佐藤功の釣ったろ釣られたろ日誌

釣り・釣りの思い出・釣り界のこと・ボヤキ.etc

私の釣り日記(釣り三昧)

2020-04-15 19:21:25 | 釣り

コロナ、コロナで釣りに行けない日々が続きますが皆さんどうされてますか、

私は今、外に出たらあかんよという電話が毎日のように、誰かがしてくる、

嬉しいような情けないような、でもそれだけ仲間が心配してくれてるという

ありがたいことです。

家にあまりじっとしていないという事が知られているので皆が電話くれるという、

でも今はオトナシクしています、もしコロナをどこかでもらうと他の人に迷惑を

掛けるのが嫌ですので、気を付けています、そのためにブログも以前書いたのも

含めてのおさらいで書いてますのでよろしく。

1971年6月の釣り

「潮岬・1の島のコジ」

磯釣りのメッカ潮岬、その足元にひっそりとある、袋港、その小さな港から渡船は出ています。

1の島の付属である「コジ」といういたって小さな磯、大潮ときには上がれないのだが、潮の

小さい波のない時のみ上がれる磯。

本来2人がせいぜいのところであるが、どうしてもというときは、本命ポイントでない、後ろ向きに

できないこともない。

地方向きの本命ポイントは目の前に走って居る海溝と少し先に走って居る海溝があって大変釣りやすい

このポイントは自然に海溝に入ってくれるのでイシダイがいれば当たってくる。

大型のイシダイはいなくて50前後が多いようです。

私の思い出としては、今は亡きクラブの宮本顧問と2人で上がったときに本命場のほうでは、イシガキや

イラなどがつれて、本命のイシダイが釣れずにいたときに、一度後ろの沖向きにやってみますわと言って

釣り座を変えて1投、2投・・エサのウニが竿先にこれというあたりが出てないのに割られている、エサ取り

とは思うが、エサを付け替えて投入、穂先を見つめていると、石鯛らしきアタリ、「ゴン、ゴン」とくるが、

それで終わり、掛け合わせずに辛抱ずよく再投入、すると今度はピトンに竿を掛けたとたんに、竿先が激しく

たたかれて舞い込んだ、宮本さんに「キター」と声をかけて巻き上げにかかった、「おーがんばれよ」との

後ろからの応援の声を聴きつつ上がってきたのは、縞目も鮮やかな本イシの51センチでした。

「追記」宮本顧問との思いで

 私が北摂フイッシングクラブの会長を32年間もやれたのは宮本さんの一言です「佐藤君、クラブというのは

 続けていって初めて値打ちがあるものだよと」言われて、70数名からいたクラブ員があるとき20数名にまで

 なったが、それでも続けてこられたのはこの一言でした。

 

 

 

 

 

 

 

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息抜きに、ボケ防止の歌

2020-04-14 19:40:49 | 日々の思い

コロナの問題が起きる前の地区の老人会の昼食会で出た歌

大変面白いのでこのコロナのために家から出ることができない人に

少し口ずさんでもろたらいいかなと・・・

この歌昔流行ったお座敷小唄の替え歌です

1、何もしないでぼんやりと テレビばかりを見ていると

  のんきなようでも年をとる いつか知らずにボケますよ

 

2、風邪を引かずに転ばずに 笑い忘れず よく喋り

  頭と足腰 使う人 元気ある人 ボケません

 

3、スポーツ、カラオケ、囲碁、俳句 趣味のある人 味もある

  異性に 関心持ちながら 色気ある人 ボケません

 

4、お酒も 旅行も 嫌いです 歌も踊りも大嫌い

  御金とストレス貯める人 人の2倍もボケますよ

 

 よく考えられていますこの歌、ホントウニボケ防止の歌でしょう

 1度歌ってみてください。

  

 

 

 

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私の釣り日記(釣り三昧)

2020-04-13 18:03:13 | 釣り

1回目の小笠原釣行記 1970年4月

小笠原の釣りに、初めは東京の初芝桟橋から出たように思います、大阪から東京にまで

大きな釣道具を抱えていきました、説明での釣りはどの魚もでかい魚と聞いているので

どうしてもかさばってきますが、仕方がない、一番初めに出かけた時は、当時のクラブの

顧問でした調理師会の会長で今は亡き宮本さんと出かけました。

行く前の説明会の話だけでもう胸はワクワクで仕事はそっちのけでした。

その当時仕事の方は順調で任せて置ける番頭ともいえる者がいたので頼んでの1週間のお休み

1航海1週間です、それも何も問題がなければの話で、片道42時間の船旅です、こんな長く船に

乗るのも初めてです、船ではいろいろな催しがあり、退屈しないようにと配慮されてました、

私はこの時に知らない方がたと麻雀をやって時間つぶしをしましたが、あとからようヤルナー

知らない方がたと、言われましたが別になんにも考えていなかったのでしょう、当時から

今考えると麻雀が好きだったのかも・・・

そんなこともなかったら,42時間もの船の上で過ごせません、初日の夕方に東京を出て小笠原までの

1000キロ程の海上、翌1日、船の1隻も見えない太平洋をもう一晩寝て翌日の朝、小笠原に到着です。

この時の船はオリエンタルクイーン号(12000t)で小笠原に墓参に行く方がたに便乗させてもらうという

企画だったようです、それを当時の大橋巨泉さんがやっていた11PMの釣り番組に取り込んだのです。

服部さん、中井戸さん、大竹さん、という当時の釣りに名前が売れている方がたが一緒でした。

この大きな船から地元小笠原漁協の協力で遠洋の漁船に乗り移りそれから再度小型の船に2度乗り換えての

磯渡しでした、それも磯に船が当たるといけないとのことで飛び亘るという大変な磯渡しでしたので、波のない

裏磯からの上陸でした、そのためにあれてきた3日目は渡れなかった、でも2日でたっぷりと釣りを楽しんだ。

バラハタやフエフキや、クエなどが次々に釣れ上がった。

こんな楽しい釣りの中でも無茶をする人がいて船の停泊している二見港と島との間を泳いだ人がいて、海流が

激しくてどんどん流されて行き、皆さんが船から心配して声をかけるのですがどうにもならずで、急遽船から

ボートを出して救助に向かい助け上げたという、もう少しで楽しい釣が悲しい釣になるとこでした。

この時の忘れられない釣としては、各釣り人を何班かに分けて班長を決めての釣りでした、たまたま私も5人ほど

預かることになり一緒に磯に上がりました、その中の京都の方が遠征の釣りなどやられたことがない方でその方の

お手伝いをしたのですが、夕方引き上げる方と夜釣りをする方とに別れました、私も帰りたい一人でしたが、

この京都の方が夜釣りをしたいと言い出して、一人で置くわけにもいかず、責任上私も残りました、

満点星空の良いお天気ですが、風が出てきて、寒くはないのですが、カッパを着ているところに砂が飛んできて

パラパラと当たるのがなんか気色悪くて一晩眠れなかった、その上貸してあげた竿まで折られてわやでした。

それと帰りの船は台湾で台風が発生したとのことで大急ぎで釣りを切りあげての退散、12000トンの船も大揺れで

私など東京までの間ベッドにしがみついたままで、飲まず食わずでした、でもそんなときも宮本さんは食事もしたよと

ケロットして言われてましたので、すごいなーと感心しました今は良き宮本さんとの思い出です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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私の釣り日記(釣り三昧)

2020-04-12 19:59:58 | 釣り

私の釣り三昧は1970年位(32歳)からになりますが、実際本格的に磯釣りを始めたのは27歳の時でした。

でも本当の意味での釣り三昧はもっと年をとってからになるのではないかと思います。

1973年に北摂フイッシングクラブの会長に就任してから、自分の釣りよりもクラブを預かったという責任から

釣りに溺れていったように思います。

その以前の1970年ごろからはもう小笠原遠征の遠征釣行などに加わっていましたので、当時の11PMの番組に

刺激されて底物専門に釣りをしていました。

1972年に11PMの大阪支部長のさんに中井戸さんに誘われて11PMの撮影に小笠原まで行きました、もうそのころから

磯釣りに狂ってはいたのでしょう、この時期は小笠原まで42時間かけての船旅でしたが長い船旅でも我慢して行ってましたから。

今日は当時の11PMでの釣行の懐かしい当時の服部名人も映っている写真等見てもらいます。

船のつく二見湾

こんな船で磯渡し

当時の写真(右下の前にいる2人目のチョッキが若い日の私)

 

 

 

 

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バラに少し早い靭公園

2020-04-11 18:29:43 | 日々の思い

何処にも出かけないでと、多くの仲間から言われている私、皆さんが年寄りをいたわってくれて家にじっとしておられない

性分のこのマグロを気にしてくれて電話をくれるありがたいことです。

そのためにも1日中家にいてるのですが、動くことのない日々を過ごしているのもよくないことで今日は靭公園に

朝の散歩に行ってきました、朝の散歩?昼の散歩やろとの声が聞こえてくる、淡路の中川兄貴の言葉を借りると

「おっしゃる通り」と答える。

1時に家を出て2時過ぎに帰ってきた、約1時間の散歩、公園もよくすいているしテニスコートも誰もやってない

バラの花もまだ蕾も少ないが一つだけと売り抜けのガードに絡まるツタの薔薇が一番乗りで少し開いていた。

いつも美しいバラが咲き誇る、まだハッパだけの綺麗に剪定されてるところの写真を撮ってきました、あとひと月

二月もすれば見事な花を見せてくれることでしょう。

1番乗りの(ロザバンクシアエテア)中国原産のバラ

 

靭幼稚園の生徒が作ったもの

花ノ井中学の生徒が作ったもの

まだ蕾も少ない「ストロベリーアイズ」

人気のないテニスコート

咲き誇るヤマザクラ

 

 

 

 

 

 

 

 

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