11月30日
松岡正剛の「編集セカイ読本」を読んでいる。丸善に行って、読む本探してプラプラしている時この本を見つけたのだが、以前、先輩が松岡正剛のことを話されてたのを思い出して買ったのである。
「編集セカイ読本」は「帝塚山講義」「本の読み方」「分母の行方」という作品がそれぞれ何冊かに分かれた小冊子になったものである。その中で僕は「本の読み方」というタイトルに目をひかれた。今、僕は書評を会社のHPで定期的に出しているが、実際にやってて、自分の言いたいことをしっかり伝えたと思える文章をまだ書けていない。まあ、良く考えたらこの日記だって、自分の考えや思いがしっかり伝えられてるかといえば、100%は出来ていない。で、このジレンマは書く事でしか消せないと思う。そうすると書き続けていく内に、こうしたらええのかなって思う部分が出てくる一方、どうすればええのか分からない部分も出てきて、結局何も自分が変わってないんちゃうかなとか思ったりもする。迷い道をくねくねしてる感じだ。この本を読んでもその迷いは消えないかなと思うのだが、自分にとってジレンマをちょっとでも消すヒントになればなと思う。
松岡正剛の「編集セカイ読本」を読んでいる。丸善に行って、読む本探してプラプラしている時この本を見つけたのだが、以前、先輩が松岡正剛のことを話されてたのを思い出して買ったのである。
「編集セカイ読本」は「帝塚山講義」「本の読み方」「分母の行方」という作品がそれぞれ何冊かに分かれた小冊子になったものである。その中で僕は「本の読み方」というタイトルに目をひかれた。今、僕は書評を会社のHPで定期的に出しているが、実際にやってて、自分の言いたいことをしっかり伝えたと思える文章をまだ書けていない。まあ、良く考えたらこの日記だって、自分の考えや思いがしっかり伝えられてるかといえば、100%は出来ていない。で、このジレンマは書く事でしか消せないと思う。そうすると書き続けていく内に、こうしたらええのかなって思う部分が出てくる一方、どうすればええのか分からない部分も出てきて、結局何も自分が変わってないんちゃうかなとか思ったりもする。迷い道をくねくねしてる感じだ。この本を読んでもその迷いは消えないかなと思うのだが、自分にとってジレンマをちょっとでも消すヒントになればなと思う。