大学1年のときに肺結核になり、葬式のだんどりまでされて後に戻ってきた私
当時の工芸高校の山本建築科長のお世話で設計事務所に勤めることになった。
泉設計事務所、長谷川所長が東畑建築事務所から独立をされてはじめられた
ばかりの事務所、今考えるとこの事務所に入ったことで今のぼくの人生は決まったようでした。
ここに事務員としていたのが、今は亡き私の女房でした。
その後先輩の事務所、工芸卒業生ばかりのところの、シグマ建築事務所
川西設計事務所へと行った後、独立しました。
それから現在まで設計一筋でやってきましたが、多くの知人友人のお陰で
現在までやってきておりますが、今の私があるのは亡くなった愛妻、和子の
おかげい外の何物でもない、散々苦労させた末に先に行かれてしまい何ともならない、くやむだけです。
手術して片肺飛行で良くここまでこれたものだと思っています、そして女房より長生するとは本当に
おもっていなかった。
これも多くの仲間知人友人のお陰であろうと感謝の日々です。
そして、魚釣りに溺れて色々な会にも属し多くの釣り仲間と知り合いました。
そのおかげで元気に今も過ごせていると思います。
「人生苦もある楽もある」言葉道理の私の人生ですがまだまだ仲間に世話になりながらもう少し頑張る
つもりですので、今後もよろしくお願いします。