2000年5月、日頃から親しくさせてもらっているデイリースポーツ社の堀尾氏から誘われていたトカラ列島への釣りが、新しく発足した釣りクラブ、チームアイランズの第1回遠征と重なり実現することになった。
ところが、このチームは船釣りが主体のクラブなので磯には上がらない。私が行きたいトカラは悪石島なのだが、そうはいかないだろう。
このチームのメンバーはルアーによるジギング釣りとエサ釣りとに分かれた17名と、サンテレビの撮影斑の2名を加えた総勢19名による大所帯での遠征釣行となった。
5月15日午前11時25分、伊丹発の奄美行きで出発。奄美空港からは出迎えのバスにのり名瀬港へ向かう。途中、レストラン「バシャ山」で昼食をとった。
ここの昼食は少し変わっていて「鶏飯」という、お茶漬けの様な食べ物だった。ご飯の上に鶏肉・卵焼きを細かく切ったものや、椎茸の刻んだものなどの食材を乗せスープをかけて食べるのだが、結構いける食事でした。
昼食を終え、名瀬港から午後3時30分、2隻の船に分乗して出港。1号艇はジギング組、2号艇はエサ釣り組と分かれたが、私は当然エサ釣り組に乗った。約3時間余りで悪石島の沖合に到着。海はべた凪で快適であった。不思議に船に弱い私も酔わなかったので元気に仕掛けをセットした。
道糸はPEの12号、オモリは200号、ハリスはナイロンの30号にクエ針25号という大物仕掛け。日も暮れて頭上に輝く満月に近いお月さんが海面を照らす中で第一投。波もなく穏やかな南海の海だが潮が非常に速くてオモリが止まらない。
暫く我慢してやっているうちに気分が悪くなり、竿を上げて皆さんの釣りを眺めることにしたが、結局は潮が止らず釣りにならないので、全員が早めに切り上げて明日の早朝の地合いに賭ける事になった。
この夜に釣れたのは60センチ級のギンガメアジが2匹だけであった。
つづく
ところが、このチームは船釣りが主体のクラブなので磯には上がらない。私が行きたいトカラは悪石島なのだが、そうはいかないだろう。
このチームのメンバーはルアーによるジギング釣りとエサ釣りとに分かれた17名と、サンテレビの撮影斑の2名を加えた総勢19名による大所帯での遠征釣行となった。
5月15日午前11時25分、伊丹発の奄美行きで出発。奄美空港からは出迎えのバスにのり名瀬港へ向かう。途中、レストラン「バシャ山」で昼食をとった。
ここの昼食は少し変わっていて「鶏飯」という、お茶漬けの様な食べ物だった。ご飯の上に鶏肉・卵焼きを細かく切ったものや、椎茸の刻んだものなどの食材を乗せスープをかけて食べるのだが、結構いける食事でした。
昼食を終え、名瀬港から午後3時30分、2隻の船に分乗して出港。1号艇はジギング組、2号艇はエサ釣り組と分かれたが、私は当然エサ釣り組に乗った。約3時間余りで悪石島の沖合に到着。海はべた凪で快適であった。不思議に船に弱い私も酔わなかったので元気に仕掛けをセットした。
道糸はPEの12号、オモリは200号、ハリスはナイロンの30号にクエ針25号という大物仕掛け。日も暮れて頭上に輝く満月に近いお月さんが海面を照らす中で第一投。波もなく穏やかな南海の海だが潮が非常に速くてオモリが止まらない。
暫く我慢してやっているうちに気分が悪くなり、竿を上げて皆さんの釣りを眺めることにしたが、結局は潮が止らず釣りにならないので、全員が早めに切り上げて明日の早朝の地合いに賭ける事になった。
この夜に釣れたのは60センチ級のギンガメアジが2匹だけであった。
つづく