暖かさと寒さが毎日のように入れ替わったお蔭で、11年4月10日の土曜日、田島ケ原のサクラソウと染井吉野の満開が重なった。
荒川の河川敷にある田島ケ原は、サクラソウの自生地として知られる。1920年、日本で最初に指定された天然記念物の一つで、サクラソウで国の特別天然記念物になっている(1952年)のは全国でここだけ。植物の天然記念物に「特別」がつくと仏像などの国宝に匹敵するとか。計約4.12haが2か所で低い柵に囲まれて保護されている。
どうして数えるのか。10m四方の定点11か所を、7人が3日がかりで一つ一つ数え、推定するという。鳥や動物だと動き回るので数えるのも大変だが、サクラソウは動かないから可能だ。
自生のサクラソウと言っても、いろいろな違いがある。花びらの形も色も中心紋の大きさ、切れ込みも微妙に異なっている。確かに目を近づけてよくよく見るとそのとおりだ。
興味がある人は、現地で配られている小さなパンフレットを見ると、よく分かる。サクラソウは施肥しない。その代り、オギやヨシが2~3mまで伸び、日当たりが悪くなって、サクラソウの成長を妨げるので、毎年1月下旬に野焼きする。一つの風物詩になっていてカメラマンが押しかける。
サクラソウには地下茎があり、種子も地下に埋まっているので、火を生き延び、焼けた灰を肥料に成長する。芽を出し 茎や葉が伸びても、年によって違うが、開花するのは3割程度、一株に6つほどの花をつけるという。
18年6月には市議会で株数の急激な減少が取り上げられ、03年にピークの235万株から、17年に72万株、18年に66万株と3分の1以下に減少、「危機的状況」にあることが明らかになった。
気候温暖化や周辺河川の改修に伴って、河川敷への反乱がほとんどなくなったため、乾燥地に適した植物の増加、外来種の侵入がサクラソウを圧迫していることなどが原因で、市としては自生地保護のため、19年度から本格的な実態調査に乗り出す。
さいたま市南西部荒川左岸沿いの田島ヶ原のサクラソウ自生地には、季節に花が咲くとほとんど毎年出かけている。ざっと4haに約100万株あるという。
これに先立ち厳冬期に、一面に伸びたアシやオギを焼き、肥料にして発芽を促す野焼きが毎年行われるのは、知ってはいたもののこれまで見たことがなかった。
世界的に厳しい冬になった14年1月15日、野焼きがあるというので、出かけてみた。
今年一番の冷え込みで雪が舞うとの予報もあったので、朝9時過ぎ念のため「さいたまコールセンター」に電話してみると、「予定通り朝9時から始まってますよ」。
このコールセンターは、毎日朝8時から夜9時まで開いているので、イベントなどの問い合わせに便利。出色の市民サービスだ。これまで何度かお世話になった。
堤の上で遠くから眺めたらさぞ良かろうと、自転車で堤を登り、目的地付近を見下ろしてみても煙らしきものは見えない。
あわてて降りて、「サクラソウ自生地」の石塔の立つ中心部に着いた時は、辺りはすでに黒焦げの地面が残っているだけだった。
通りかかった関係者に聞くと、「もっと川よりでまだやっています」とのことで、自転車を進めると、ちょうど火が燃え上がろうとしていた。(写真)
聞くと、一度に火をつけると危ないので、いくつかのブロックに分けて、小型のガスバーナーで点火する。乾ききっているので、小さなブロックのアシはすぐに燃え尽きてしまう。
2m余にのびたアシが盛んに燃えると、放射熱が冷え切った体を温めてくれるのが快い。
サクラソウを守る会」の人たちのほかに、今ではさいたま市の冬の風物詩の一つになっているこの野焼きを、カメラに収めようとする風流人が取り囲む。
たまたま近くのスポーツセンターから先生に引率された園児たちが、バスで見物に来ていたので、格好の被写体になっていた。
サクラソウは種子ではなく、根茎の状態で地下で生き延びているので、地上の火にもめげず、春になると忘れずに可憐な花を咲かせる。
染井吉野の満開期と重なると、素晴らしい光景だ。「桜草公園」と名づけられたこの地では「さくら草まつり」が開かれる。さいたま市桜区は桜の花ではなく、このサクラソウにちなんで命名された。
野生ではなく、大切に守り育てたサクラソウの品評会が市役所の構内などで開かれるのも見逃せない。
この地が、国の「特別天然記念物」に指定されているのもうなずける。サクラソウは埼玉県の花、さいたま市の花でもある。
ちなみに2000年10月、宇宙飛行士若田光一さんとともに宇宙を飛んで話題になったサクラソウの種子は、荒川のちょっと上流のさいたま市西区二ツ宮の「錦乃原自生地」のもので、ここのものではない。
「錦乃原宇宙桜草」と名づけられて育てられている。