古田史学とMe

古代史を古田氏の方法論を援用して解き明かす(かもしれない…)

「シリウス」と「桜井天体」

2021年11月28日 | 宇宙・天体
 つい最近「桜井天体」というものがあるのを知りました。これは一九九六年に日本のアマチュア天文家桜井幸夫氏によって発見されたもので、通常非常に暗い天体がゆっくり明るくなったものです。これが変光星や新星現象と異なるのは元になった星が「白色矮星」であり、増光時「赤色巨星」になっていたことです。これは以前に「白色矮星」となっていた天体が、後期熱パルス(ヘリウム殻フラッシュ)という現象の結果、膨張して「赤色巨星」になったと考えられているものです。
 「白色矮星」は「赤色巨星」の進化の先にある天体であり、この場合いわぱ「後戻り」したことになります。
「赤色巨星」が「白色矮星」へと「進化」する過程においては、中心部で核融合反応の主役である「水素」が枯渇してくると「反応」そのものが低下し、発生するエネルギーが減少することとなりますが、そうなると自分自身の質量を支えられなくなり、中心に向けて重力崩壊を起こします。質量が大きい場合は「白色矮星」ではなくより密度の高い「中性子星」になりますが(もっと大きければブラックホールになる)、質量のそれほど大きくない星が「白色矮星」になる際にはいわゆる「新星」現象を起こし、周囲に大きなエネルギーと水素ガスを中心とした物質の放出がありますが、生成された「白色矮星」には燃え残りとでもいうべき「ヘリウム」が溜まっており、これが高温と高圧の元で(主に表面で)ヘリウムから金属元素を生成する核融合反応が起き、それにより光度が上がるとともに発生したエネルギーにより膨張する結果「赤色巨星」へと逆行することとなります。ただし白色矮星の中心部での核融合反応はすでにほぼ停止状態ですから、表面のヘリウムによる核融合反応が低下すると再度白色矮星に戻るものです。

 桜井氏が発見した「桜井天体」もそれ以降確認された「桜井天体」も全て単独星であり、周囲に物質が拡散すると基本的にはその拡散はそのまま進行してしまい、遠方から見ると「惑星状星雲」として観測されることとなります。ただしこの「桜井天体」と同様な状況は「連星」特に主系列と白色矮星という組み合わせの時にも発生すると思われます。つまり連星系の伴星である「白色矮星」は以前「赤色巨星」であったものであり、燃え残りのヘリウムがまだ残っている場合、条件さえ整えば「桜井天体」化する可能性があるものが存在して当然と思われるわけです。そしてそのような状況は「シリウス」星系にもあり得るものと思われ、シリウスB(伴星)においても「桜井天体」化する可能性があると思われますが、それが現実に起きたと(当方が)推定しているのが「紀元前八世紀」及びそれ以前の段階です。

 資料等によれば「シリウス」は「シリウス」と呼ばれるようになる「紀元前八世紀」より前の段階ですでに「赤かった」ようであり、それが「明るくなった」のが「紀元前八世紀」と推測されます。(そのため、その時点で「シリウス」(燃えさかるもの)という命名が行われたとみられる)
 このことは「紀元前八世紀」を遡る相当以前から「白色矮星」から「赤色巨星」へと変化していたことを示すものであり、それが再度「白色矮星」へと戻っていく契機となったものが「紀元前八世紀」であり、その時点で「新星爆発」現象によく似た状況があり、その結果表面付近の物質が強い輻射により周囲へ吹き飛び、その結果「白色矮星」へと戻ったとみられますが(その際周囲に「宇宙線」をばらまいたとみているわけです)、通常の「桜井天体」と違うのはシリウス星系が「連星」であったことであり、周囲へ拡散した物質は主星である「シリウスA」が吸収してしまい、周囲に星間ガスとしては非常に少ない量しか残っていない状態となったものと思われるものです。そのことはシリウスAに金属元素(赤色巨星の中心部で作られる)が多いという観測とも矛盾しません。

 重ねていいますが、「紀元前八世紀」付近に全地球的な「気候変動」(単なる寒冷化ではない)が起きたと推定され、その原因として「宇宙線」の増加があったと推測しているわけですが、私見においては「宇宙線によるエアロゾルの増加」が気候変動に結びつくという研究を重視しています。そしてその「宇宙線」の発信源として「シリウスB」を想定したわけです。そのことは「炭素年代測定」における暦年補正のグラフによく表れており、「紀元前八世紀」付近の放射性炭素の残留量が多いと考えられることにつながるものです。これが「太陽活動」の低下によるものとは思われないと考えられるのは「シリウス」に対しこの時期広い範囲でいろいろな意味で注目されるようになったことがあり、たとえば「ローマ」における「ロビガリア」祭祀の始まりと「シリウス」の関係や、「ギリシア」におけるこの時点での「シリウス」(燃えさかるもの)という命名、「エジプト」における「シリウス」と「太陽」とが同時に昇る「ヘリアカルライジング」という現象を起点とする「暦」の使用開始など等々いくつかの「シリウス」に対する捉え方にこの時期「画期」というべきものがあったとみられることがあります。(「バビロニア」における「シリウス」を含む天体観測とそれを元にした「暦」の始まりが「紀元前八世紀」であることを含む)
 古史料に出てくる「シリウスが赤かった」という記録がそれなりの正当性があるとすれば、現実に今「シリウス」が白いという事実と向き合う必要があり、それは即座に「シリウスB」という「白色矮星」についての理解に改革を施す必要があるものです。その意味で「赤色巨星」に一時的になっていたという「桜井天体」仮説は有力と思われるものです。

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