4回目はいよいよ平成に入ります。だいぶ記憶に新しい時代となって来ました。issanは30代になり、人生は充実期を迎えておりました。何が充実していたのかはあまり思い出せませんが・・・(苦笑)
平成に入った頃から、中国大会も少しずつ私学勢の強さが目立ってきました。甲子園でも全国から選手が集まる私学が大会の中心になって来ます。
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【第73回】※1989年
▽1回戦
倉敷商 5-0 宇部商
淞南学園 11-4 境
▽準々決勝
鳥取西 7-2 出雲西
玉野光南 4-3 宇部
倉敷商 4-2 山陽
淞南学園 6-4 広島電大附
▽準決勝
倉敷商 3-1 鳥取西
玉野光南 11-5 淞南学園
▽決勝
玉野光南
000 050 040│9
010 000 001│2
倉 敷 商
(光)元山-榎本
(倉)岡・辻-兼田
◇選抜出場校
*玉野光南,倉敷商,鳥取西
【第75回】※1990年
▽1回戦
下関商 4-0 倉敷商
宇部商 3-1 鳥取城北
▽準々決勝
淞南学園 6-5 米子商
邇摩 9-8 岡山山陽
瀬戸内 5-4 下関商
広陵 5-2 宇部商
▽準決勝
瀬戸内 1-0 淞南学園
広陵 5-1 邇摩
▽決勝
広 陵
000 001 040│5
000 000 000│0
瀬戸内
(広)塩崎-島村
(瀬)前田・藤山-野呂
◇選抜出場校
*広陵,瀬戸内,邇摩
【第77回】※1991年
▽1回戦
倉敷商 4-2 松江東
広島商 4-1 大社
▽準々決勝
米子商 5-2 豊浦
宇部商 5-2 関西
広陵 3-0 倉敷商
広島商 6-4 鳥取西
▽準決勝
広陵 3-1 米子商
広島商 8-2 宇部商
▽決勝
広島商
003 000 000│3
111 000 20X│5
広 陵
(商)森田・木村-広本・加納
(陵)寺山・牧山-福岡
◇選抜出場校
*広陵,広島商,米子商
【第79回】※1992年
▽1回戦
鳥取西 13-4 大社
津山工 9-4 邇摩
▽準々決勝
関西 5-1 防府商
岩国 2-1 倉吉北
鳥取西 4-2 尾道商
崇徳 7-2 津山工
▽準決勝
関西 4-3 鳥取西
崇徳 4-2 岩国
▽決勝
崇 徳
100 001 000 4│6
000 002 000 0│2
関 西 (延長10回)
(崇)斉藤-高山
(関)古谷-藤井
◇選抜出場校
*崇徳,関西,鳥取西
【第81回】※1993年
▽1回戦
広陵 10-7 岩国工
江の川 5-0 光
▽準々決勝
岡山理大附 5-0 鳥取西
広島商 4-3 岡山城東
広陵 3-2 浜田
江の川 9-2 境
▽準決勝
岡山理大附 7-0 広陵
広島商 4-2 江の川
▽決勝
広 島 商
001 012 510│10
020 030 100│ 6
岡山理大附
(広)沢田-伊藤
(理)村田・水畑・藤本-村木
◇選抜出場校
*広島商,岡山理大附,江の川
【第83回】※1994年
▽1回戦
関西 8-3 西京
倉吉北 6-3 岡山城東
▽準々決勝
倉吉産 4-3 松江商
宇部商 6-3 淞南学園
関西 5-1 広陵
広島工 7-2 倉吉北
▽準決勝
関西 8-1 倉吉産
宇部商 3-1 広島工
▽決勝
関 西
000 013 000│4
120 000 03X│6
宇部商
(関)吉年・木下-江草
(宇)平岡・藤本泰-松尾
◇選抜出場校
*宇部商,関西,広島工
【第85回】※1995年
▽1回戦
邇摩 4-0 倉吉北
如水館 4-1 開星
高陽東 3-0 岡山大安寺
宇部商 9-7 広島工
矢上 9-8 米子工
米子東 3-2 出雲工
豊浦 3-2 岡山理大附
岡山城東 1-0 防府商
▽準々決勝
如水館 10-2 邇摩
岡山城東 9-1 豊浦
高陽東 12-2 宇部商
米子東 13-0 矢上
▽準決勝
岡山城東 8-1 如水館
米子東 5-3 高陽東
▽決勝
米 子 東
000 000 000│0
001 211 01X│6
岡山城東
(米)佐藤-中曽
(城)山口-大東
◇選抜出場校
*岡山城東,米子東,高陽東
【第87回】※1996年
▽1回戦
如水館 10-0 南陽工
豊浦 3-2 出雲北陵
岡山南 7-5 開星
八頭 5-3 益田
倉吉北 7-6 関西
鳥取城北 3-2 岡山城東
西京 6-3 広島商
広陵 9-1 宇部工
▽準々決勝
豊浦 2-1 如水館
鳥取城北 9-2 倉吉北
岡山南 6-5 八頭
西京 6-3 広陵
▽準決勝
豊浦 3-1 鳥取城北
西京 4-3 岡山南
▽決勝
西 京
006 010 030│10
010 011 101│ 5
豊 浦
(西)浜田-小川
(豊)豊田・大槻・中田・井上-阿川
◇選抜出場校
*西京,豊浦,岡山南
【第89回】※1997年
▽1回戦
関西 12-5 崇徳
広島商 8-0 宇部工
岩国 9-2 浜田
南陽工 13-0 八頭
岡山理大附 11-2 瀬戸内
倉敷商 10-2 近大福山
江の川 3-1 倉吉東
出雲北陵 5-1 米子西
▽準々決勝
広島商 9-0 関西
出雲北陵 4-3 江の川
岩国 4-1 南陽工
岡山理大附 7-4 倉敷商
▽準決勝
広島商 6-1 出雲北陵
岡山理大附 5-4 岩国
▽決勝
岡山理大附
101 003 000│5
012 000 000│3
広 島 商
(理)早藤-森田
(広)奥平・長岡-花崎
◇選抜出場校
*岡山理大附,広島商,岩国,出雲北陵
【第91回】※1998年
▽1回戦
玉野光南 8-3 宇部鴻城
関西 4-1 倉吉北
広島工 2-1 鳥取城北
開星 15-0 米子東
広陵 15-0 松江東
浜田 4-2 崇徳
岩国 7-3 岡山東商
倉敷工 7-4 久賀
▽準々決勝
玉野光南 1-0 関西
浜田 4-2 広陵
開星 6-5 広島工
岩国 7-4 倉敷工
▽準決勝
玉野光南 10-3 浜田
開星 5-4 岩国
▽決勝
開 星
000 103 710│12
220 041 000│ 9
玉野光南
(開)高橋・樋野・平井-樋口
(光)小川・合原-橋本
◇選抜出場校
*玉野光南,岩国,浜田
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岡山では新興勢力の公立校と私学が台頭してきた頃です。体育科を持つ玉野光南と進学校の岡山城東、そして関西と岡山理大附の甲子園争いがこの後もしばらく続きます。
1995年大会から各県3校(開催県は4校)が出場する16校での秋季中国大会へと変わりました。これにより、新しい学校が各県から出場できるようになり、幅が広がりました。
次回からは21世紀に突入します。
段々と今に近づいて来ますね。
平成前半の中国地方は、本当に強かったですね。
「関西ー仙台育英」の95年夏の開幕戦、未だに覚えています。
和田の浜田や、山口県の西京や光なども、その後は苦戦してるようですが、なかなかのチームでしたね。
宇部商業抜きに、この時代の高校野球は語れないでしょう。
岡山城東は、一時常連でしたね~、本当に、推薦枠がない、ガチの純然たる文武両道なのでしょうか?
山崎監督の移動でこれから厳しいかも、ですが、頑張って欲しいですね❗️
話、少し飛びますが、私自身、女子テニスの大坂なおみ選手の応援📣を今、かなりしていて、彼女の言動なんかも「成長したなあ。若いのにたいしたもんだ、恋人の存在隠さないのも俺からすれば、もっとやれ、という感じ」という感じで、肯定的に捉えていますが、彼女のようなグローバルな出自の選手を応援してるうち、高校野球で「どこの県・地元の出身だから素晴らしい、県外が多いとダメ」みたいな考えも、古く感じるようになりました。
うちの父など、東北育ちの古い世代なので、
「公立校以外は、高野連から除外して欲しい、(息子は私立校出身なのに)21世紀枠絶対必要」
と言いますが、まあ考え方は自由としても、少し父の考え方は、今の時代には合わないかも、とは思います。
私自身、これからどんどん世界を知りたいし、考えを深めたいですね。
地元の人たちにすれば、地元選手だけで戦うチームが全国で勝ってほしいというのは当然の気持ちだと思いますし、公立校を応援したいというのは当然だと思います。
かつては関西などの私学も地元出身選手だけで戦っていました。流れが変わったのが、県外から積極的に選手を集めて台頭してきた岡山理大附の存在です。それに対しては批判や反対意見が出るのは当然なのですが、そういう私学の台頭によって他の学校のレベルが上がるというのが理想的な姿だと思います。
さて、当時の岡山県では、関西と岡山理大附の私学2校と新興勢力の玉野光南、岡山城東の公立勢の争いが中心でした。体育科を持つ玉野光南は開校当時から期待を集めていましたが、この頃やっと頭角を現していました。一方、開校3年目で夏の甲子園に出た岡山城東は普通科進学校ながら学区を持たず県内一円から選手が集まる利点を最大限に生かして強くなりました。城東はガチの一般入試の選手だけでなく、監督からの推薦枠がありました。但し、その推薦枠も試験選抜が厳しくて、学力が足らずに入れなかった選手も数多くいたようです。部員は常に百人を超えており、ベンチ入りは容易ではない状態でした。現状では、数ある普通科高校の中ではやや強いぐらいの位置付けになりましたが、一度目立った実績を残すと再び強くなる可能性はあると思います。
現状では、関西、理大附など一時代を築いた伝統私学に勢いがなく、岡山学芸館、創志学園などの県外から多くの選手を集める学校が引っ張る状況が続いています。公立勢で対抗できるのが、倉敷商、倉敷工などの一部に限られているのも県全体のレベルが上がらない理由なのでしょう。
山崎監督が率いていた頃の城東は選手個々人が非常に野球を理解していたそうで「体力や技術ではなく、本当に強いチームは野球をよく知っている」と常々仰っていました。当時の選手たちは「野球頭がよかった」と山崎さんが振り返っておられたように、試合を決する場面で絶対的に強かったように感じます。また、野球部員が東大や京大に現役合格していたのもこの頃です。「進学実績が良い年のチームは強い」という傾向値があった岡山城東はやはり異質なチームだったと思います。