函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

知将・惣右衛門!!

2009-03-09 | 歴史
遂に御館の乱の前哨戦が始まりましたね。
柿崎の夜討ちに始まり本丸占拠と続きましたが、どうやら
景勝側の勝利に終わった様です

謙信の葬儀の最中、その本丸を押さえる様に指示したのが
何と!!兼続の父・惣右衛門だったとは…
『義兄弟を裏切る事は出来ない』と煮え切らない景勝を無
視して、兼続・与七兄弟に本丸を占拠するよう惣右衛門は
命令するのです。
『人生には大博打を打たねばならぬ時がある』『景勝は自
分が説得する』とまで言われれば兼続も動かざるを得ませ
ん。
このドラマの中では

一連の流れを見ると宗右衛門も中々の策士と云う事になり
ます

金蔵と武器庫を押さえるのが一番、算術に長けていた宗右
衛門、戦が苦手でも戦に何が必要か熟知していたのでしょ
うね。
そう云う意味では、惣右衛門が影の首謀者だったとの脚本
も分からなくはありません。
後に城を任される事になるのですから惣右衛門は知略にも
優れたものがあったのかも知れません
僕の認識不足かも…

本丸を占拠したのが兼続の指図だと勘違いした景虎(本当は
兼続の指図だった様ですが)は兼続に斬りかかります
景勝と戦う意思の無い景虎にとっては首謀者・兼続?は許
せなかったのでしょうね
このドラマの中では

はたして景虎は本当に戦う意思がなかったのでしょうか??
戦国の世に生まれ、安穏な生活を送れるとは考えていなかっ
た筈です。
何れにしても春日山城での攻防は兼続の策略によって勝利
を掴む事が出来たのです

お金と武器を押さえられた景虎はもはや戦う事は出来ません。
この時点で勝敗が決したと言っても過言ではないのです。
景虎は御館に逃げ込むしか術がなかったのでしょうね。

それにしても景虎は何故上杉憲政の屋敷に逃げ込んだのでし
ょうか??
単純に近かったから??それとも…

景虎の父・北条氏康に追われ謙信の庇護の元、御館で暮らし
ていた憲政が、自分の子供まで殺した氏康の息子・景虎を何
故かばったのか??
僕には少し疑問なのです

もしかして、関東管領を景虎に、上杉の当主に景勝をと謙信
は考えていたのかも知れません
その事を憲正は知っていて(もしくは察知していて)景虎側に
ついたのかも…

しかし、そんな事にでもなったら争いが起きる事くらい謙信
には分かっていた筈です
もしかして、自分が現役のまま景虎を管領に、景勝を次期国
主に、謙信がその両方を支配すると考えていたのかも??

謙信自身も49歳で亡くなるとは思っていなかった筈です。
もめ事が起こる度、総理総裁分離論を唱える自民党に似てい
ますね
そもそも権力を分散する事など出来る訳がないのです
もし謙信がその様な事を考えていたとしたら上杉謙信唯一の
失政と云う事になります。
知将・謙信でも可愛さ余って間違いを犯す事が無いとは言え
ません。
あくまでも推測ですが…
真相を謙信に聞いてみたいものですね



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コメント (6)
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