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NHK大河ドラマ「風林火山」が武田信玄の軍師・山本勘助の若き時代をどう描くかに注目したい

2007年01月08日 20時43分11秒 | 演劇・映画
 NHK大河ドラマ「風林火山」が1月7日午後8時から、始まった。第1話なので、山本勘助の「兵法修行時代」を描いている。といっても、山本勘助は実際には、いつ、どこで生まれたのか不明である。三河の出といわれているものの、これも定かではない。この人物の存在自体が、疑われていたのだから、シナリオを書くことそのものが、大変な作業である。若い放浪時代は、すべて想像である。それだけに、脚本家が、どこまで空想にふけってくれるかが、楽しみである。
 韓国ドラマ「チャングム」が、日本の室町時代中期の物語だった。古い記録に「大長今」という一文を見つけて、54話を綴っていたのと比較すると、また面白い。第1話は、山本勘助が、故郷の三河に帰る途中、甲斐の武田軍と駿河の今川軍の争いに巻き込まれる場面から口火が切られている。1467年の応仁の乱から始まった戦国時代の様相を活写しようとしている意気込みは、よく伝わってきた。
山本勘助が武田晴信(後の信玄)に会い、家来に取り立てられたのが、51歳。晴信は、23歳のときだったといわれている。織田信長が舞いながら謡った「敦盛」の一節に「人生50年、下天のうちをくらぶれば、夢幻の如くなり」とあるように、「人生50年」は、文字通り「晩年」、まさに「人生の黄昏時」である。
いまは、「人生100年」といわれる長寿時代であることと比較すると、実に感慨深い。寿命が倍になっているのであるから、山本勘助が現代に生きていれば、100歳になって初めて「仕官」できたことになる。その執念たるや碧眼にして足が悪いという形相に相応しく凄まじい。
定年とか、還暦とか言って、「悠悠自適」とオツに清まして、「珍香も焚かず、屁もひらず」に老後の生活を大過なく過ごす「時間の無駄遣い」が、はなはだ惜しくもなる。
とりあえず、山本勘助が、「孫子の兵法」をどのように学んで行ったのかを、どう描いてくれるかに注目したい。
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