように透き通った白で、世に「中国白」と呼ばれ、またの名を「猪油白」と言う。これを手で触ると、触り心地はまるで、十年以上も使われてきた象牙の麻雀牌の中の白板(パイパン)のようである。
実は、わたしはとっくに、「温泉水で凝脂を洗い流す」という中の「凝脂」は、「肥白」を美とした白居易の時代、正にラードとの共通の感覚を借用した可能性が強いことを思いついていないといけなかった。柏楊先生はそれゆえ嘆声をもらされた。「凝脂とは、本当に白先生が最初、どうやって思いつかれたんだろう。この二文字だけで、ノーベル賞を獲得することができるよ。」聞くところによると、中国古代の有名な美女たちの身体の上のそうした「凝脂」とそのお手入れには、通常ラードを配合した美容クリームが使われたそうだ。ファッション雑誌誌上に「伝統的ラード美容術」という記事が掲載され、そのやり方は次のようなものである。新鮮なラードをきれいに洗った顔に塗り込み、その後水蒸気で蒸す。もしスチーム美容機が無い場合は、大きなお碗に沸騰したお湯を注ぎ入れ、バスタオルで首から上をお碗もろとも包み込み、お碗の中の熱気を直接顔面に当て、5分から10分蒸してからバスタオルを取り去る。もしスチーム美容器も大きなお碗と沸騰したお湯も無い場合は、ラードを直接顔に塗り込んでも良い。
黒澤明
寧波湯団
ラードの中国料理での主要な役割は、炒め物の料理に使うこと。正確に言うと、これを用いてネギやニンニクと一緒にごま油を強火で熱して炒めた料理は、フランス人が習慣的にヘットで赤玉ねぎを強火で炒めるのと似ている。
ラードを炒めて中国料理を作るのは多くの利点がある。とりわけラードが厨房を追放されて後、こうした様々な利点がおもむろに回想されてきている。例えば、ラードの発煙温度が高いので、高温の油で炒めたり油で揚げるのに適していて、比べてみると、比較的「健康」的な不飽和脂肪酸(PUFA)を含む油類は、通常では高温に耐えきれず、酸化し変質しやすく、且つ濃密な油煙を発生させ、却って健康に有害である。
実際には料理を炒めることは二の次で、以下の三つの南方の点心では、ラードの役割や能力が完璧な境地に達している。
寧波湯団は、またの名を猪油湯団と言う。水車で挽いたもち米粉で皮を作り、豚の背脂と黒ゴマに 餡を作り、それをより合わせて団子にし、沸騰したお湯の中で三分煮て、白砂糖を加え、キンモクセイを振り掛け、再びこの団子を見ると、表皮は白玉の色を呈し、ひと口噛んで皮を破ると、黒ゴマとラードが混ざり合ってできた黒くつやつやした暖かい流れが勢いよく飛び出す。もし猪油湯団のためにブランド名を考えるとすれば、わたしは「黒澤明」が最も良い選択だと思うが、どうひっくり返しても毛生え薬のブランド名にはならない。(この文章が書かれた当時(2004年ごろ)、中国内で「黒澤明」というブランドの毛生え薬が売られていたようだ。)
芋泥
蝦餃
芋泥(里いものマッシュ)は、福建で盛んに作られる檳榔芋を原料にし、砂糖、ラードを加えて蒸して作る。里いもの他、芋泥 が美味しいか否かは、全て糖分とラードの分量と温度の間のバランスに依り、つまり、この三者の間に一種の脂身、甘さ、粉、柔らかさ、熱さの入り乱れた融合を作り出している。エビの剝き身と豚の脂身を餡の材料とする広州の蝦餃(エビ餃子)も、熱力に依って蒸篭の中で豚の脂身とエビの剥き身の中の肉汁が染み出してこそ美味しいのだ。芋泥 と蝦餃が双方ながら健在だけれども、ただ鶴に乗って去ったラードの味は再びめぐり合い難い。人に虚しく「人面は何れの処に去るか知らず、桃花は旧に依り春風を笑う」の嘆きを催させるだけである。
結局のところ、漢民族は飲食の上で、豚肉文化を代表する民族であり、豚肉を取ってラードを捨てるなんて、情理から言って許容できないのだ。健康に良いかどうかなんて、十数年前に起こった黄土文明と海洋文明の争いと同じで、犯したのは方法論の間違いである。わたしはこう信じる。こうした情況は、誰が正しく誰が間違っているか、誰が優勢で誰が劣っているかはどうでもよくて、重要なのは、誰が美味しくて誰が不味いかということである。中国料理がラードを捨てるというのは、あたかも毛筆の文字を書くのに墨汁を使うのをやめ、ブルーブラックのインクに浸して文字を書くようなものである。もちろん、墨汁は言うに及ばす、毛筆、ペン、鉛筆、クレヨン、ボールペン、甚だしくはキーボードだけ使ったって、中国語の文字は書けるのだが。
油然而生的幸福(自然にわき起こる幸福)
動物性の油脂が一般に獣臭い臭いがする以外に、ラードには別に一種の独特な風味があり、わたしたちにある種、自然にわき起こる快楽と安らぎをもたらしてくれる。これは市井に充満する息吹であり、極めて世俗的なもので、暖かい幸福である。
幸福な味わいを描くのに長けたフランスの女流作家、フランソワーズ・ルフェーヴルは、『幸福の預金通帳・ラードで炒めた玉ねぎにパンを添えて』の中でこう書いている。「ラードを温めて溶かしながら、わたしはそれを注視しつつ、心の中になんとも形容し難い悦びが湧き起こった。溶けたラードが熱せられてジィジィと音をたてたら、もう刻んだ玉ねぎの薄切りを投入していい。玉ねぎが炒まって黄金色を呈したら火から下す。わたしは両目を閉じ、この幸せな一食に心から感謝する。誰に感謝すべきかは分からないが、確かなのは生活が改善し、もっと幸せになれるだろうということだ。けれども幸福がやって来る前に、この摂氏0度を下回る冬の夜にあたりに広がる黄金色の玉ねぎの香りは永遠に忘れることができないだろう。そのことを想像するだけで空腹感を取り除くことができ、はるかかなたの深い悦びが自然と生まれてくる……。今や調理が終わり、これをお碗に入れ、ラードが冷えて固まってくれば、この料理は完成である。この時間を使って、硬くなったパンを火にかけて炙り、指を温め、同時にパンの香ばしい香りがしてきたら、固まった玉ねぎのラード炒めを今しがた炙ったパンの上に載せ、あら塩を振り掛け、これと一緒に一碗の薄い牛肉スープを付け合わせて飲めば、そのしみじみとした味わいと食べた時の満足感は、それに加えて凍てつく夜に露営しての食事であってみれば、これまでの生涯で永遠に取り戻し難い感覚であった。」
ラードに詩心を与えた暖かい文字の記録は、張小嫻『友情的猪油』に見ることができる。「深夜2時に「猪油撈飯」(ラードを加えて炊いた蒸籠蒸し飯)に来て夜食を食べた。元々何も考えていなかったが、食べながら蔡瀾が笑い話をするのを聞くうち、ふと、友達って本当に良いものだと感じた。少しの苦しさを我慢すれば、たくさんの友達があなたのことを心配し、ひいては進んで徹夜であなたに寄り添い夜食を食べ、笑い話を話してあなたに聞かせてくれる。本来なら太るのを恐れるのに、恩に感謝してそれに報いようと、小さなお茶碗に半分の猪油撈飯を食べてくれる。食べることが友情なのである。」
よく知ったラードに付き従い、これらの見ず知らずの人がしばらく感動するうち、ふとたいへん奇妙に感じたことがある。ラードに対してこのような感覚を持ち、口に入れたラードの幸福と「深夜の友人」、「早朝のシャワー」、「夜眠れずにいた後、また寝入ることのできた満足感」、「冬の日にヒヤシンスの花が咲いた」、及び「屋外に行って服を乾す」(以上は皆ルフェーヴルの『幸福の預金通帳』に書かれている)を同列に論じているのは、どうして皆「太ることを仇のように恐れる」女性たちなのだろうか。
猪油渣(油かす)
猪油渣(油かす)
香港人が言う「油渣」は、ディーゼルオイル(柴油)のことを指す。「柴油」という言葉は、時には人々に柴米油塩醤醋茶(生活必需品のこと)を連想させ、勝手に何かを想像するような感覚であるが、腹が減っている時にガソリンスタンドで「油渣」の二文字を見ると、わたしは我慢できずこっそりつばを飲み込んでしまう。
ガソリンスタンドは実際はつばを飲み込むのにたいへん不適切な場所であるが、「油渣」はわたしに、つい極めて旨い「猪油渣」(油かす)を連想させてしまう。 油かすは、脂身の肉を煮詰めてラードを取った後に残った残滓だが、決して豚肉の余りのよこしまな部分ではなく、反対に、豚肉とラードの結晶と呼ぶに堪えるものである。もしラードを流れ動く建物と言うなら、猪油渣 (油かす)は凝結する音楽である。小さい頃上海では、軽食堂で小皿に少し塩を振り掛けた油かすが置かれ、しばしばわたしや何人かのクラスメートが放課後のおやつにした。これは子供にとって豪華な散財品で、ただたまに手に入るものだった。
実際、1980年代以前に生まれた貧しい者にとって、ラードをこの世の珍しいごちそうと見做す者はあまりいなかった。周潤発によれば、彼は小さい時生活が苦しく、ダイコンがひとつ、油かすがいくつかあれば、飯を一碗食うことができた。油かすはそれでももったいなくて食べれず、必ず母親に残しておいた。
中国以外では、聞くところによるとフランスのワインの産地、ボジョレーでは、油かすは今に至るもなおたいへん人気のあるおやつで、当地の人はまたこれを肴に酒を飲むそうだ。このことは本当にわたしのような年寄りを安心させる良い知らせで、もし油かすが食べたくて仕方がなくなった時に、少なくともひとつは行く場所がある、たとえ多少距離が遠い恨みはあるけれども。
炒め物の料理を作ったり、点心の餡にする、及び油かすを作る以外に、ラードは直接食用にされることがたいへん少ないようだ。つまり、外国人がバターを食べるように、直接パンの上に塗るようなことはない。わたしの印象では、ドイツ人だけがラードをパンに塗ることがあるようだ。蔡瀾先生が愛情を注ぎ、苦心して経営された「猪油撈飯」は、最もラードと親密に接触した食べ方と見做されている。わたしは 猪油撈飯は上海料理(上海菜飯)を焼き直して生まれたものではないかと感じている。菜飯(おかずと飯)と言えば、思い起こされるのが、三年前に上海のあるレストランで、料理の注文で、泣くに泣けず笑うに笑えない経験をした。わたしは「おかずと飯はありますか。」(有菜飯嗎?
)と聞いた。店の答えは「ありますよ。ご飯は何杯要りますか。」それで聞いた。「まだいいです。料理はラードで炒めますか?」答えは、「大丈夫ですよ(帮帮忙)、今は誰がラードなんか使うものですか。安心なさい、絶対にラードは使わないですよ。」それで答えた。「すみません、それなら料理は要りません。」
わき目もふらずに飲み食いを終え、店を出て振り返ると、店の看板には明確にこう書かれていた。「正宗猪油菜飯 」(正統なラードで炒めた料理)。