最近、日本の祭りに興味を持っている。日本の祭りの踊りの中で一番好きなのは、「阿波踊り」である。
さいたま市近くの南越谷で「南越谷(なんこし)阿波踊り」をやっていることを知ってはいた。10年に初めて出かけてみて、その盛況ぶりに驚いた。
「日本三大阿波踊り」の一つだという。三大というより「三番目の規模の」といったほうが正確だろう。11年の第27回目にも出かけた。雨もよいの空模様ながら、多くの人が詰めかけている。二日間で徳島や先輩の高円寺からの招待連を含む70連、5千人が踊り、60万人が見物に来るという触れ込みだった。
病み付きになって第30回にも出かけたら、参加蓮は78、踊り手は約6千人になっていた。人出はこれまで最高の70万人に上ったという。
午後5時過ぎスタートのここの踊りを見ていると、子供も多く参加していて、この地に根ざしてきたのではないかという感じがした。
親に連れられた3歳前後の子が、祭り衣装を着て、泣きべそをかきながらついていく姿も見た。その耳には一生、阿波踊りのリズムが残るだろう。5-12歳の「こどもにわか連」もある。
白シャツ姿の「阿波踊り振興会」のスタッフも多数出て、整理や清掃に励んでいて頼もしい。暑い最中なので、各種のウチワが次々手渡されるのもありがたい。
「ヤットサー ヤット ヤット」「エライヤッチャ エライヤッチャ」のリズムは、日本人にはピッタリで、誰でも踊りたくなるような魅力がある。よく観察していると、見物人の中に無意識に手や腰を動かしている人もいる。
「まさに踊らにゃソンソン」なのである。全国で30か所以上で阿波踊りがあるというのもうなずける。
徳島につぐ規模の東京・高円寺の阿波踊りにも出かけた。11年で第55回目。南越谷より二回り先輩だ。東日本大震災で自粛して、夜ではなく昼間開催(午後3-6時)だった。広くない通りに、いつもなら150連、踊り手1万人、観客百万人超が詰めかけるというからすごい。
400年の歴史を持つ徳島では、4日間で踊り手10万、人出130万人超という。
高円寺駅に降り立つと、ガードマンや警察官がいっぱい。柵がものものしく、一方通行になっていて、指示された通路に沿って、やっと踊りが進む通りに出ても、人垣が厚くて囃子は聞こえてもよく見えない。
高円寺はガード下を中心に焼き鳥や焼肉、寿司屋が多いところだ。踊りが見えないなら、入ってみようと思っても、これまた人でいっぱい。安くて美味そうな焼き鳥屋もあるのに食べずじまいだった。
高円寺に比べればはるかに新開地の南越谷では、通りも広く、じっくり見られる。「踊る阿呆」にも「見る阿呆」にもスペースがあるのがうれしい。
南北に走る東武伊勢崎スカイツリー線を挟んで東西に走る4本の目抜き通りが“演舞場”になり、駅前などに流し踊りとは一味違う舞台踊りや組み踊り用の舞台もある。
駅裏に安さと新鮮なもつ煮やもつ焼きで人気の店もあり、久しぶりにたらふく食べた。
聞けば、始まったのは1985(昭和60)年。越谷市に本社を置く徳島県出身の実業家、故中内俊三氏が、越谷への恩返しと正調阿波踊りを広めたいという一念から南越谷商店会に提唱したもので、最初は3万人の人出だったという。
26歳で妻子を残して上京、バナナ行商から身を起こして、埼玉県南部を中心に戸建て分譲住宅などで知られるハウスメーカー「ポラスグループ」の創設者になった。
メセナ(企業が行う文化支援活動)といえば、大企業のやることというイメージが強い。今でも寄付者のトップ(1千万円)を占める大きな名簿を見上げながら、南越谷にもこのような先達(せんだつ)がいたことに、PR業界の端くれだった者の一人として感慨を覚える。
17年11月28日には芸術文化の振興に貢献した企業に贈られる「メセナアワード2017」(企業メセナ協議会主催)の優秀賞「街が踊る賞」を受賞。同じ月の5日には徳島市であった「秋の阿波おどりコンテスト」(徳島県など主催)で、越谷市の「南越谷商店会 勢=きおい=連」が優勝した。
勢連は1989年に設立されたしにせの連の一つで、コンテストには徳島県外の1府4県から7つの連が参加した。