中国語学習者のブログ

これって中国語でどう言うの?様々な中国語表現を紹介します。読者の皆さんと一緒に勉強しましょう。

腊味

2024年08月24日 | 中国グルメ(美食)
là wèi
写真は、煲仔飯

 本短編の題、「腊味」というのは、燻製にした肉や魚のことです。「腊」とは肉類の処理方法で、肉を塩や味噌に漬け込み、冬の寒風に晒して乾燥させたもの。「腊」は「腊月」のことでもあり、 旧暦12月を指します。腊肉は中国版ベーコン。これを使った料理も「腊味」で、広東省の「煲仔飯」は、米の上に腊肉などを載せて炊き上げた、広東風釜めしで、腊肉が調味料として料理全体に風味をつけています。沈宏非著『飲食男女』(2004年江蘇文芸出版社)より。

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 腊肉(燻製肉)はいつもわたしに降雪、綿入れの上着、ストーブや、冬の間の様々な行事を連想させる。もしひとつの食べ物で冬を形容するなら、「腊味」を先ず思い浮かべるだろう。

 「腊(臘)は乾し肉である」(『辞源』)。およそ塩漬けにしてから、 「腊尾」(旧暦の12月の終わり)から春のはじめに取り出して食べるものが、「腊肉」と見なせる。中国のベーコンの類、これも塩漬けを経て作った「乾し肉」である。欧州の「乾し肉」もたいへん美味しいが、食べようと思えばいつでも食べることができ、結局のところ「腊味」と呼ぶことはできない。更に西洋人たちの暦(こよみ)の中には曾て(フランス革命暦)、熱月(テルミドール。7月19日から8月17日)、霧月(ブリュメール。10月22日から11月20日)があったが、「腊月」(旧暦12月。師走)は無かった。

  腊肉は湖南、広東両省で産するものが最も良い。違いは、湖南のものは塩辛過ぎ、また塩漬けの過程で更に煙で燻すので、味が剛直で、且つ錯綜し複雑な煙で燻された感覚(稲のもみ、サトウキビの皮、みかんの皮、木屑を含む)がある。「腊味」を中心とする代表的なものに、「腊味合蒸」がある。一緒に蒸すのは、細長い腊肉を除いて、細長い 腊魚があり、料理酒、ラード、鶏のスープを調味料とし、蒸篭に入れて20分蒸すと、色つやは黄金色に輝き、塩味と共に香味があり味が濃厚で、実に天意が間に入ったかのようだ。


湖南煙燻腊肉

 広東式の 腊味の製造は煙を出さない加工で、それゆえ味は比較的淡白で、湖南人がそれを食べてみると「まだ半生で十分燻されていない」ように感じるかもしれない。正にこのことにより、広東式の腊味はこれだけをそのまま食べるのはよくないし、湖南の腊味のように他の材料と一緒に蒸すやり方の「全体会議」を行うのもよくない。広東式腊味が演じるのはしばしば味を整える役割であり、つまり、これが通常参与するのは、一場の「拡大会議」であり、しかも列席者の身分である。例えば秋、冬の季節にだけ市場に出る煲仔飯(広東式釜めし)は、広東式腊味の魅力を最も良く体現している。コンロの火が土鍋の底をゆっくりと、しかし着実に熱し、一方土鍋の中は、米の飯が主体で、腊肉 (燻製肉)が添えられている。表面を覆った腊肉 (燻製肉)、腊鴨(燻製にしたアヒルの肉)、腊腸(中国式の腸詰)の肉汁がやさしく、全面的に土鍋中の米に浸透し、鍋の蓋を開け、醤油をかけ回すと、炊けた米の香りと肉の香りが顔をなで、更に広東特有の暗くじめじめした寒風が手助けし、鍋を受け取る時は意気消沈していても、これを食べるや感動し涙をこぼす。それゆえ、広東人はあまり「腊肉」とは言わず、その代わりに「腊味」という言葉を使うのである。

 「腊肉」と言えば、必ず「希腊」(ギリシャ)を取り上げないといけない。なぜならこうした肉の保存方法は早くも2500年前の古代ギリシャの時代には存在したからであり、そして今言っているのはその中国版である。実際、冷蔵庫が発明される以前、乾し肉の製法は完全に食物を保存する目的から生まれた。塩蔵であれ、乾燥、燻製、炙りなど、その方法は多種多様だが、キーワードはただひとつ、水分を抜くことである。多様化したのは手段だけでなく、更に水分を抜く目標が含まれ、牛、羊、馬、鹿、獐子(しょうし。キバノロ。シカ科だが、雌雄とも角が無い)、クマは皆、その当時乾し肉にされる人気の獲物だった。どうせ保存するなら、何でも乾し肉にすることができた。人間は乾し肉にできないか。できますとも、とてもよくできる。遠い昔にはミイラ、最近のものは蝋人形館がある(「腊」(臘)と「蜡」(蝋)は何れもで同じ発音)。しかし、「腊人」の原則は、牛、羊、馬、鹿、キバノロに対する「区分なく乾し肉にする」のとは全く異なり、それはこれまでずっとひとつの規準に則り実行された。すなわち成功した人でなければミイラや蝋人形にされないのだ。

 歴史上最も有名な「腊肉」は孔子の話に出てくる。「束脩十条」shù xiū shí tiáoは、孔子先生が教育を行う時の定額の学費であった。「束脩」(そくしゅう)は、生肉に香料を加え、寒風で乾した「腊肉」の束のことである。文革末期の「批林批孔」運動の時、「束脩十条」はまたかたじけなくも孔老二(つまり孔子)の公開裁判のための証言に加えられ、72に10を掛け、少なくとも720本の 腊肉は、孔子を悪辣な「肉食者」階層とし、教師たちを徹底的に整理するのに十分なものであった。不思議なことに、わたしがこれまで食べたことのある様々な孔府菜(山東省で歴代帝王が孔子の祭礼にささげた料理から発展した宴会料理)の中では、均しく 腊肉を見かけたことがない。「晩春に、春服は既に準備でき、成人の冠を被った者5、6人、子供6、7人が沂水で沐浴(もくよく)し、風に吹かれて雨乞いの舞を踊り、歌を歌って帰った。」この清明節のピクニックの一団には、「成人5、6人、子供6、7人」以外に、「腊肉を7、8本」を携帯し、野外での食事に用いなかったのだろうか。「三月(みつき)肉の味を知らず」、いったいそれは「肉味」だったのか、それとも「腊味」だったのか。孔子は結局肉を食べる方が好きだったのか、それとも音楽を聞く方が好きだったのか。これらのことはあまり言い出しにくいが、けれども腊肉の質感から言えば、授業料の受領に使う「ハードカレンシー」としての適用を失ってはいない。

 やはり先ず古人に替わって心配するのはやめよう。泣きたくとも涙が出ないのは、世界的にも美味なる腊味が、ひょっとすると遂にある日、「健康」という名の下に徹底的に消滅させられるのではないか心配なのだ。更に気持ちが落ち着かないのは、冬になってもあまり寒くならず、一年で四季のうち春夏秋はあっても冬を欠き、終生冬の寒風に晒した「腊味」を知らないことになる。そうした情況では、本当に腊肉が、「蝋燭が燃え尽き、涙のように融けて流れた蝋のように干乾びて固ま」ってしまうのではないか心配だからだ。


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