時速100万km! U-2「ドラゴンレディ」偵察機の史上最高速度はいかに記録されたのか
乗り物ニュース より 220330 関 賢太郎(航空軍事評論家)
⚫︎誤字でも計器の故障でもない「時速100万km」
いつの時代どんな乗りものでも、人類は「史上最速」の称号を競い合ってきました。なかでも「飛行機」はその空を飛ぶという特性上、抜群の速度性能を誇り、1976(昭和51)年のロッキードSR-71「ブラックバード」偵察機による時速3529.56kmという数字は、対地速度としては不滅の大記録として知られます。
そこもうほとんど宇宙でしょ U-2から見える「景色」
NASAが運用するU-2テストベッド機。気圧わずか1/10の高度2万mまで上昇することができ、分厚い大気の層をほとんど透かして宇宙を観測できる(画像:NASA)。
飛行機の速度は地球を基準とした「対地速度」や空気を基準とした「対気速度」など様々な測りかたがありますから、単純にSR-71と比べることはできませんが、実はSR-71と同じチームが開発したロッキードU-2「ドラゴンレディ」偵察機は、同じ1976年にSR-71を遥かに上回る速度を計測しています。
その速度記録なんと秒速300km。時速にして100万km、
光速の0.1%というとてつもない数字でした。
リニア中央新幹線東京~名古屋間の距離であればたったの1秒、列車と同時に東京駅をスタートした場合、列車が名古屋に到着するまでの40分間で月面まで行って帰ってこられる、ちょっと意味がわからないような速度です。
決して計器の故障でも計測ミスでも、単位やゼロの数を間違えているわけでもありません。敵国の秘密を暴くためのスパイ機として開発されたU-2は、実はこのとき、偶然にも人智を超えた宇宙の秘密を解き明かしてしまっていたのです。
1970年代。人類は、宇宙が、永遠の存在ではなくある一点から爆発するように始まった「ビッグバン」仮説の証拠を掴みかけていました。地球から夜空を見上げると一見、真っ暗な宇宙が広がっているように見えますが、電波で観測すると何億光年も彼方からやってきたとても弱い光で包まれていることが知られており、これは「宇宙マイクロ波背景放射(CMB)」と呼ばれ、ビッグバンの残り火ではないかと考えられていました。
⚫︎「時速100万km」は何を基準にどう計測したのか
もし宇宙マイクロ波背景放射がビッグバンの残り火であることが正しいならば、ほんのわずかに「まだら模様」となっていると考えられたため、NASAのエイムズ研究所は、大気と宇宙の縁まで上昇することができノイズを受けにくいU-2に、高感度な電波センサーを搭載し、まだら模様を検出しようとしました。
<U-2に搭載された2基の電波センサー。胴体上部に搭載され3回計測飛行が行われた(画像:NASA)>
1976年に研究飛行が実施されると、科学者たちはその測定データに驚きました。宇宙マイクロ波背景放射にまだら模様は一切、検出されない(当時)どころか、ある方向に向かって「青く見えた」のです。
青く見えた理由は「ドップラー効果」で説明できました。ドップラー効果とは、こちらに向かってくる救急車のサイレンは高い音に聞こえ、逆に離れてゆくサイレンは低い音に聞こえる現象としても知られます。
光でも同じようにドップラー効果は発生し、「青く見える(高い周波数の光になる)」場合は近づいている、「赤く見える(低い周波数の光になる)」場合は遠ざかっていることがわかります。色の変化を計算することで速度も求めることができ、航空用レーダー、野球のスピードガン、交通速度違反を検出するいわゆる「ネズミ捕り」など様々な分野で活用されています。
ビッグバンの残り火である宇宙マイクロ波背景放射の色の変化から、U-2が時速100万kmで移動していたことがわかりました。これを「対宇宙マイクロ波背景放射速度」と呼ぶことにします。しかし、この数字が何を意味するのかがわかりませんでした。U-2の飛行速度や地球の自転はどちらも時速1000km程度とたかが知れていますし、地球が太陽をまわる公転でさえたったの時速10万kmです。
⚫︎「時速100万km」という速度が解き明かす「宇宙の真理」
太陽系が銀河系を回る速度は時速約100万kmで、これと関わっている可能性がありそうでしたが、問題は「対宇宙マイクロ波背景放射速度」のベクトルがそれとは完全に逆向きだったことで、すなわち銀河系の回転で時速100万kmも遅くなっているにも関わらず、それでも「対宇宙マイクロ波背景放射速度」は時速100万kmだったのですから、どうやら「地球は銀河系ごと時速200万kmで宇宙を突き進んでいる」という事実だけがわかりました。
その後、数十年に渡る観測事実の積み重ねによって、「銀河系は約6億5000万光年彼方に存在する正体不明の重力異常に向けて時速200万kmで自由落下し続けているのだ」という説が有力となっています。この重力異常は「グレートアトラクター(大きな引力)」と命名されており、我々の銀河系から約1億光年内に存在する比較的近い約2000個の銀河も、同じようにグレートアトラクターへ向けて落下し続けています。
<観測されたビッグバンの残り火、宇宙マイクロ波背景放射。青い方向は近づいており赤い方向は遠ざかっていることを示す。予測されたまだら模様は後に発見(画像:NASA)>
何が我々を引っ張っているのか、果たして落下地点に何があるのかは分かっていません。残念ながらグレートアトラクターは我々の銀河系を挟んでちょうど反対側の方向にあり、直接見ることができません。一説には約8万個の銀河からなるシャプレー超銀河団がグレートアトラクターの正体であるともされます。
あと1億年ほどすれば銀河系の反対側まで太陽系が移動しますから、長生きすればいずれ何があるのかを知ることができるでしょう。このとき銀河の公転時速100万kmとグレートアトラクター時速200万kmの速度ベクトルがほぼ一致するため、「対宇宙マイクロ波背景放射速度」は時速300万kmとなっているはずです。
1976年のSR-71による対地速度記録は21世紀中にも更新されてしまうかもしれませんが、1976年のU-2による「対宇宙マイクロ波背景放射速度」記録は、あと数千万年は更新されないでしょう。