朝令暮改を地でいくようで甚だ申し訳ないのですが、前回まで書き連ねた中で基本的な部分を変更させていただきます。それは「皇祖大兄」としての「押坂彦人大兄」(忍坂日子人太子)を「阿毎多利思北孤」の投影と考えていた部分です。認識を改めることとなったのは『古事記』の記事をよくよく見たときです。
「『古事記』(下)敏達天皇の段」
「御子沼名倉太玉敷命坐他田宮 治天下壹拾肆歳也 此天皇 娶庶妹豐御食炊屋比賣命 生御子 靜貝王 亦名貝鮹王 次竹田王 亦名小貝王 次小治田王 次葛城王 次宇毛理王 次小張王 次多米王 次櫻井玄王【八柱】 又娶伊勢大鹿首之女 小熊子郎女生御子 布斗比賣命 次寶王 亦名糠代比賣王【二柱】 又娶息長眞手王之女 比呂比賣命 生御子 忍坂日子人太子 亦名麻呂古王 次坂騰王 次宇遲王【三柱】 又娶春日中若子之女 老女子郎女生御子 難波王 次桑田王 次春日王 次大股王【四柱】
此天皇之御子等并十七王之中 日子人太子娶庶妹田村王 亦名糠代比賣命 生御子 坐岡本宮治天下之天皇 次中津王 次多良王【三柱】 又娶漢王之妹 大股王生御子 智奴王 次妹桑田王【二柱】 又娶庶妹玄王生御子 山代王 次笠縫王【二柱】 并七王【甲辰年四月六日崩】 御陵在川内科長也」
この記事にあるように「敏達」の記事中にわざわざ別に「日子人太子」についてその夫人と子について述べており、このような表記は『古事記』中出色のものであり、彼だけに見られるものです。さらに「敏達」については書かれていないにもかかわらず「日子人太子」については「崩年」と「御陵」が書かれています。
ここでは「崩年」として「甲辰年」とされまた「御陵」として「川内科長」にあるとされています。この記述が「敏達」のものでないのは『書紀』との圧倒的な食い違いがそれを示しています。
「(敏達)十四年(五八五年)…秋八月乙酉朔己亥(十五日)。天皇病彌留崩于大殿。」(敏達紀)
『書紀』では「敏達」について「崇峻天皇」の「四年」になって「磯長陵」に葬るとされています。
「(崇峻)四年(五九一年)夏四月壬子朔甲子。葬譯語田天皇於磯長陵是其妣皇后所葬之陵也。」(崇峻紀)
しかし、これでは「殯」の期間として六年もかかったこととなってしまいます。『隋書俀国伝』の記事では「貴人」は「殯」の期間として「三年」とるように書かれていますが、ここではそれを遙かに上回る年数がかかったこととなり、この前後「殯」の期間がこれほど長期に亘る天皇が全く見あたらないことを考えると、この葬儀記事あるいは崩年記事は明らかに不審であることとなります。
また仮に「殯」の期間が長期間に亘ったとしても「殯」の開始時期と「葬儀」の時期は(「命日」を特別のものと考えると)、月としては同じになるであろうと考えられるものであり、「四月」の「葬儀」というものが、『書紀』によって「崩じた」とされる「八月」と全く整合していないこともまた不審であるといえるでしょう。
実際『書紀』では「敏達」の「崩年」として「甲辰」ではなくその翌年の「乙巳」としているわけであり、また年だけではなく月も日も異なるとされていますから、この『古事記』に書かれた「崩年」記事は「日子人太子」のものと考える方が正しいと考えられます。(刊本や写本によってこの「崩年記事」部分が「注」としてなかったりするようですが、『書紀』とは全く異なる年月日を書く理由が見あたりませんから、この部分はやはり「日子人太子」に関するものとして当初からあったと理解する方が当を得ていると思われます。それがない「諸本」は『書紀』と合わないことから「不審」として削ったと言う事も可能性としてはあるでしょう。)
『古事記』の書き方では、当の天皇の崩年等を書く場合は「此の天皇」と言う語を前置しているようですが、ここにはそれが見られません。その意味でも、この「崩年記事」が「日子人太子」についてのものと見なされ、彼が「天皇」同様の扱いをされていることとなるでしょう。つまり彼が「即位」していたということが(明確には書かれていないものの)ここで強く示唆されているようです。
「日子人太子」(押坂彦人大兄)が「五八四年」に亡くなっているとすると、「遣隋使」時点(これは「五八〇年代」の後半と見られる)では既に次代の王に代わっていることとなりますから「阿毎多利思北孤」が彼に相当するとは考えられないこととなります。と言う事から「阿毎多利思北孤」に相当する人物として「記紀」に書かれているのは「押坂彦人大兄」ではなく、その「弟王」である「難波皇子」(難波王)が最も考えられるものと言えることとなりました。
もっとも、そう考えると、彼の子供達が高位に存在しているのは当然すぎるものであることとなりますから、論旨に大きく変更が発生するというわけではありません。いずれにしても「兄弟」の共同作業によって統治が行われたものとみられ、この時代の「兄弟相承」という流れとも整合するといえることとなります。