佐藤功の釣ったろ釣られたろ日誌

釣り・釣りの思い出・釣り界のこと・ボヤキ.etc

私の釣り日記(釣り三昧)

2020-04-23 18:32:13 | 釣り

小笠原釣行記 その2-1

1972年11月、夕暮れ迫る神戸中央突堤に白い船体が繫がれた、にほん丸(3000トン)に乗船した時は、これから又

小笠原に釣りに行けるのだ!という思いだけで心がときめき胸がわくわくしている。

過去に3度も釣行しているのに、この実感はいつにもなく新鮮である。

11PM、大阪支部長の中井戸さんに服部名人、名古屋の大物釣り師の井ノ口さん、関東の大竹さんと言ったメンバーに

11pmの撮影陣も乗り込んで、小笠原の釣りの撮影にドラの音とともに一路小笠原へと1000キロの船旅に・・・

小雨けむる母島沖に停泊したのは、神戸を出て40数時間たった早朝であった。

迎えに来てくれるはずの小笠原漁協の神徳丸がなかなか来なくて3時間ほど待たされて釣り人のむくれる事しばし、

いつもながらここの段取りの悪いことは先刻ご承知ではあるが、観光客と墓参りのメンバーはのんびりと、島を眺めて

迎えの船を待っている。

磯上りは船の中でグループ分けしてあったので私は京都、姫路、神戸のメンバーと5人一組となって、こさめが少し

止みかけたころに磯上りした。

そして各人が思い想いの場所に分かれて、仕掛けつくりにかかった、私の仕掛けは、竿がオリンピックの大鵬に

リールはペンの68に道糸はトトの60号、ハリス、ワイヤーの33番7本より、そしてハリは、がまのネムリ32号と

ある程度の魚なら対応ができるつもり、エサは持参のイカの1匹刺しという大物狙いの仕掛けである。

それでは第1投と紺碧の海に投げ込んだ、その餌が海底に着くのを待ちかねたように一気に竿が舞い込んだ。

まずは1番乗りと両隣に声をかけて、竿を立ながら、ポンピングの要領で巻き上げた、第1号は南方に多い70センチクラスの

アカダイであった。この小笠原に多いのは、アカダイ、バラハタ、タマミ、クエの類で、その他、上物仕掛けには

ヒラアジ、カンパチの類が多く釣れるのだが一番いやなサメ類も多い。

この小笠原が米国より返還されて、墓参の船がここに来れるようになり、それに釣り人が便乗出来て、多くの釣り人が

この別世界に来れるようになった。

 

 

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