「死相って知ってる?」
安い居酒屋にて、少し酔いが回ってきた頃合。
正面に座る友人が、そんなことを呟いた。
「もうすぐ死ぬ人に見える相? っていうか、顔つきみたいなヤツのこと?」
「そう、それ」
「まぁ一応聞いたことはあるけど。それが?」
「俺、その死相ってヤツが見えるんだけどね」
いきなりまたとんでもない話を放り込んできたものだ。
僕は怪訝な顔をしながらも、続きを促す。
「今朝、鏡を見たときに、見えたんだ」
「鏡・・・ってことは」
「うん、俺自身に死相が出てたってこと」
ふん、と僕は鼻で笑う。
こいつはどうも相当酔っているらしい。
その程度にしか思わなかった。
「じゃあ何か、今こうしてピンピンして酒飲んでるお前が、もうじき死ぬってか?」
「うん。それも、24時間以内に」
「バカらしい。もう夜中だぞ? 朝見たなら、もうあと何時間かじゃないか」
「そうなんだよなぁ」
自嘲するような、諦めきったような、そんな笑みを浮かべて言う。
それで、冗談を言っているような空気ではないことが伝わった。
コイツは多分――自分が今日明日中に死ぬということを本心から言っているのだ。
「最初は、小学生の時。俺の爺ちゃんが死ぬ1日前に見えたんだ」
「爺ちゃん・・・だったら、ただの偶然なんじゃないか?」
「そうかもしれない。でも、その後も学校のクラスメートとか、TVに出てる有名人とか」
見えちゃうんだよね。
さも当然のように言われると、何だかこっちとしても茶化せなくなってしまう。
無論、酒が入っているとはいえそんな与太話を信じることはないが。
「その割に、悲しんだり怖がったりしてないじゃないか」
ダウト、と言う代わりに、僕はそう言った。
「うん、まぁ・・・こういうこともあるかなって。いつかそんな日が来るって思ってたし」
達観してるというか、諦めが良いというか。
――目の前の人間が、もうじき自分は死ぬと言う。
嘘を吐いたり冗談を言ったりしているような素振りは見受けられない。
少なくとも、本人は信じきっているようだ。
それは何だか、不思議な感覚だった。
理解できないまま、それでも友人としては一応飲み込まなくてはならないような雰囲気。
自殺願望とかではないから、励ますことも無意味だろう。
友人は、ただ、事実を淡々と述べるように(実際本人にすれば事実なのだろう)語り続ける。
過去、死相が見えた時の話。
覆そうと頑張ったがどうにもならなかった時の話。
怖くなって自棄になって塞ぎ込んでいた時の話。
彼にとって、それらは事実であり。
日常であるらしかった。
僕はその話に圧倒されて。
馬鹿みたいに、頷くしかできなくなっていた。
「――と、それでまぁ、ここからが本題なんだけど」
「・・・ああ」
「俺は多分、今日か明日の朝くらいには死ぬと思うんだ」
「・・・そうか」
「だから、今日こうやってお前と会ったのは、遺言を伝えたくて」
「遺言?」
「そう、遺言。手紙とか書くのはガラじゃないし。直接話せるなら、それが一番手っ取り早い」
まるで事務的な連絡であるかのように、彼はそう言った。
「そんなこと言われてもなぁ」
正直、僕はコイツの言うことをまだ信じていない。
死相が見えるなんて話、信じる方がどうかしてる。
だが、彼は至って真面目なのだ。
この温度差のまま、そんな重要そうな話をされても構わないものだろうか。
「まあ、聞くだけ聞いてよ――」
貸しているCDはそのまま譲る。
いつか行こうと約束していた旅行へは行けなくなってしまい、申し訳ない。
葬式には別に来なくても良い。
「それから、これが一番重要なんだけど」
ふう、と小さく息を吐いて。
真っ直ぐ、僕の目を見て。
これまでで一番真剣な顔で。
「俺のことを、覚えておいて欲しい」
そう言った。
「記憶は風化する。それは仕方ないところもあると思うんだけど。
それでも――10年後、20年後に、小さなカケラでも良いから覚えておいて欲しい。
いろんな人の記憶に、俺が生きていたんだという証を残しておきたい。
まぁ割とありきたりなんだけど・・・それが一番のお願い、かな」
頼むわ――。
遺言を終え、小さく頭を下げる。
僕は、だけどどうすることもできず。
分かったともダメだとも言えず。
ただただ、困惑するばかりだった。
分かったと言えば、友人が死ぬことを受け入れることになると思った。
だからと言って、友人のささやかな頼みを断れるわけもなかった。
どうすれば良いのか、咄嗟に判断ができない。
すると、彼は少し困った顔をして――まあ仕方ないよな、と言った。
「急にこんな話されても、対応に困るだろ」
「・・・あ、うん。そうだな」
「うわー、ドン引きじゃねーか」
あはは、と笑う。
つられて僕も少し笑う。
「まあ、良いや。とにかく、今言ったことを覚えててくれれば」
「そうそう忘れられないと思うけど」
「違いねぇや」
そしてそのまま、彼は自宅へと帰っていった。
暗い夜道、僕はその背中が見えなくなるまで眺め続ける。
――彼はもうじき、死ぬと言う。
信じてはいない。
それでも、何故か、彼の姿を目に焼き付けようとしていた。
理不尽な寂しさに、胸が痛くなる。
今日はもう少し飲もう。
溜息を吐きながら、そんなことを思った。
安い居酒屋にて、少し酔いが回ってきた頃合。
正面に座る友人が、そんなことを呟いた。
「もうすぐ死ぬ人に見える相? っていうか、顔つきみたいなヤツのこと?」
「そう、それ」
「まぁ一応聞いたことはあるけど。それが?」
「俺、その死相ってヤツが見えるんだけどね」
いきなりまたとんでもない話を放り込んできたものだ。
僕は怪訝な顔をしながらも、続きを促す。
「今朝、鏡を見たときに、見えたんだ」
「鏡・・・ってことは」
「うん、俺自身に死相が出てたってこと」
ふん、と僕は鼻で笑う。
こいつはどうも相当酔っているらしい。
その程度にしか思わなかった。
「じゃあ何か、今こうしてピンピンして酒飲んでるお前が、もうじき死ぬってか?」
「うん。それも、24時間以内に」
「バカらしい。もう夜中だぞ? 朝見たなら、もうあと何時間かじゃないか」
「そうなんだよなぁ」
自嘲するような、諦めきったような、そんな笑みを浮かべて言う。
それで、冗談を言っているような空気ではないことが伝わった。
コイツは多分――自分が今日明日中に死ぬということを本心から言っているのだ。
「最初は、小学生の時。俺の爺ちゃんが死ぬ1日前に見えたんだ」
「爺ちゃん・・・だったら、ただの偶然なんじゃないか?」
「そうかもしれない。でも、その後も学校のクラスメートとか、TVに出てる有名人とか」
見えちゃうんだよね。
さも当然のように言われると、何だかこっちとしても茶化せなくなってしまう。
無論、酒が入っているとはいえそんな与太話を信じることはないが。
「その割に、悲しんだり怖がったりしてないじゃないか」
ダウト、と言う代わりに、僕はそう言った。
「うん、まぁ・・・こういうこともあるかなって。いつかそんな日が来るって思ってたし」
達観してるというか、諦めが良いというか。
――目の前の人間が、もうじき自分は死ぬと言う。
嘘を吐いたり冗談を言ったりしているような素振りは見受けられない。
少なくとも、本人は信じきっているようだ。
それは何だか、不思議な感覚だった。
理解できないまま、それでも友人としては一応飲み込まなくてはならないような雰囲気。
自殺願望とかではないから、励ますことも無意味だろう。
友人は、ただ、事実を淡々と述べるように(実際本人にすれば事実なのだろう)語り続ける。
過去、死相が見えた時の話。
覆そうと頑張ったがどうにもならなかった時の話。
怖くなって自棄になって塞ぎ込んでいた時の話。
彼にとって、それらは事実であり。
日常であるらしかった。
僕はその話に圧倒されて。
馬鹿みたいに、頷くしかできなくなっていた。
「――と、それでまぁ、ここからが本題なんだけど」
「・・・ああ」
「俺は多分、今日か明日の朝くらいには死ぬと思うんだ」
「・・・そうか」
「だから、今日こうやってお前と会ったのは、遺言を伝えたくて」
「遺言?」
「そう、遺言。手紙とか書くのはガラじゃないし。直接話せるなら、それが一番手っ取り早い」
まるで事務的な連絡であるかのように、彼はそう言った。
「そんなこと言われてもなぁ」
正直、僕はコイツの言うことをまだ信じていない。
死相が見えるなんて話、信じる方がどうかしてる。
だが、彼は至って真面目なのだ。
この温度差のまま、そんな重要そうな話をされても構わないものだろうか。
「まあ、聞くだけ聞いてよ――」
貸しているCDはそのまま譲る。
いつか行こうと約束していた旅行へは行けなくなってしまい、申し訳ない。
葬式には別に来なくても良い。
「それから、これが一番重要なんだけど」
ふう、と小さく息を吐いて。
真っ直ぐ、僕の目を見て。
これまでで一番真剣な顔で。
「俺のことを、覚えておいて欲しい」
そう言った。
「記憶は風化する。それは仕方ないところもあると思うんだけど。
それでも――10年後、20年後に、小さなカケラでも良いから覚えておいて欲しい。
いろんな人の記憶に、俺が生きていたんだという証を残しておきたい。
まぁ割とありきたりなんだけど・・・それが一番のお願い、かな」
頼むわ――。
遺言を終え、小さく頭を下げる。
僕は、だけどどうすることもできず。
分かったともダメだとも言えず。
ただただ、困惑するばかりだった。
分かったと言えば、友人が死ぬことを受け入れることになると思った。
だからと言って、友人のささやかな頼みを断れるわけもなかった。
どうすれば良いのか、咄嗟に判断ができない。
すると、彼は少し困った顔をして――まあ仕方ないよな、と言った。
「急にこんな話されても、対応に困るだろ」
「・・・あ、うん。そうだな」
「うわー、ドン引きじゃねーか」
あはは、と笑う。
つられて僕も少し笑う。
「まあ、良いや。とにかく、今言ったことを覚えててくれれば」
「そうそう忘れられないと思うけど」
「違いねぇや」
そしてそのまま、彼は自宅へと帰っていった。
暗い夜道、僕はその背中が見えなくなるまで眺め続ける。
――彼はもうじき、死ぬと言う。
信じてはいない。
それでも、何故か、彼の姿を目に焼き付けようとしていた。
理不尽な寂しさに、胸が痛くなる。
今日はもう少し飲もう。
溜息を吐きながら、そんなことを思った。