1970年9月、「議会主義下で社会主義の実現をめざした世界初の政府」であるチリのアジェンダ政権は、1973年9月、米国が策謀したピノチェト将軍の軍事クーデターによって暴力的に潰される。その後独裁体制を敷いたピノチェトは、政権批判者を大量に殺害し、国民の弾圧を行っていく。長きにわたる迫害の実態、それに対する国際社会からの批判の高まりもあり、政権は1988年、形だけの、ピノチェト大統領を信任するかどうかの「国民投票」を実施する。野党のテレビ広告は深夜の15分間のみ。政権は外国メディアが取材に入っているので表立っての妨害はできないが、大統領信任後は、野党のキャンペーンに参加した者は、文字通り殺されることが予想される。
私たちは最後には野党が勝つことがわかっているから何とか映画を見ていられるけれど、そうでなかったら、凄惨な結末の予測に耐え切れないであろう。
この予算は少なく製作時間も短い、字義通りに命がかかる困難な状況のテレビキャンペーンを引き受けた人物が、この映画の主人公である。彼は超強大で悪辣な政権に対し、如何に戦おうとしたのか。それはこの予告編でもわかるように、最も重視したのが「楽しさ」だった。
http://www.magichour.co.jp/no/
映画では実際に使われたキャンペーン映像も多数映される。このキャンペーン映像の音楽を強調するために、地の劇の部分に音楽は付けていない。
このサイトには、パブロ・ラライン監督のインタビューも載っており、広告の「パラドックス」が語られている。
ピノチェト独裁は、それが導入した所謂新自由主義的資本主義の忠実な道具である「広告」によって倒された。しかしこの民主主義を回復した原点も「広告」であったために、その後のチリは「小さなモール」になってしまった。
確かにそうであろうが、物事には優先順位があり、あの時点で独裁を終止することができたのは、やはり大切なことであったと私は考える。
私たちは最後には野党が勝つことがわかっているから何とか映画を見ていられるけれど、そうでなかったら、凄惨な結末の予測に耐え切れないであろう。
この予算は少なく製作時間も短い、字義通りに命がかかる困難な状況のテレビキャンペーンを引き受けた人物が、この映画の主人公である。彼は超強大で悪辣な政権に対し、如何に戦おうとしたのか。それはこの予告編でもわかるように、最も重視したのが「楽しさ」だった。
http://www.magichour.co.jp/no/
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このサイトには、パブロ・ラライン監督のインタビューも載っており、広告の「パラドックス」が語られている。
ピノチェト独裁は、それが導入した所謂新自由主義的資本主義の忠実な道具である「広告」によって倒された。しかしこの民主主義を回復した原点も「広告」であったために、その後のチリは「小さなモール」になってしまった。
確かにそうであろうが、物事には優先順位があり、あの時点で独裁を終止することができたのは、やはり大切なことであったと私は考える。