古田史学とMe

古代史を古田氏の方法論を援用して解き明かす(かもしれない…)

紀元前八世紀という時期(続の続)

2016年06月07日 | 古代史

 現在「気候変動」について提唱されている説の中には「宇宙線による大気電離が,大気中のエアロゾル形成を促進し,雲核生成やそれに基づく雲量変化をもたらし,地球気候の変動に影響する」というものがあり(※1)、通常は「銀河宇宙線」(銀河系中心などからの宇宙線)あるいは「太陽宇宙線」がその主役とされていますが、「シリウス」が「新星爆発」を起こしたとすると、そのとき放たれた「高エネルギー宇宙線」が至近距離にある太陽系に(ほぼ減衰なく)向かってきたと思われるわけです。
 すでに新星が宇宙線の発生源となりうるという研究が出ており(※2)、その意味では「シリウス」が新星爆発を起こしたとすると、近距離でもあり、大量に宇宙線が太陽系に飛来したと見られることとなります。
 これらの宇宙線の影響は太陽活動と深く関係しています。太陽活動が活発な時期は太陽磁場が広く太陽系を覆うため、荷電粒子である宇宙線はその磁場にトラップされて太陽系内部への侵入が大幅に制限されます。しかし太陽活動が低下すると磁場も弱まり、太陽系内に降り注ぐ宇宙線の数が増加することとなり、それは地球においても大気上層に侵入する宇宙線の量の増大となります。
 現在の理論では太陽活動と「直接的」な因果関係が気候変動にあるとされていますが、太陽系に向けて高エネルギー宇宙線(特にシリウス起源のもの)が侵入したとするとそれにより大気中に多くのエアロゾルが形成された可能性が考えられ、気候変動の要因の一部を構成した可能性が強いと思われます。特に地球磁場の影響により両極に高エネルギー粒子は集まる傾向が強く、極域において特に多くエアロゾルが形成される可能性が強くなりますが、それも「極域」の気圧低下とそれが原因となる「極振動」(極域を中心としたドーナッツ状の気圧分布のパターンが変わること)の増幅に一役買っているという可能性があると思われるわけです。
 もしその考えが正しければ、高エネルギー宇宙線の影響が別の面で現われる可能性が高いと思われます。それは放射性炭素(C14)の生成量の増加です。
 大気中のエアロゾル増加が火山などの地球起源のものであるなら、C14の生成量の変化には結びつかないと思われます。この紀元前八世紀付近におけるC14の生成量はどうだったのでしょうか。

 「シリウス」が(というより「シリウス」の伴星が)新星爆発を起こしたとすると、大量の高エネルギー粒子を周囲に「まき散らした」と見られるわけですが、そうであれば大気中のC14の量は相当程度増加したであろうことが推定できます。それは即座に放射性炭素年代法による年代測定に多大な影響を与えざるを得ないものと思われるわけです。
 放射性炭素の生成プロセスとしては、基本的に「宇宙線」の飛来により上層大気で電子をはぎ取られた窒素(N14)が放射性炭素へと変化するというものです。この「宇宙線」の発生源としてはいくつか考えられていますが、主に「太陽」と「銀河系中心」及び「超新星残骸」がその多くを占めているとされます。このうち最も影響が大きいのは「銀河系中心」から来るものであり、「超高エネルギー粒子」に分類されます。このタイプの宇宙線は地中深くまで到達するほどのレベルであり、地球の磁場はもとより太陽の造り出している磁場による防御さえ全く無力といえます。それに対し超新星爆発による宇宙線は1段レベルが下がりこの場合は太陽の磁場でかなりの部分が遮られることとなります。逆に言うと太陽活動の変化により、地球に降り注ぐ量が増減することとなるわけです。また太陽を起源とする宇宙線は平常時の場合は地球の磁場により多くが遮蔽されますが、時折発生するフレア(太陽面爆発現象)に伴うものはレベルが高く上層大気に深く侵入し、「オーロラ」として観測されることとなります。
 この「オーロラ」でわかるように基本的に地球磁場の双極性の効果により両磁極付近に宇宙線はその侵入方向を拘束され、高緯度地方にその多くがやってくることとなり、低緯度地方では少ないという傾向があることとなります。

 ところで、放射性炭素年代法の基本は「大気中のC14の量は年代にかかわらず一定である」というものです。しかし既に明らかなように色々な理由からこの基本原則は現実と適合していません。それらは「大気圏核実験」の影響や「大気」あるいは「海洋」に「リザーバー効果」と称せられる「蓄積効果」があることなどから、地域によって異なる基本原則を適用する必要があることなどが明らかとなっています。この点については「年輪年代」と比較することによる較正が行われており、信頼性を上げる努力が行われています。
 すでに国際的に標準とされる較正年代が公表されており、「歴博」はこれを元に弥生時代の始まりを紀元前一〇世紀としたわけですが、リザーバー効果は地域によって異なり、日本のような周囲を海に囲まれた地域はかなりその効果が強いという見方もあります。「歴博」の発表はこの地域差に対する検討がやや欠如していた可能性が指摘されており、この点を考慮すると二〇〇~二五〇年程度新しくなると言うことが指摘されています。つまり「弥生時代」の開始年代としてはほぼ「紀元前八世紀」というものが措定され、それはすでに述べたように各地に残る「乾燥化を推定させる遺跡」の年代推定と整合的であると考えられているわけです。

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紀元前八世紀という時期(続)

2016年06月05日 | 古代史

紀元前8世紀付近に「シリウス」に関する何らかのイベントがあった可能性が考えられるのは、その「シリウス」という名称が通常の星と違いアラビア起源ではなくギリシャ起源であること、それは即座にギリシャの「暗黒時代」と呼ばれる「無記録時代」を過ぎて「ポリス」が形成され始める「紀元前8世紀付近」が相当すると思われること、それは古代ギリシャの天文学者である「ヘシオドス」がその記述の中でシリウスをそれまでの「ドッグスター」などから変えて「シリウス」と呼び始めるのが紀元前8世紀以降であること(「ホメロス」などは「シリウス」について「秋の星」(Autumnnstar)あるいは「オリオンの犬」(Orion's dog)とだけ記していますが、「ヘシオドス」は彼の生きた時代より一〇〇年前である「紀元前八世紀」のことを記した時点以降「Serios」(シリウス)つまり「燃える星」という形容をするようになります。)、その「シリウス」は「光り輝く」という意味であり、その時点で「増光」があったことが示唆されること、あるいはバビロンで作られていたカレンダーの起点がその観測データから解析して紀元前8世紀付近と考えられること(カレンダーを作るためのデータベースといえる「日記」が確認されており、その最古の記録が「紀元前六五二年」とされていますが、それをもとに作られた「カレンダー」の起点は「紀元前七四三年」であることが算定されています)、実際にはこの年次の至近の時期にデータの蓄積が開始されたらしいことが推定されています。その時点でそれまで太陽と月と「金星」(Venus)であった主な観測対象が、太陽と月と「シリウス」に変えられたらしいこと、そこで初めて太陽と月の運行の整合を図るために19年に7回という「閏月」がはじめられたこと、その「19年」という期間の起点が「ヘリアカルライジング」つまり「シリウス」と太陽が同時に上る時点にあったこと、つまり「シリウス」の運行を起点としてカレンダーが作られるようになったこと等々、ロビガリアの起源等と合わせて考えると、この紀元前八世紀が「シリウス」と人々にとってエポックメーキングな時代であり、「シリウス」が関心を持たれ、人々の生活に深く関わるようになったタイミングであったことが知られます。
そもそもカレンダーは原初的には農事暦であり、季節の変化に応じて種まきや収穫時期などを予測する必要があったことから作られたとみるべきですが、バビロンのカレンダーでは太陽年つまり季節変化と太陰暦の日数の差に深く関心を示していなかったものとみられます。1太陽年は365日ほどであるのに対して月の運行から算出した1太陰年は354日ほどですから、10日ほど違うこととなり3年もたてば1か月ずれることとなります。このままでは季節と「月(Month)」とが乖離するはずであり、それでは「不便」であるはずですが、もし常夏というような基本的に温暖な気候が年中続いていたとすると、その乖離に注意を深く払わなかったとしても不思議ではないこととなるでしょう。しかし、気候が寒冷化すると季節変化が明確になり、その場合適切な時期を選ばなければ収穫は望めないこととなります。そのような気候の変化と太陽年を基準としたカレンダーの作成は軌を一にするものと思われ、しかもその変化に「シリウス」が関わっていることとなるのですから、必然的にその気候変化の主たる要因は「シリウス」の変化にあると人々が考えていたということにならざるを得ないこととなります。
またこの気候変動(寒冷化)が「マウンダー極小期」(1645年から1715年の間太陽黒点数が著しく減少した期間)のような明らかな太陽活動に起因するものとは異なると考えられるのが、その「シリウス」に対する人々の関心の高さです。例えばその「マウンダー極小期」をはじめ12世紀から18世紀付近まで太陽活動が低下したためと考えられる気候変動が多くありましたが、その当時起きたとみられるのが「天道信仰」です。これは明らかな太陽信仰であり、日輪信仰です。日本では「仏教」も「神道」もあった中で、「天道信仰」がそれらに融合しているようで実際には微妙に「別」に行われていたように見られるわけですが、すでに述べたように「祭る」という行為の対象は「邪悪」をもたらすものであるはずであり、この場合その気候変動の主因として(当然「シリウス」ではなく)「太陽」が最も疑われたことを示すものですが、言い換えると太陽以外に目立った天変地異が見当たらなかったものであり、人々の目はいやおうなく「太陽」に注がれざるを得ないものであったとみられるわけです。これを紀元前8世紀付近に敷衍すると、そこでは人々が「シリウス」に注目して「祭る」行為が行われ始めているわけであり、「シリウス」の観測開始やカレンダーの作成など「シリウス」と「気候変動」を関連付けて考えていると思われるわけですから、この当時の気候変動は「太陽」ではなく「シリウス」がそれまでとは違う状況になったことは明確と思われるわけです。しかし、仮に「シリウス」で「増光」つまり「新星爆発」があったとしてもそれが「気候変動」に結びつくのかというと、その可能性は十分にあると考えられるのです。(さらに続く)

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