私の長い釣り人生の中でも50年からの付き合いのある悪友というか腐れ縁というか、
私が、色いろな会を預かるごとに事務局長をお願いしてきた谷本氏
彼は私よりももっといろいろな釣り体験をされてきました、私は主にイシダイ狙いで他の魚釣りは
あまりやりませんが、年とともに体力が弱り、最近は釣り堀がメインですが、まだイシダイ竿は振り
たい磯に行きたいと願ってはいますが、周囲は危ないからと、誰かサポーターを連れて行かなくては
と・その悪友の谷本氏が自分の釣り人生を書き上げましたので皆さんにぼちぼちとお披露目します。
「なお磯釣り団体の歴史については、私がこのブログの書き初めに書き残したのと、大釣り協の歴史
は谷本氏が数冊に分けて私が退任するときに全関西の本部にお届けしましたので、残っているとは思
いますが」
ー我が人生の釣遊記ー 谷本正弘
prologue
私が釣りを始めた最初の指導者は祖父である。私の父はマグロ釣りの漁師であったが赤紙で出征、そして戦地でマラリアにり患、帰国し広島の陸軍病院で死亡した。また伯父も戦前は捕鯨船で南極までクジラ捕りに行っていたが海軍で参戦し撃沈死亡した。従って私が物心ついた時には家業の漁師は祖父だけが残っていた。
祖父は山仕事や細々と漁師を続けながら生き残っている男子の孫である私を早く一人前にするために幼い孫に釣りを教えるというより仕込んでくれた。
多分5歳のころにはもう竹の述べ竿で磯釣りをしていたと思う。
昭和22年私が小学2年生のころには既に自分で磯釣り用の仕掛けを作っていた。その頃今のようなハリスはなくテグスといって弱いが非常に貴重品であったと思う。道糸はヤバといって今でいうタコ糸に渋柿の汁を浸み込ませ強化していたと記憶している。錘は鉛を手製のブリキ板にへこみを入れて鋳型に流し込んで好みの大きさに自分で作ったものである。
そのようなことから私の釣りは始まった。