魚は目を閉じない
八木禧昌だぼ鯊の戯言(たわごと)⑥
百戦錬磨の釣り師の皆様に、いまさら「釣りとはなんぞや」、などとシラけたお話を申し上げるつもりは毛頭ございませんが、釣りはイデオロギーとは無縁のボーダレスなお楽しみで、人間がもつ根源的な欲求の一つであることは論を待たないでしょう。
でも、釣りは生殺与奪という生々しい修羅場を有しながら、なぜかくも世界中の人々に受け入れられ、発展してきたのでしょうか。反対給付という行為の代償があるから、という即物的な見方もあながち間違いとは言えませんがもっと深いなにかがあるとダボハゼは考えるのです。
そのなにか、とはなにか…。
魚は目を閉じない
少し前のことになりますが、TBSラジオの人気番組『全国こども電話相談室』で小学2年生の坊やが「魚は眠らないのですか」という質問をしてきたことがありました。その当時、ちょうど放送の時間帯に車に乗っていることが多く、よく楽しみに聴いたものです。回答陣の無着成恭先生などは子供だけでなく大人にも人気がありましたからね。
《よく気がつきましたね。お魚にはまぶたがないので、ほとんどのお魚は目を開けたり閉じたりすることができません。しかし例外もいます。フグの仲間は目のまわりの筋肉を使って目を閉じることができますし、サメの仲間には「瞬膜(しゅんまく)」というまぶたに似たものを持っているものもいます。ただ、それらは目を守るためで、眠るときに目を閉じるわけではありません。そのため、お魚は夜眠っている間も目は開いたままです》先生方の子供たちへの熱心な説明は、よくわかってまさに模範回答。この内容は完璧です。
「魚は目を閉じない」当たり前のことのようですが、それからずっとこの話の展開が頭の片隅にこびりついて離れません。
そんな時、毎年恒例の仲間内でのキス釣り大会の催しが七月初旬にあり、傍目はのんびり、内心はインドラ―の神が一秒間に地球を七回り半するくらいの構えで、エサに乗るキスの前触れに神経を集中させていました。この瞬間こそ、別世界にのめりこむ、まさに何やらの快感同様エクスタシー極限、羽化登仙の時、心理学では、意識混濁状態というそうです。
やがてサクサクサクッ、左手の掌(たなごころ)に釣り上げた良型のキスの躍動が心地よく伝わります。夢中で釣りの時を過ごしているうちに、潮時が過ぎ、我に返って釣果を見ると、素晴らしいパールピンクの清楚な姿態に、大きくつぶらな瞳…。ここで「魚は目を閉じない」の頭にこびりついたフレーズが蘇ってきました。「眠る」時だけでなく、魚は「絶命」しても決して目を閉じないのです。
いままで、釣り上げた魚の最期についてじっくり思いを致したことはありませんでしたが、この時釣り上げたつぶらな瞳の清楚なキスを二十数匹しげしげ眺めて、なんと美しいことかと、しみじみ見入ってしまったのです。
想像してみてください。今まさに命を落とそうとする魚が、瞼を徐々に閉じていく気息奄々とした断末魔の姿を…。釣りが今のように発展したでしょうか。
釣りが、これまで歴史的にも多くの老若男女のファンを擁し、地球規模で発展してきた理由の一つに、釣り上げたどの魚にも備わる「決して目を閉じない崇高な美しさ」があるように思えてならないのですが、いかがでしょうか。(イラストも・からくさ文庫主宰)