日本国憲法は、国民投票に行った者だけで、改正の賛否を決めればよい

2007年04月13日 16時33分07秒 | 政治
◆国民投票法案(与党案)が4月12日夕、衆議院憲法調査特別委員会で可決、直に本会議に上程された。安倍政権は、5月3日の憲法記念日を睨み、今月中に成立させる構えである。
 国民投票法という手続き法は、憲法第96条(改正条項)に規定されているので、憲法制定から60年を経てやっと制定されたという程度の感慨しかない。だからこの法案に反対するのは、おかしい。
◆しかし、反対理由のなかに、「投票率50%に達しなければ、改正を不成立にすべきだ」という意見があるのは、一見、正当のようで、その実、これほどいい加減な意見はない。「50%」に満たなくても、「有効投票総数」を基に、賛成が「過半数」を超えれば、改正成立として、超えなければ、不成立とすればよい。
 なぜかと言えば、投票に行かない国民のことまで考慮する必要がないからである。「権利の上に眠る者は保護されず」というのが、近代法の大原則である。国家国民のことを少しも考えず、「政治に疎い」からと言って政治に関心も持たず、国民として国政に意思を示せる絶好のチャンスにもかかわらず投票にも行かない者のことまで心配する必要はない。投票に行かない者は、自らの権利を放棄したものと見做され、投票に行った者によって判断されたことに従うしかないのである。
◆それでなくても、日本国憲法は、制定者である国民の立場について、「第12条」で「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」と厳しいことを規定している。イエーリングの「権利のための闘争」を持ち出すまでもなく、国民は「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去するために、「永久闘争」を行い続けていかなければならないのである。
◆極端に言えば、仮に国民投票に行った国民が、100人しかおらず、51人が憲法改正に賛成すれば、改正案は、成立したとしても、仕方がない。福沢諭吉が「学問ノススメ」のなかで、「愚民の上に苛き政府あり」と断言した、この名言を思い知るべきである。国民は主権者としての責任を果たさなければならない。
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