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映画『東京家族』について

写経 44.  「写経、二題」

2013年10月18日 | 写経(笑)

 “こゝに在るわが国語の美しい持続といふものに驚嘆するならば、伝統とは現に眼の前に見える形ある物であり、遥かに想ひ見る何かではない”                                                              
                                                           『実朝』 小林秀雄 (昭和18年2月―6月)








「随分御参詣はありますか。」
先ず差当り言うことはこれであった。
出家は頷くようにして、机の前に座を斜めに整然(きちん)と坐り、
「さようでございます。御繁昌と申したいでありますが、当節は余りござりません。以前は、荘厳美麗結構なものでありましたそうで。
 
 貴下(あなた)、今お通りになりましてございましょう。此処からも見えます。この山の裾(すそ)へかけまして、ずッとあの菜種畠(なたねばたけ)の辺(あたり)、七堂伽藍建(たて)連なっておりましたそうで。書物(かきもの)にも見えますが、三浦郡(ごおり)の久能谷(くのや)では、この岩殿寺(いわとでら)が、土地の草分(くさわけ)と申しまする。

 坂東(ばんどう)第二番の巡拝所、名高い霊場(れいじょう)でございますが、唯今(ただいま)ではとんとその旧跡とでも申すようになりました。
 妙なもので、かえって遠国(えんごく)の衆の、参詣が多うございます。近くは上総(かずさ)下総(しもうさ)、遠い処は九州西国(さいこく)あたりから、聞(きき)伝えて巡礼なさるのがあります処(ところ)、この方たちが、当地へござって、この近辺で聞かれますると、つい知らぬものが多くて、大きに迷うなぞと言う、お話しを聞くでございますよ。」
 「そうしたもんです。」
 「ははは、如何にも、」
 と言ってちょっと言葉が途切れる。

                                    『春昼(しゅんちゅう)・春昼後刻(しゅんちゅうごこく)』 泉鏡花 (明治39年11月,12月) 「岩波文庫」





























“まるで世界はパラレルワールド”  

            『synchroniciteen』 相対性理論 (2010.4.7)                                                 

 

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写経 43.  『美しく愛(かな)しき日本』 岡野弘彦  (3)

2013年10月13日 | 写経(笑)

 “君は走る。汗まみれになつて駆ける。走ると言つても前後左右にぎつしりゐる連中も懸命に駆けてゐる。大人も子供も老人も何か叫びながら。君は彼らの動きに邪魔され、それでも必死になつて、駅の構内をゆく。汗がしたたる。何しろ八月十五日だから、朝と言つても残暑がきびしい。君は手ぶらだが、背には汚れたリュックサックが一つあつて、荷物がぎつしり詰つてゐる。その重さに堪へながら君は小走りに進み、跳ねるやうにして階段を駆けのぼる。君は長いプラットフォームをばたばたと疾走する。階段に近い車輛はみな満員だ。機関車の次の、先頭の車輛まで汗まみれになつて駆け通しに駆け、端の座席に腰をおろす。君は運がいい。この時節、列車に乗つて腰かけられるなんて、滅多にないことだ。”

                                                  『茶色い戦争ありました』 丸谷才一 「文藝春秋 2012.12月特別号」




  『すばる歌仙』 「こんにやくの巻」  丸谷才一 大岡信 岡野弘彦 (集英社)


こんにやくが恋しくなりぬ天高し  玩亭

 昼寝をさます百舌のさへづり   乙三

雲厚く待ちかね顔に月照つて    信

 赤絵染付まよふ杯          玩

仕分けては親の道具をうりはらひ  乙

 あすは何時に発つか訊きあふ   信

階段の近くで乗ればグリーン車   玩

 富士が見えぬと怒る外人      乙

霊山も塵芥置場(ゴミタメ)と化す登山道  信

 新緑のなか風紀みださむ     玩

干草に忍ぶ睦言こそばゆき     乙

 グアム旅行の旅費ねだられる   信

貰ひぷり横綱なみにあつさりと    玩

 ちやんこの鍋もゐのししの肉    乙

店出れば花札の月われを待つ    信

 背中で見得をするは児来也(ジライヤ)  玩

土に散つてなほすがすがし路地の花 乙

 細き雨浴び立つ孕み鹿      信

知らぬしらぬ春のゆくへも汝(ナ)が齢(トシ)も  玩

 一座にぎはふ孫の秘めごと       乙

屈託のない子と言はれ辞書を引き    信

 汨羅(ベキラ)に身投げした人を識る  玩

はばからず軍歌ながして九段坂   乙

 唱へた日なし教育勅語       信

金次郎は弟ならむ金太郎の     玩

 足柄山を降りて沙汰なき      乙

蕭々とひとすぢ道の葛に雨     信

 あれは熟柿の落ちる音なり    玩

ビンラディンも洞(ホラ)いでて来よ月こよひ  乙

 ほーっほーっと梟のこゑ     信

穴馬に朱線を引いて権(ゴン)の禰宜(ネギ)  玩

 白衣(ビヤクエ)の襟のよごれ気にする  乙

仲人はきまり文句が祝ひなり    信

 永き日かけて手入れせし髭    玩

迷い子もうつとりと立つ花ふぶき  乙

 いづち行かめと霞む浮世や    信 












                興
                り
                ゆ
                く
                日
                本
                に
                生
                き
                て

                百も
                世も
                  よ

                ま
                で
                齢
                た
                も
                た
                む
                 。
                心
                た
                ゆ
                む
                な


























山幸彦たどりてゆきし洋(わた)なかの 潮の遠鳴り 胸をゆりくる

七色の螺鈿(らでん)の湯ぶね。わたつみの姫の湯あみの 黒髪なびく



ましぐらに暗闇坂を駆けくだり 蓮華花田の土に 身を臥す


























君が若き命のはてを見とどけし 千年(ちとせ)の公孫樹(いちやう) いまよみがへる

海やまをかけて誓ひしひたごころ 征夷大将軍の歌 いさぎよし

うなばらの遠(をち)の父島 母の島 沖の小島の 恋しかりけり
                       (実朝 補遺4)





                                                       (以上7首) 『美しく愛しき日本』 岡野弘彦  (角川書店)


















現(うつつ)とも 夢とも知らぬ 世にしあれば ありとてありと頼むべき身か   (鎌倉右大臣)                                                                     

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写経 42. 「実朝補遺」

2013年10月10日 | 写経(笑)

 “ 芭蕉は、弟子の木節に、「中頃の歌人は誰なるや」と問はれ、言下に「西行と鎌倉右大臣ならん」と答へたさうである(俳諧一葉集)。言ふまでもなく、これは、有名な真淵の実朝発見より余程古い事である。それだけの話と言つて了へば、それまでだが、僕には、何か其処に、万葉流の大歌人といふ様な考へに煩はされぬ純粋な芭蕉の鑑識が光つてゐる様に感じられ、興味ある伝説と思ふ。必度(きつと)、本当にさう言つたのであらう。僕等は西行と実朝とを、まるで違つた歌人の様に考へ勝ちだが、実は非常によく似たところのある詩魂なのである。”


『実朝』 小林秀雄(昭和18年)「現代日本文學大系」筑摩書房



 鋭利で鮮やかな書出しと、詩と歴史の深淵にまで至ろうとする凄まじい意思を持つ小文だ。
 『吾妻鏡』の「実朝横死」の記事を引きながら、小林はこう言う。


 
 “ 吾妻鏡には、編纂者等の勝手な創作にかゝる文学が多く混入してゐると見るのは、今日の史家の定説の様である。上の引用も、確かに事の真相ではあるまい。併し、文学には文学の真相といふものが、自ら現れるもので、それが、史家の詮索とは関係なく、事実の忠実な記録が誇示する所謂真相なるものを貫き、もつと深いところに行かうとする傾向があるのはどうも致し方ない事なのである。 ”


 「渡宋計画」には、“史家は、得て詩人といふものを理解したがらぬものである”と言い、合理的でわかったような気になれ、安心できる説明を斥けている。

 例の「子の刻の青女(あををんな)」の記事にも、“僕は、この文章が好きである。”と言及されている。

 二十首あまりの歌への評言もあるが、その選び方と読み取りは、人それぞれだ。







〔補遺2〕


 ふたりの句と歌の詩人が、『実朝』の新作能を、それぞれ作っている。


① 高浜虚子 (1920年1月) 

間(アイ)狂言が、「銀杏の葉の精」で、

 “一葉梢をはなれたり。ひらひらと落つるなり。それが下葉を誘ふなり。二葉三葉と殖えて行き。誘ひつれ遊びつれ。日が当り影が出来。影が出来日があたり。露がぴかりと。ぴかりと露が。横に流れ縦に落ち。一葉二葉がだんだんに。千万といふ葉を誘ふ。”

などと、舞ひ歌ふ。



② 土岐善麿 (1950年1月)

喜多実(1900-1986)から、「大海の舞ともいうべきものを舞いたい」と要請されて作ったという。




   (参考文献) 『新訂増補 能・狂言辞典』平凡社 ,  『岩波講座 能・狂言 Ⅲ』岩波書店 











〔補遺3〕



 このブログのテーマが、「映画『東京家族』について」である事を、忘れているわけではない(笑)。

















 サンシャイン劇場開場十周年記念公演 『ロミオとジュリエット 劇場プログラム』(1988年9月4日~25日) ジュリエット・中嶋朋子
 






 

 

 



 

 



 

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写経 41.  (「万葉集」の続き)

2013年10月07日 | 写経(笑)

 ※ デートコースを考えた(笑)。

   幾ルートか空想で検討したが、現在私のなかで、「源実朝」の存在が極端にクロース・アップされているので、「コース1」を、

   
   『将軍実朝の時代と幻想』としてみた。

   この時代は「鎌倉」であるが、鎌倉へは中学校の行事で一回行ったきりなので、ガイドブックを買ってきた。
   
   なお、私は新制中学なので、戦前の鎌倉は見ていない(笑)。







   『JTBのMOOK 2013秋限定の鎌倉』 JTBパブリッシング



   このようなガイドブックは、写真は奇麗なのだが、いまひとつ欲しい情報がないので、もう少し探したら、こんな本があった。




  『鎌倉 歴史とふしぎを歩く』 大貫昭彦 実業之日本社



   “「和田の乱」から百か日目の八月十八日、三代将軍・源実朝は一人、深夜の御所で和歌を詠んでいた。その時一人の青女(若い女性)が前庭を走り通った。実朝は呼び止め、名を尋ねたが、女は名乗らず走り去った。跡には、松明(たいまつ)のような光が残るばかりだった。”




    不思議な話である。鎌倉後期の史書、『吾妻鏡』ではこうなっている。



   “(建保元年八月)十八日、丙戌、霽、子剋、将軍家南面に出御、時に灯(ともしび)消え、人定まりて、悄然として音無し、只月色蛬思心を傷むる計なり、御歌數首、御獨吟有り、丑剋に及びて、夢の如くして女一人、前庭を奔り融る、頻りに問はしめ給ふと雖も、遂に以て名謁(なの)らず、而して漸く門外に至るの程、俄かに光物有り、頗る松明の光の如し、(後略)”  『吾妻鏡』 龍肅(りよう すすむ)訳註 (1941年第1刷発行、1982年第2刷発行 岩波文庫)




   現代語訳では、こうだ。


   “十八日、丙戌(ひのえいぬ)。晴れ。子(ね)の刻に将軍家(源実朝)が(御所の)南面にお出ましになった。その時灯は消えて人は寝しずまり、静かで音もなかった。ただ月明かりや虫の音に物思いにふけるばかりである。御歌数首を独吟された。丑(うし)の刻になって、夢のようなことに、若い女が一人、前庭を走って通った。何度も尋ねられたもののついに名乗らず、とうとう門外に来た時、急に光る物があった。あたかも松明(たいまつ)の光のようであった。(後略)” 『現代語訳 吾妻鏡』五味文彦・本郷和人 編 吉川弘文館(2009年発行)




   このように、知らなかったことを教えてくれる、大貫氏の本は素晴らしいので、コースの一部に組み込んだ(笑)。





   



    





    コース1 『将軍実朝の時代と幻想』




    9:00頃   JR大船駅に、石川着。駅の周囲をぐるりと歩いてから、9:45にレンタカーを借り、大船駅前に戻る。


  







   10:00頃  クラリベルさん着。コース開始。

          
          ①松竹大船撮影所跡地 (現鎌倉女子大学)


          ②大貫氏の著書から、「大船・岩瀬・今泉」。

          


          
          
          白山神社を中心に、2~3ヶ所まわる。


  12:00頃  「かえで通(り)」を走り、


            『神奈川 横浜川崎 便利情報地図』 昭文社


      
          「明月院通(り)」から「鎌倉街道」へ。このあたりでCDをかける。私も一応持っていくが、


          




          クラリベルさんの音楽を聴きたい。そうこうするうちに、

     


  
  12:30頃   ③鶴岡八幡宮



           『小学館版日本の歴史 第7巻』(1982年初版第1刷発行)




            『同上』



          

          







          (この日の計画は、夕食の時間が早い予定なので…


            綿菓子でも食べながら、境内を見学。)  『同上』





   14:00~16:30頃  ④ その時開催されている、適当な美術館へ行く。




   17:00~19:00頃  ⑤ 食事。(場所は現在調査中だが、シチュエーションを考えて、ゆめゆめ「富士そば」のような店を選んではならない。)




   19:30頃        ⑥ 実朝が船を浮かべ、渡宋しようとした場所へ行く。





  『現代語訳 吾妻鏡』 「鎌倉時代の鎌倉」 五味文彦・本郷和人 編


                


                 


                 この地図を見ると、実朝が船を浮かべた場所は、現在道路などになっているような気もするが、まあ、海岸へ行く。



                 19:30~19:33頃  夜で寒いだろうから、3分だけ外に出て、実朝を偲ぶ。














     『万葉集』(続き)



なかなかに絶つとし言はばかくばかり息(いき)の緒(を)にして我(あれ)恋ひめやも (681)

思ふらむ人にあらなくにねもころに心尽(つ)くして恋ふる我(あれ)かも (682)

人言(ひとごと)を繁(しげ)みや君が二鞘(ふたさや)の家を隔(へだ)てて恋ひつついまさむ (685)

かくのみし恋ひやわたらむ秋津野(あきづの)にたなびく雲の過(す)ぐとはなしに (693)

恋草(こひぐさ)を力車(ちからぐるま)に七車(ななくるま)積(つ)みて恋ふらく我(わ)が心から (694)

恋は今はあらじと我(あれ)は思へるをいづくの恋そつかみかかれる (695)

家人(いへびと)に恋ひ過ぎめやもかはづ鳴く泉(いづみ)の里に年の経(へ)ぬれば (696)

春日野(かすがの)に朝居(あさゐ)る雲のしくしくに我(あ)は恋ひまさる月に日に異(け)に (698)

はねかづら今する妹(いも)を夢(いめ)に見て心の内に恋ひわたるかも (705)

はねかづら今する妹(いも)はなかりしをいづれの妹(いも)そそこば恋ひたる (706)

思ひ遣(や)るすべの知らねばかたもひの底(そこ)にそ我(あれ)は恋ひなりにける (707)

夜昼(よるひる)といふわき知らず我(あ)が恋ふる心はけだし夢(いめ)に見えきや (716)

むらきもの心摧(くだ)けてかくばかり我(あ)が恋ふらくを知らずかあるらむ (720


  “第四句の原文は「余恋良苦乎」。音仮名「苦」は、文脈的に「苦しい」という意味の場合にほぼ限って用いられる。”



  『2013.10.1 東京新聞』 山口晃 画



かくばかり恋ひつつあらずは石木(いはき)にも成らましものを物思(ものも)はずして (722)

(723)(長歌次回)

朝髪(あさかみ)の思ひ乱れてかくばかりなねが恋ふれそ夢(いめ)に見えける (724)

にほ鳥(どり)の潜(かづ)く池水(いけみづ)心あらば君に我(あ)が恋ふる心示さね (725)

外(よそ)に居(ゐ)て恋ひつつあらずは君が家(いへ)の池に住むといふ鴨(かも)にあらましを (726)

世の中し苦しきものにありけらし恋にあへずて死ぬべき思へば (738)

我(あ)が恋は千引(ちび)きの岩(いは)を七(なな)ばかり首(くび)に掛けむも神のまにまに (743)

朝夕(あさよひ)に見む時さへや我妹子(わぎもこ)が見(み)とも見ぬごとなほ恋(こひ)しけむ (745)

恋ひ死なむそこも同(おな)じそ何せむに人目(ひとめ)人言(ひとごと)こちたみ我(あれ)せむ (748)

夢(いめ)にだに見えばこそあらめかくばかり見えずしあるは恋ひて死ねとか (749)

相見てばしましく恋はなぎむかと思へどいよよ恋まさりけり (753)

外(よそ)に居(ゐ)て恋ふれば苦し我妹子(わぎもこ)を継(つ)ぎて相(あひ)見む事計(ことはか)りせよ (756)

うち渡(わた)す竹田(たけた)の原に鳴く鶴(たづ)の間(ま)なく時なし我(あ)が恋ふらくは (760)

百歳(ももとせ)に老(お)い舌(した)出(い)でてよよむとも我(あれ)はいとはじ恋は益(ま)すとも (764)

いつはりも似(に)つきてそする現(うつ)しくもまこと我妹子(わぎもこ)われに恋ひめや (771)

百千度(ももちたび)恋ふと言ふとも諸弟(もろと)らが練(ね)りの言葉(ことば)はわれは頼(たの)まじ (774)

一昨年(をととし)の先(さき)つ年より今年(ことし)まで恋ふれどなぞも妹に逢ひがたき (783)
  

   「萬葉集巻第四」
 







         20:00頃  “I have led her home, / 彼女を家まで送り届けてきた。” 『対訳テニスン詩集』 西前美巳 訳,編


         21:00頃   レンタカーを返却し、大船駅から帰る。





         コース1 『将軍実朝の時代と幻想』 (了)








        


         (しかし、「デートコース」と言いながら、自分の行きたい所ばかり書いてしまった。
          異空間にいるクラリベルさんに、まずは、通信をしなければならない(笑)。)

         




     




          





          





   


   




   

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写経 40. 「式年遷宮 内宮遷御(ないくうせんぎょ)」 / 『金槐和歌集』 源実朝 自撰家集

2013年10月02日 | 写経(笑)

 伊勢御遷宮の年の歌

神風や 朝日の宮の 宮うつし 影のどかなる 世にこそありけれ (659)


 (「遷宮」とは、神殿を造営・改修する際に神座を移すこと。
   多くは二十年目ごとに行われる。
   ここは承元三年〔1209〕九月(旧暦)の伊勢神宮の遷宮をさす。) 
 『新潮日本古典集成 金槐和歌集』 (以下引用は同じ)


 



 繊細な詩人,将軍の実朝は、集の最後に、次の四首を置いた。



   

 述懐の歌

君が代に なほ長らへて 月清(きよ)み 秋のみ空の かげを待たなむ (660)


太上天皇〔後鳥羽上皇〕の御書下(くだ)し預(あづか)りし時の歌

大君(おほきみ)の 勅(ちょく)をかしこみ ちちわくに 心はわくとも 人に言はめやも (661)


東(ひんがし)の 国にわがをれば 朝日さす  藐姑射(はこや)の山の 陰(かげ)となりにき (662)


山は裂け 海は浅(あ)せなむ 世なりとも 君にふた心 わがあらめやも (663)





                 建暦三年十二月十八日  かまくらの右大臣家集






 この歌で実朝は集を終えているが、これに先立つ三首も、「伊勢神宮」に関連している。




   


 神祇(じんぎ)

月冴(さ)ゆる 御裳濯川(みもすそがは)の 底きよみ いづれの世にか 澄みはじめけむ (656)

いにしへの 神代(かみよ)の影ぞ 残りける 天(あま)の岩戸(いはと)の 明け方の月 (657)

八百万(やほよろづ) 四方(よも)の神たち 集まれり 高天(たかま)の原に 千木(ちぎ)高くして (658)








 実朝がどんなに優れた詩人であり、政治家であったかは、次の四首を読めば、わかる。



 花の咲けるを見て

宿にある 桜の花は 咲きにけり 千歳(ちとせ)の春も 常(つね)かくし見む (364)

 (わが家の桜が美しく花開いた。これから後、千回もの春にわたって、いつもこのような見事な花を見たいものだ。)


 苔(こけ)に寄する祝(いはひ)といふことを

岩にむす 苔のみどりの 深きいろを 幾千代(いくちよ)までと 誰(たれ)か染めけむ (365)

 (岩に生える緑の苔の深い色を、何千年も続くようにと、誰がいったい染めたのだろうか。)


 二所詣(にしよまうで)し侍(はべ)りしとき

ちはやぶる 伊豆(いづ)のお山の 玉椿(たまつばき) 八百万代(やほよろづよ)も 色はかはらじ (366)

 (伊豆山権現のこの見事な椿は、今後もはてしなく咲き続け、色あせることもないだろう。)


 月に寄する祝

万代(よろづよ)に 見るともあかじ 長月(ながつき)の 有明(ありあけ)の月の あらむかぎりは (367)

 (九月の有明の月が空にあって見飽きないように、あなたがこの世におられるかぎり、千年万年見ていても飽きないことでしょう。)

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