第Ⅰ部 「冬の蠅 仏者として生きるⅠ」
“富士図書で用意してもらったのぼりに、八重樫先生案の <福岡事件を見直して下さい> <占領軍の圧力がかかった事件です> の文句を揮毫し、数寄屋橋公園へ急いだ。公園には林家正蔵(八代目)、一龍斉貞丈師匠(五代目)もみえていた。また、大下宇陀児、原久一郎先生、犬塚尭氏など報道関係の人々もみえた。私はやがて用意されたマイクで呼びかけた。はじめての街頭演説で戸惑ったが、とにかく精いっぱい訴えた。”
林家正蔵師匠からの返信
“久しぶりにお便りに接しました。
喪中云々とはどなた様でしたか、いずれ親しいあいだ柄のお方でございましょう。哀悼申しあげます。
次に恩赦実行のけはい云々とありましたが、私の視るところでは、泰龍老師の運動の結果が死刑執行をまぬがれている西、石井の両氏ですからそれだけで成果です。仏の救いの手の泰龍老師です。いま性急に恩赦釈放するには国庫の多大の支出をうけねばならず(軍備費からみれば九牛の一毛でも)一司法大臣の所存では出来ぬことなのでしょう。
こういう社会情勢から判断すれば、老師は立派に人事を果たされたので天命を待つばかり。デクノボウ、おおいに結構ではないでしょうか。初歩からやり直そう、これ又、大いに結構。仏道悟達の老師に向って無用長物の私が洵に僭越の沙汰ですが、七十七年生きたというだけの年に免じてお許しを得られますなら幸甚でございます。同封のもの心ばかりのお賽銭でございます。ご笑納のほど偏(ひとえ)に。
私も去年の十二月には志ん生の妻女、桂文楽師、次で三升家小勝と関係のある葬儀に没頭させられまして、生死の感慨を深くいたしました。
老師どうぞお元気で、ご尊堂のみなさまにどうぞよろしく。
昭和四十七年一月二十五日 正蔵拝”
叫びたし寒満月の割れるほど
ひばり野に大手を振って出てみたし
誤判わが怒りを天に雪つぶて
われのごとく愚鈍よかなし冬の蠅 (以上四句、西武雄)
人々をみ仏なりと拝み給う 常不軽菩薩を憶う秋の夜 (古川泰龍)
第Ⅱ部 「シュバイツァー寺開山 仏者として生きるⅡ」