“「紅葉も
もう終わりね」”
と『頭文字D(イニシャル・ディー)』
レンタカー駆り
遠野を攻める
と言うのは冗談であるが、色づき始めた遠野の山へ行ってきた。
“遠野郷は今の陸中上閉伊(かみへい)郡の西の半分、山々にて取り囲かこまれたる平地なり。新町村にては、遠野、土淵(つちぶち)、附馬牛(つくもうし)、松崎、青笹、上郷、小友(おとも)、綾織(あやおり)、鱒沢、宮守、達曾部(たっそべ)の一町十ヶ村に分かつ。近代或いは西閉伊郡とも称し、中古にはまた遠野保(とおのほ)とも呼べり。今日郡役所のある遠野町はすなわち一郷の町場にして、南部家一万石の城下なり。城を横田城ともいう。この地へ行くには花巻の停車場にて汽車を下り、北上川を渡り、その川の支流猿ヶ石川の渓(たに)を伝いて、東の方へ入ること十三里、遠野の町に至る。山奥には珍しき繁華の地なり。伝えいう、遠野郷の地大昔はすべて一円の湖水なりしに、その水猿ヶ石川となりて人界に流れ出でしより、自然にかくのごとき邑落(ゆうらく)をなせしなりと。されば谷川のこの猿ヶ石に落合うもの甚多く、俗に七内八崎(ななないやさき)ありと称す。内は沢または谷のことにて、奥州の地名には多くあり。”
『遠野物語』 柳田国男
“まず続石(つづきいし)、千葉家の曲がり家、そして遠野市立博物館を見て、駒形神社、早池峰神社、北川家のおしらさまという順序であった。”
『日本の深層』 梅原猛
「北川家のおしらさま」は見ていないがその他、「遠野ふるさと村」や「デンデラ野」へも行った。どこも、さりげない荘厳さがあった。特に「猿ヶ石川」は普通の川ではない、妖気のようなものが漂っている感じがした。
もう終わりね」”
と『頭文字D(イニシャル・ディー)』
レンタカー駆り
遠野を攻める
と言うのは冗談であるが、色づき始めた遠野の山へ行ってきた。
“遠野郷は今の陸中上閉伊(かみへい)郡の西の半分、山々にて取り囲かこまれたる平地なり。新町村にては、遠野、土淵(つちぶち)、附馬牛(つくもうし)、松崎、青笹、上郷、小友(おとも)、綾織(あやおり)、鱒沢、宮守、達曾部(たっそべ)の一町十ヶ村に分かつ。近代或いは西閉伊郡とも称し、中古にはまた遠野保(とおのほ)とも呼べり。今日郡役所のある遠野町はすなわち一郷の町場にして、南部家一万石の城下なり。城を横田城ともいう。この地へ行くには花巻の停車場にて汽車を下り、北上川を渡り、その川の支流猿ヶ石川の渓(たに)を伝いて、東の方へ入ること十三里、遠野の町に至る。山奥には珍しき繁華の地なり。伝えいう、遠野郷の地大昔はすべて一円の湖水なりしに、その水猿ヶ石川となりて人界に流れ出でしより、自然にかくのごとき邑落(ゆうらく)をなせしなりと。されば谷川のこの猿ヶ石に落合うもの甚多く、俗に七内八崎(ななないやさき)ありと称す。内は沢または谷のことにて、奥州の地名には多くあり。”
『遠野物語』 柳田国男
“まず続石(つづきいし)、千葉家の曲がり家、そして遠野市立博物館を見て、駒形神社、早池峰神社、北川家のおしらさまという順序であった。”
『日本の深層』 梅原猛
「北川家のおしらさま」は見ていないがその他、「遠野ふるさと村」や「デンデラ野」へも行った。どこも、さりげない荘厳さがあった。特に「猿ヶ石川」は普通の川ではない、妖気のようなものが漂っている感じがした。