古田史学とMe

古代史を古田氏の方法論を援用して解き明かす(かもしれない…)

参議院の意義

2015年08月01日 | 社会・制度
 今回はやや趣向を変えて社会と政治について考えてみます。
 参議院は「良識の府」といわれます。これは「参議院」と「衆議院」の意志が異なる場合が多いことを示すものでもあると思われます。そのようなことがなぜ起きるのか、それには以下の理由が考えられるでしょう。

 そもそも参議院は任期が衆議院に比べ長く、また半数ごとにしか改選されない他、「解散」がないなど衆議院と比べ大きく異なる特徴があります。逆に言うと衆議院という存在は「民意」を正確に反映するという至上命題を与えられているといえるでしょう。時々刻々変化する「民意」と言うものを正確に「トレース」する事が求められているため、それに特化しているのが衆議院であるといえます。
しかし「参議院」は解散がないわけですから、その時点(リアルタイムに変化する)「民意」というものと少しばかり「乖離」している場合が出てきて不思議はないこととなります。
 この事は「衆議院」と「参議院」の存在意義が本来全く異なることを示すものであり、その意味では「ねじれ」は必然的に発生するともいえるでしょう。その可能性を前提として両院が構成されているのが分かります。
もし「民意」がある程度の期間大きく変化しなければ、両院の構成は大差なくなるでしょう。その場合そもそも衆議院も解散ではなく任期満了での選挙となる可能性が高いと思われます。
 しかし、「民意」が短期間に大きく変化するような状況が発生した場合、両院の構成はかなり異なることとなると思われます。そのような短期間に「民意」が大きく変化するための要件としては一つに「対外的要因」が考えられ、国際情勢の変化によって「民意」が「動揺」するということが「衆議院」の構成に大きな変化をもたらすという場合があるでしょう。
 逆に言うと衆議院の存在意義はそのような場合に「民意」を議席構成比の変化という形で具現化するものであり、内閣総理大臣はそのような場合速やかに解散総選挙を行う義務があるといってもいいでしょう。

 ただし、一般に国際情勢は複雑であり、「民意」つまり「多くの国民」が情勢を正確に判断することはたいていの場合困難であると考えられますから、そのような「民意」判断に基づく衆議院が何らかの重大な決定、或いは従来の方針の変更などを行なうとすると、それが大きな誤りないしは不適切な国家的行動につながるおそれがあると考えられます。
 このような国家的行動は即座に国際情勢に直結する性格のものであり、現在の日本の置かれた位置を考えると、その影響が周辺諸国はもちろん世界中に波及する可能性があります。
 それを「修正」する事ができるのは参議院しかありません。その時点の参議院の構成は衆議院と異なる可能性が高く、そうなると両院の意志が異なることになると思われ、そうであれば、規定により衆議院に「差し戻す」事となり、再考する「時間」が与えられることとなります。
民主主義の本質は「時間を掛ける」と言うことであり、「手続き」を尽くすことでもあります。
 参議院を「衆議院のカーボンコピー」というような言い方をするのは、実体からして一見正当であるようですが、上のような参議院の存在意義に目を向ければ、情勢の変化にかかわらずいつも衆議院と同じ傾向の意思を表明すること自体がすでに問題であることとなるでしょう。

 「民意」を反映しているなら良いではないかとは言えないのは、第二次大戦時のドイツが如実に証明しています。
ドイツでは当時「普通選挙法」が施行されており、女性にも参政権が認められていました。そのような環境下で「ヒットラー」率いるナチス党は選挙によって絶対多数を占めるに至ったのです。つまり「ヒットラー」という存在は「民意」の正確な反映であったものです。
 当時「ヒットラー」に反対するもの(ただしドイツ人)が多数おり、彼等を弾圧したということもほぼ認められないとされます。つまり国内には「ヒットラー」率いるナチス党を快く思わない勢力はほぼ皆無だったのです。そしてその結果「ヨーロッパ」において「ドイツ」は過去に類のない戦争行為を行ったものであり、大量虐殺行為を行ったものです。

  当時ドイツは第一次世界大戦の結果、ドイツ領土であった地域は一部をフランスに奪われ、またオーストリア独立により更にその領土が減少する結果となっていました。しかも戦後各国に対し賠償金を支払う必要があり、国家財政は破綻状態となっていました。国民は多くが失業し、未来のない生活を送っていたのです。
 「ヒットラー」はこの現状を巧みに旧政権の失政としてアピールし、国民の支持を集めたものであり、その結果ヒットラーは旧政権の実効支配を停止させ、憲法もこれを停止させ、「国民の望む政策」を実行するための体制を造り上げたものです。
 
 今でも当時を知る年代のドイツ人の多くはその当時について「いい時代」という感想を持っているとされます。それは「仕事」があったからです。生きていくことが出来たからなのです。失った「領土」を回復するということにより国民としての「ブライド」も回復すると共に、収入も同時に手に入れることが出来たわけであり、そのような結果をドイツ国民は熱烈に支持していたものです。ヒトラーのプロパガンダが巧妙であったというだけでは理由として薄弱といえるでしょう。

 現在までのドイツ政府が折に触れ「反省」を口にするのは、ドイツが行った各種の行為が「ヒットラー」といういわば一人の「跳ね返り」的存在によるものではなく、このように実際にはドイツ国民の総意であったからです。(大量虐殺が総意とまではいいませんが、少なくとも「ユダヤ人」を憎んでいたのはドイツ国民の多数であったと思われます)国を挙げて反省するに足る理由がドイツにはあるといえるでしょう。
 つまり「民意」を正確に反映するということは民主主義には絶対必要ではあるものの、それだけでは足りないということをドイツという国家が身を以て示したのです。

 それを承け日本国憲法が定められ、その中で「衆議院」「参議院」の両院制が採用されたと見るべきでしょう。このようにして「民意」の暴走を食い止めるハードルとして「参議院」が設けられたと見るべきです。

 巷間では一院制が良いとか大統領制が良いとか、首相を直接選べる方が良いとか各種意見がありますが、その場合「参議院」が失われたことによるデメリットをどのように担保するのかが示されていないように見えます。
 「民意」に基づく、あるいは「民意」を反映するだけでは不完全であるということを各自が自覚する必要があるのではないでしょうか。
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